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第二章 & 地下基地【ベース】見取図

挿絵(By みてみん)



 1

 エレベーターの扉が開くと、そこには無機質に輝く銀色の壁に包まれた小さなホールが広がっていた。壁と同じく床には銀色のパネルが広がる。棚のひとつさえ置かれていない殺風景な空間だ。

 エレベーターの正面の壁にはすりガラスがはめ込まれた両開きの自動ドアがある。ダイダロスが近づくとドアはかすかな稼働音と共に開いた。

 ドアの向こうに広がった空間を見てヒーローたちは感嘆の声をあげた。

 バレーコートほどの大きさの横長の大広間がそこにあった。床にはエレベーター前のホールと同じく銀色のパネル。銀色の壁のいたるところに、POJのメンバーの活躍を描いたコミックノベルが入った額縁が飾られていた。

 部屋の中央には備え付けの巨大な円卓(ラウンドテーブル)。円卓を囲う八つの椅子は、卵を縦に半分に切ったような形をしていた。

「ここがベースの中央にあたる大広間だ。会議はこの円卓で行う」

 ダイダロスが円卓に手を置くと、青白い表面に小さなディスプレイとキーボードの文字列が浮かび上がった。

「ひとつの席につきひとつの情報端末が組み込まれておる。ディスプレイとキーボードは円卓と一体型。会議中に調べものをしたくなったらこれを使ってくれ」

「クールだね。ちなみにマインスイーパーはできる?」

「リック。遊びにきているわけじゃ……」

「できるぞ。ソリティアとピンボールもできる。なんだエクス。そんな怖い顔をしないでくれ。あっちの廊下の奥がキッチンだ。冷凍庫と冷蔵庫もあっちにある」

 エレベーターホールの対面側に細い通路が続いている。その奥には調理台やコンロ、常温保存の食材がおかれた棚が並ぶキッチンが広がっていた。

「冷蔵庫はこっちだ。部屋ひとつをまるまる冷蔵庫にした。冷凍庫もこの中にあるぞ」

 壁につけられたボタンを押すと白い自動ドアが横に開き、うす暗い室内から冷気が飛びだしてきた。棚が並んだ冷蔵庫の中には、メンバーが事前にリクエストをした食材が置かれていた。

 冷蔵庫の内側の壁にも自動ドアがあり、その中が冷凍庫になっていた。といっても、今回は短期滞在ということもあり長期保存に向いた冷凍食材の類は置いていない。袋詰めの氷と、リフレクトマンがリクエストしたアイスクリームがあるくらいだ。

 大広間に戻ると、ダイダロスは左右にある通路を指さした。

「個室はあの通路の奥だ。左右両棟に五つずつ個室がある。造りはどの部屋も同じ。シャワールームとトイレがある点も同じだ」

「みんなどの部屋にする?」

 ドラゴンフライは両腕を組んで訊ねる。

「どの部屋も同じといっただろう。要望を聞くことに意味なんか……」

「いや、内装は同じでも物理的な位置や風水的な意味合いは異なるわけだ。左右に五つずつか。ダイダロス、あんたのいびきはうるさそうだな。俺とは離れた部屋にしてくれよ」

「壁はぶ厚い防音仕様だ。聖歌隊がゴスペルを歌っても隣の部屋には聞こえんよ」

 ダイダロスはマイクを持つように片手を握りしめドラゴンフライに向かって大声でいった。ドラゴンフライはヘルメットから唯一露出した口もとを曲げてみせた。

「男女で分けましょう。男はあっち」

 マッドネスガールがエレベーターホールから見て左側の通路を指さす。

「わたしとハンターは反対側の二部屋を使うわ」

「おいおい。男女で分けるなんて、これはティーンエイジャーの旅行か?」

「あんたのような軽佻浮薄な男がそばにいると思うとどんなに快適なベッドでも安眠できないわ。それにハンターはまだ未成年でしょう。男たちから離れた部屋にするのは当然よ」

「わたしは別にどこでもいいけど。この子といっしょなら」

 ハンターは大鷹の首筋を撫でながらいった。大鷹は眠いのかうとうとと目を細めている。

「マディの意見を採用しよう。我が娘を野郎の歯牙の範囲に入れさせるわけにはいかんからな」

「時間の無駄だ。どこの部屋に誰が泊まろうととトラブルなんて起こるはずがないだろう」

 無表情の下に不満を隠した様子のエクストリームマンは、拘束着をまとったプリンスに近づいた。

「それで、彼は?」

「あー。プリンスはこっちだ。みなもついてきてくれ」

 ダイダロスは大広間の隅にある下り階段に向かった。階段を降りると、上階とは一転して、黄土色の壁に囲まれたうす暗い空間が広がっていた。階段の反対側に、のぞき窓がついたドアが三つある。

「……あまりこの言葉は使いたくないが、牢屋だ」

 ダイダロスはドアノブをひねった。中には猫の額ほどの狭い殺風景な空間が広がっていた。ベッドもなければ椅子もない。ただ部屋の奥に、腰から下を隠す仕切り板で覆われたトイレがひとつあるだけだ。

「なにこれ。父さん。こんなひどい場所にプリンスを監禁するつもり? 現状がどうあれ、彼はヒーローなのよ」

「わかってくれ我が娘よ。わしだって悩んださ。だがここでプリンスを甘やかすわけにはいかんのだ。処遇がどうなろうと、プリンスは失敗を犯した。意図せぬ形とはいえ、一般人を殺害するというヒーローとしての禁忌を破ったのは事実だ。相手がテラトリア皇女であろうと、そうでなかろうと関係はない。プリンスはこの失敗の重みを学ばなくてはならない」

「劣悪な環境におけば反省に繋がるなんて考え方が古すぎる。プリンスに必要なのはわたしたち先輩ヒーローのアドバイスでしょう。こんな拷問みたいなこと……」

「拷問ではない。食事は摂らせるし、拘束着も外す。シャットダウンリングは着けたままだが、それは仕方ないだろう」

 プリンスの首には灰色のリングが巻き付いている。リングの一部が赤い点滅をくり返しており、現在進行形で着用者の能力を抑制していることを示していた。

「だけど――」

「いいから」

 ぽつりとひとこと、プリンスが親子の口論を引き裂いた。

 拘束着をまとった未来人類は、重い足取りで自ら牢屋の中に入った。

「大丈夫だよダイダロス。ぼくには何も不満はない。この中に七十二時間。大したことないさ」

「そういってくれて助かるよ、殿下。それじゃあ失礼して」

 ダイダロスはドアを閉めた。自動的にロックがかかり、ドアノブを引いても開かないことを確認する。

 大広間に戻ると、ヒーローたちはそれぞれ沈痛な面持ちを浮かべた。

「ハンター」

 意外なことに、沈黙を破ったのはベースに入って以来一度も口を開いていないジューベーだった。

「お主は間違っていない。だが正しくもない。ダイダロスも同じだ。間違っていないが、正しくもない」

「哲学じみたお説教はよして」

「先輩ヒーローのアドバイスの有用性を唱えたのはお主だ。熱くなるな。そして、気負いすぎるな。かといって卑下もするな。大切なのは中庸だ。偏らず、傾かず、いびつゆがまず。自然体が最適解だ」

「ジューベーのいうとおりだな」

 エクストリームマンはふわりと浮かぶと、個室に繋がる左側の通路の方へ向かった。

「三十分後に集まろう。それから一回目の会議を行う。各々、自身の考えを今一度冷静になってまとめ直してほしい。解散」


 2

 卵型の椅子に座ったリフレクトマンは指を震わせながら半透明の鎧の肩の部分を叩いている。

 個室がある通路の方からじゃらりと音がした。白いドミノマスクの下にある青い瞳が音のした方を向く。ジャンプスーツに無数のポケット付きベルト。チームの父親、ダイダロスが壁に手をついてニヤニヤと笑っていた。

「会議までまだ十五分もある。早く来たからといって遅刻が帳消しになるわけじゃないぞ」

「自分だって早く来ている」

「コーヒーを用意しようと思ってな。イギリス人には紅茶の方がいいかな」

「コーヒーでいいよ。手伝う」

 二人はキッチンへと向かった。

「このポットいっぱいに水を入れてくれ。なぁリック。大丈夫か。緊張しているのか」

「緊張というか。いやなんだよ。チーム内で意見が分かれるのが」

「ブルーマウンテンでいいか。うん。意見が分かれるのが怖いってか。別に意見の対立なんてこれまでも何度もあっただろう」

「だけど、それは複数の善き結果からどの善き結果を選ぶかの対立だった。今回の……プリンスの処遇となると、複数の悪しき結果からどの悪しき結果を選ぶかの対立になる。会話の色は必然的にネガティヴ。だからいやなんだ。どうせ怒声が飛び交う」

「マディのな。気にするなよ。あいつにとっちゃ怒声で普通だ。ライオンが吠えなかったらそれは病気のサインだろ」

「あなたもライオンだ」

「わしも? あぁたしかに。そっちの棚にカップが入っている。八つだ。プリンスにも一杯あげよう。カップをそのまま向こうに持って行け。テーブルの上で注ぐから」

「ダイダロス。あなたはどうの。プリンスは……テラトリアに引き渡すべきだと思う?」

「わしの意見なら十五分後には聞ける。そしてわしの意見なんてどうでもいい。お前さんにとって大切なのはお前さんの意見だ。リック、自信をもて。お前は最強の男だ。いつも不思議に思うよ。それほど強力な能力を持っているのにいつも臆病で」

「ものを反射させるだけの力が強力? しかもこれはおじいちゃんからのもらい物だ。ぼくが自ら身につけたわけじゃない。あなたみたいに天才的な頭脳と怪力があった方がいいよ」

「馬鹿なことを。世界中の子ども達がお前さんの活躍を期待しているんだぞ。お前は年間ヒーローコミックスランキングトップテンの常連だ。おれの漫画が最後にトップテン入りしたのは十年以上前だぞ。ガハハ」

「ライターが上手なだけだよ。ぼくの仕事をハデに脚色している」

「謙遜だ。コミックスに偽りは厳禁。それがヒーローコミックスの第一原則だ。リック。自信に加えて自身をもて。他の誰でもないお前自身を自覚しろ。絶対的な自己という存在はお前を裏切らない」

「でた。ダイダロスお得意のギリシャ人的言葉(ロゴス)! 子どものころコミックスで何度も読んだよ。これは脚色じゃなかったんだね」

「そうだとも。行こうかリック。カップを持ってこい」


 3

 エクストリームマン

 ダイダロス

 ドラゴンフライ

 ハンター

 ジューベー

 マッドネスガール

 リフレクトマン

 七人のヒーローが大広間の円卓に着く。口火を切ったのはエクストリームマンだった。

「コーヒーを淹れてくれたのか。誰が?」

「おれとリックだ」

 背もたれによりかかったダイダロスが鼻息を荒くした。

「ありがとう。飲み物のことは失念していたよ。それじゃあ、いいかな。二〇二三年一月十四日 午後一時二〇分。第一回目の会議を始める。さて――」

 エクストリームマンは一同を見回した。

「まず会議の司会を決めたいのだが、誰か務めてくれるか。我こそはという立候補者がいれば……」

「まどろっこしいのはやめて」

 マッドネスガールが矢のように鋭い声を飛ばした。

「現時点でこの場を仕切っているのはあなたよエクス。それならあなたが司会をすればいい。誰か反対のひとはいる。いないわね。エクス。七十二時間は決して短い時間ではないわ。早く終わるにこしたことはない。スムーズにやりましょう」

「わかった。司会を務めさせていただく。上手くできるかわからないがよろしく頼む。それじゃあみんな。まず最初にいっておきたいことがある。我々はこれからひとりの少年の未来についてチームの意見をまとめ上げる。プリンス本人にも伝えたことだが、どんな結論に至ろうとそれは正義の理念と相反しないものにしなければならない。この点に異存はないかな」

「異存などないわい」

「当然のことだな」

「正義に従います」

「無論」

「あたりまえでしょう」

「ぼくも大丈夫」

 エクストリームマンは深く息を吐くと、彼にしては珍しく笑顔をみせてから『よし』とつぶやいた。

「それでは最初に、みんなの意見を聞いておきたい。現時点でプリンスの処遇についてどうするのが適切か。ひとりずつ答えてくれ。誰からいく」

「おれからいこうか。おれの意見は世論としても一般的なものだから」

 ドラゴンフライが高々と手を挙げた。黒いコスチュームの右肘に走る金色のラインがきらりと輝いた。

「半年前、ブルックシュルス城でナターリア・テラトリアの下半身がプリンスのイオンレーザーで塵と化したその瞬間、おれはイリノイのリンカーンパークでファイブ・ネーション・アーミーズと戦っていた。アーミーズを捕らえたおれは、彼女たちを警察にわたした。何故か」

「管轄だから」

「ちがう。彼女たちはリンカーンパークでアメリカ国民を殺したからだ。人間は完璧に追従するにせよそうでないにしろ、彼らが生まれ育った場所の法律をベースに価値観を形成していく。殺されたアメリカ国民はある程度はアメリカの法律を認めて生きていたはずだ。ならば犯人はアメリカの法律に則って罰せられるべきだ。被害者が認める価値観のもとで自分を殺した犯罪者が罰せられることで、被害者の魂は納得するだろう」

「興味深い意見だ」

 ジューベーがコーヒーのカップを掲げながらいった。背筋を伸ばし、両目をほんの少しだけ開いている。

「だからおれは、プリンスは被害者の国の法律で罰せられるべきだと思う。テラトリアに引き渡す。これが正義だ。最適解だ」

 ドラゴンフライは鼻を鳴らしてメンバーを見回した。反応は六人六様異なるもの。だが六様の共通項として、ドラゴンフライの意見に徹頭徹尾納得した様子はみられなかった。

「今日のわれわれの会議を前に、ワールド・トゥデイ社がプリンスの処遇についてアンケートを集計した」

 ダイダロスが円卓の上に指を滑らせて情報端末を起動した。画面上に現れたデータを見ながら彼は語りだす。

「アンケート対象はワールド・トゥデイが進出しておる国の十三歳以上の男女。約八〇パーセントが、プリンスをテラトリアに引き渡すべきだと答えた」

「ほらな。世間一般が認めた答えがこれなんだよ。未来人類の報復を恐れているやつもいるが、現時点で未来人類はなにもいってきていないじゃないか。フォース家はプリンスを見捨てたんだよ」

 国際連合の下部組織である特別活動局は過去にフォース家から未来人類との交信手段としてタイム・フォンを託されていた。彼らは半年前の事件後から一日として欠かさずタイム・フォンを鳴らし続けているが、未来人類がそれに応じることは一度もなかった。

「わしの意見もドラゴンフライと同じだ」

 ダイダロスは円卓の液晶画面から顔をあげる。ドラゴンフライはヘルメットから露出した口元でにっこりと笑ってみせた。

「プリンスはテラトリアに引き渡すべきだ。条件付きでな」

「条件?」

「プリンスはテラトリアの法律で裁かれることになるだろう。あの国の最も重い罪は断頭台による死刑だ。これはいかん。死刑などという時代遅れの判決を避けるべきという点に加え、未来人類の報復を避けるためにもプリンスを殺すべきではない。プリンスはテラトリアに引き渡す。死刑にはしないという条件付きでだ」

 ダイダロスの意見に場がざわついた。エクストリームマンが身を乗り出して首をふる。

「それはだめだ。死刑が非人道的であることは同意するが、POJが一国の司法機関に干渉したなどという前例は作るべきではない」

「啓蒙だ。これを機にテラトリアは死刑制度を廃止するべきだ。あの国は二十年以上前に“開かれた”のに、法制度は未だ“閉ざされた”ままだ」

「日本ではいまだに死刑制度が存在する」

 ジューベーが表情ひとつ変えずにいった。

「拙者の国にも啓蒙するべきだと?」

「いまは日本の話をしていない。ジューベー。プリンスはまだ十六歳。ひげもまともに生えていない子どもだ。殺人が大罪であることは認めるが、故意でやったわけじゃないんだ。それなのに死刑だなんてあんまりじゃないか。それとな、ドラゴンフライはフォース家がプリンスを見捨てたといったが、それもどうだかわかったものじゃない。彼らはわしらの判断を傍観しているだけかもしれん。未来人類を尊重せず、極刑などという時代錯誤の判断を下した瞬間、彼らは現代に攻め入るつもりなのかもしれん。クラナリはメビウスマンを捕まえた時に処刑はしないといっていた。二十九世紀において処刑はあまりに時代遅れだと」

「いまは二十九世紀ではない」

「未来を向いて生きるのが人間だろうが」

 ダイダロスが円卓に握りこぶしを叩きつけた。その衝撃で七つのコーヒーカップが浮き上がった。

「ダイダロス。落ちついて。()()()()はやめて」

 リフレクトマンが苦言を呈した。当のダイダロスはその言葉のおかげで少し落ち着きを取り戻したのか、苦笑してみせた。

「すまないリック。ジューベーにも謝る。だが、わしは意見を変えるつもりはない。プリンスはテラトリアに引き渡すべきだ。死刑にはしないという条件付きで」


 3

「わたしは、プリンスに必要なのは公正な場所で裁かれることだと考えている」

 意見表明の順番はハンターに回ってきた。この若きヒーローの後ろで、名もなき大鷹は銀色のパネル床の上でごろごろと身体を転がしていた。

「どんな司法の場にもその地域特有の判例があることはわかっている。だからこそ、可能な限り公正さを求めるべきだと思うの。つまり、プリンスを裁くのはテラトリアではなく、国際司法裁判所が裁くべきよ」

「わお。ロイが泣いて喜ぶだろうよ。厄介な役目を他の国連下部組織に押しつけるってわけか」

 ドラゴンフライは両手をひらひらとふってみせた。だが彼の軽口に呼応するものはひとりもいない。

「今回の事件はテラトリア皇室が考えている以上に大事おおごとなの。単に一国家の皇女が殺害されたというだけじゃない。未来人類のヒーローによって皇女は殺害された。一国家の法整備で適切な判断が下せる事件じゃないわ。人類全体で向き合うべき事件よ。国際司法裁判所には異なる国家の裁判官たちがそれぞの叡智を以ってしてプリンスに判決を下してくれる。彼らの判断は現代の人類の判断に等しい。そういった意味で国際司法裁判所ならプリンスを公正に裁くことができる」

「実際問題、国際司法裁判所がその提案を受け入れるとは思えない」

 エクストリームマンは腕を組みながら低い声でいった。

「だからハンターの意見を採用した場合は、実質この問題を国際連合につき返すことになる。“POJわれわれに頼らず、自分たちで結論を出せ”と」

「ロイはどうなるんだろう。左遷かな」

「クビでしょ。任された仕事を大仕事にして返してくるわけだから」

 マッドネスガールの冷徹な答えに、リフレクトマンは『はぁ』と力なく応えた。

「待て待て。そいつはいい考えだとは思えない」

 円卓に両手をついたドラゴンフライが勢いよく立ち上がった。

「おれたちはプリンスの処遇について判断するよう任された。いわばこれは仕事だ。ハンターの考えじゃ仕事を放りだすってことになる。これはPOJの信用に関わってくるぞ」

「わたしたちは信用を得たくてヒーロー活動をしているわけじゃない」

「もちろんだ。だが、頭の固い人間はおれたちのことをこう評価するだろう。優柔不断なヒーローチームだとな。おれたちの力が必要な時に、“いやPOJはひねくれた価値観で仕事を放棄するかもしれない”と考え、代わりにその仕事を全うする力がないひ弱なヒーローチームに任せるかもしれない。その結果どうなる? 端的にいえば不幸だ。ひとが死ぬ。おれたちの力があれば救えた命が、ひとつまたひとつと消えていくんだ」

「そんなのあなたの想像に過ぎない。自分の意見と食い違うからといって、飛躍した理屈で反論しないで」

 ハンターが声を荒げると、大鷹が羽ばたいて主人の椅子の上に止まった。猛禽類特有の攻撃的な鳴き声が室内に響く。

「そこまでだ。ドラゴンフライ。ハンターも落ちつけ」

 エクストリームマンが大きな手のひらをふたりに向けた。

「いまは互いの意見を吟味する段階ではない。ドラゴンフライ、相手の感情を逆なでするようなことをいうな。ハンターも、彼のことはよく知っているだろう。軽口と思ったら無視しろ」

「軽口だなんて思っていない。論理破綻した反論だと――」

「我が娘よ。気持ちは分かるが刃を納めろ」

 無精ひげをなでながらダイダロスは小さく首をふった。

「先ほどジューベーに激昂したわしがいっても説得力はないが、ドラゴンフライと議論を交わす機会はこのあといくらでもある。今は大人しく、皆の意見を聞くとしよう」

「わかった。ごめんなさいお父さん。ごめんなさいドラゴンフライ」

「あー、いや。おれも少しいいすぎた。悪かったよハンター。それとできれば、その相棒くんを床に戻してくれないかな。まばたき一つしないで睨まれると、まいったな」

「次、いいだろうか」

 ジューベーが音もなくそっと手を挙げた。その静穏なふるまいに不思議と場が落ちつく。

「拙者の意見は……おそらく皆が反対すると思う。拙者自身、本当にこれが正しいのかよくわからない。だが拙者の芯の部分が繰り返しこう叫ぶのだ。Uji-Yori-Sodachi」

 聞きなれない異国の言葉に、POJのメンバーは首をかしげる。

「これは日本のことわざだ。うじより育ち。人間の性質は名前や肩書ではなく、どのような環境で育ってきたかによるという意味だ。プリンスは十歳の時にフォース家のしきたりで過去を訪れ、ヒーローとしての修行を積み始めた。そう。彼は十歳までは二十九世紀の習慣に従って生活してきたわけだ。そこでみなに聞きたい。みなは、二十九世紀の倫理や道徳についてどの程度通じている。二十九世紀の未来人類が、何を重んじ、何を軽んじ、何を信奉して生きているか存じ上げておるのか」

 ジューベーの問いに答えられるものはいなかった。POJは恐らくこの地球上でもっとも未来人類フォース家と長い時間を共に過ごした現代人たちだ。だがそんな彼らとて、二十九世紀を訪れたことは一度もない。

「プリンスは十歳まで二十九世紀で育てられた。彼の価値観や信念は二十九世紀という未来社会の中で形成された。では訊ねよう。プリンスはたしかにナターリア皇女を殺害した。だが彼がこのことについてどんな思いを抱いているのか、自信をもって答えられるものはこの中にいるのか」

 やはりジューベーの問いに答えられるものはいなかった。

「プリンスはタイムトラベルで二十一世紀を訪れる前に、この時代の思想や風俗を徹底的に学んできた。そのおかげでプリンスは二十一世紀を生きるわれわれと齟齬なくコミュニケーションをとり共に笑いあうことができる。だがそれが学習の成果によるものだとしたら、彼の本心は――二十九世紀の未来人類が抱く本心とは異なる可能性もあるわけだ。拙者たちは未来人類がどんな信念をもって罪を犯したのかがわからない。どんな理由で自らの罪を認め、シャットダウンリングをつけて牢屋に閉じ込められるなどの屈辱的な扱いを享受しているのかがわからない。二十九世紀の価値観がわからない二十一世紀の価値観の持ち主が、彼らを裁く妥当性をもち合わせているのか。拙者はそうは思わない。タイムフォンを鳴らし続け、フォース家の応答を待とう。プリンスはフォース家に引き渡す。彼は未来人類の法律で裁かれるべきだ」


 3

「予想外の人物が予想外の暴論を飛ばしてきたな」

 ひたいの汗をぬぐいながらエクストリームマンが声を震わせた。そんな彼の姿を見てダイダロスは二重に驚く。“エクスが汗をかく姿を見たのは久しぶりだな”と。

 ジューベーは小袖の中に両腕を入れてすまし顔をキメている。半年間抱き続けた自身の思いをぶちまけて、少しばかり気が晴れたようだった。

「検討に、十分な検討に値する貴重な意見だ。ありがとうジューベー。それじゃあ次に、マッドネスガール。きみ、どうだ」

「それより先にあなたの意見が聞きたいわ」

「マディ、ぼくの意見はつまらないものだよ。つまりぼくは……申し訳ないのだが。答えをもっていない」

「それ、何かの冗談?」

「文字通りの意味だ。皆も知っての通り、ぼくはこの星の人間ではない。そんなぼくに、そもそも地球の問題を論じる権利があるのだろか。ぼくはきみたちよりも前の段階で足を止めている」

「権利ならあるさ。例え生まれが地球でなくとも、あんたは既に立派な地球人だ」

 ドラゴンフライが彼には似つかわしくない真摯な様子で語りかけた。

「いや、地球人以上にまともな地球人だ。ここにいる皆があんたのことを認めている。そんなさびしいことはいわないでくれよ」

「あなたはこれまで何人ものヴィランを倒してきた。ヴィランの存在とその処理だって地球の問題でしょう。既にあなたは地球の問題を自分の問題として捉えているのよ」

「問題の質が違うよ、マディ。ぼくが倒して来たヴィランは……端的な悪で、ぼくは一般市民に害が及ばないよう努めただけだ。今回は違う。プリンスの件は高度な倫理観が求められる地球人の問題だ。そんな問題に異星人が首をつっこんでいいものか、それがわからない。だからぼくは、現段階では答えをもっていないわけだ。すまない」

 エクストリームマンはむずがゆい表情の六人を順に見回した。咳ばらいをひとつはさみ、マッドネスガールにそっと片手を向ける。

「さぁマディ。きみの番だ」

 マッドネスガールはぬるくなったブラックコーヒーをひと口で飲み干すと、カップを置いてため息をついた。

「プリンスは無罪よ」

 マッドネスガールはいい切った。

「はっきりいって、みんなどうかしているわ。あなた達だけじゃない。世間もどうかしている。あなたたちはプリンスを“どう”処分するかを考えるばかりで“なぜ”プリンスが処分されなきゃいけないのかを論じていない」

「だってそれは、テラトリア皇女を殺害したことは確かでしょう。マッドネスガール。あなたは、実はプリンスがナターリア・テラトリアを殺害していないとでもいうつもり?」

 ハンターは口もとをおさえながら訊ねた。

「そんな陰謀論じみたことは考えていない。プリンスが皇女を殺害したことはきっと事実。だけどプリンスは故意に皇女を殺害したわけではない。彼はヒーロー活動中に、偶然皇女を殺害しただけ。もっといえば、皇女がイオンレーザーの射線に入ってきたといってもいい。みなも聞いているでしょう。ジュニアジャスティスは皇女が訪れていた古城で戦いを始めたのではない。皇女は彼女の意志で戦いが起きている古城に訪れたの」

 ナターリア・テラトリアは、ヒーローの写真を間近で撮ろうとした級友を追いかけて古城を訪れた。若きヒーローたちも、敵対していたシンクホールマーダーズでさえも、まさかヒーローとヴィランが戦いの火ぶたを切って落とした場に一般人が訪れるとは思いもしなかったはずだ。

「一般人がいることを承知で戦闘を開始し、それで一般人を殺めたとしたら、たしかにある程度の罰は必要だと思う。だけど今回は違う。ジュニアジャスティスは古城を訪れていた数人の観光客を避難させてから戦闘を始めた。古城ではヘビーメタルの爆音が鳴り響き、タンクマンの88(アハトアハト)フィストが地を揺らし、アリアドネやエンドタイムは城壁をいともたやすく破壊した。皇女は古城が危険であることをわかっていながら訪れた。だから皇女の死についてプリンスは責任を負う必要がない」

「理屈はわかる。だが、世間が納得しない」

 ジューベーはぽつぽつと口もとだけを動かしてみせた。

「テラトリアはプリンスの処刑を求めている。その要求を飲まないかぎり土のウロコの世界的供給の道は閉ざされるに違いない。テラトリアが再び“閉ざされた国”に戻り、土のウロコを活用した新兵器によって報復を試みるのではないか。世論はそう考えている。少なくとも、テラトリアの溜飲を下げるためにはプリンスを罰するという姿勢は崩すべきではなかろう」

「マディ。きみはフォース家を恐れているのか? プリンスを処刑して、未来人類が現代を襲いにくると考え――」

「ちがう」

 マッドネスガールはエクストリームマンをさえぎった。

「テラトリアも未来人類もわたしたちの敵になるというなら迎え撃つだけ。彼らと戦うことを恐れてはいない。わたしが恐れているのは、プリンスを断罪することでヒーローの活動に制限がかかることよ」

 ヒーローたちの顔色が青く染まった。言葉の意味を理解できなかったリフレクトマンだけが、口を半開きにして『どういう意味?』とまわりに訊ねている。

「他人事ではなくなるということだ」

 ダイダロスがライトブラウンの眉を鬱屈に曲げてみせた。

「活動中に意図せずとも殺人を犯すに至ったヒーローが重大な処分を受けるという前例ができた場合、今後ヒーローたちは自分がパワーを発揮する最中に意図せず一般人を巻き添えにしてしまうのではないかと気をつかうことになる。いま以上にな。ヴィランに向けるビームのパワーを弱め、物陰に一般人がいるのではないかと憂う。だれかを守りながらの戦いが難しいことはお前さんも知っているだろう。だが今後は、目に見える誰かだけでなく、目に見えない一般人、“存在しないかもしれない誰か”をも守りながら戦わなければならないわけだ。そんな事情をヴィランが汲んでくれると思うか? 馬鹿げている。やつらは弱体化したわれわれをあざけるだろうよ」

「そんなことって……」

「起こるわ、リック」

 マッドネスガールは空になったコーヒーカップを手のひらで包むように握りしめた。

「プリンスを裁いたその瞬間、ヒーローたちは自らの行いに制限をかける。ヒーローの活動に制限がかかれば、ヴィランによる被害が増加する。感情的になってプリンスを裁いたところで、その先にあるのは更なる被害。更なる地獄。世論が向かおうとしているのは、今以上に物騒な世の中なの。わたしたちはそれを防がなければならない。プリンスを無罪放免にして世の中の平和を保たなければならないわけよ」

「理屈だな。だが理屈だ」

 反旗を翻したのはドラゴンフライだった。たまご型の椅子に背中を沈めると、黒いヘルメットを叩きながら鼻で笑った。

「結局は人殺しを野放しにしようって話じゃないか。それこそ世論はおれたちを非難するぜ。ヒーローは身内をかばった。ヒーローはヒーローに甘い。マディの意見を採用した瞬間、ヒーローは世の中から支持を失う」

「わたしはあなたと違って、チヤホヤされるためにヒーロー活動をしているわけじゃない」

 マッドネスガールはつめたくするどおごそかにいった。微かな苛立ちも内包しながら。

 陽気なドラゴンフライはその陽気さを失ってマッドネスガールをにらみつけた。マッドネスガールがその視線に応える。一触即発の雰囲気がテーブルの上で交錯した。

「それじゃあ最後に」

 場の空気を一新しようとしたのか、エクストリームマンが声を大きく張ってみせた。

「リック。きみの意見は?」

 既に六人のヒーローが自身の意見を述べていた。最後にお鉢が回ってきたのは、年齢も活動歴も少なくともハンターよりは上でありながら、実質的なチームの末っ子、リフレクトマンであった。

「エクスと同じ。ぼくも答えをもっていない」

「ちょっと。あんたは地球人でしょう」

 ハンターの叱責が飛ぶ。若きヒーローの背後で大鷹がヒロヒロといら立った鳴き声をあげた。

「そ、そうだけどそうじゃなくて。ぼくは本当に、どうすればいいのか、何が正しいのかわからないんだ。ダイダロスやドラゴンフライのいうように、プリンスをテラトリアに引き渡すのが正しい気もする。ハンターのいうとうり国際司法裁判所に一任するのもよさそうだ。ジューベーのUji-Yori-Sodachiも説得力があるし、マッドネスガールの話も理解できる。みんな正しく聞こえるんだ。だからどうするべきなんて訊ねられても何も答えられなくて……」

「わたしたちの意見なんてどうでもいい。あんたの意見を聞かせなさい」

「だから……思いつかないっていってるじゃないか!」

 リフレクトマンの激昂と共に、半透明の鎧が白い光を放った。ヒーローたちはとっさに防御の姿勢をとる。リフレクトパワーで弾かれたカップからコーヒーが吹き飛び、ヒーローたちのコスチュームを汚した。

「……洗濯機は各部屋に用意してあるからな」

 ダイダロスが苦笑しながらいった。


 4

「もとよりそう簡単に意見がまとまるとは思っていない。そのための七十二時間だ」

 タオルで胸元にかかったコーヒーの汚れを拭いながら、エクストリームマンはいった。

「時間制限があるとはいえ、焦って結論を出すわけにはいかない。なんていったかなジューベー。きみの国のことわざで的確なものがあったと思うんだが」

「“急いてはことを仕損じる”」

「あぁ、それだ。さすが、日本人ってのは達観している。国民総仙人国家。ともかく、一回目の会議はこんなところでいいだろう。みなの考えを聞けただけで十分。いちど解散しよう。しばらく休憩。夕食後……八時からもう一度話し合おう」

 無言のまま七人は立ち上がる。積極的に意見を発せなかったリフレクトマンは、負い目を感じたのか最後まで大広間に残り、汚れたカップをもってキッチンに向かった。

「リック」

 シンクの水でカップを洗うリフレクトマンの背中に声がかけられた。冷水で手を濡らしながらふりかえると、キッチンの入り口にエクストリームマンがいた。

「すまない。片づけを押しつけてしまったな。わたしも考えごとをしていて」

 ふわりと地面から浮かびあがったエクストリームマンは、まるで透明人間に運ばれているかのように浮いたままリフレクトマンに近づいてくる。

「気にしないで。そんな大変な仕事じゃないし。ひとりでやるよ」

 リフレクトマンがそういいながらも、エクストリームマンはキッチンペーパーで洗い終えたカップを拭きはじめた。銀色のボディスーツとマント姿の男がやると、なんとも滑稽な雰囲気が漂う。

「正直。ここまで意見が割れるとは思わなかった」

 感情のこもらない声色でエクストリームマンがいう。リフレクトマンは『うん』と力なく応えた。

「テラトリアに引き渡すか否か。その程度の分裂かと予想していたのだが」

「そうだね」

「だが最終的には結論を出さねばならない。難儀なことだ。こんな会議をまとめる身にもなってくれ。リック、司会をかわってくれないか」

「いやだよ。ぼくがまとめ役なんて」

「あ、誰かと思ったら」

 ハンターがキッチンに入ってきた。背後から名もなき大鷹がカチカチと爪を床に鳴らしながらついてきている。

「エクス。夕食ってみなでいっしょに食べるの?」

 冷蔵庫につながるドアを指さしながらハンターがいった。

「特に決めていない。好きにしてくれて構わない。たださっきの会議は喧嘩別れに近かったし、皆で食卓を囲むのは難しいだろうな」

「ふぅん。まぁ今夜は各自でやればいいか。それで、夕食後の会議は具体的になにをするの。もし決まっていなかったら、プリンスから話を聞いてみない。当事者である彼の意見を聞くことも大事だと思うんだけど」

「名案に聞こえるね」

 タオルで手を拭きながらリフレクトマンがうなずいた。

「そうだな。このまま会議を再開しても、怒号が飛び交うばかりになりそうだ。一度プリンスの話を聞くとしよう」


 5

 二〇二三年 一月十四日 午後〇八時〇〇分


 夕食を終えたPOJの七人は、再び大広間の円卓に集まり二回目の会議を始めた。

 満場一致でハンターの意見を採用し、七人は地階の牢屋へと向かった。

「プリンス。少しいいかな」

 ドアののぞき窓からエクストリームマンが声をかけた。

 壁によりかかって座っていたプリンスは、シャットダウンリングが巻かれた首をこくりと曲げた。

「この半年間。失意の中で過ごしてきたことはその様子からわかる。二十九世紀と比較して二十一世紀を小馬鹿にしていたきみの姿が懐かしいくらいだ」

「嫌味をいいにきたの」

「いや。話を聞きにきた。プリンス。きみは半年前の自身の行いについてどう考えている。結果的にきみの行いは世界の平和を脅かしかねない事態を巻き起こした。リフレクトマン。そんな顔をするな。わたしはただ事実を述べているだけだ。そうだろうプリンス」

「大丈夫だよ、リフレクトマン。心配してくれてありがとう」

 リフレクトマンはくちびるを噛みながら後ろに下がり、彼もまたプリンスと同じく壁を背に座りこんだ。ガタガタと半透明の鎧が音をたてる。

「プリンス。あなたは自分の現状を不服に思う?」

 マッドネスガールの問いかけに若き未来人類は苦笑を返した。

「不服に思うなら、ナターリア皇女の下半身をふきとばしてすぐに逃げ出しているよ」

 だがプリンスは逃げ出さなかった。運よくその直前にノーブルスワンがドクター・ノーマーシーを捕縛したこともあり、形成が不利になったと判断したシンクホールマーダーズはその場を後にした。そしてプリンスは、事態を知り呆然とするジュニアジャスティスと共に、地元警察がその場を訪れるまでとどまっていた。

「ぼくだって二十九世紀では皇室の一員だ。やんごとなき一族を亡き者にして、ことの重大さは理解している」

「理解しているなら自身はどのような扱いを受けるべきだと思う」

「何も思わない。ぼくは、ぼくはすべての権利をはく奪されるべきだ。弁護の言葉を口にするのも、自らを戒めて自己嫌悪に走る権利も奪われるべきだ。ぼくは何もいいたくない。何もやりたくない。ただ為されるがままに任せるよ。ぼくが死ぬべきとあなた達が判断したのなら、ぼくは従う。ぼくに罪はないと判断したのなら、ぼくは従う」

 十六歳の少年の重苦しい言葉に、POJの七人はしばらく言葉を失った。

「プリンス、自暴自棄になるんじゃない」

 年長者のダイダロスが、のどの奥からしぼりだすように声をだした。

「お前は人間だろう。例えひとを殺したとしても、人間であることにかわりはない。人間ならば考えることを放棄するな。自分の価値を否定するな。権利がはく奪されるべきだなんて、悲しいことをいうんじゃない」

「ちがうよダイダロス。ぼくはもう人間じゃない」

 プリンスの声は冷たかった。“氷のよう”だとか、“血も凍るよう”なんて言葉ではいい表せない、希望の絶えた深淵の底に這いつくばる虫のような声だった。

「ぼくは世界に混乱を巻き起こした。混乱の核として存在するのがこのぼくだ。もはや、善だとか悪だとか、そんな尺度で語られる事態じゃないんだよ。あなたたちに求められているのはこの混乱を収めること。善き判断を求められているんじゃない。ぼくもぼく自身に善悪の基準を当てはめることをやめにした。早くこの混乱を終わらせて」

「プリンス。二十九世紀から何か連絡は来ていないのか。クラナリからの接触はなかったのか」

「ないよ。だれも、なにもいってこない。父上も母上も、ぼくのことを見捨てたんだ。皇室を殺害するヒーローなんてフォース家にはいらない。そういうことだよ」

 プリンスは座ったままの姿勢で笑いはじめた。鈴を鳴らすような笑い声が、徐々に大きく、粗暴な、狂気の泣き声に変わっていく。十六歳の少年は泣きだした。嗚咽と笑い声が混ぜ合わさり、醜悪な狂気に牢屋は満たされた。ヒーローたちは何もできず、静かにその場を立ち去った。

 彼らの姿は実に無力で、ただの人間と変わらなかった。


 6

「精神科医が必要だ」

 円卓に戻り口火を切ったのはジューベーだった。

「まったくだ」

 コーヒーを口にしながらドラゴンフライがジューベーの肩を叩いた。

「あいつは心が壊れ始めている。この半年間ロイは何をしていたんだ。あんな風になるまで監禁していたっていうのか」

「並大抵の精神科医に扱える患者じゃないだろ。むしろ精神科医がのみ込まれちまうわい」

 腕を組み小さく背中を丸めたダイダロスが、円卓を指でいじりながらつぶやく。

「壊れかけていようとプリンスの意見を尊重することに変わりはない。彼はわたしたちに判断を一任した」

「エクス。それは違う。彼はすべてを諦めただけで、何も選んだりしていない」

 マッドネスガールは長い銀髪を指でかき上げながらいった。

「とにかく、プリンスの意見は聞くことはできた。わたしたちはわたしたちができることをしましょう」

「そうだな。会議を続けよう。みんな、集中してくれ。センチメンタルな気分にひたるためにこの場所に来たわけではないのだからな」

 エクストリームマンがその大きな手を一度たたいた。六人はリーダーの一喝に我をとり戻し、その瞳には強い色が戻った。

「夕食前の一回目の会議ではわれわれの意見は見事に割れた。一致していたのは回答を拒否したわたしとリフレクトマンくらいだったな」

 エクストリームマンとリフレクトマンが視線を交わす。リフレクトマンは白いドミノマスクの上から目元をこすった。

「もう一度皆の意見をまとめてみよう。ドラゴンフライとダイダロスはテラトリアに引き渡すことを選んだ」

「極刑にはしないという条件付きでな」

 ダイダロスが水平にした右手を自身ののどもとで横に引いてみせた。

「ハンターは国際司法裁判所に判断を一任するよう提案。ジューベーはプリンスが未来人類フォース家の出身であることから、未来人類の手で裁かれるべきと考えた」

「左様」

 ジューベーが小さくうなずく。

「そしてマッドネスガールは、プリンスの無罪を主張した。表面上は突拍子もない主張だが、なるほど聞くと一定の説得力をもっているような気もする。いや、支持するわけじゃない。誤解しないでくれ」

「あのさ、率直な意見なんだけど」

 猫背のリフレクトマンが恐々と片手をあげる。

「これ絶対にまとまらないよね」

 リフレクトマンの言葉が意図した通り、夕食後の会議に進捗はみられなかった。五つの意見は妥協も止揚しようも受け入れず反発をくり返した。八時から始まった会議は二時間が経過したところで終わりを迎えた。エクストリームマンが司会としての強権をもって終わらせたのだ。

「全員、少し頭を冷やしたほうがいい」

 わたしも含めてだ、とエクストリームマンは続ける。

「今日はぐっすり眠って、明日の朝、朝食後にもう一度会議を再開しよう。異論は認めない。では、解散」

 七人はそれぞれの自室に戻っていった。リフレクトマンは半透明の鎧を脱ぎ、部屋のシャワーを浴びてからベッドに倒れこんだ。

 まどろみに包まれ、照明も消さずに眠りに落ちようとしていた彼の耳にドアをノックする音が聞こえた。

「だれ?」

 枕元に置いた白いドミノマスクを装着してからドアを開ける。そこにいたのは、床からふわりと数センチ浮かび上がったエクストリームマンだった。

「すこしいいかな」

「あぁ。もちろん、どうぞ。中に入って」

 エクストリームマンは部屋に入ると、床に足をつけてから彼にしては珍しいことに疲れ切ったため息をこぼした。

「へたな肉体労働よりもよっぽどこたえる」

「まったく。人造ゴリラ三十体と戦わせられた時の方がマシだよ」

「そんな経験が?」

「ぼくとあなたが初めてチームを組んで戦った時のことだよ。ジャングルの奥地でネイチャーブラザーズと戦った時のこと覚えてないの?」

「いや、もちろん。覚えているよ」

「その口ぶりは覚えていない時のやつだ。変わらないねエクス。昔からあなたは嘘が下手だった」

 エクストリームマンは白い歯をみせて笑い、『すまない』と片手を小さくあげた。

「いいよ。エクスはいろんなところでヴィランと戦っているからね。何年も前のことは忘れていても驚かない」

「記憶はなくなっても正義の心は変わらない」

「知っている。それこそがぼくらのヒーローエクストリームマンだ。地上最強の男」

「リック。何度もいうが、わたしは地上最強なんかじゃない。弱点だってあるし、トリックマインドに身体を操られた時はジューベーに負けたんだ」

「トリックマインドはあなたの身体を上手く扱えなかっただけだ。本気で戦えばあなたの方が……」

「無理だ。ジューベーの『セツナ』の前にはどんな攻撃も通じない。真正面から戦って、ジューベーに勝てるものはいないよ」

「そんな。ジューベーにだってきっと弱点が……エクス。ジューベーの話をしにきたわけじゃないよね」

「そうだった。いや、少しきみのことが心配になったんだ。五人は堂々と意見を表明したのに、きみだけが意見をもたず会議の最中も言葉少なげだった」

「結局説教か。あなたと違って、地球人であるぼくが地球の問題に正面から取り組まないのはよくないっていいたいんでしょう」

「いや違う。むしろそのままでいろ」

 エクストリームマンの言葉に、リフレクトマンはドミノマスクの下で眉をひそめた。

「意見をもたないという立場はある意味自由だ。制約なく他人の意見を吟味し批判できる。リック、他人の意見を聞いて少しでもおかしいと思ったら躊躇せず口をはさめ。内に潜む弱点を浮かび上がらせ、削れ。議論というのはそうやって進むものだ」

「それはあなたがやればいい。あなただって意見がないのだから」

「わたしは司会だ。わたしが司会の座をゆずるといったらきみは断ったよな」

「ずるいや」

 リフレクトマンは力なく両手をふる。エクストリームマンはほほを緩めて笑った

 『おやすみ』もいわずにエクストリームマンは部屋を出ていった。リフレクトマンは再びドミノマスクを取ると、部屋の照明を消してベッドに入った。午前中はカンタベリーウーマンと拳で戦い、午後にはPOJのメンバーと言葉で戦った。彼は疲れ切っていた。身体も心も疲労に染まっている。あくびをする間もなく、リフレクトマンはどろりと深い眠りに落ちた。


 7

 そしてこの日の夜。

 ひとりのヒーローが殺された。


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