第三章
1
二〇二三年 一月一五日 午前七時三〇分
リフレクトマンが大広間に入ると、円卓に座りしかめっ面でぶ厚い本を読むダイダロスの姿があった。黒縁の大きな眼鏡をつけており、胸元の開いたジャンプスーツなんてものを着ていなければ、どこぞの大学の厳格な教授に見えないこともない。櫛の通っていないライトブラウンのくせ毛というのも、浮世を嫌う学者らしいではないか。
ダイダロスの手元には固形の即席食料があった。イギリス人は食に無頓着だと馬鹿にされることの多いリフレクトマンではあったが、むしろ今や世界中で見られる長方形の即席食料の方が無頓着で非難を受けるに値すると常日頃考えていた。
「おはよう、ダイダロス」
若きヒーローの挨拶に老練なるヒーローは視線をつり上げたほほだけで挨拶を返す。読書に集中したいのだろう。
「だったら自分の部屋で読めばいいのにね」
キッチンに向かいながらリフレクトマンはひとりつぶやく。ベーコンエッグと少量の野菜をワンプレートに盛りつけ、焼いたトーストをその上に乗せる。ダイダロスの読書の邪魔になるのを避けるため、リフレクトマンはキッチンで立ったまま食事を済ませた。
ペットボトルの水をのみながら大広間に戻ると、女性たちが使っている右棟につながる通路からマッドネスガールがあらわれた。丈の短いジャケットを脱いで肩に乗せている。
「そういえば、上って何があるの」
あいさつもなしにマッドネスガールが切りだした。彼女が指さしたのは大広間にふたつある螺旋階段のうちのひとつだ。エレベーターホールを六時の方角、大広間をはさんでキッチンを十二時の方角とすると、螺旋階段は四時と十時の方角にひとつずつ設置されていた。両方とも上階へと伸びている。
「図書室だよ」
ダイダロスは手にしていた本をふってみせた。
「そういえば書籍があるって話だったわね」
「法律の本なんかもたくさんあるから参考にしてくれ」
時間が経つにつれ、メンバーが一人ずつ大広間に現れた。エクストリームマンは壁に連なるヒーローコミックスの入った額縁を静かに眺めている。ハンターは朝食を終えてからはマッドネスガールとふたり、螺旋階段に腰をおろして話をしていた。その横で大鷹は所在なさげにうろうろと歩き回っている。ドラゴンフライは昨晩さっそく酒を嗜んだのか、ほんのりとアルコールが混ざった息を吐きながら現れた。そして――
「ジューベーはどうした。まだ来ていないのか」
ダイダロスは眼鏡を外しながら訊ねた。時刻は既に八時半を回っている。
「寝坊かしら。真面目なサムライ様にしては珍しいわね」
マッドネスガールは軽口をたたくと、螺旋階段から立ち上がり、男性たちが使っている左棟へと向かった。
「おいおい。男の部屋へひとりで行くやつがあるか。おれも行くよ……いや、そうだ。みんなでいかないか?」
ドラゴンフライが悪趣味に笑ってみせる。エクストリームマンは眉をひそめた。
「どうして」
「あのジューベーが寝坊に気づいて慌てるところを見たくないか。生まれて一度も表情筋を動かしたことのない男が、初めて顔を歪ませるんだぜ」
「あ、それは見たい」
ハンターがポンと両手を叩き、大鷹を連れてドラゴンフライと共に通路に向かう。
「ぼくも見たいな。寝ぼけまなこで隙だらけのジューベーなんて滅多に見られるもんじゃない」
リフレクトマンも駆け足で通路へ向かった。マッドネスガールが渋い顔をみせながら三人に続く。ダイダロスとエクストリームマンはドラゴンフライの提案に興味を引かれなかったのか大広間に残った。
四人のヒーローと一羽の大鷹がジューベーの個室に向かった。横一列に並ぶ五つの寝室のうち、最奥にあるのがジューベーの部屋だった。
「ジューベー起きろ。ニューヨーク市警だ。五秒以内に出てこないとドアをぶち破るぞ!」
ドラゴンフライが声色を変えて乱暴にドアを叩く。スライドドアがごつごつと乱暴な音をあげた。マッドネスガールが侮蔑の視線でドラゴンフライをにらみつける。
「起きなさい。寝坊だなんてあなたらしくない。それとも既に起きているの。ジューベー。ちょっと、聞こえる?」
ハンターは耳をドアに押し当てた。
「……音がしない」
「中にジューベーはいないのか?」
「かもしれない。もしくは虫の居所が悪くて無視しているか」
リフレクトマンが壁のスイッチに手をふれる。電子錠はかかっておらず、ドアは人工的な音を伴って横に開いた。
室内には赤黒く染まった床の上に、首のない人間の身体がうつ伏せで倒れていた。
首の切断面から、酸化した赤黒い血と混ざりあう桃色の肉と黄ばんだ頸椎が見える。右手は軽く握りしめ、左手は何かを掴むかのように大きく開かれていた。
身長は一七〇センチほど。小柄ではあるが筋肉質な体つき。緋色の小袖に濃紺の袴。間違いなくジューベーの服装だ。
「ジューベー……」
リフレクトマンの声が静寂の中に弱々しく響く。彼は思わず視線を逸らした。逸らした先にそれはあった。ベッドの上に転がるジューベーの生首。ベッドを血で染めたジューベーの生首が、無表情のまま四人を見つめていた。
トップレベルの実績をもつヒーローたちは、死体を見慣れていない一般人のように悲鳴をあげることはなかった。
そして、コミュニケーションひとつ取らずに彼らは即座にチームとして機能を始めた。
リフレクトマンは足の裏からリフレクトパワーを放出し、空気との反射の力を使って長い廊下を高速で飛行した。この四人の中で最も素早く動けるのは彼だった。それを自覚し、他の三人も承知していたからこそ、リフレクトマンはエクストリームマンとダイダロスを呼びに行く役目を買って出たのだ。
ハンターは腰の狩猟用ナイフを既に構え、ドミノマスクの下の両目を光らせながら廊下一帯をにらみつけていた。大鷹はその横で大きな羽を広げ、いら立った様子でかぎ爪を床に当てている。
室外を監視するのがハンターならば、室内を担当するのはマッドネスガールだ。徒手空拳を武器とする彼女は、ほんの一歩だけ室内に入り、グローブをはめた両手の開閉をくり返しながら周りに目を見張らせた。
そんなマッドネスガールの目の前を何かが通りすぎた。カメラのシャッターを切るような音が、小さく、高速で、繰り返される。それは正に鋼鉄の羽音。ドラゴンフライが放った索敵用虫型ドローン“ホースフライ”が室内を飛び交っているのだ。
床にはいつくばり、スーツの側頭部に内蔵された小型ライトでベッドの下を確認していたドラゴンフライは「誰もいない」といった。ヘルメットに備わった骨伝導イヤホンを介してホースフライからの索敵結果が届いたのだ。
「くそ。どうなってんだ。ジューベー。誰がこんなことを」
「待たせた」
リフレクトマンに連れられてエクストリームマンとダイダロスが現れた。
「これは……なんてひどいことを!」
ダイダロスが鬼のような形相を浮かべながら地団太を踏んだ。エクストリームマンは冷静な様子で、ドラゴンフライに『どうだ』と訊ねた。
「ホースフライで部屋中を調べた。サーマルカメラにも超音波にも反応はなし。おれとマッドネスガールの目視にもね。室内には誰もいない。透明人間さえもいないよ」
「犯人は室外か。三人ずつに別れよう。わたしとマディとダイダロスでベース内を回ってくる」
「ホースフライを一匹預ける。連れていけ」
鋼鉄の羽音がエクストリームマンの周りを飛ぶ。超小型ドローンから空中に青いスクリーン画面が表出される。画面には様々な索敵センサーが表示されていた。
「残りの三人はここに残れ。ドラゴンフライは引き続きこの部屋を調べろ。ハンターとリフレクトマンは彼を手伝ってくれ。異論は? ないな。よし、かかれ」
2
エクスチームの三人は、左右の棟にある個室を含め、ベース内の全ての場所を巡回してきた。
結果として、ベースの中にプロテクション・オブ・ジャスティスの六人とプリンス以外の人物は見つからなかった。プリンスは牢屋の中におり、ドアはしっかりと施錠されていた。
「つまり、犯人は外に出たってこと? エレベーターに乗って」
ハンターはナイフをホルスターに収めながらいった。エクスチームの三人は渋い顔を浮かべ、代表するようにダイダロスが口を開いた。
「エレベーターは昨日の昼にわれわれが乗ってから一度も稼働していない。エレベーターが動いたらわしのタブレットに通知が来るように設定してある。だが昨日の昼以降、通知は届いておらん」
「電池が切れていたんじゃないの」
リフレクトマンが真剣な口調で訊ねる。ダイダロスは獣のような鋭い視線で否定の意を示した。
「エレベーター以外の出口というと、換気口だな」
ドラゴンフライは廊下に出て壁の上部に設置された換気口を指さした。格子状の鉄柵がはめ込まれたこの四角い穴を介して地上から空気が運ばれてくるのだ。
リフレクトマンが浮かび上がり、換気口の鉄柵を調べる。鉄柵は溶接して枠に固定されていた。
「びくともしない。ということは、犯人は鉄柵を通り抜けられる能力の持ち主ということだね」
「スライリィ・スライミィならそんな鉄柵なんてことないわ」
ハンターは過去に自身が対峙したヴィランの名前をあげた。
「あのビッチスライムはプラスチックのストローを使ってアイダホの刑務所から脱出したんだから。縮小能力をもったヴィランも考えないと。カウント・ミニマムとフリーと……他にいた?」
「換気口は逃走経路ではないぞ、我が娘よ」
岩石を背負ったような重苦しい面持ちでダイダロスがいった。
「このベースは外部との接触を防ぐことを第一につくられた。このわしがエレベーターを除くと唯一外部と繋がる換気口について考慮しなかったと思うか。まさか。換気口の先には三十人の人間が待ち構えている。特別活動局と各国諜報機関のエージェントが十人。主義思想の異なるヒーローが十人。そして主義思想の異なるヴィランが十人だ。利害が絶対に一致しない三十人の人間が、互いにPOJと接触しないよう監視しあっている。もし何者かが換気口を通ったら、強制的にベースに乗り込みわれわれに伝えるよういいつけてある。だが、彼らは来ていない。よって、犯人は換気口から外に出ることはできないわけだ」
「そ、そんなことまで手配したの?」
リフレクトマンが驚嘆の声をあげる。
「念には念をいれたまでよ。それに、この換気口にもパラノーマルセンサーはすき間なく張り巡らされている。もし非科学的な能力の持ち主がこの換気口を通ったとすれば、わしのタブレットと特別活動局にアラートが届く。だがな、わしは昨夜はぐっすり眠っておったわい」
アラートは鳴らなかったとダイダロスはいいたいらしい。
「ダイダロス。誰にも気づかれずに外に出る方法はないのか。本当に?」
「ない。絶対に外に出る方法はない」
「では犯人はまだこの施設の中にいるということになるな。だが、どこに?」
3
「おれとしては誰が殺したかよりも、どうやって殺したかの方が気になるね」
ドラゴンフライはホースフライをポケットにしまいながらいった。
「ジューベーの首を切り落とすなんて不可能だ。あいつのセツナを無効化できるやつがいるのか」
今は亡き武人の魂と同調することでジューベーはヒーローとしての能力を開花してきた。ジューベーがもつ能力のひとつにセツナという一種の未来予知能力がある。セツナによってジューベーは未来の自身が被る危害を予知することができる。背後から音もなく敵が襲いかかってきたとしても、セツナが敵の攻撃を受けたジューベーの未来を知らせ、ジューベーはその未来を避けるよう対処できるというわけだ。セツナは一秒に満たない未来しか観測しないが、超人的な反射神経をもつジューベーにとって一秒は十分がすぎる。
加えてジューベーは超人的な身体能力と、卓越した剣技を兼ね備えている。単純な力比べでは“太陽系最強の男”エクストリームマンには一歩引くものの、切れ味鋭い日本刀を持たせればエクストリームマンを上回る戦闘能力を発揮してみせるのがジューベーというヒーローだった。
そんな彼の首を切り落とせる人間が、果たしてこの世に存在するというのか。
「寝込みを襲われたのかしら」
マッドネスガールが誰にともなく訊ねる。
「遺体は小袖と袴を着ている。これでベッドには入らないだろう」
応えたのはドラゴンフライだ。彼は続ける。
「血しぶきが天井まで飛んでいる。遺体の真上だ。遺体を移動させれば、いくらか血の痕が残るはずだがざっとみたところ遺体の周りと天井、それから壁以外に血痕は見当たらない。ジューベーは正にこの場所、血だまりが残っているこの部屋の中央で首をはねられたんだ」
ジューベーの身体は部屋の中央の家具などがない場所でうつ伏せに倒れていた。ドラゴンフライのいう通り、血しぶきが壁や天井に飛び散って凄惨な痕を残している。
「この場所で組み伏せられて、それから首を切られたってわけね」
「いや、それも違う」
ドラゴンフライは首をふった。
「組み伏せられていたら、首は横を向く。その場合、血が噴き出す先もおもに壁の方ということになる。だが見ろ」
「ずいぶんと天井に血がついているな」
エクストリームマンは太い首を天井に向けた。彼のいうとおり、天井の一部はおびただしい量の血に染まっている。その量は壁に当たった量よりも多い。
「つまり、ジューベーの首は上を向いたまま切り落とされたというわけだな」
「ちょ、ちょっと待って。つまり犯人はこの場所に立っているジューベーの首を切り落としたわけ。そんなの無理。ジューベーは両手足を拘束されても、頭突きだけで十人の手練れのヴィランを倒したこともあるのよ。立っているだけで最強の男の首を切り落とすなんて、できるはずがない」
「ハンター。悪いけどもう一度驚いてもらうわ」
マッドネスガールは遺体のそばにかがんでいった。
「聖がない」
マッドネスガールは遺体の腰を指さした。そこにはジューベーの愛刀『聖』の鞘が残るばかりで、刀そのものがなかった。
「首の切断面だけど、きれいすぎる。あまりにも綺麗に切られている。ダイダロス。このベースの中に肉と骨が詰まった人間の首を綺麗に切ることのできる刃物は存在するの」
「キッチンには最高級の包丁をそろえたつもりだがな、ここまできれいに切ることはできんよ。ジューベーは自身の愛刀で首をはねられたんだ」
「つまり犯人はジューベーの腰から『聖』を奪いとったというわけ。武士の命ともいえる刀を奪いとるなんて簡単にできるはずがない。だけど犯人はやってみせた。あのジューベーから刀を奪うなんて。いったいどうしたらそんなことができるのかしら」
「あの……ぼくもハンターを驚かすことができるかもしれない」
リフレクトマンがおずおずと手をあげた。
「その刀って、ぼくがよく調べてないだけかな。この部屋の、どこにもないよね?」
最低限の家具だけがおかれた室内に『聖』は見あたらない。念のためにとクローゼットやベッドの下、シャワールームも探してみるが日本刀は見つからなかった。
代わりにあるものが見つかった。テーブルの下にそれはあった。黒いUSBメモリが一本。ダイダロスのタブレットに接続してメモリの中を確認する。そこには一本の音声データが記録されていた。
4
ジューベーの遺体に白いシーツをかけてから六人は大広間へともどった。円卓の上の冷めきったコーヒーが六人の足音に揺らされて小さな波紋を作る。
「プリンスには伝えたのか」
たまご型の椅子に乱暴に腰をおろしながらドラゴンフライが訊ねた。
「いっていない。必要ないと思ったが」
「それでいい。子どもには衝撃が大きい」
沈黙が円卓を支配した。場の空気を察知したのか、大鷹も大広間の隅でジッとうずくまっている。
「外に出よう」
エクストリームマンが立ち上がった。数人のヒーローが焦燥の面持ちで声をあげる。
「どういうつもり」
そのうちのひとりはマッドネスガールだった。くちびるを噛みしめながらエクストリームマンをにらみつけている。
「ジューベーが殺された。緊急事態だ。外に出てロイに知らせる。特別活動局に捜査をしてもらおう」
「冗談じゃないわ。犯人はまだこのベースの中に隠れている。外に出るってことは、犯人に逃走のチャンスを献上するってことになるのよ」
「犯人はここにはいない。きみとわたしとダイダロスの三人で調べたじゃないか」
「すこし見て回っただけでしょう。きっとどこか、見当もつかない場所に隠れているはず。ダイダロス、隠し部屋とかあるんじゃないの。犯人はきっとそこに……」
「そんなものはない」
ぶっきらぼうにダイダロスはいい放った。さかんに貧乏揺すりをくりかえし、ジャンプスーツにまとわりついたベルトが耳障りな音を立てている。
「だがわしもエクスの意見には反対だ。外に出るべきではない」
エクストリームマンとダイダロスが互いにまばたき一つ挟まずにらみあう。永劫とも思われたその時間を終わらせたのは、「理由は?」と訊ねるハンターのひとことだった。
「ベースの中にいるのはわしら六人と拘束されたプリンスだけ。外部からの侵入は不可能。となると、ジューベーを殺した犯人はこの中にいることになる」
「冗談だよな。ジューベーを殺す動機があるやつなんてこの中にいるはず――」
「ヒーローだからだろ」
ダイダロスがタブレットを操作して、ジューベーの部屋で拾ったUSBメモリの音声を再生した。
キジバトの鳴き声を背景音に、ガタリと戸が開く音がする。
『失礼し――』
『手短に。余計な言葉は不要』
男の声が女の声を遮った。六人はこの男の声の持ち主をよく知っていた。ジューベーだ。何度も耳にした武士の声がタブレットから響いてくる。
『お館様の予想された通りでした。前白河大臣ご子息六弥様の崩御は、平盛大臣の画策によるものです。平盛の第二秘書が吐きました。あれはただの事故ではありません。六弥様が一本道に入った瞬間、タンクローリーが爆発するよう兎羽組に手配させたのです』
『一国の大臣が暴力団を手足のように使うとは』
『もし。次のご指示がありましたら』
『平盛は権力をもちすぎた。氏の昨今の暴挙は目に余る。これはもう、止むを得まい』
『やりますか』
『拙者もいく。まったくどうして。こうでもしなければこの国は良くならないのか』
音声が止まり、ダイダロスは次に円卓の液晶画面に触れた。データベースから見つけた過去の新聞記事が表示される。
「《民権党 平盛大臣 緊急入院 暴漢に襲われる》。《平盛大臣 病状悪化 捜査は難航》。《平盛大臣 死去 首相『テロに屈しない国づくりを目指す』》。だとよ。もう十分だよな」
液晶画面の表示が切りながら、ダイダロスはライトブラウンのくせ毛をかきむしった。
「ジューベーはテロリストだ。やつは自分の国の政治家を殺した」
「あの女の声。ジューベーのサイドキックのチヨだよね」
ハンターは伺うようにいった。
「『やりますか』って。まるで珍しくないことのような口ぶりだった。ジューベーは以前にも似たようなことをしていたの?」
ハンターが顔を曇らせた。黒いドミノマスクに汗がにじむ。ダイダロスは重い息を吐き出してから、もう一度エクストリームマンをにらみつけた。
「チヨの報告が真実だったとしても、平盛大臣を殺していい理由にはならない。然るべき捜査機関を介して逮捕するべきだ。ジューベーの行いはヒーロー活動から逸脱しとる。あいつが自身の価値観を元に粛清をくり返して来たとしたら……あいつはヴィランだ。だから殺した。わしらの誰かがジューベーを殺したんだ。だが、誰が? 誰が殺した。それがわからないまま特別活動局にこのことが伝わったら、あいつらはわしら全員を容疑者として扱うだろう。POJの信用はがた落ちだ! だからわしは提案したい。わしらで犯人を突き止めてから、外に出てロイに報告する」
「どうかしているよダイダロス。そんなの現実的じゃない」
「世間一般からみたら、わたしたちの存在そのものが現実的じゃないのよ」
マッドネスガールが口をはさんだ。
「わたしもダイダロスの意見に賛成。仲間のフリをして彼を殺した犯人のことは許せないわ」
マッドネスガールは鼻を鳴らして椅子の背もたれによりかかった。
「多数決をとろう」
エクストリームマンが抑揚のない声で提案する。
「外に出るかここに残るか。いま、この場で決めてくれ。ここに残るべきだと思う人は」
三人が手を上げた。ダイダロス。マッドネスガール。そして、ドラゴンフライ。
「きみもか」
「これがただの殺人事件ならエクスの意見に賛成だ。だけどみんな、大事なことを忘れていないか。プリンスのことだ。いま世界は、プリンスの処遇についてPOJがどう判断するかを待っている。おれはプリンスの件を棚上げにしたまま外に出ることには反対だ」
ドラゴンフライは強くいい切った。その言葉には理があった。プリンスの処遇如何によって、“土のウロコ”をめぐる世界のパワーバランスは変わりかねない。その結論を出さないままにPOJがベースの外に姿を現したとなっては、世間は納得しないだろう。
「では、外に出るべきだと思うひとは」
二人が手を上げた。エクストリームマン。ハンター。
両方の選択肢に手を上げなかったリフレクトマンに非難の視線が集まる。当の若きヒーローはうつむいたまま頭を抱えている。
「きみはどうするんだ」
「わからない。エクス、ぼくにはわからないよ。ダイダロスの意見も、あなたの意見も正しく聞こえる。どれも正しく聞こえるんだ。それなのにこの正しさたちは両立しない。なんでだろう。なんでどれも正しいのに反発しあうんだろう」
「リック、外に出るべきよ。外に出て、助けを求めるの。ヒーローたちの助けがあれば犯人なんてすぐに見つかる」
「我が娘よ。疑念から逃げ出すのは弱きものの選ぶ道だ」
「逃げてなんかいない! あなた達と違ってわたしは現実を見ている。挑発的な言葉を使わないで」
ハンターが両彼女ならしくない怒鳴り声をあげた。部屋の隅の大鷹が羽を広げ、主人と呼応するようにかん高く鳴き荒れる。
「……リフレクトマンは白票だ」
「ちょっとエクス!」
「ハンター。無理強いをするのはよくないよ。投票の結果、三対二でベースに残ることとなった。ただし、二日後の昼までだ。明後日の昼十二時にPOJはベースの外にでるよう特別活動局と約束した。それ以上ここに残るわけにはいかないし、ジューベーのことを話さないわけにはいかない。いいね」
ベース残留派の三人は首肯した。
「……それから。犯人捜しも大切だが、ドラゴンフライのいう通り、プリンスの処遇について話しあうのも大切だ。こちらも明後日までに結論を出さねばならない」
――ということで――
「どちらから手をつける?」
4
同日 午前九時十六分
十五分間の休憩時間が設けられた。
ドラゴンフライが立ち上がり、リフレクトマンの肩をたたく。
「上で調べものがしたい。リック、手伝ってくれるか」
「あ、うん」
二人は螺旋階段をのぼり、図書室へと移動した。整然と並んだ本棚には、ダイダロスが説明したとおり多様な書籍が収められていた。
「ジューベーのコミックスを探してくれ」
ぶ厚い法律書の背表紙をなでながらドラゴンフライが声をはりあげた。
「コミックス? あるのかな」
「頼むよ。おれはこっち。お前は反対側を頼む」
リフレクトマンはドラゴンフライから離れてヒーローコミックスを探した。壁を背に置かれたひとつの棚に様々なヒーローコミックスが収められており、リフレクトマンは背表紙を人差し指で追いながらジューベーのものを探した。
「ジュエルマン。テスカトリポカ。マダムアトミカに、ケンタウルスマンまで。ヴィランのコミックスも用意してあるんだ。で、ジューベーは……あ、あった」
「リック」
リフレクトマンの耳元で小さな声がささやかれた。
驚きの声をあげるよりも早く、リフレクトマンの口が男の手でふさがれる。背後にいたのはドラゴンフライだった。
「静かに。お前はいまコミックスを探している。そのままの姿勢で聞け」
「にゃ、にゃにを」
「ヴァクストゥムだ」
そのひとことで、リフレクトマンの全身が氷のように冷たくなった。
二年前。この地球に一体のヴィランが現れた。
それが始めに観測された場所は、南極大陸にある名もなき火山のそばであった。
それはさながら黒であった。それはさながら影であった。そしてそれは、巨大であった。
厚さ数センチでありながら、その体長はエッフェル塔を裕に超える人間の形をした黒い影。
影はひとつの習性をもっていた。二十四時間に一度、影は一分間にも及ぶ長い咆哮をした。その咆哮は声量こそすさまじいものの、耳にした人間の鼓膜を揺るがす程度で、ひとの住まない南極大陸で行われる以上害はないと思われた。
害はあった。だが当初その害は影の咆哮とは無関係であると思われていた。
影が咆哮したその時間、ニューヨークにあるイスラミックキャピタルモスクが崩壊した。爆弾が落ちたわけでもなく、反ムスリムの過激派に襲撃されたわけでもなく、地震が起きたわけでもない。
突然、見えざる巨大な手に押しつぶされたように崩壊したのだ。
翌日。日本の横浜にある関帝廟が崩壊した。ここは中国の名高き武将にして現代では商売の神として崇められている関羽を祀る霊廟である。そんな霊廟が、突然、見えざる巨大な手に押しつぶされたように崩壊したのだ。
さらに翌日。イスラエルの首都エルサレム西部の『殉教者の森』そばにある修道院が崩壊した。イスラミックキャピタルモスクや関帝廟と同じく、突然、見えざる巨大な手に押しつぶされたように崩壊したのだ。
三日間連続して起きた宗教施設の崩壊事件。
宗教施設の崩壊と影の咆哮が同時刻に行われていることに人々が気づくのにそれほど時間はかからなかった。害はあった。咆哮によって人々の信仰の象徴を破壊する。それが黒い影の目的であると考えられた。
ひとりのヒーローがいのいちばんに黒い影に挑んだ。怪力と飛行能力を武器に数々のヴィランを退治してきたベテランのヒーローだ。黒い巨大な影は軽く手をふった。ヒーローは油断せず、両手をあげて防御の体勢をとった。影の小指がヒーローに当たる。影には質量があった。次の瞬間、ヒーローの首から下は肉塊と化して南極大陸に赤い花を咲かせた。
その後幾人ものヒーローが影に戦いを挑み、南極大陸に花畑がうまれた。影は強かった。あまりにも強かった。
八つ目の宗教施設が崩壊された頃、この影は『エイティスト』の名で呼ばれるようになった。
POJの七人も無神論者に戦いを挑み、そして敗れた。ひとりとして命を落とさなかったことが奇跡といえるほどの戦いだった。世界中のヒーローの力を合わせてもあの黒い影には勝てないのではないか。そんな憂いを解決するため、ひとりのヒーローが立ち上がった。ドクター・マーシー。医師免許と慈悲の心をもつ心優しきヒーローは、禁忌の呪術書『ネクロノミコン』に打開策を求めた。
打開策はあった。ドクター・マーシーは『ネクロノミコン』から得た知識をもとにある秘薬をつくった。ヴァクストゥム。ドイツ語で成長を意味するこの薬は、ひとたび口にすれば数時間だけその者が持つ能力を急激に向上させる。だが薬にリスクがつきものなのは古今東西変わらぬ事実であった。ヴァクストゥムは身体に過大な負荷をかける。一度の服用でヴァクストゥムは服用者の寿命を十年縮めるのだ。
POJの七人は当初ヴァクストゥムを拒絶した。自身の身体に害を及ぼすからではない。『ネクロノミコン』を熟読したドクター・マーシーはその過程で狂気に蝕まれ、ヴァクストゥムの完成を経てヴィランへと堕ちた。医師免許と慈悲の心を持つヒーローを医師免許と無慈悲の心を持つヴィランに変えることを代価に作られた薬をPOJは嫌悪したのだ。
紆余曲折を得て七人はヴァクストゥムを口にし、エイティストに再び戦いを挑んだ。
七人の能力はヴァクストゥム服用前とは比べ物にならないほど向上していた。善戦した。それでもエイティストを倒すには至らなかった。最後には七人の加勢に現れたメテオマンが、ドクター・マーシーの研究所から盗み出したヴァクストゥムを過剰摂取し、七千の隕石をエイティストの身体に叩きつけることで黒い影は生命活動を停止した。
メテオマンは勝利の代償に命を失った。ヴァクストゥムの過剰摂取はメテオマンの能力を飛躍させた。その代価の死は避けようのないものだった。
メテオマンはかつてドクター・マーシーに命を救われたことからヒーローを目指した心優しき青年だった。隕石を落とす前に『どうしてこんな馬鹿なことを』とエクストリームマンに問われ彼は答えた。
「ドクターならきっとこうするから」
禁忌の書物から作られた禁忌の劇薬の配合書はPOJの本拠地『プロテクションホール』に厳重に保管された。いつか、エイティストと同等かそれを上回るヴィランが現れた時のために――
そしてその配合書が、三か月前に何者かによって盗まれたのだった。
「ヴァクストゥムだ。あの薬があれば、ジューベーだって殺せる。プロテクションホールに保管されていたレシピを最も容易に盗み出せるのは、その場に出入りできるPOJに他ならない。そう思わないか」
ドラゴンフライの声は激しい動悸を伴っていた。
「リック、気をつけろ。敵はヴァクストゥムを手にしている。もしその気になれば、犯人は簡単におれたちを殺せるんだ。おれたちだけでも協力して……なぁ。わかるだろう」
5
「調べものは済んだのか」
螺旋階段を降りてくるドラゴンフライにエクストリームマンが声をかける。ドラゴンフライは肩をすくめるだけの態度を返した。
「提案がある。今一度館内を徹底的に捜査しよう」
「それはさっきわしたちがやった」
円卓に片肘をついたダイダロスが苦々しくいった。同じく館内を見て回ったマッドネスガールも両目を細くしてドラゴンフライをにらみつける。
「わたしたちの調査じゃ信用できないってわけね」
「棘のあるいい方だな。さっきはジューベーの遺体が見つかった直後で三人とも気が動転としていた。見落としがあったかもしれないから、もう一度、今度は全員で確認しようといっているだけだ」
「わたしはいつも冷静だ」
「本当かよエクス。仲間が殺されたってのにあんたは冷静だったのか」
「言葉尻を捕えてくれるな」
「あんた達のことは信用している。正直にいうと気持ちの問題なんだ。エクス、ダイダロス、マディの三人はベースの中を探索した。だがおれはしていない。本当に三人は何も見落としていないのか。犯人の痕跡がどこかに残っているんじゃないか。こんな疑惑を解消するために、なぁ、全員でベースの中を調べてみようじゃないか」
ドラゴンフライが両腕を開き大げさに伸びをしてみせる。するとリフレクトマンが一度つばをのみ込んでから口を開いた。
「そ、それに聖のこともある。三人は探索中に聖を見つけた? 犯人を探すばかりで凶器を探そうとはしなかったんじゃないの」
「そりゃ、あの時はジューベーの部屋から聖が消えているとは思わなかったからな」
ダイダロスが不満げにひげをなでる。
「聖は一メートル近い長さの日本刀だ。そう簡単に隠し通せるものじゃない。しっかり探せば建物内で見つかるはず。ど、どうかな。今度は凶器を探すつもりで、ベースの中を回ってみようよ」
「ちょっと待った。それって、私物の中まで探ろうってつもりなの」
マッドネスガールは興奮する野生のクマのように立ち上がった。
「冗談じゃない。プライバシーの侵害よ」
「見られて困るもんでもあるのか」
ドラゴンフライとマッドネスガールの視線が円卓の上で交差して火花を散らす。乾いた破裂音が火花を消し去った。エクストリームマンがその大きな両手を叩いたのだ。
「聖を探そう」
「エクス。やっぱりあなたも男ね。女の気持ちってものを何も理解していない」
「男も女も関係ない。性別なんてものは、ジューベーの死に比べたら微々たるものだ。マディ。今はとにかく、少しでも先に進まねばならない。誰がジューベーを殺したのか。どうやってジューベーを殺したのか。それを探るためにも、いま一度ベースの中を調べよう。聖を見つけるんだ」
「プライバシーって概念を理解しない異星人様は気楽でいいわね。あなたは男だから見られて困るものなんてないし、どんなおかしな趣味をしていても異星人を理由に言い逃れができる」
「そりゃ偏見だぞ、マディ」
ダイダロスが苦言を呈する。エクストリームマンも『その通りだ』と首肯する。
「わたしにだって見られたくないプライバシーはある。それじゃあそのうちのひとつを先に話しておこう。それでマディの溜飲が下がるのなら」
エクストリームマンは咳ばらいをして、場に静粛な雰囲気をつくりだした。
「ブリーフだ」
「は?」
「わたしのカバンの中。アディダスのビニールパックに白のブリーフが入っている。……恥ずかしながら、この歳になってもブリーフ以外の下着は肌に合わなくて」
「もういい。黙って」
六人と一羽は円卓から立ち、徹底してベースの中を探索した。
三時間にも及ぶ探索の結果、不審なものは見当たらず、不審者もまた見当たらず、聖も同じく見当たらなかった。
大広間にもどり、六人はそろってため息をつく。
「ジューベーはたしかに聖を腰にぶらさげていた。ベースの中に聖は存在していたはずだ。それなのに、それなのに」
ダイダロスはぶつぶつとつぶやきながらこめかみを叩いている。
螺旋階段に腰をおろし、天井を見つめるリフレクトマンの肩が叩かれた。
「リック、何か考えているの」
ほほに手を当て、人差し指でこつこつとこめかみを叩くハンターが螺旋階段の柵越しにリフレクトマンに声をかけた。
「きみもダイダロスも考え事をするとこめかみを叩くくせがあるんだね。義理とはいえ、やっぱり親子だ」
「あ、本当。気づかなかった。ちょっと、そんなことを考えていたの?」
「ちがうよ。ただ聖が見つからないのは、それが破壊されたからじゃないかと思ってさ。分割して破壊したり、どろどろに溶かしたりすれば、聖が見つからないことにも説明がつくんじゃないかなと思って」
「普通の刀ならね。でも覚えているでしょう。聖はジューベーがゲーミングランドから持ち出してきたテレビゲームの世界の日本刀なの。あのゲームの武器に耐久度は存在しない。どんなに人を切っても刃こぼれはしないし、どんな衝撃を与えても壊れることはない。聖を破壊することは不可能よ」
「わかっているよ。聖はどこかにあるはずだ。だけどどこに。傘立てに入っていたりしないかな」
「その冗談、キライじゃないわ。……ねぇ、リック。あなた、ドラゴンフライに何かいわれたでしょう。協力しろとでも?」
「……どうしてそう思うのかな」
「見てたわ。ドラゴンフライがベースをもう一度探索するよう提案したあと、あのアメリカ人、不自然に腕を伸ばしてみせた。あれは合図だったんでしょ。前もって図書室で打ち合わせておいた合図。聖を探すという別の目的を自分以外の口からいわせることで、再探索は独りよがりの意見じゃないと思わせる。そんなところ。いい。答えなくていい。答えなんてどうでもいいの。それよりも、気をつけて」
「……何に」
「ドラゴンフライに。決まっているでしょう。あのアメリカ人、陽気なフリをしているけどヘルメットの中にどんな危険思想を隠しているかわかったもんじゃないわ。ドラゴンフライは頭がキレる。キレすぎる。いつだって彼は正しかった。だけど、この極限状態でもその頭は正しくキレると思う? その鋭さを保ったまま、暴れまわる可能性だって……ないとはいいきれない」
「仲間を疑うなんて」
「疑う。ドクター・マーシーは仲間を救うために狂気に堕ちた。あんな優しかったひとが人殺しも厭わない極悪ヴィランと化したのよ。ひとは一瞬にして変わる。リック。ドラゴンフライを敵視するなとはいわない。とにかく気をつけて。わたしたちはいま、常軌を逸した状況にあるのだから」
ハンターは再びリフレクトマンの肩を叩いてから円卓へ戻った。円卓をはさんで反対側、キッチンの方からドーナツを片手に戻ってくるドラゴンフライの姿がみえる。
リフレクトマンは考えた。ドラゴンフライはいいやつだ。本名も、仮面の下の素顔さえも知らないが、卓越した頭脳と達人並みの格闘術で幾多のヴィランを刑務所にぶち込み、幾多の地球の危機を救ってきた。だがハンターのいう通り、ひとは一瞬にして変わる。正義のヒーローが、その皮を被ったまま、内面だけが悪に染まることだってあるのではないか。
ジューベーを殺したのはドラゴンフライなのか。だがどうやって。ドラゴンフライとジューベー。単純な戦闘能力を比較したらジューベーに軍配はあがる。何か搦め手を用いてジューベーを殺害したのか。どうやったらセツナをもつジューベーを殺せるのか。どうやったら武士の腰から刀を盗めるというのか。
ヴァクストゥムを服用すれば可能かもしれない。だがリフレクトマンにヴァクストゥムについて語ったのは当の本人である。自ら犯行方法をほのめかすことに何の意味があるのか。あえて犯行方法を告白することで、逆説的に自身を容疑者の圏外に逃したつもりなのか。
誰がいうでもなく、自然と六人は円卓にもどってきた。
そして――
6
「プリンスの処遇について話し合うことにしよう」
エクストリームマンの口から発せられた言葉を聞いて、五人は表情を歪ませた。
「昨日はみな初心を発表するところまでしかたどり着けなかった。七十二時間しか猶予はないのに、あきらかに牛歩だ。みなの意見はだいぶ毛色が異なるので今日中に結論を出すのは難しいだろうが、ある程度は整ったものにしなければな」
「ちょっと。冗談でしょ」
衝撃が大きすぎたのか、ハンターは力なく笑った。
「ジューベーのことは何も進んでいない。誰が殺したのかもわからない。どうやって殺したのかも。わきにおいておく場合じゃないでしょう」
「エクス。あなた、何を考えているの。異星人のあなたにとってジューベーの死はどうでもいいことなの。ジューベーが死んで何とも思わないの」
マッドネスガールが詰め寄る。今にも円卓をひっくり返して殴り掛からんとする雰囲気だ。だがそれに対してエクストリームマンの表情は氷のように冷たく、背筋は鋭く伸びていた。
「口をつつしめ」
ダイダロスがいった。エクストリームマンではなく、その視線はマッドネスガールに向けられていた。
「仲間への侮辱は許さん。ハンター、お前もだ。お前らは本気でエクスがジューベーのことをどうでもいいと思っていると……そんな馬鹿なことを!」
「ダイダロス、きみもおちつけ」
エクストリームマンは無表情のまま円卓のメンバーを見回した。
「わたしの言葉が足りなかった。謝罪する。マディ、ハンター。ジューベーの死については……心が痛む。本当だ。もしジューベーの部屋に落ちていたデータが本物で……彼が悪行をはたらいていたとしても、それと同時に彼が正義の使者として我々と共にはたらいていたことも事実だ。ジューベーがヒーローであることは、彼のもつ揺るぐことのないひとつの側面だ。そんな側面にわたしは敬意を表している。彼の死の真相を知りたい、突き止めたいと思う。しかし――」
冷たいため息をこぼし、再び言葉は紡がれる。
「――しかし、この謎は容易に解けるものではない。どうやってジューベーを殺したのか。犯人はどこにいったのか。じっくりと調べるためには更なる時間が必要だ。もしくは、われわれ六人の限られた捜査能力で解ける謎ではないかもしれない。外部からの協力が必要だ。だが我々は外にでるわけにはいかない。先にドラゴンフライが口にした通り、プリンスの処遇について結論を下すことも人類の未来のために重要だ。ジューベーの死にまつわる謎は一筋縄ではいかない。ならば、もう一つの重要事案に時間を割く。これこそが最も合理的な判断ではないだろうか」
沈黙が場を支配した。だが六人が醸しだす沈黙の色は異なるものだった。重苦しい錆色の沈黙を放つ五人と、ただひとり、ドラゴンフライだけが口角をつり上げて有彩色の沈黙を放っている。
「たしかに。合理的ではあるわね」
マッドネスガールは銀髪をかき上げながらいった。
「納得はできないけど、たしかに合理的。それなら、さっさとプリンスについて結論を出して、ジューベーの死の謎に時間を割くことにしましょう。あぁ、ちょっと待って」
マッドネスガールは立ち上がり、壁に向かって一度拳を叩きつけた。その衝撃でベースは振動し、ヒーローコミックスが飾られた額縁がいくつか壁から落ちた。壁に小さな穴を空けていくらか気が晴れたのか、マッドネスガールは円卓にもどってきた。
7
だが話は遅々としてまとまらなかった。
もともとあげられた意見はひとつとして完璧に一致するものはなかった。ダイダロスとドラゴンフライはプリンスをテラトリアに引き渡す点では一致していたが、死刑を認めるか否かという点では不一致だった。
プリンスをテラトリアに引き渡さないと主張する意見にしても同じだ。ハンターは国際司法裁判所への委任を主張した。マッドネスガールはプリンスの無罪を主張した。そしていまは亡きジューベーは未来人類の倫理でプリンスを裁くべきだと主張した。
エクストリームマンは異星人であることを理由に傍観の立場に回り、リフレクトマンは意見を保留した。七つの異なる意見が六つに減ったところで簡単にまとまる道理はない。
「議論が水平線のまま最終日を迎えたらどうするんだ」
ドラゴンフライはひらひらと手をふりながら訊ねる。
「結論は出なかったと正直にいうしかないだろう」
エクストリームマンは当然といった様子で答えた。
「だけど議論の過程を公表するぐらいはしてもいいんじゃない」
現時点ではプリンスをテラトリアには引き渡さないという意味で多数派に属するマッドネスガールがそう口にした。少数派のドラゴンフライとダイダロスは顔をしかめて異を唱える。議論がずれていることにエクストリームマンが注意するが、頭に血が上った三人はそんな注意を聞き入れようとしない。
「エクス。こいつは無理だ。わしたちの意見はまとまらない。根本的な倫理観の相違だな。民主主義的公平性を前提とする以上、全員が納得する総意は生まれるはずがない」
「諦めるんじゃないダイダロス。話し合う姿勢を保て。歩み寄る意志を捨てるんじゃない。民主主義が駄目なら権威主義に走ろうというのか。民主主義と公平性はきみたち人類が勝ち得た奇跡のひとつだろう」
「民主主義も完璧じゃないよ」
ドラゴンフライはヘルメットに手を置きながらいった。
「現代の民主主義はその身体の一部に公平の皮を被っている。例えば大統領選におけるカリフォルニア州とワイオミング州の一票の格差は四倍近くある。民主主義の体現者を気取るアメリカでさえこの始末さ。つまりそれはこれまでの民主主義の概念が誤っていたという意味だ。民主主義は決して綺麗ごとではない。ナチスやソビエト連邦のような独裁制との対比に用いられるせいでどうも民主主義は正義の思想のように捉えられているがその本質は――」
「ここは現代アメリカ概要論のクラスなの」
ハンターがたまご型の椅子をつかみながら不満の声をあげる。背後の大鷹はあくびをするかのように大きく口を開いた。
「エクス。もう一度プリンスの話を聞きたいわ。プリンスは自暴自棄になって思考を放棄している。だけど裁判っていうのは、被告の態度や考えが判決に影響を及ぼすものでしょう。プリンスのいまの態度から結論を出すのは不当よ」
「思考を放棄している。自ら意見を口にしない。その非協力的な態度から結論を下すことのどこが不当なんだ」
「彼はまだ子どもなのよ。あれは沈黙じゃない。不貞腐れているだけ。子どもじみた態度の現れなの。ことの重大さをプリンスはわかっていない。自分の意見を、自分の思いを、自分の恐怖を、後悔を、彼自身に喋らせるの」
「みんなはどうだ。異論はあるか」
なかった。六人は席を立ち、階下へつながる階段へ向かう。
「ジューベーのことはまだ黙っておくの?」
リフレクトマンが訊ねる。
「伝えたところで混乱するだけだろう。いや、待て」
先頭を歩くエクストリームマンが足を止めた。
「みなで行ってジューベーだけいなかったら怪しまれるな。わたしは残ろう」
「それならワシも。ジジイがいると話しづらいこともあるだろう」
ダイダロスは頭の後ろに手を当てて円卓へともどった。
「ドラゴンフライ。きみも残れ」
「なんでだよ」
「残ってくれ」
「理由をいえって」
「話がしたい」
「ったく。わかったよ」
結局プリンスのもとに向かったのはハンター、リフレクトマン、マッドネスガールの三人と大鷹の一羽となった。
三人と一羽が階下に姿を消したことを確認してから、エクストリームマンが語りだす。
「ふたりの考えを聞いておきたい。混じりっけなしの、純粋な、現在進行形の考えを」
「どっちの? プリンスか。それともジューベーか」
茶化すようにドラゴンフライが返す。
「どっちもだ。はっきりいわせてもらおう。まず前者について。きみたちがテラトリアに与するのは、土のウロコの懸念が起点だろう。土のウロコのもつ可能性は莫大だ。発明家であり科学者もあるきみたちにとって、土のウロコは垂涎の的。テラトリアが諸外国に対抗するため土のウロコを独占する事態は何としても避けたい。違うか」
「返事はいらんだろう」
ダイダロスは腕組をしてエクストリームマンをにらみつける。
「否定はせん。だが、土のウロコを欲する気持ちを私欲にまみれた下賤な感情のようにいうのはやめてもらおうか。ワシは土のウロコを人助けに活用したいだけだ」
「ドラゴンフライ、きみは?」
「ノーコメントだ」
「……それから、ジューベーのことだが。どう思う」
「犯人はベースの中にいる」
間髪入れずにダイダロスは答えた。
「犯人はどこかに隠れているのか? いや隅から隅までくまなく探した。犯人は隠れてなんかいない。犯人はわれわれの目の前にいるんだ」
「やはり、われわれの中に犯人がいるのか。信じられないが」
「信じたくない、だろ」
「だが方法がわからない。聖を奪い、そのうえジューベーの首を切り落とすなんて。どうやったらそんなことができるというのか。ドラゴンフライ、きみは何か思いつくか」
「いやまったく」
ドラゴンフライは答える。
「まったく思いつかないね。いったいどうやったら、ジューベーを殺せるのか」
8
プリンスは虚ろな瞳で三人のヒーローを見つめていた。数秒の沈黙を裂くように、ハンターが牢屋の扉を激しくたたいた。
「プリンス。いまのあなたは見るに堪えない愚かな姿をしているわ。罪なき少女を殺害し、その責任の重さに憂う不幸な少年? 笑わせる。あなたはヒーローでしょ。自分の意志でか弱きひとたちを助けてきたヒーロー。その意志はどこにいったの。自らの道を自ら選ぶあなたの意志はどこにいったの。あなたの言葉でしゃべりなさい」
「ナターリア皇女殺害に関して、自分に被があると思う?」
マッドネスガールが訊ねる。両腕を組み、声量こそ大きくはないがその存在感は威圧的だ。
「あなたが意図して皇女を殺害したわけではないことはみんな理解している。みながみな、あなたを罰したいわけではない。だけどいろいろな社会的……政治的な事情が絡み合って、あなたの破滅を願うひとがいる。事件とは無関係のくせに、暖かい部屋のソファーで寝ころびながらスマートフォンを弄ってSNSであなたを非難している。どいつもこいつも正義のことなんて何も考えていない。自分の利益と愉悦のことしか考えていないのよ」
プリンスはほんの少しだけ顔をドアの方に向けた。
「あなたは自分の味方しか助けないの。そんなのはヒーローじゃないよ」
プリンスの言葉にマッドネスガールが表情を凍らせた。
「ぼくは何人ものひとの命を救ってきた。あんたたちほどじゃないにしても、そこそこの数を。じゃあ救われたひとたちが全員善人だったかというと、たぶんそうじゃない。自分の妻や子どもを殴るくず野郎もいただろうし、貞操観念なんてものを知らない尻軽女だっていたと思う。相手を選んで助けるわけじゃない。困っているから助けただけだ。どんな思想の持ち主で、どんな趣味嗜好をしていようがそれはヒーローの踏み込むべき領域じゃない。ぼくが死ぬことを願っている? そんなの、ぼくには関係ないよ」
「プリンス。大人になったね」
リフレクトマンはかつての小生意気な少年のことを想起しながらいった。
「マディ。きみの負けだ。たしかにきみの言い分はヒーローらしくは……」
「ヒーローである前に、あんたは人間でしょう」
ぶ厚いドアに手を叩きつけながらマッドネスガールは叫ぶ。
「人間であるあなたに訊いているの。自分の破滅を願う他人がいて怒りをおぼえないの。見返してやろうと思わないの。自分の行為は正当だったと、胸を張って叫んでやろうと思わないの」
「その口ぶり、あなたはぼくが正しいことをしたと?」
「あなたに責任はない。あれは事故。ナターリア皇女が亡くなったのは一種の悲劇。あなたに責められるいわれはないわ」
「部外者は黙っていろよ」
冷たくプリンスはいい放つ。
「あんたたちがどんな判決を下そうと、ぼくはそれに従う。だけどそれは部外者の決めた決断だ。あんたたちに本当の意味でぼくたちの気持ちは理解できない。ぼくは殺した。彼女は殺された。この世界にいるのはぼくら二人だけだ。この世界の罪を決められるのはぼくか彼女のどちらかだけだ。だってあんたたちは、この世界にはいないから。ぼくたちのことを何も知らないから」
「それじゃあ、あなたはその二人だけの世界の中で、どんな判決を下すというの」
「……わからない。彼女を殺したあの日から毎日考えている。自分に罪はあるのか。ある気もするし、ない気もする。わからない。だから従うんだ。ぼくは、仕方なくあんたたちの判決に従う。答えが欲しいから。この終わることのない悩みから解放してほしいから」
「マディ、もういいでしょう」
ハンターがマッドネスガールの肩をつかむ。マッドネスガールは肩に置かれた手を払うと、鼻息を荒くしてプリンスに背を向けた。
「あなたは正しいことをした。ヴィランと戦い、安寧のために尽力した。そんなあなたが責められるなんて絶対に間違っている。ひとりやふたり、被害者が出た程度で騒がれたら、ヒーロー活動なんてやっていられないわ」
「マディ、それはいい過ぎだよ」
リフレクトマンが弱々しく反論を試みる。
「そんなことをいっちゃいけない。きみはヒーローだ。ヒーローがそんなことを……」
「キレイごとで世間を救えるならいくらでも吐いてあげる。だけどね、わたしが生まれ育ったアンダーワールドはそのキレイごとでマグマの中に溶けていったの。返してよ。リフレクトマンのキレイごとでわたしの家族を返して。友だちを、師匠を、恋人を返して。自分の愛するひとたちがマグマに飲み込まれていくさまを今でもわたしは夢に見る。この悪夢からわたしを解放して。できるの? できるんでしょう。あなたのキレイごとでわたしを救ってみなさいよ!」
激しい足音を立てながらマッドネスガールは階段を上がっていた。
言葉を失ったリフレクトマンは力なく笑い、それを見てハンターも力なく笑った。笑顔で自分たちを騙すことしかできなかった。名状しがたい空気をたっぷり五分ほど吸ってから、ふたりは上階へともどった。
9
大広間にマッドネスガールの姿はなかった。
「おい、下で何があった。プリンスは無事なのか」
ダイダロスが階段を上がってきたリフレクトマンの腕をつかんだ。
「何もなかったよ。マッドネスガールは」
「何もなかった? 英国流のジョークかそりゃ。マディは部屋に戻ったよ。怒り心頭って面持ちでな」
「負けたの。プリンスに」
ハンターは疲れ切った様子で二人の男の横を通りすぎた。たまご型の椅子に音を立てて座り、円卓に顔を伏せる。
「みんな疲れているな」
エクストリームマンは背筋を伸ばしたままいった。
「少し休憩をとろう。二時間後にここに集合だ。二時間もあればマディの頭も冷えるだろう」
だが二時間経ってもマッドネスガールは戻ってこなかった。
マッドネスガールを除く五人はベースの中を歩き回り、意見を交わし合い、プリンスの処遇について頭を悩まし、ジューベーの死の真相についても頭を悩まし、猜疑心の視線を交わしながら時間を過ごした。
ハンターとリフレクトマンは食事を用意してマッドネスガールの部屋へ向かった。
「マディ。夕食をもってきたわ」
ドアの外からハンターが声をかけると、少しの間をおいてマッドネスガールが姿を現した。
無機質な視線が二人の顔を経てハンターの手元のプレートに乗ったスープとパンに移る。
「ありがとう。でもお腹が空いていないの。本当に」
マッドネスガールは力なく笑った。昼間のハンターとリフレクトマンのように。
「じゃ、水だけでも」
リフレクトマンがミネラルウォーターのペットボトルを差しだす。マッドネスガールはそれを受けとりながら訊ねた。
「話し合いは進んだ?」
「他人事だね。マッドネスガール抜きのPOJなんて、キュウリの入っていないサンドウィッチみたいなものだよ」
「そのたとえ、よくわからない」
「マディ抜きで話し合いができるわけないでしょう。あなたはPOJ創設当時からのメンバーなんだから」
「ありがとう。ねぇ、ふたりとも。わたしは間違っているのかしら。プリンスに罪はないって、そう思わない?」
「そう信じているなら話し合いの場に来てちょうだい」
「そうだよ。特にぼくなんかほら、自分の意見を保留している人間だから説得しやすいと思うよ」
「自分でいうんじゃないの」
マッドネスガールはリフレクトマンの頭を平手で叩いた。その表情には笑顔が灯っていた。
「ごめんなさい。プリンスのことだけでも気が張っているというのに、それにジューベーのことが重なって……」
「落ちつかない気持ちになって当然よ。ねぇ、ふたりはどう思う。プリンスのことじゃない。ジューベーのこと。ベースの中にわたしたち以外の人間がいないなら、わたしたちの誰かが彼を殺したことになる。誰が? どうやって?」
リフレクトマンの脳裏をドラゴンフライの言葉が駆け抜けた。ヴァクストゥム。目の前で頭を悩ませるハンターとマッドネスガール。この二人のどちらかがヴァクストゥムのレシピを盗み出した張本人であり、自身の犯行を露見させまいととぼけたフリをしているのかもしれないのだ。
だが同時にリフレクトマンはドラゴンフライのことを疑わないわけにはいかなかった。自信を被疑者の傘の下から逃がすために、自らの犯行方法を露呈した可能性も捨てることはできない。
「わからない。さっぱりだね」
リフレクトマンは首をかしげてみせた。
「とにかく、明日の朝にまた会おう。今日は早く眠るといいよ。おやすみ、マッドネスガール」
そういってリフレクトマンとハンターは去っていった。
だが、ふたりが次にマッドネスガールと出会うのは、翌朝とはならなかった。