002_遠い昔の伝説
──ゴブリンたちが暮らしている村『ドゴンボ村』
広大な森林の中に存在する亜人種村の一つである。ソーラたちが浮上してきた湖を中心に形成された村で、湖そのものを崇拝の対象としている。
ここで暮らすゴブリンの数はざっと100匹ほど。通常のゴブリンと違ってシャープゴブリンという種族であり、鼻の先端が尖っている。ほとんどのゴブリンが毎日の農作業に勤しみ、採れた農作物で完全に自給自足している。通常のゴブリンの寿命は人間の半分ほどだが、ここに住むシャープゴブリンは、栄養価の高い食事、森からとれる薬草の調合によって、人間とほぼ同じぐらいの寿命を保っているそうだ。
ちなみにここで主に育てているのは『ボボイモ』という芋の一種だ。見た目は里芋に近いが、食感はシャキッとしており非常に酸味が強いらしい。
人間との交わりは完全に絶たれており、争いもなく平和そのものである。おかげで村のゴブリンたちは非常に温厚な性格をしている。
とはいえ、ゴブリンらしく恐ろしい一面も持っている。たまに人間が迷って入ってくることがあるそうなのだが、人間種との関係は非常に悪く、見つけ次第食べてしまう……のだそうだ。先ほどソーラたちが襲われたのもこれが理由だろう。
ソーラたちは村で一番大きい村長の家へと案内された。いつの間に用意してあったのか、木製のテーブルの上にはたくさんの手料理が置かれている。元の世界でも見たことのある料理、そして全く見たことのない料理もあった。それでも全て美味しそうに見え、立ち込める良い香りが食欲を唆らせる。
「わーお! 美味しそうだよぉ!」
キルルが料理を見て子供のようにはしゃいだ。だらしなく涎が溢れている。
「このようなものしか出せませんが、どうぞお召し上がりくだされ。我が孫、ジュジャナの作った手料理ですじゃ」
「はい! きっとお口に合うと思いますよ!頑張りましたから!」
元気そうなゴブリンの女の子が腕を捲る。きれいな耳飾りをつけていて、今まで見てきたゴブリンの中では姿形が整っている。
「いや、ですが……ここまでして頂かなくても……」
「遠慮なさらず。ぜひ食べてください! ……死んでしまったお父さんもお母さんも、作った時おいしいって言ってくれましたから……」
「親がいないのですか」
「はい。私が7歳のときに他界しました。ですから今はおじいちゃんと暮らしています。あぁほら、早く食べないと冷めてしまいますよ」
ジュジャナがほほ笑みながら勧めてくる。だが顔の裏には悲しみの表情もあるように見えた。
自分も親を早くして亡くしてしまった身だ。ジュジャナの気持ちが良く分かる。早いうちに親を亡くすことがどれだけつらいかを自分は知っている。
──これじゃ断るにも断れないよ。
「それでは遠慮なく。確かに腹も減っていますので」
ソーラは丁寧に礼をする。そして一番近くにあったスープを手に取り一口分掬って食べてみた。
──あぁ美味しい
あまりの美味さにソーラも思わず笑みが溢れてしまった。ほんのり甘く、ちょうどよい噛みごたえのボボイモに、トロトロとしたスープが絡みつく。ジャンルで言えば中華料理に近い。
「このスープには干したボボイモを使っておりますじゃ。干すと酸味が消えて甘味が出るんじゃよ」
村長がテーブルの向かい側から自信ありげな顔をして二人を見つめる。キルルはそれをゴーサインと捉えたのか、まるで大食い女王のようにバクバク食べ始めた。
採れた野菜をふんだんに使った炒め物、湖で捕獲した魚の姿焼き。どれもがどれも個性が出ており、非常に美味しかった。
だが、ソーラはそんな中違和感を感じていた。その違和感というのは『腹が減ったという感覚』だ。死神の姿をしていたときは全く食欲がなかった。だから味を感じるのは本当に久方ぶりのことなのだ。どうしてこの世界に来た途端、人間と同じ感覚に戻ったのだろう。そんな思案が脳をかすめる。
とはいえ、ここは異世界だ。
──異世界に転移したわけだし、そんなこともあるよな……。
ソーラはそう割り切ることにした。もはや常識に照らし合わせるのも馬鹿馬鹿しい。
「さて、それでは話をしましょうかな」
村長が真剣な眼差しで口を開く。ソーラもそれに反応して一層気を引き締めた。キルルも流石に爆食いを止め、持っていたお椀を置き、口周りについた汚れを手で拭う。
「まずは”伝説”についての話をさせてくれぃ」
「伝説!? なんかおもしろそーう!」
「分かった。落ち着けキルル」
興味の目をして勢いよく席から立ち上がったキルルを、座るように押さえつける。とはいえ、これはソーラにとっても興味のある話だった。この世界を把握するためには、この世界の住人の心に宿る本質を知ることが重要だと感じたからだ。
「今からちょうど300年前。この大陸に人間どもが一つの巨大帝国を築いたのじゃ。悲しいことに、その国は人間優性思想を持っておった。初めは亜人種への差別から。それから思想はより強くなっていって、とうとう積極的な亜人種の殲滅を開始したんじゃ。たくさんの亜人種が虚しくも殺されていき、とうとうこの森にも人間どもの軍隊が派遣されたのじゃ。そこで我々ゴブリン族も人間どもに抵抗したんじゃが、人間どもの軍事力は圧倒的じゃった。他の亜人種村は壊滅状態にまで追いやられ、森は焼き払われてしまったのじゃよ。我らが先祖もきっとみな恐怖のどん底にいたじゃろうに……」
──恐怖か。
死神にとって恐怖による死ほど嫌なものはない。恐怖にまみれた『情』は精神世界を汚す。例えそれが人間であっても、亜人種であっても、『情』を持っていれば、だ。
村長は一度ため息をつくと、再び顔を上げる。
「我が村も窮地に追い詰められて諦めかけていた。じゃがその時、“救世主”が現れたのじゃよ」
村長は何度か小さく頷くと、手元にあった白湯をずるずると一口だけ飲む。そして鋭い目付きでこちらを覗いながらその湯呑みをコトンと置く。
「その救世主こそが二体の“アンデッド”じゃ」
「アンデッドですか……?」
ソーラが食いつき気味に尋ねた。
「そうじゃ。詳しく言えば全身骸骨のスケルトンじゃ。そなたたちと同じく湖の底からやってきたんじゃよ。手には大きな鎌を持っておって、それを自由自在に操るんじゃとか。初めはどちらも人間の姿をしておったそうじゃが、危機が迫るとたちまちアンデッドになったそうじゃ。彼らの力は人間どもとは比じゃなかった。森へ侵入した人間たちを強力な魔術で簡単に退け、怪我をしたゴブリンたちの傷を完治させたらしいのじゃ。そしてたったの1年足らずで大帝国を滅ぼしたのじゃ」
なるほど、とソーラは何度か頷く。
──まず、アンデッドというのは死神で間違いないだろう。骸骨の姿をしている点、大鎌を持っている点から想定するのは容易い。
しかし気にかかるのは、湖からやって来た点、そして、初めは人間だった点だ。実際、ソーラもキルルも湖から浮き上がってきたし、現在は人間の姿になっている。
奇妙なことに、その“救世主”はソーラたちと重なる部分があるのだ。
「そなたたちが湖からやって来たこと、鎌を持っておること、そして強大な力を持っておったこと。殆どが伝承と一致するのじゃ。そこで、ワシはそなたらを新しい救世主とみた」
村長は輝かしい目を向けてくる。
とちょうどその時、『ある考え』がソーラの脳裏に浮かんだ。──いや、まだ確かではないが。
「確か救世主が現れたのは300年前のことでしたよね」
「そうじゃ」
300年前……。やはり、ちょうど“あの時”と重なる。元の世界から“彼ら”が消えた時だ。あの化け物もそう言っていた。
「彼らは今も生きているのでしょうか」
「いや、生きてはいないじゃろう。彼らは大帝国を滅ぼした後、北方に国を作ったんじゃが、そこで200年前を最後に消えたと聞く」
やっぱりだ。200年前に“消えた”のだ。“彼ら”が死神に転生したのは1200年前の事なのだから。もし彼らがここへ転移していたとしたらこれは驚くべきことだ。ソーラがゴクリと唾を飲む。
「もしかして、その救世主たちの名前って、ゼレネイアとかデストリーネとかではありませんでした?」
思い切ってソーラが聞いた。すると村長は目を丸くして立ち上がり、机の上に前のめりになった。
「そ、そうじゃが……! やはり知っておられたのか……!」
「ええ」
「ゼレネイアとデストリーネ。彼らはこの村以外では、その名を名乗ることは殆どなかったそうじゃ。そして、今じゃあ、その名を知ることができるのは、代々この村の村長のみ。他言はできん。他に知っているとしたら一部の人間ぐらいじゃよ……。もしや、そなたらは彼らの生まれ変わりか何かか……?」
「あぁいや、そういうのではないのです。彼らの仲間ということにしておいてください」
ゼレネイア、そしてデストリーネ。彼らは300年前に元の世界から消えた。そして100年間の間、この異世界で活動していたのであろう。まさか彼らもこの世界へ転移していたとはソーラも思っていなかった。
しかし、なぜ人間の国を滅ぼそうとしたのか。そして、なぜ国を築いたのか。これはソーラにとっても謎のままだ。
詳細を把握するため、まずはこの世界の人間と会う必要があるだろう。死神が人間と対峙するということはそれなりの理由があるはずだ。それに付随してこの世界の精神世界がどのような状態なのか。これも早急に確認が必要だ。
死神としての責任を感じたせいか、思わず手を強く握っていた。
「しかし、新しい伝説をこの目で見ることができようとは……」
ゴブリンの長は目元の皺が谷のように深くなるほど目を細めてソーラたちをじっくり眺めた。生まれて間も無く肉親と別れ、顔も全く知らないのに探し続けた挙句、何十年ぶりの再会を果たしたような、そんな感動が雰囲気として伝わってくる。
しばらくしてゴブリンの長は再び穏やかな顔になった。
「──ソーラ殿、キルル殿。ぜひとも渡したいものがあるのですじゃ。少し準備をしてくるので、少しばかり待っててくだされ」
そう言うと、村長は立ち上がり、外に出していたジュジャナを呼び出す。
「すまんなジュジャナ。料理を片付けておいてはくれまいか」
「もちろんです! おじいちゃん!」
「いつもありがとうな」
村長がジャラジャラした鍵を持って外へ出ていく。
それにしてもジュジャナは本当に利口だ。
ソーラはジュジャナの姿を目で追いながら少しばかり懐古する。叔父に引き取られたあの時のことを。
──あの時の自分はこんな利口ではなかった。それは叔父が自分に愛情を注いでくれなかったからだろう。失敗すれば必ず怒り、成功しても褒めてくれやしない。毎日、機械のような会話ばっかりで、面白い話題は一つもない。
そんな毎日に自分が利口でいられるわけがなかった。
「……ジュジャナは良い子なんだね」
ソーラは思わず口に出してしまった。横にいたキルルがくわっと目を広げてソーラを見つめる。
「そそそ、そうですかぁ……!?」
両手に食器を持ったジュジャナの顔が少し火照る。だがソーラにはジュジャナの顔色が意図する意味が分からない。
(何かまずい事でも言ったか……?)
するとキルルがジュジャナの顔を一瞥した後、横槍を入れるように、鋭い目つきでソーラを睨みつけてきた。
……その目を見ることはできない。だが分かる。これは殺気だ。今にも自分を殺しそうな殺気だ。
口があわあわと小刻みに振動している。
「あぁええっとね、ええと……」
空気の重みに耐えきれず何とか取り繕うとする。何も言ってくることはないが、キルルの真紅の目がソーラへ真っ直ぐに突き刺さってくる。
すると、ちょうど良いところで村長が再び顔を出した。
(おぉ助かった……!)
ただしその顔は思わしくない。見てはならぬものを見てしまったような顔をしている。
「お邪魔しましたかな……?」
「あぁ、いえ。お気になさらず」
「そ、そうですか……」
ジュジャナが顔を赤くしながら横目でソーラを覗き、キルルがとんでもない殺気を放ちながら平然と笑っている。そんな何だか良く分からない状況を理解し、たいして触れてこなかった村長には感謝しかなかった。
「さ、さて……それじゃこれを見てくだされ。かの二人が国を築いた後に書いたスクロールですじゃ。以前は世界中にたくさん散らばっていたんじゃが、殆どは人間の手によって燃やされてしまったのじゃ。じゃが、数少ないスクロールがここの地下に眠っておるのじゃよ」
そう言うと、村長はスクロールを広げた。