第四章
1
二〇二三年 一月一六日 午前〇一時五七分
炸裂音が轟いた。
地下基地を揺るがすようなその音は、自室で眠りについていたプロテクション・オブ・ジャスティスのメンバーたちを叩き起こした。
炸裂音が続く大広間の方へ順不同にたどり着く。最後に現れたリフレクトマンは、即座にリフレクトシールドを自身の前面に展開した。あれに当たってはひとたまりもない。
キッチンから大広間に向かって炸裂音を伴った赤い閃光が放たれていた。懐中電灯の光ほどの直径の閃光が大広間の壁にあたり、銀色の壁はドロドロに溶け始めていた。閃光の衝撃で壁から床に落ちた額縁の上に高熱を孕んだ壁の破片が飛び散る。破片は割れた表面のガラスの間から内側に潜りこみ、ヒーローコミックスを燃やしていた。
「エクス。お前か。どうしたんだエクス!」
炸裂音に負けないようダイダロスが声を張りあげた。POJのメンバーはその赤い閃光を何度も目にしていた。フレーム・オブ・アイズ。エクストリームマンの両目から放出される熱光線だ。地球人の身体程度なら容易に貫通する威力をもっているため、よほどのピンチでなければエクストリームマンはこの技を使わない。
数秒の間をおいてフレーム・オブ・アイズの閃光が収まった。ダイダロス、リフレクトマン、ハンター、ドラゴンフライ、そしてマッドネスガール。五人は合図を交わすことなく、キッチンに向かって駆けだした。ハンターの大鷹もその翼を羽ばたかせながら後に続く。
キッチンの入り口に男が横たわっていた。銀色を下地に赤い流星が走るボディスーツ。エクストリームマンだ。エクストリームマンのはずだ。エクストリームマンに間違いない。
だが五人は“それ”を『エクストリームマン』と呼ぶことはできなかった。
男の顔は鼻から下がえぐり取られたように窪んでいた。弱々しく数センチの赤い閃光を放出する両の目が転がるビーダマのようにゴロゴロと動いている。首から下を包んでいるボディースーツの上半身の部位もまた窪んでいた。まるで、その下の肉体が溶けてしまったかのように。全身を痙攣で震わせながら両腕が不気味に動いた。手招きするように右手が開閉する。
猟奇的なその有り様を前に五人の足がすくんだわけではない。“それ”は正しくは“それ”ではなかった。“それ”は正しくは“それら”だった。ひとつの男の身体から無数の小さな声が聞こえる。苦しい。どうして。誰が。意味をもたないうめき声も混じっている。肉体の露出した部分が丸い粒状に別れていく。いくつもの、幾千の、幾万の、数えきれないほど無数の粒が浮かび上がる。米粒よりも小さなそれら一粒一粒に口がある。鼻がある。目玉がある。生命がある。
「何だ、これは。いったい何が起きている!」
ダイダロスが問いかける。リフレクトマンは口を両手でふさぐと、ふり返って吐瀉物を床にぶちまけた。
顔の部分の無数の粒が寄せ集まり、徐々に大きな粒に変化していく。親指の爪ほどの大きさになった粒がひくひくと震えながらごまのような黒い目を五人に向けた。
「こ……こちらへ……きてく……くれ」
その声は――エクストリームマンのものだった。
「エクス。あなたはエクスなの」
ハンターが狩猟用ナイフに手をおき、警戒する口調で訊ねた。
「はやく……こちらへ……時間が……」
右目から微かに放たれていたフレーム・オブ・アイズが止まった。右の眼球も無数の粒に別れて動いていたが、突然それら全ての動きが止まりしぼみ始めた。
「消えていく……わたしたちが消えていく……その前に……つたえ……つたえ……」
五人は困惑した表情を揃えて近づいた。
「お前はエクストリームマンなのか」
ドラゴンフライが訊ねた。
「その答えは……イエスであり……ノーでもある……わた……わたしは……うぅ!」
親指ほどの粒はひと際大きく震え始め、ピタリと動きを止めた。黒い目から生気は失われ、冷たく天井を見つめていた。
「死んだ?」
「そ……そうだ……力尽きた……わたしもまた……時間がない……」
右手の薬指の部分の粒が集まり、細長いひとつの粒にまとまった。そこにもまた黒い目と鼻と口があり、語り始めた。
「正確には……わたしは……わたしたちは……エクストリームマンでは……ない……わたしたちは……太陽系よりも外……遥か彼方よりやってきた……寄生細胞……パラセルズだ……」
「パラセルズ?」
「われわれは……その星でもっとも強い生物の細胞を食らい……成り替わり……その星を征服する……われわれは……いや……最初のわたしは……エクストリームマンの身体に寄生……し……彼の細胞を食らい……増殖し……エクストリームマンの身体を……奪いとった……」
「そんな、いったいいつから」
リフレクトマンが吐瀉物で汚れた口もとを拭いながら訊ねた。
「四年前……エクストリームマンの……故郷からの贈り物……あの箱の底に……わたしは潜んでいた……あの贈り物は……偽物だ……われわれパラセルズに寄生された……太陽系外のとある生命体が……つく……つくり……つくりだし……地球に向けて……送りだした……あの箱は……エクストリームマンを誘いだすための……エサだった……あぁぁぁ!」
悲鳴をあげながら薬指の粒は激しく痙攣を始めた。数秒で痙攣は止まり、そして、止まった。
「だが……だが……誤算だった……エクストリームマンは……化け物だった……」
くぐもった声が聞こえる。マッドネスガールがエクストリームマンのコスチュームを破いた。エクストリームマンの下腹部で、無数の粒が蠢いている。その中にあるセーターのボタンほどの大きさの“粒”が震えながら黒い目を泳がせていた。
「エクストリームマン……あいつの……違う……あい……わたしの……わたしの細胞にはすさまじい濃度の……善性……善性が……備わっていた……」
「善性?」
「地球人には……わからないだろうな……正義の心は……物理的に存在……する……侵略者パラセルズは……われわれは……すさまじい濃度の悪性を備えている……だが……われわれは……負けた……エクストリームマンの細胞を食らいつつも……その細胞のもつ善性に毒された……エクストリームマンの身体を奪いながら……われわれパラセルズは正義の心に……目覚めた……地球の征服……やめた……そして……エクストリームマンに代わり……エクストリームマンとして……ヒーローとしての活動を……始めた……」
「ぼくたちはこの四年間、偽物のエクストリームマンといっしょに活動していたってこと?」
リフレクトマンが苦々しい表情を浮かべた。
「ちがう!」
粒はひときわ大きな声を発した。
「わた……わたしは……エクストリームマンと……同一だ……エクストリー……やつの…わたしの……本質は……すさまじい善性……正義の心……わたしはその心を引き……継ぎ……ヒーローとして……悪と……戦ってきた……エクスト……リームマンに寄生して……からの……わたしの……すべての判断は……エクストリームマンの……価値観に……従ってきた……わたした……ちはわたし……パラセルズであり……ながら……エクストリームマンでも……ある……なにが……ひとを……ひとたらしめる……行為だ……行為が……その人間を定める……善性と……供に……わたしは……行為を……だからわたし……は……エクストリームマン……本当の……エクストリームマンだ……」
「そんなの詭弁だよ。だってお前は――」
「リック、もういい。エクス。エクスと呼ばせてもらうぞ。時間がないといったな。お前は、死ぬのか」
ダイダロスは力強く訊ねた。
「そうだ……死ぬ……何があったか……伝え……」
「そうだ。いったい何があったんだ」
「部屋の……ドアの下に……手紙があった……午前二時に……冷蔵庫まで来い……大事な……話と……冷蔵庫のドアを開け……た瞬間……照明が消え……誰かが……それ……を……わたし……ふりかけた……」
ドラゴンフライが床に顔を伏せた。床の一部が透明な液体で濡れている。指ですくって舐めてみると、ドラゴンフライは苦い顔をしてそれを吐き出した。
「酢だ。高濃度の。これがお前の弱点か、エクス」
「そういえばエクス、以前から酸っぱいものを食べなかったわね。苦手だからって。なるほど。苦手ってのは口に合わないってわけじゃなくて、そういう意味だったの」
マッドネスガールは静かにうなずいてみせる。震える手を背中に隠しながら。
「酢は……パラセルズのじゃく……てん……少量で肌……を溶かし……いちどに……大量……に……だめだ……わたしはもう……たすからない……みな……にげろ……ここにいては……ころされる……わたしたち……のいのち……を……なにものかが……にげろ……にげるんだ……はやくにげるんだ!」
ひときわ大きな声を発し、右の腕を天井に向かって掲げる。
掲げた右腕が、その指先から順に無数の粒になって崩れ落ちていく。少しずつ短くなっていく右腕に嘆く余裕さえ彼にはなかった。
「ひかりを……もっと……そとの……あかるいひかりが……みたい……」
こうしてパラセルズ――いや、エクストリームマンはその生命活動を止めたのだった。
2
「エクスが死んだ。最強の男が、酢をかけられただけで死んじまった」
ドラゴンフライはめまいを覚えたかのように身体を揺らしながら壁にもたれかかった。
「パラセルズね。エクスを殺した寄生虫とぼくたちは活動していたのか。だけどエクスはいつものエクスだった。彼はある意味じゃ、その善性でパラセルズを改心させた。エクスの本質が善性なら、パラセルズもまたエクストリームマンということになるのかな」
「本質が善性? リック。彼はわたしの故郷アンダーワールドを破滅させたのよ」
「マディ、きみもわかっているだろう。あれは事故だった。エクスは意図してアンダーワールドをマグマに沈めたわけじゃない。それに、そうしなければ地球そのものがなくなっていたんだ」
「誰なの。いったい誰。エクスを殺したのは誰なのよ」
黒い髪をかきむしりながらハンターが声を荒げる。大鷹はそんな主人を見て怯えた様子で縮こまっていた。
「ジューベーを殺したのは誰。犯人はこのなかにいるの。いったいどういうつもりなの。どうして仲間を殺せるの。どうして、どうして、どうして……」
「おちつけ我が娘よ。何も犯人がこの中にいると決まったわけじゃ――」
ダイダロスの表情が固まった。
「プリンスはどうした」
そのひとことで五人は駆け出した。
大広間の隅にある階段を落ちるように降りる。プリンスが閉じ込められている牢屋のドアは開いていた。
だがプリンスはその中にいた。首にシャットダウンリングをつけられ、壁を背にしてうなだれるように床に座りこんでいる。
警戒する足取りでダイダロスが牢の中に入った。外にいる四人は臨戦態勢でその様子を見つめている。
「プリンス」
ダイダロスが呼びかける。だが反応はない。
そっと肩に触れる。プリンスの身体は床に崩れ落ちた。
白く歪んだ死に顔のプリンス。その首には青紫色の圧迫痕がぐるりと一周を走っていた。
ヒーローたちに余裕はなかった。ただただ彼らは疲れていた。彼らに叫び声をあげる余裕なんてものはなかった。
「絞殺……か」
リフレクトマンが蚊の鳴くような声をあげた。
「無茶苦茶だよ。こんなの。こんなことって、本当に」
3
「逃げるわけにはいかない」
ダイダロスは円卓に手のひらを押しつけながら叫んだ。
「エクスはわしらに逃げろといった。だが、やつの意見に従うわけにはいかない。そうだろう」
「それはつまり、エクスじゃなくてパラセルズの言葉だから?」
リフレクトマンが間の抜けた声で訊ねた。
「ちがう! 敵前逃亡するわけにはいかないといっているんだ。敵だ。敵だよ。何者かがPOJを壊滅させようと企んでいる。ジューベーを殺し、エクスを殺し――」
「さらにはプリンスまで殺しやがった」
ドラゴンフライは両腕を組んで鼻をひくつかせた。
「おれもダイダロスの意見に賛成だ。逃げるわけにはいかない。おれたちがいまこの状況で外に出たらどうなる? 世間は間違いなくおれたち五人が三人を殺したと邪推するに決まっている。おれたちはプリンスを処分しようと試み、ジューベーとエクスはそれに反対、対立、その結果がこれだ」
「ジューベーとエクスの強さは世間もよく知っている。だけど、同じPOJのメンバー五人がかりなら勝ち目はあると世間は思うでしょうね」
マッドネスガールは諦観の様子でそういった。
「下らない。むしろわたしは、わたしだけはプリンスを無罪として弁護してきたのに。わたしがプリンスの処刑に加担した? 冗談じゃないわ。わたしはそんな不名誉な扱いを受けるつもりはない。犯人を突き止めてからここを出る。絶対にね」
「世間のプリンス処刑派もわたしたちを非難するでしょうね」
ハンターは上半身を円卓に伏せたまま力なくしゃべる。大鷹は図書室へとつながる螺旋階段の手すりにつかまり眠っていた。
「わたしたち四人は私的に刑を執行した。裁判にかけることなく、自分達自身の手で判決をくだした。そんな権限はPOJにはない。わたしたちはただ、意見を求められただけなのに」
「我が娘よ、お前はどうしたい。外に出て石を投げられるか、犯人の首根っこを掴まえて、民に石を投げさせるか」
「当然後者。なにが起きているのかわからないまま外にでるなんていや。殺人犯の正体が判明するまで、ここを離れるつもりはないから」
「けどその殺人犯って誰なのさ」
全身を震わせながらリフレクトマンが訊ねた。その視線は自身の足元をさまよっている。
「きみたちはおかしいよ。何が起きているのかわかっているの。殺されたんだ。ジューベーとエクスが、あの二人が殺されたんだぞ。トップクラスのヒーローで、地球最強といっても過言ではない二人が殺されたんだ。この地球上の誰ならそんなことができる。どんなヴィランにならあのふたりを殺せる。敵は強大だ。あまりにも。それなのに、ここに留まる? 外に出るべきだ。助けを求めるべきだ。きみたちは間違っている」
「リック。おまえ、外に出たい理由があるのか?」
ドラゴンフライが立ち上がり、リフレクトマンの席に近づいてきた。
「ここに残って犯人捜し。それの何が悪い。外に出たいだなんて、誤解されるようなことは口にするべきじゃないぞ」
ドラゴンフライの手がリフレクトマンの肩に触れる。リフレクトマンはリフレクトパワーを肩に集中させると、半透明の鎧が一瞬だけ光り、ドラゴンフライの手が弾かれた。
「リックてめぇ!」
「誤解? きみたちがぼくをどう誤解するっていうんだ。いってみろよ。どう誤解するのか聞かせてもらおうじゃないか」
「クソガキが。わからせてやるよ。言葉じゃなく拳でな」
「やめろ二人とも」
ダイダロスが間に入り、ふたりの身体を押しのけた。
「ドラゴンフライ。言葉遣いに気をつけろ。お前の挑発的なものいいのせいで、わしの中でアメリカ人の評価が大暴落しとる」
「母国から逃げ出した嫌われ者たちで作った国家だからな」
両腕を組みながらそっぽを向く。そんなドラゴンフライに四人のヒーローが苦々しい視線を向けた。
「それからリック。お前さんも一度落ち着いて考えてみろ。いま外に出たところで利益なんて何一つない」
「ある。命だよ。自分の命だけは救われる。ジューベーを、エクスを、そしてプリンスを殺した化け物から逃れられる。それだけで十分な価値がある」
「命は助かる。だけど社会的な死は免れないわ」
矢のように鋭い目をしながら、マッドネスガールがつぶやく。
「リフレクトマンは世界的な人気を博すふたりのヒーローを殺害し、またその行動の評価で世間が割れている若きヒーロー“プリンス”を殺害したかもしれない。あなたはヒーローとしての評価をはく奪される。リフレクトマンがこの世から消え去るのよ」
「ぼくがいなくたって、ヒーローは他にもいる」
「そのヒーローの信用が地に落ちるといっているんだ」
ダイダロスがリフレクトマンの両肩に力強く手を置いた。茶色の瞳は執念に燃えている。
「わしらPOJは世界中のヒーローの代表としてこの場にいる。特別活動局がPOJの活動を評価しているからこそ、今回の件はわしらに任されたわけだ。そんなヒーローの代表たるPOJがこのような惨事を引き起こして、どうして他のヒーローを信用できようか。犯人を、真相を突き止めることなく外に出たらその時点でヒーローという概念そのものが失われる。人々は正義を信じられなくなり、他人を信じられなくなり、そんな不毛の大地に残るのは悪の概念だけだ」
「だって。どうすればいいのか。ちくしょう。ちくしょう……」
「心を強く持て。わしらで見つけるんだ。事件の真相をな」
4
五人はキッチンに場所を変え、調理台の上の空になった酢の瓶を見つめていた。ダイダロスは内側に残った液体を指ですくい舌の先につける。老練の戦士は『死の酸味だ』と小声でいった。
リフレクトマンはちらりと視線を床に向けた。数分前までそこにあった遺体は、既にエクストリームマンの部屋に運ばれていた。
「犯人はどうやってエクスの弱点を知ったのか」
ダイダロスが誰にでもなく問いかける。丸めた手でヘルメットをなでているドラゴンフライが『たぶん』と口を開いた。
「調べたんだろうよ。エクスは無敵の男だったが、それは文字通りの意味じゃない。ヴィランとの戦闘後にはその戦闘の地に吐き出した血や皮膚片、髪の毛といった身体構造を調べ得るサンプルが落ちていたはずだ」
「となると、犯人はわたしたちの弱点も調べているということかしら」
マッドネスガールは眉をひそめて四人を見つめた。
「エクストリームマンは地球の外からやってきた異星人よ。パラセルズに寄生される前のオリジナルの時点から彼は異星人なの。アンダーワールド出身のわたしや、地上で生まれ育ったあなた達の身体と比べると未知の点が多いはず。そんなエクスの弱点を既に知り得ているということは、それよりも容易にたどり着けるであろうわたしたちの弱点も既に知り得ているに違いないと考えるのは……」
「理にかなっているな」
ドラゴンフライが人差し指をマッドネスガールに向ける。
「マディの固い肌と骨の弱点も、リフレクトメイルを砕く方法も犯人にはバレているかもしれない。ふたりとも気をつけろよ。もっとも、ふたりが犯人ならこんな注意は意味ないがな」
「お黙りドラゴンフライ。不安をあおる様なことはやめて」
「あおらせてくれよ。おれは地底人でもなければ、リフレクトパワーを備えた超人でもない。ただの人間なんだ。オニヤンマの格好をしたただの人間。弱点はいくらでもある。少しのあいだ口と鼻を閉じられたらそれだけで死んじまう」
「プリンスはシャットダウンリングを付けておった。あの子の首を絞めるはスーパーパワーを持たない一般人にもできる。必要なのは覚悟だけだ。殺人者の烙印を背負う覚悟と、この世を混沌に陥れる覚悟をな」
そんな覚悟を抱いたものがこの中に紛れ込んでいるというのだろうか。それとも――
「お前さんら、今夜はどこにおった。フレーム・オブ・アイズの音が聞こえてここに集まるまでに何かおかしなことはなかったか」
ダイダロスの問いに四人は同じ答えを返した。自室にいた。ダイダロスのもうひとつの問いに四人は同じ答えを返した。何も。
「わしも同じだ。だが信じるわけにはいかん。エクスに酢をあびせ、やつが叫び声とフレーム・オブ・アイズを放出するとなれば、皆がこの場に現れるのは当然。犯人は自室ではなく上階の図書室に隠れ、他のメンバーがエクスのそばに集まってから現れればいいのだから」
「もしくはその場にとどまって、一番最初に自室から駆けつけたフリをしてもいい」
ハンターが両腕を組みながらいう。大鷹は距離をおいて口ばしを床にこすりつけていた。
「ダイダロス。ぼくはこの中に犯人がいるとは思えないよ」
力のない声を発しながら、リフレクトマンは片手をあげた。
「現状はぼくら全員にとって最悪だ。この中で利益を得ている人間がいるとは思えない。逃げることだって不可能だ。ド派手なエレベーターで脱出するにしても、土を掘って地上に出るにしても、外に出たらロイたちにすぐに知られるんだろ」
「あぁ。この施設は外部から常時監視されとる」
「ほらね。それにもしこの中の誰かに罪をなすりつけるつもりだったとしても。現状疑わしい人間はひとりもいないわけだ。これって犯人の思惑通りにことが動いていないから? 違う。犯人は別にいるからだよ。ね。もう一度みんなで犯人を探そう。ベースの中のどこかに……」
「楽観すぎるなリック」
ドラゴンフライは鼻で笑った。
「犯人は目的を達成したあとに自分の命を絶つつもりかもしれない。もしくは外に出て大人しく捕まるつもりなのかもしれないな」
「意味がわからない。この中に犯人がいるとして……そいつはどうしてぼくたちといっしょに頭を悩ますフリをしているんだ。ジューベー、エクス、そしてプリンス。三人を殺して目標を達成したのなら――」
「まだ目標は達成していないというわけね」
ハンターがリフレクトマンの言葉を遮った。
「殺人は続く。犯人はまだ殺したい相手がこの中にいる。だから犯人はわたしたちといっしょに頭を悩ますフリをしているというわけ」
「その通りだ。リック、わかったか。三人を殺した犯人はお前を殺そうとしているかもしれない。もしくはお前はおれたちを殺そうとしているかもしれないというわけだ」
「そんなことって。あたまがおかしくなりそうだ」
「おれはもうなってるよ」
ドラゴンフライはペットボトルの水を乱暴に口にふくむ。水滴が口元に轍をつくりながら落ちていった。
「でも、動機は。どうして犯人はこんなひどいことを」
「リック。ジューベーの死体のそばにあったものを忘れたのか」
重苦しい表情でダイダロスが訊ねる。
「USBだ。ジューベーの悪行を告発する証拠が収められとった。あれは、犯人からの動機の表明と考えるのが当然だろう」
「つまり、ジューベーが悪人だから殺したと? 馬鹿な。じゃあエクスは。エクスの死体のそばにはUSBなんてなかった。プリンスも同じだ」
「たしかにUSBはなかったわ」
人差し指で円卓を叩きながらマッドネスガールがいう。
「だけど、彼の正体がそこにはあった。寄生生物パラセルズ。エクストリームマンの正体は、地球を征服せんと宇宙からやってきた侵略者だったのよ」
「彼は悪人じゃない。改心したって……エクストリームマンの善の心に敗れたって――」
「犯人がそれを信じたかどうかは分からないでしょ。いえ、むしろわたしはパラセルズの言葉を疑っているわ。悪が善に負けるなら、その逆もまた然り。生来から悪の性質をもつパラセルズはエクストリームマンとしてヒーロー活動を続けているうちに、ヴィランの悪行を見て悪に感化されるかもしれない。ヒーローが悪に堕ちることは決して珍しくない。エクストリームマンに化けたパラセルズの本質は悪。だから犯人は彼を殺したのよ」
「プリンスについては説明するまでもないな」
ダイダロスはプリンスの牢屋に続く階段に視線をおくった。
「あの子はナターリア皇女を殺害した。罪のない人間を殺し、世界を混乱に陥れた。悪人とみなされても仕方なかろう」
「殺された三人は悪人だった。つまり犯人は、断罪のつもりで一連の殺人を行っているのか」
――だとしたら――
「清廉潔白なヒーローなら殺される理由はないってことだよね」
リフレクトマンの口からそんな言葉がこぼれた。
返事はなかった。代わりに沈黙が場を支配した。互いに顔を伏せたまま様子をうかがう。全員の表情が語っていた。可能性を語っていた。
「どうして黙るんだ」
年長者のダイダロスが作り笑いを見せた。
「お前たち。顔をあげろ。ほら笑え。どうして黙るんだ。こら。笑えってば」
「荷物検査だ」
ドラゴンフライが無表情のまま手を叩いた。
「各人の部屋へ行き、荷物を調べる。聖や殺人の証拠が出てくればそいつが犯人だ」
「でも既に調べたじゃないか。しかも二度も」
リフレクトマンが弱々しく非難する。
「もう一度だ。徹底的に時間をかけてやる。犯人は上手く証拠が見つからないようごまかした可能性だってある。証拠が出てくるまで、何度でも、犯人がぼろを出すまで繰り返すんだ」
「疑っているわけ」
マッドネスガールが片足で床を踏みつけた。ベースを囲う周囲の地盤がかすかに揺れる。
「疑わざるを得ないだろう。」
「昨日もいったけど、荷物検査なんてプライバシーの侵害もいいところ。自由の国アメリカのヒーローとは思えない発想ね」
「自由。自由ね。そうやって自由を建前に好き勝手にふるまう人間がおれは大嫌いだ。あんたが部屋を調べさせてくれないというなら結構。あんた以外の四人の部屋を調べるさ。それで何も出てこなければ、消去法的に犯人が決まるというわけだ」
マッドネスガールは無言のまま拳を握りしめた。刀剣のように鋭く尖らせた両目でドラゴンフライをにらみつける。
「やめて、やめてちょうだい。ドラゴンフライ、それは暴論よ」
慌ててハンターがふたりの間に入る。
「暴論で結構。どちらにしろおれたちは結論を出さなきゃならないんだ。明後日の昼にはおれたちは外に出なきゃならない。ロイにこの連続殺人事件の詳細を話さなきゃならない。わかりませんで済むか。おれは暴論をあいつに突きつける。文句があるなら代替案を出せ」
「正確には明日の昼だよ、今日はもう正午を回ってるから」
「黙れリック。いや黙るな。返事を聞かせろ。お前はどうだ、おれの案に乗るよな。いっしょに館内を調べようじゃないか」
「わたしを無視して話を進めないで。他に解決方法があるはずよ」
「どうしたティーンエイジャー。見られたら困るものでもあるのか。ジューベーの血がついた聖か? 人間の血ってやつはなかなか落ちないだろう。それともなんだ。プリンスの唾液がしみ込んだ手袋か? あの子の首を絞めた時にピンク色の初々しい唇からつばがこぼれてきただろう」
「そんな侮辱。ひどい」
「で、あんたは既に自分が見られて困るものは隠したってわけね」
マッドネスガールが反撃の狼煙をあげる。
「だからあんたは荷物検査を提案した。自分の秘密を隠したまま他人の秘密を知ることができるから。いえ、それどころか既にわたしたちの部屋のどこかに犯罪の証拠を隠したんじゃないの。NINJAみたいに身軽なあんたなら、ひとの部屋に忍び込むくらい余裕でしょう」
「余裕だね。だけどやっていない。まいったね。おれのことをそんな卑怯者だと?」
「思っているわ。昔から」
ドラゴンフライがマッドネスガールに向かって飛びかかった。マッドネスガールはドラゴンフライの腕を取ると、調味料が収められた棚に彼の身体を叩きつけた。棚の戸にはめられたガラスが粉々になってドラゴンフライの身体に降り注ぐ。
「このビッチが……」
「かかってきなさい。次は土の中にめり込むようほうり投げてあげるわ」
「いいかげんにしないか!」
地響きのような大声が室内に響いた。長いこと口を閉ざしていたダイダロスが怒声を発したのだ。
「解散だ。真夜中だぞ。脳を休める必要がある。命令だ。全員眠れ。よき戦士とはよき休息をとれるものだ」
「眠れないよ」
リフレクトマンがドラゴンフライの身体を起こしながらいった。
「無理にでも眠れ。酒をいれてでも眠れ。わしらの脳みそは疲れきっている。このふざけた会議の続きは朝食の後だ。わしの命令に逆らってくれるなよ」
ヒーローたちは無言のままその場を去った。おやすみもいわず、気をつけてと互いに声をかけることもなく。
5
「だれ」
数センチ開かれたドアの向こうから警戒の意志が込められた声が発せられた。
リフレクトマンはわざと足音を立てながら後ろに下がった。
「ぼくだよ。リフレクトマンだ」
「リック。どうしたの。眠るよう父さんにいわれたでしょう」
ドアが開かれ、髪をおろしたハンターが現れた。ドミノマスクこそ着けたままだが、黒を基調としたいつもの戦闘服ではなく、綿のズボンにタンクトップと年齢相応の服装だ。
「少しだけ話をしたくて。真夜中だってわかっているけど、誰かに話さないと頭がおかしくなりそうで。きみとぼくはほら、年齢も近いし、信用できるかなと思って」
「いいわ。入って」
ハンターは椅子に座り、首をかしげてみせる。部屋の隅で大鷹はすやすやと眠りについていた。
「話って何なの」
長い足が交差して重なる。リフレクトマンは視線を横にそらして咳ばらいをした。
「その。ジューベーを殺す方法なんだけど、もしかしたらひとつ可能な方法があって」
「へぇ?」
「といっても、これはぼくが思いついたわけじゃないんだけど」
「著作権は興味ない。何。どうやるの。どうやったらジューベーを殺せるっていうの」
「……ヴァクストゥムだよ」
リフレクトマンはヴァクストゥム仮説をハンターに提示した。身体能力を大幅に向上させる秘薬ヴァクストゥム。これならばジューベーを殺害することができるのではないか。
ハンターはリフレクトマンの説明を無言のまま聞いた。時おり口もとに片手を添え、何かを確認するよう小刻みにうなずいた。
「ジューベーは殺された。これは事実だ。そしてあのジューベーを殺すためには、ヴァクストゥムを服用する以外に方法はない。犯人はジューベーを殺すためにヴァクストゥムのレシピを盗み出したんだ」
「リック。あなたは、それをどうしてわたしに伝えたの?」
興奮するリフレクトマンとは対照的に、ハンターは落ち着いた様子でたずねた。
「抱えきれないんだ。誰かに話してしまわないと溺れてしまいそうで」
「わたしが犯人だったらどうするつもり。真相に気づいたあなたを殺すかもしれないわ」
ハンターは首筋に注射器を指すジェスチャーをしてみせた。ヴァクストゥムは注射剤だ。
「いや、だって。まさか君が犯人だとは……」
「年上のあなたに説教はしたくないけれど。あなた甘すぎる。恐怖のせいでこの現実を上手く把握できていない。わたしが女だから? わたしがティーンエイジャーだから? わたしが弱いから犯人なはずないとでも? 非論理的よ。もしわたしたちの中に犯人がいるとしたら、犯人はその残虐性を上手く隠している。表面的な性質なんて何も意味をもたない。こうしてノコノコとひとりで他人の部屋に訪れるなんてどうかしているわ」
「ぐうの音もでないよ」
「もっとも、迎えいれるわたしもどうかしていると思うけど。リック、そのヴァクストゥムについてなんだけど、あなた過去に自分が服用したことがあるっていうのに大事なことを忘れているわ」
「大事なこと?」
リフレクトマンは伏せていた顔をあげた。
「何だろう。ぼくはいつも大事なことを忘れる」
「副反応よ。エイティストに打ち勝ったあと、わたしたちはヴァクストゥムの副反応で三日間はまともに動くことができなかった」
「あ!」
リフレクトマンはかん高い声をあげながら両手を叩いた。ついリフレクトパワーを手のひらに集中させてしまい、同極を近づけた磁石のように両手がはじかれた。
「ジューベーが殺されたのは遅くとも今日の……違う、昨日の朝だったわけだから、あと数時間で二十四時間が経つわね。ヴァクストゥムの効能が続くのは約一時間。そして三日間はまともに動くことができなくなる。つまり犯人はジューベーを殺したあと、疲労困憊でまともに歩くことさえ難しい状態になる。だけど、このベースの中にそんな人間はいない。マッドネスガールも、ダイダロスも、ドラゴンフライも、あなたもわたしもぴんぴんしている。つまり、ヴァクストゥムを使ってジューベーを殺したなんてことはありえないの」
「そうか。ぼくはなんて杞憂を」
「リック。その仮説、あなたが思いついたの?」
「ドラゴンフライだよ。彼がこっそりと教えてくれたんだ」
「ドラゴンフライが」
ハンターは沈むように目を閉じた。
「おかしいわ。ドラゴンフライが副反応のことを忘れるとは思えない。彼だってヴァクストゥムを服用した経験があるんだから」
「その通りだ。彼はぼくと違う。ど忘れなんてドラゴンフライにはありえないよ。だけどどうして。もし副反応のこと覚えていたなら、どうしてぼくにあり得ない話を吹き込んだんだ?」
「自身が犯人ではないかと疑われた時に、リックが庇ってくれることを期待したのよ。あなたはわたしが指摘するまでヴァクストゥム仮説を信じていた。ドラゴンフライが犯人なら、わざわざ自分の犯行方法を暴露するはずがない。故にドラゴンフライは犯人ではない」
「つまり、犯人はドラゴンフライ?」
「それは論理が飛躍している。何か別の目的でヴァクストゥム仮説をあなたに吹き込んだのかもしれない。それに、ヴァクストゥム仮説には致命的な弱点があるけれど、ジューベーを殺し得るという点では最も現実的な犯行方法であることには違いない」
リフレクトマンはあることに気づいた。
「ヴァクストゥム仮説の弱点は、現在この施設の中にいるPOJのメンバーに副反応が見られないことだ。POJのメンバー以外の何者かがこの施設に紛れ込み、今も隠れているとしたら――その犯人はヴァクストゥムの副反応に苦しんでいるかもしれない」
「それは、まぁたしかに。だけどその犯人はジューベーを殺して……つまりはヴァクストゥムを服用して一時間後には副反応に苦しみ始めたはず。副反応は三日間は続くわ。酸をかけるだけとはいえ、ジューベーを殺してからだいたい二十時間後、キッチンに向かいエクスを殺すなんてとてもできない」
「そうだ。ジューベーを殺した犯人にはエクスを殺せなかった。つまり、ジューベーを殺した犯人とエクスを殺した犯人は別なんだ。
もちろん。ヴァクストゥムを使用したという前提と、このベースのどこかに隠れる場所があるという前提がないと成り立たない理屈だけど。ダイダロスは隠れる場所はないといった。だけど彼が嘘をついているとしたら。何といってもダイダロスはこの地下施設を建設した張本人だ。ぼくらやロイを騙して隠し部屋をつくることだって不可能じゃないだろう」
「父さんが犯人に協力していると」
「無理やり従わされているのかもしれない。もしくは、考えたくないが」
「父さんが首領として計画した可能性も」
「なきにしもあらず。いやな話だ。どうしよう。ヴァクストゥムのこと、皆に伝えたほうがいいかな」
「その方がいいと思う。明日の朝にでも」
「わかった。ありがとう。話を聞いてもらえてよかったよ」
リフレクトマンは右手を差しだした。だがハンターはその手を掴まず、ただ凝視した。
リフレクトマンは『あぁ』とつぶやき、右手を下ろす。
「ごめん」
「ごめんなさい。謝るのはわたし。でもどうしても、ごめんなさい。わたし、まだあなたのことを、ちがうの。あなたたちのことを信用することはできない」
「ぼくが軽率だった。そうだよ。もしかしたら君が殺人犯の可能性だってあるのに。握手を求めようだなんて」
「右手を切り落とされるとでも?」
「反射の力ではじき返されると?」
二人は声をおさえて笑った。だがその笑い声は長くは続かなかった。仮初の笑いだ。その場の空気をごまかすためだけの、現実を混濁とさせ、自身の脳に安らぎという名の麻酔をあたえるためだけの笑い。
「ハンター。きみはどうなんだ。ジューベーやプリンスのように、何かヒーローとして犯してはならない罪を――」
「あなたはどうなの」
言葉を遮りハンターは問いかける。
「ぼくは……ないよ。悪いことなんてしていない」
「嘘」
「嘘じゃないよ。いや、いい。やめてくれ。聞きたくない。悪かった。この話はもう……」
「おやすみなさい、リック」
ハンターは椅子から立ち、ドアを開けた。
リフレクトマンは猫背のままドアの外に出る。
誰もいない無人の廊下。背後でドアが閉まる直前、室内のハンターがつぶやいた。
「わたしは、あるわ」
 




