【プロローグ】死神転移
死神になってからというものの、ホログラムを通してあの骸骨の化け物に死神のいろはを散々と教え込まれた。おかげでソーラは既に大概の仕事は軽くこなせるようになっていた。
仕事内容に変化はほぼ無いのだが、ソーラは一つ一つの仕事に誇りを持っていた。
そして、仕事をこなしていくうちに死神としての能力も以前と比べて格段に上昇していた。
まず可能になったのが眷属の所持だ。眷属というのはその名の通り、ソーラの配下ということになる。死神にとって眷属を侍らすのはそんなに難しいことではない。
実は精神世界では、異常精魂の中でも高い知能や能力を持つ個体がごく稀に現れる。通常の個体は知能を全く持たないので、眷属として侍らすことはできない──が、しかし、ある程度の知能を持つ個体であれば、どうやら初めて見た死神を尊敬に値するものと考えるようになるらしいのだ。つまり動物で言うところの『刷り込み』のような現象が起きるというわけだ。刷り込みに成功した個体を大事に育ててやると、親である死神に完全な信頼を置くようになる。これで眷属の完成だ。
眷属には様々な種類がいる。ソーラが持つのはドッペルゲンガーや妖精、バーサーカーなどだ。眷属は異常精魂の排除を手助けしてくれる。これらはソーラにとっては何かと使い勝手がいい存在だった。
眷属は召喚死術《サモン・スピリット/精魂召喚》によって何度でも召喚する事ができる。
ちなみにだが──なぜかキルルは眷属を侍らそうとはしない。理由はどうせ扱えないから、だそうだ。
次に身体能力の向上である。ソーラとキルルは死神になった時点で身体能力は人間の領域を超えていた。しかし、仕事をこなしていくうちに、世界中に散らばる死神の中でも上位に入る力を手に入れていた。
ソーラについては死術の扱いが特に優れていた。死術にはかなりの種類があるが、ソーラはほとんどを体得していた。また、異常空間や異常精魂に対する感知能力もずば抜けて高かった。
キルルも武術に関しては異常に優れていた。瞬発力、俊敏性、体力、そして大鎌の物理的な扱いについては彼女の右に出る死神はいなかった。
──こうして己の能力を高めていきながら3年が経ち、今に至る。
ソーラはこれから侵入する富豪の家をじっくり眺めていた。家の標識には『内田』と書かれている。
「ええと……今日の仕事場はこの豪華な家だね」
「わお! 楽しみぃ!」
子供のようにはしゃぐキルルの真横でソーラは真剣な表情をしていた。ソーラはただならぬ何かを感じていた。いつもとは違う“何か”を。
「──なぁ、キルル。何か感じないか? なんとなく嫌な気配とかさ」
「さぁね? 全く」
少なくともこの豪邸の中で異常空間が発生していることは二人とも知っていた。実際ソーラたちに下された任務もこれの閉鎖だったからだ。だとしてもおかしい。ソーラの異常空間への反応数が、これまで出会ったものの中でも桁外れにデカいのだ。
それでも、仕事を放棄するわけにもいかない。ソーラは平然を装って敷地に侵入した。死神は物質を透過することができるから侵入は容易だ。キルルもそれに続く。
「早く終わらせちゃお」
本当に上機嫌なやつだ。この異常事態に全く鈍感なままだ。キルルは我が先よ、と広大な芝生の庭をずんずん歩いていく。ソーラも黙ってついて行く。どうやら家の二階から強い反応があるようだ。
家の壁を通り抜けると、目の前に見える階段を登っていく。
「キルル、気を付けろよ。かなり反応数が大きい」
「わかってるよぉ」
ソーラは警告したが、キルルは振り向きもしない。それどころか、二階へ走っていってしまった。彼女の背中がどんどん離れていく。
──本当にキルルの自由奔放さには呆れるものだ……。
それにしても何故こんなに反応数が強いのだろうか。そのことがソーラの頭の中を支配していく。普段以上の警戒をしつつ一歩一歩しっかりと登っていく。
「おーい、この部屋っぽいよぉ!?おーい」
「わかったわかった。今いくからちょっと待ってろ」
ソーラは階段を登り終えると、右手側の廊下の奥にキルルがいるのが見えた。キルルの後ろには禍々しい雰囲気を漏らしたドアがある。
「ちょっとあいてるよぅ」
「……ほんとだ」
扉がほんのだけ開いていたのでソーラはそこから覗いてみる。
「これは……」
──小さな隙間からソーラが見たのは一種の“カオス”だった。
通常の異常空間ではない。部屋中の家具やら何やらがあちこちに飛び回り、部屋の中は様々な色が渦巻き、空間自体が歪んでいた。現実世界にゲームでいう“バグ”が発生しているかの如く。
ソーラとキルルは扉を開け、ほぼ同時に異常空間に足を踏み込んだ。
「誰だ……! お前たちは!」
「──!」
そこに立っていたのは人間。ここの家の主人らしかった。既に60は超えていそうだ。何が何だかよくわからない状況に唖然とし、立ち竦んでいる様子だった。
そして……どうやらこちらが見えているらしい……。
「人間、見えるのか」
「お前たちは誰じゃ!? なぜワシの大事な家具たちが飛び回っておるのじゃ!」
「──」
ソーラは平然としていたが、内心は非常に困惑していた。キルルも動揺を隠しきれていない様子だった。
死神は普通、人間に姿が見えないよう完全なる透明化の能力を取得している。だから透明化をしていれば、仮に異常空間が発生したとしても、人間に姿を見られるということは決して起こり得ないことなのだ。
「──おい人間。お前の目に何が見えている」
ソーラが一歩前に出て大鎌を突きつけると、男はおののいて腰から倒れてしまった。
「や、やめろ……! 人にいきなり危ないもん向けて何がしたいんじゃ!」
ソーラはとにかく早く情報が欲しかった。だからただただ恐怖で驚くだけのこの人間には苛立ちも覚えていた。
「私の質問だけに答えろ。──でないと本当にお前を殺す」
男は恐怖のあまり、ヒィと情けない声を出した。
あまり恐怖を植え付けるつもりは無かったが、とにかく今欲しいのは情報だ。
ソーラは《死者のオーラ》を全開に出す。
「わわわわ分かった。質問とやらはなんじゃ」
「先程も言ったろう。お前の目には何が見えている」
「も、物が浮かんでいるのが見えるぞ……」
「その他には?」
男は落ち着かない様子で周りをキョロキョロ見渡す。
「それだけじゃ」
「そうか」
どうやら男は、家具が飛び回っているのは見えているらしい。
だが、この禍々しいカラフルな空間自体は見えていないようだった。
ソーラはキルルに手で合図を出す。
そしてすぐさま異常空間の閉鎖に取り掛かる。
閉鎖をすること自体はそんなに難しいものではない。
「んじゃ、始めるね。《デリート・アノマリー・スペース/異常空間削除》」
キルルが大鎌を高く上げて唱えた。
──が、異常空間が収縮していく様子がない。
普通なら、唱えると同時に、大鎌の方へ異常空間自体が引き寄せられていく。そうして空間は閉鎖されるはずなのだ。
だが、おかしいことに空間はどんどん広がっていくようだった。
「広がっていく……? なんでだ!? おい、キルル本当に死術かけてるのか!?」
「かけてるよぅ!」
ぐわんぐわんと空間が広がっていき歪んでいく。自分たちの体も歪んでいるらしかった。
もはや何が起きているのか、ここは何処なのかも分からない。
そして自分が何者なのかも──
「人間……最後に聞く……。お前に俺たちは……どう見えている」
残り少ない正気を以てソーラは尋ねた。
男は何が起こっているのか終始分からない様子だった。それでも俺たちの姿だけははっきり解っていたらしい。
「黒い髪の男性と白い髪の女の子じゃ……」
「──!」
──人間になっている……?
その瞬間ソーラとキルルの視界の全てが闇に包まれた。五感が全く機能しない。永遠の闇にただ落ちていくような、そんな心地だった。
どんどん落ちていく。さらなる深淵へと──