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第六章

 1

 二〇二三年 一月一六日 午後〇一時〇七分


「あなたのせいよ」

 マッドネスガールがドラゴンフライに詰め寄る。

「あなたがシャットダウンリングなんてつけるからダイダロスは殺されたの。いつもの力が……ヒーローとしての力が使えればダイダロスは殺されなかったのに」

「おい。冗談だろ」

 胸元を掴まれながらもドラゴンフライは、冷静に応えた。

「相手はジューベーを殺したんだ。エクスも、ハンターも殺した。ダイダロスの戦闘能力はあの三人には劣る。仮にシャットダウンリングがなかったところで……」

「抵抗はできたわ」

「それも怪しい。あのおっさんは自らの死を望んでいた。嬉々として殺されたのかもしれない」

「リフレクトウォールが破られた」

 リフレクトマンひとりが、我関せずといった様子で立ちすくんでいた。

「まさか。そんなまさか」

「リック」

 マッドネスガールの矛先がリフレクトマンに向く。

「どうしてリフレクトウォールが消えているの。持続時間は二十四時間って、あなたいったわよね。何物をも跳ね返す無敵の盾。それがあなたのリフレクトパワーじゃないの」

「エクスはお酢で殺された」

 ぽつりとリフレクトマンは口にした。

「太陽系最強の男の弱点がお酢だなんて、普通は誰も気づかない。だけど犯人は気づいた。犯人はぼくらの弱点をよく研究している。だからジューベーは殺された。エクスも、ハンターも弱点をつかれたんだ」

「わたしの質問に答えなさい。無敵の盾。それがリフレクトパワーじゃないの」

「ぼくにだって弱点はある!」

 リフレクトマンは駄々をこねる子どものように激しく両腕をふった。

「リフレクトパワーは無敵じゃない。エクスがお酢で溶けるように、ぼくにだって……。何が悪いのさ。ぼくは謙虚だ。きみたちみたいに、ヒーローの力を鼓舞して、ヴィランたちに偉そうに説教を垂れたりはしていない。弱点があって何がわるい」

「わるいなんていってないでしょ」

 マッドネスガールの平手がリフレクトマンのほほに向けられた。だがリフレクトマンのほほにあと数センチというところで、その平手が音を立てて弾かれた。マッドネスガールは、リフレクトマンの反抗的な瞳を彼の顔の前に展開された小さなリフレクトウォール越しに見た。

「リック。弱点ってなんだ。おれは聞いてないぞ」

 ドラゴンフライはふたりの間に入りながら訊ねた。

「答えろ。正直に。拒否権はないからな」

「……鏡だよ」

「なに?」

「鏡をこすりつけると、リフレクトウォールは消える」

「そんな、そんな単純なことで。鏡なんて、どこにでもあるじゃない」

「どこにでもあるけど、わざわざ手鏡をこすりつけるひとなんていないよ。おじいちゃんだってこの弱点を見抜かれたことは一度もないっていっていた」

「初代リフレクトマンも弱点は同じなのね」

「犯人はぼくたちのことをかなり研究している。弱点を、殺すための方法を熟知している」

「おい、そこでどうしておれを見るんだ」

 二人の視線が集まり、ドラゴンフライは口もとをひくつかせた。

「研究熱心といえばあなたとダイダロスのふたり。巷じゃサイエンスヒーローなんて呼ばれているそうじゃない」

「待てってば。リック。お前、二十四時間持続するといっていたが、本当はもっと短い時間で消えるようにしておいたんだろ」

「どういうことさ」

 リフレクトマンが無愛想に応える。

「犯人はリフレクトウォールが数時間で消えることを知っていた。何故なら犯人とお前は共犯関係にあるからだ。実際のところリフレクトウォールは数時間で消え、そのことを知っていた共犯者は半透明の壁が消えていることを確認してからダイダロスを殺した。もちろん、殺人犯はお前が嘘をつくことを知っていた。何故ならお前は共犯者だからな」

「ぼくはリフレクトウォールを作ってから君たちとずっといっしょにいた。共犯者と連絡をとる時間なんてなかった」

「何か合図を送ったのかも。もしくはコミュニケーションを介さずに共犯者はリックの意図を読み取ったのかもしれん。ダイダロスが牢屋に入れられた。二十四時間のリフレクトウォール。ドラゴンフライとマッドネスガールはダイダロスの身は守られたと確信している。牢屋は手隙になる。つまりはダイダロスを殺すチャンス。リフレクトマンはきっと、自分がダイダロスを殺しに行けるようリフレクトウォールの持続時間を短くしているはずだ……こんな風にな」

「ちがう! 本当に……マディ、鏡をもっていない? 本当に鏡をこすりつければリフレクトウォールは消えるんだ」

「その弱点が事実だとしても、お前が共犯者と結託したという推理を論破することにはならないぞ。むしろお前はリフレクトウォールの弱点を共犯者に伝えたとすれば、ダイダロスが殺されたことを説明できる。犯人は鏡をこすりつけるだけでいいんだからな」

「リフレクトウォールが消失したという事実がある以上、リックが怪しくなるのは当然のことね」

 マッドネスガールは猜疑の色を両目に浮かべた。

「少なくともリフレクトウォールを消失させる方法はふたつある。ひとつは短時間での消失。もうひとつは鏡を使っての消失。前者の場合、リックが犯行に関わっていることは絶対。ただし後者の場合は、リックが関わっていない可能性もある。つまり、ドラゴンフライが犯人という可能性も残ってるわけよ」

「矛先が戻ってきやがった」

 ドラゴンフライはつばを吐き出した。

「マディ、お前はさっき人影なんて見なかったと主張したがな、たしかにおれとリックは見たんだ。お前、もしかして人影が実在することを知っているからこそ、否定しているんじゃないか。つまり、お前がダイダロスを殺した人影の共犯者なんだ。人影の存在を否定して、おれたちに見間違えだったと思わせるつもりなんだ」

「どうしてわたしが仲間たちを殺さなければならないの」

「知るか。そんなことをいったら、おれにだって動機はねぇよ。お前はさっき、図書室でおれが人影を見逃したといったが、同じことは反対側の螺旋階段にいたお前にだって通じるんだよ」

「屁理屈が上手い男ね」

「屁理屈もロジックだ」

「駄目だ。駄目。もう何が何だかわからないよ」

 リフレクトマンは頭を抱えて左右にふった。

「誰が犯人かなんてどうでもいい。人影だってもう……とにかく生き延びよう。三人でいっしょに行動するんだ。人影が見えてももう追いかけない。明日の昼に、ロイが来るまでとにかく生き延びるんだ」

「いのちを大事にってやつだな。わかったよ、リック。とにかく、ロイが来て特別活動局がこのベース全体を徹底的に調べてくれれば真実はわかるだろう。それまで何とか生き延びようや」

 ドラゴンフライがリフレクトマンの半透明の鎧を叩いた。

「ただし。調べられることはおれたちで調べておこう」

 三人は牢屋の中に入り、ダイダロスの身体を検視した。

「あのダイダロスが……歴戦の戦士がこんな無様な格好で生涯を終えるなんて」

 マッドネスガールが落胆の声をこぼす。彼女の言葉を否定するものはいないだろう。齢五十を越えるこのヒーローは、十代のころから幾人ものヴィランに打ち勝ち、幾多の地球の危機を救ってきた。彼の業績を否定するものがいるとすれば、それは世間の耳目を集めるために逆張りを行っているに違いない。

 そしてもうひとつの意味で彼女の言葉を否定するものはいないだろう。

 無様だった。あまりにもダイダロスの死体は無様だった。

 うつ伏せに倒れた全裸の死体。両足はカエルのように内側に曲がり、その間に肛門に突き刺さった“(日本刀)”がまっすぐ伸びている。臀部の右側には――過去の戦いで負ったのだろう――十字型の傷跡が残っていた。

「ぱっと見たところ、ケツ以外に外傷はない」

 身体の下に広がる血痕に触れないよう気をつけながら、ドラゴンフライはダイダロスの死体を確認した。

「毒薬を飲まされた可能性もあるが、それは解剖してみないとわからないからな。まぁ、十中八九、ケツに突き刺さった聖が死因と見て間違いないだろうよ」

「いくつか疑問があるんだけど」

 リフレクトマンがおずおずと手をあげる。

「おれもだ。まぁ年少者に発言権を譲ろう」

「聖で殺されたっていうのは理解できる。だけど、なんでわざわざ肛門に突き刺したんだろう。日本刀で殺すなら、胴体を切るとか突くとか……もちろん脚とか腕を切って出血多量死を狙ってもいいけど、そういうのが普通でしょ」

「でもそんな外傷はない」

「うん。つまりそういった普通の殺し方よりも、肛門に突き刺すなんておかしな殺し方の方が犯人にとって都合がよかったのかな」

「ダイダロスは犯人に向かってケツを突きだしたってことか」

「なんとも不可解な絵面だこと」

 マッドネスガールが侮蔑の息を吐いた。

「だけどそんな不可解な絵面じゃないと事実を説明することはできないよ。それともうひとつ」

 リフレクトマンは言葉を続ける。

「どうして、全裸なの?」

 ダイダロスのジャンプスーツは牢屋の隅に落ちていた。ジャンプスーツに血痕はない。当然、ダイダロスは全裸の状態で殺されたのだ。

「気が狂って脱ぎだしたのかしら。ほら、ダイダロス……かなり精神的にきていたし」

「おれが気になるのはな」

 ドラゴンフライが牢屋の中を見渡す。

「ダイダロスの“罪”だよ」

 罪はすぐに見つかった。ダイダロスのジャンプスーツのポケットに、黒いUSBが入っていたのだ。

 ジャンプスーツのそばに落ちていたダイダロスのタブレットでUSBの中身をあらためる。

 一本の映像データ。その映像はダイダロスの死体がもつ謎を十分すぎるほど説明してくれるものだった。


 2

 うす暗い室内に無数の蛍光色が蠢いている。

 壁を這う水色。床を舐める桃色。家具の間を縫って走る黄色。少女の()()()()()嘲笑あざわらう緋色。

 画面の中央に巨大なベッドが置かれていた。しわくちゃのシーツの上に横たわる裸体の少女。少女の両手は手錠で拘束されていた。ベッドサイドのテーブルには酒瓶と性玩具が無造作に転がっている。

 画面奥に移っていたドアが乱暴に開かれ、その音で少女の身体がびくりと跳ねた。

 ドアから仮面をつけた裸の男が現れた。

 男の仮面は人間の顔よりもひと回りは大きい、ほほをつりあげて不気味に微笑む喜劇の仮面だ。男は身長こそ決して高くはないが、その肉体はたくましく鍛え上げられ、全身の筋肉が隆起していた。

「たまらない。やはりたまらないなぁこれは」

 酔っているのか薬物をキメているのか――もしくはその両方か――ろれつの回らない声で男はいった。キャビネットの上のタバコを手に取り、仮面をあげて吸い始める。

 たっぷりと時間をかけて男は一本のタバコを吸い終えた。ライトブラウンのあごひげを指先でなでながら喜劇の仮面をつけ直す。

 男がベッドに近づく。少女は視線を男とは反対側に逸らして、鳥のような悲鳴を短くあげた。

「きれいだ。本当に。まるで奇跡。()()()()で一番だよ」

 男は腹を両手で叩きながらベッドに片膝を乗せた。小象のような身体の重みにベッドがきしむ。勃起した男のペニスがシーツに引っかかり、シーツの下の汚れたマットレスが剥きでた。

「のどが渇いていないか。そこにあるコーラをのみなさい。ははは。コーラだ。コーラをのむんだ」

 男はサイドテーブルに置かれたコーラ缶をつかみ、少女の口に無理やり注いだ。少女は全身を震わして抵抗するが、男は少女の肩に肘を乗せて押さえつける。少女の白い肌に褐色の液体がこぼれ落ちた。

 男は同じコーラ缶を自分の口もとにつけ、部屋の隅に放った。咳き込む少女をうつ伏せに倒し、背中を両手でさすりだす。

「ほら。出せ。げっぷを出すんだ。ははぁ。聞かせて。ほらほら。早くしてくれ」

 悲鳴とうめき声の間に少女は小さく『ゲ』と吐き出した。すると男は全身を上下にふりながら自身の陰茎を激しくしごきだした。

 芸術品を扱うように身長な手つきで少女の腰をつかみ浮かせる。少女はすべてを諦めたようだった。身体を震わし、何か不明瞭な言葉をつぶやくばかりだ。

「きれいだ。本当に。だいじょうぶ。慣れている。優しくするから」

 男は少女のふとももをリズミカルに叩き始めた。げらげらと笑いながら叩き続ける。やがて満足したのか――もしくは我慢ができなくなったのか――少女の上に無言のまま覆いかぶさった。

 その時カメラはたしかに捉えた。

 男の臀部の右側に残る十字の傷跡をたしかに捉えたのだった。


 3

「ダイダロスは――」

 ドラゴンフライが言葉を詰まらせる。たっぷりと時間をおき、ダイダロス本人の遺体を見おろしてからもう一度口を開いた。

きヒーローだった。彼の業績を否定するものはこの地球上にひとりとしていないだろう」

「だけどそれと同時に、彼は犯罪者だった」

 マッドネスガールがいう。怒りも呆れも超越したのだろう。彼女の表情は冷たく、声も冷めていた。

「ダイダロスは……どうして。どうしてこんなことに」

「合成映像だよ」

 リフレクトマンがへたくそな作り笑いをみせた。

「再起の映像技術はすごいね。まるで本当に、その、合成している!」

「黙れ」

 ドラゴンフライの鋭利な声が場の空気を凍らせた。ヘルメットの下から涙が一滴、こぼれだす。

「おれはダイダロスを尊敬していた。ヒーローとしても、ひとりのエンジニアとしても彼のようになりたいと思っていた。それがどうだ。やつの正体は変態のロリコンじじいだったわけだ」

「最悪な気分ね」

「最悪なんて言葉でいい表せないほどにな。聞いたか? あいつ、『慣れている』っていいやがった。あの子だけじゃないんだ。他にも、これまでも、何人もの子を慰み者に……」

「だからダイダロスは尻に聖をぶちこまれたわけね」

 マッドネスガールは見ようとはしなかった。ヒーローとしての尊厳を失ったひとりの男の遺体を。

「裸にひん剥き()を突き刺す。この男が女の子たちにやってきたことと同じことをされたってわけ。初めて犯人に共感を覚えたわ。あら、冗談よ。たぶんね」

「聖が返ってきた」

 ダイダロスの肛門に突き刺さった日本刀を、リフレクトマンは苦々しさと安堵が混ざった表情で見つめた。

「ジューベーの首を斬り、ハンターの皮を剥ぎ、最後に強姦魔のケツを経て聖は解放された。犯人はどうして聖を手放したのかな。刃こぼれしない日本刀なんて最高の凶器だ。ぼくたち三人を殺すつもりはないっていう意思表示?」

「もしくは必要なくなっただけかもしれない。別の殺害方法を用意しているのかも」

「油断させるって可能性もあるわね。とりあえず聖は回収しておきましょう」

 マッドネスガールが遺体に近づく。その腕をドラゴンフライが素早く掴んだ。

「凶器を持つな」

「現場保存の観点からの忠告?」

 掴まれた腕を乱暴に払い、マッドネス―ガールはもう一度遺体に近づく。

 ドラゴンフライは素早かった。マッドネスガールの左ひざを後ろから蹴り体勢を崩す。片膝をついたマッドネスガールの頭が少しだけ後ろに傾くと、背後からあごの下に丸太を脇で担ぐように腕を絡ませた。プロレスでいうドラゴンスリーパーに近い形だ。ほんの少し力をいれただけで、首の骨がへし折れるだろう。相手がただの人間ならば。

 マッドネスガール(地底人)は片膝をついたままの体勢で上半身を前に振った。どれほど体術に長けていようとドラゴンフライの肉体はただの人間のそれだ。オニヤンマを模したコスチュームの()()()()は頭を下にして壁に叩きつけられた。身体が床に着く前に黒いヘルメットの側頭部が数ミリだけ開き、発射音をおさえた麻酔針サイレントニードルが放たれる。麻酔針はマッドネスガールの首筋に向かって飛び――途中で勢いを失って床に落ちた。

「リック。じゃまをするな」

 受け身をとってから立ち上がったドラゴンフライは、対峙する二人のあいだに立つリフレクトウォールを軽く蹴った。

「ごめん。だけど、ごめん」

 リフレクトマンは片手を降ろし、小さく息を吐いた。

「いくらなんでも軽率すぎるぞマディ。疑心暗鬼なおれたちの前で凶器を手にするなんて。そんなことが許されると思っているのか」

「わたしはわたしが犯人ではないことを知っている」

 聖に視線を落としながらマッドネスガールがいう。

「だがおれは知らん。リックも知らん。たぶんな」

「マディ。きみが聖をもつだなんて、恐ろしくて仕方がないよ。疑っているわけじゃない。あなたは強すぎる。ジューベーの言葉を借りれば『鬼に金棒』ってやつだ。もしあなたが……」

「じゃあドラゴンフライにあずかってもらう? リック。それでいいかしら」

 リフレクトマンはドラゴンフライを横目で見た。ドラゴンフライは舌をだすと、指先を芋虫のように揺らした。

「いや。現場保存の鉄則だ。このままにしておこう」

「人影に聖を奪われる可能性があるわ。本当に人影ってやつがいるならね」

「奪うなら最初から遺体といっしょに置いていかないだろう。さっきもいったじゃないか」

 ドラゴンフライが肩をすくめる。マッドネスガールは軽口に付き合うつもりはないらしく、無反応をきめてみせた。


 4

 ダイダロスの遺体を牢屋においたまま三人は大広間にもどった。

「三つある牢屋のうちふたつが遺体で埋まるとはね」

 リフレクトマンがほほを指先でかく。

「プリンスにダイダロス。さながら遺体安置所だ。満員間近のね」

ベース(この中)を見て回るぞ」

 ペットボトルの水を飲み干してからドラゴンフライがいった。

「もう一度だ。いや、何度でも。時間をかけて、徹底して見て回る。誰も使っていない部屋もだ。全員の荷物もすべて確認する。おれたちの“罪”を見つける」

「プライバシーの――」

()()()()といっただろ」

 有無をいわさぬ様子でドラゴンフライはペットボトルを床に叩きつける。部屋の隅でおどおどと三人を見つめていた大鷹が身体を震わせた。

「もしおれの案に乗れないというのなら、かまわない。ロイが来たらおれはそいつを告発する。世間にもおれの案に反対したことを公表する」

「脅すつもり?」

 マッドネスガールが肘を円卓に突き立てた。

「これはふたりにとっても悪くない話なはずだ」

 ドラゴンフライも肘を円卓に突き立てる。交渉にしては剣呑が過ぎる態度だ。

「本当に自分たちが犯人でないと、あの人影の単独犯だと主張するのなら、身の潔白を証明するためにおれの案に乗れ。徹底した探索は完璧な潔白を保証してくれる。ただし、すべてだ。すべてを見せる必要がある。カバンの中を調べる。折りたたんだ衣服はひとつ残らず開いて確認する。下着もだ。プライバシーなんて壁はとっぱらう」

「それで、その、“罪”がもし見つかったらどうするのさ」

 ドミノマスクの下の両目を泳がせながらリフレクトマンが訊ねる。

「USBが見つかったら中身は調べるの?」

「当然だ。USBだけじゃそれが本当に“罪”なのかわからないからな。USBなんて誰でも持っているだろう。おれだって普段は使っている」

「協定を結ぼうよ。中身のことは黙っている。互いに……悪くないはずだ」

「悪いわ。だってわたしは自分が“罪”を背負っているなんてこれっぽっちも思っていないもの」

 マッドネスガールは強くこぶしを握りしめた。

「犯人がどんな倫理でわたしを告発するのか知らないけれど、それは誤りの告発に過ぎない。何故ならわたしは正しいから。正義に反する行いをしたことがないから」

「えらい自信だな。まぁいい。行くぞ」

 ドラゴンフライが席を立つ。マッドネスガールもすっくと立ちあがる。リフレクトマンだけが不肖の様子だった。部屋の隅にいる大鷹は弱々しく憂いのような鳴き声を発した。

 三人は最初にマッドネスガールの部屋に向かった。ドラゴンフライが述べた通り、時間をかけて徹底して調べる。

「カセロッティ一家の家宅捜索に参加した時のことを思い出すわ」

 マッドネスガールがアメリカで有名なイタリア系ギャングの名前をあげた。

「される側に回ってみてよくわかった。ひとのプライバシーを好き勝手されるのってたまったものじゃないわ」

「いいじゃないか。このあときみも()()側に回るんだ」

 ベッドのマットレスを切り裂きながらドラゴンフライはいった。その後ろでリフレクトマンは黒いボストンバッグの中身をまるで爆発物でも取り扱うかのような手つきで床の上に並べている。

「FBIの要請で参加したの。カセロッティ一家は当時デトロイトで一、二を争うほど凶暴なギャングでね。当初は激しく抵抗したけど、反抗的な若者五、六人を()()()()()()すぐに大人しくしてくれたわ」

「おれたちをギャングの小僧といっしょにしないでくれよ」

 綿のこぼれたマットレスを放ると、次にドラゴンフライは羽毛枕を切り裂き始めた。

「そっちはどうだ。リック」

「おかしいよ。下着が見つからない。どこにもないよ」

「もってないもの」

 平然とマッドネスガールはいい放つ。

「『もって()()ないもの』でしょ」

「ちがう。だって、アンダーワールドにはそんな文化はなかったから」

「わぉ。それは。たまげたね……」

 たっぷりと時間をかけて調べてみたが、マッドネスガールの部屋から殺人事件に関わる証拠は見つからなかった。USBのような“罪”を告発し得る記録媒体もまた見つからなかった。

 ベースの右棟に広がる残り四つの個室も調べる。三つの空室とハンターの部屋。その全てに証拠も“罪”も存在しなかった。

 大広間を通り左棟の個室を調べる。

 一番手前にある部屋を利用したのがリフレクトマンだった。部屋に入ると、ベッドの上の布団はしわくちゃに波を打ち、バックパックは床の上で口を開いて倒れていた。

 リフレクトマンは落ち着かない様子で、ふたりのヒーローが捜索するさまを見守っていた。

 だが何もでてこなかった。続いてドラゴンフライの部屋を調べた。ダイダロスの部屋を調べた。エクストリームマンの部屋を、ジューベーの部屋を、残りひとつの個室を、牢屋を、大広間を、キッチンを、冷蔵庫と冷凍庫を、エレベーター前の前室を、最後に彼らが訪れたのは――

 図書室だった。

「本当、見晴らしがよくなったわね」

 ほぼ全ての本棚が倒れ、爆心地のように荒廃した空間を前に、マッドネスガールが嫌味を口にした。

 知識の泉を爆心地に変えた張本人のリフレクトマンは口を尖らせた。ドラゴンフライは嫌味に付き合うことなく、手あたり次第に倒れた本棚の下を探る。だが倒れた本棚はあまりにも多く、ひとつひとつを直している余裕はない。二時間ほどで調査を切り上げた。犯行につながるようなものは何ひとつ見つからなかった。

 六時間近い時間をかけて三人はベースの中を見て回った。だが真相にたどり着けるような証拠は見つからなかった。リフレクトマンとドラゴンフライが見たという『人影』なる者も見つからず、その実在を示す証拠もなかった。『バールストン・(殺されたひとが)ギャンビット(実は生きているん)だ!』とリフレクトマンが推理したため遺体をすべて確認した。ジューベー、エクストリームマン、プリンス、ハンター、ダイダロス。五人の肉体は確かに生命活動を停止していた。彼らは死んだ。何者かに殺されたのだ。

「お腹が空いたみたい」

 大広間の壁際で大鷹に鎧を小突かれながら、リフレクトマンは場の空気にそぐわないことをいった。

「ぼくも同感だよ」

 時刻は午後の八時を回ろうかというところだった。

 円卓に着いたドラゴンフライは石のように黙して動かない。マッドネスガールは時おり思い出したように叫び声をあげては壁に拳を叩きつけている。

「ふたりが狂うまであと少しかもね」

 大鷹の首筋を撫でながらリフレクトマンはいった。気持ちいいのか大鷹はリフレクトマンに身体をこすりつけてきた。

 突然、ドラゴンフライが音をたてず席を立った。

「ふたりとも。こっちへ来てくれ」

 マッドネスガールとリフレクトマンは円卓に近づく。

「身体検査だ」

「は?」

「何て?」

「服を脱げ。全部だ。殺人犯はおれたちの“罪”を告発する記録媒体を持っている。だがベース中を探してもそれらしきものは見つからない。ということは、いま現在も肌身離さず持ち歩いているということだ」

 だから脱げ、とドラゴンフライは続ける。

「本当に狂っちゃった」

 リフレクトマンが鼻で笑う。

「残念ながらそれはできないよ。マッドネスガ―ルは()()()なんだ。ぼくら男同士ならともかく、彼女は、ねぇ」

 ドラゴンフライが自身のヘルメットに両手をおいた。短い電子音が鳴る。ヘルメットから小さな煙が放出され、ふたつに割れた。

「ドラゴンフライ。またの名前はセオドア・ダウンライトだ」

 ヘルメットの下から黒人男性が現れた。つぶれた短い髪を丁寧に整える。瞳の色は茶色。年のころは三十代後半といったところか。

「見たことある顔ね」

 表情筋ひとつ動かさず、マッドネスガールはぽつりといった。

「信じられない。マディ。セオドア・ダウンライトだよ。テレビで有名な。シリコンバレーの革命児。ダウンライトグループの若きCEOだ」

「同業者に正体を明かすのはこれが初めてだ」

 ドラゴンフライ――否――セオドアは金色のラインが走るボディースーツを脱ぎ始めた。

「ふたりにはおれの全てを見せる。だから信用してくれ。おれは犯人じゃない。プリンスも、プロテクション・オブ・ジャスティスの仲間たちも殺したりしていない」

 ボディースーツを脱ぎ捨てて全裸になると、セオドアは両手を高くあげて『好きにしてくれ』といった。

「わお。すごい腹筋。ムキムキだ」 

「リック。ふざけている場合か。カゼをひく前に終わらせてくれ」

 リフレクトマンがドラゴンフライのボディースーツを拾い、上から下までくまなく調べた。マッドネスガールはヘルメットやブーツ、小型のポシェットがついたベルトなどを調べた。

「マディ。そっちは」

「なにもない」

 リフレクトマンはマッドネスガールの声に棘を覚えた。ふりかえりマッドネスガールを見る。射るような視線でリフレクトマンをにらみつけるマッドネスガール。彼は気づいた。ドラゴンフライがシロならば、マッドネスガールは消去法的に自分を犯人だと決めつけるはずだと。

「マディ。まだ早い」

 全裸ながらセオドアの風貌は堂々としたものだった。いっさいの恥じらいを見せることなく毅然とした態度でマッドネスガールを制する。

「リック。お前の番だ。脱げ」

「わ、わかったよ」

 有無をいわせぬドラゴンフライの口ぶりに、リフレクトマンは渋々と従った。

 半透明の鎧が床の上に転がる。身体にフィットする白いボディスーツを脱ぎ、最後に目元を隠すドミノマスクを外した。

「これがリチャード・キングスコートの素顔か。生で見るのは初めてだな」

 リフレクトマンの本名は既にPOJのメンバーに知れ渡っている。三年前のダンダール共和国事変の際、収賄疑惑と暴力的革命に加担していると疑われた彼は自身の無実を証明するためにその正体をメンバーと特別活動局に告白したのだった。

「鳥肌が立ってきた。早くしてくれよ!」

「急かさないで……特に何もないわね。そっちは?」

「ブーツの中にも何も入ってないな。念のためそっちも見せてくれ。ありがとう。すごいな。これが伝説のリフレクトメイルか。初代リフレクトマンはおれたちの世代じゃヒーローの中のヒーローだ」

「今ではただのボケ老人だけどね。サーの称号なんてなんの意味もない」

 そそくさとリフレクトメイルを装備すると、リフレクトマンは深く息をついた。

「これでぼくの無実は証明されたかな」

「そうだな」

 そっけなくドラゴンフライはつぶやく。

「次はマディ、いや。マッドネスガール。お前だ」

「待ってよ。彼女は女性だよ。それにさっき。部屋でさ。アンダーワールドの文化では……」

「どちらにしろ全部脱ぐんだから関係ないでしょ」

 マッドネスガールは躊躇なく戦闘服を脱ぎ始めた。丈の短いジャケットが床に落ちた。トップスとショートパンツもまた。

「さ、満足するまで調べてちょうだい」

 全裸になったマッドネスガールのたたずまいはあまりにも豪胆で、色気なるものをはるか彼方に置きざりにしていた。

 ドラゴンフライとリフレクトマンは脱ぎ捨てられた衣服を調べる。しかし――

「何もないよ」

 リフレクトマンがマッドネスガールのブーツを手に声を震わせた。

「建物も調べた。服も調べた。だけどどこにもない。USBはどこにもないんだ。つまりこれって、犯人はぼくらを告発するつもりはない。殺すつもりはないってことなんじゃ」

「楽観的が過ぎるな」

 小さく首をふると、ドラゴンフライは覚悟を決めたように顔をあげた。

「全員。吐け。嘔吐しろ。()()()()()()()()()()()()()()()

 ドラゴンフライは躊躇することなく自身の口に手をつっこむ。彼は吐いた。透明な胃液が床にこぼれ落ちていく。

「冗談……」

 リフレクトマンが口元をおさえる。全裸のままのマッドネスガールは訝しむ両目で床に広がる胃液を見つめていた。

「て、徹底的に調べるといったはずだ。これがおれの意味する徹底的(・・・)だ。ふたりとも吐け。無実を証明したければ吐け。それでも出なければ次だ。ケツの中を確認する。マディ、お前はケツに加えてもうひと穴だ」

 マッドネスガールはドラゴンフライに殴り掛かった。その動きを予期していたのだろう。ドラゴンフライは両手で防御したが、地底人の拳の勢いは殺しきれず、そのまま螺旋階段まで飛んでいった。

「あなた狂っているわ」

 ドラゴンフライが落としたショートパンツを拾いながらマッドネスガールはいう。

「そんな恥辱を見せるくらいなら。もういい。わたしを犯人として告発すればいいじゃない」

 ショートパンツ以外の衣服をつかみ、マッドネスガールはふたりに背を向けた。

「明日の昼、ロイが来るまでわたしは部屋から出ないわ。あなたたちが部屋まで来たら、殺すから」

「マディ。待ってよ。ひとりになっちゃだめだ。いっただろう。三人でいっしょに……」

「リック。あなたの甘い顔。甘い態度。甘い考え。正義のヒーローにはふさわしくない、その全てがわたしは――そんなに嫌いじゃなかった」

 マッドネスガールはいう。背中を向けたまま。

「だけどもう、何も信じられない。あなたのその甘さは偽りかもしれない。わたしたちPOJを殺すための仮面に過ぎないのかも」

「ちがうよ。ぼくは犯人じゃない。誰も殺したりなんかしていない」

「じゃあ、死んでよ。あなたが死んでくれればわたしはあなたの無実を信じる。今すぐこの場で死んでみせて。仮面なんてないって、素顔を見せて。できないのなら、わたしに近づかないで」

 マッドネスガールは去っていった。折れた螺旋階段の手すりをつかみながら、ドラゴンフライが立ち上がる。

「ぼくのケツの穴でも見るかい」

 リフレクトマンが侮蔑の口調で訊ねた。

「冗談だろ」

「冗談だったの」

「いや、本気だった。リック。おれのケツの穴を見たいか」

「勘弁して」

「で、どうする。ふたりで明日の昼までトランプでもするかい」

「ぼくも部屋に戻る。きみが犯人でない可能性もないわけじゃない。いまも虎視眈々とぼくが油断するのを待っているのかもしれない。マディと同じだ。ぼくも、もう何も信用できない」

「人影が犯人の可能性もある。ふたりいっしょにいれば、人影だろうと、仮にマディが殺人犯だろうと対抗できる。だからさ」

「どうしてぼくが犯人だと疑わないんだ。どうしてぼくとなら平気でいっしょにいられるんだ」

 ドラゴンフライが答える前に、リフレクトマンは言葉を続けた。

「それは、ぼくが犯人でないと確信しているから。あなたは自分が犯人だと知っているからじゃないの」

 背中を向けてリフレクトマンは去っていく。

 部屋の隅で床をつついていた大鷹がつまらなそうに鳴いてみせた。

「ひょっとしてお前さんが犯人か?」

 大鷹に向けて軽口が飛ぶ。ドラゴンフライは笑いながら首をふると、自室へともどっていった。


 5

 二〇二三年 一月十七日 午前〇五時五五分

 リフレクトマンはなぜ自分が目を覚ましたのかわからなかった。

 物音がしたわけではない。ひとの気配を感じたわけでもない。昨夜はベッドに入ってからもなかなか眠れず、最後に見た時計の針は午前二時半を指していた。たかだか三時半ほどの睡眠で満足する身体でないことは四半世紀に近い付き合いの中でわかっている。

 極度のストレスが安眠を妨げている。ベッドの中で芋虫のように身体を動かしながらリフレクトマンは考えた。いったい、このベースの中で何が起きているのか。殺人犯は誰なのか。ドラゴンフライ、マッドネスガール、そして謎の人影。

 暗闇の中で考えているうちに胃が空腹を訴えはじめた。ロイがベースを訪れてくる正午まで部屋から出るつもりはなかった。だがとても昼までがまんできそうにない。仕方なしに彼はベッドから出ると、部屋の外に出た。

 廊下に出るとドラゴンフライがいた。

 黒いヘルメットをつけたドラゴンフライは口を開くことなくリフレクトマンに顔を向けている。腰から下は床に崩れ落ち、上半身は壁にもたれかかっていた。なぜこんな時間に廊下に座りこんでいるのか――という疑問はリフレクトマンの脳裏に浮かばなかった。それ以上の違和感を彼は抱いていた。

 何かがおかしい。自身の目に映るドラゴンフライの姿は――何かがおかしい。

 数秒を経て彼は気づいた。

 ドラゴンフライの顔はこちらを向いている。しかし、首を境にそこから下は、顔とは反対の方向を向いているのだ。

 口もとから赤い血が滴り落ちている。ドラゴンフライは、死んでいた。

 リフレクトマンは叫んだ。リフレクトパワーを使い全速力で右棟にあるマッドネスガールの部屋に駆けつける。

「マディ。起きてくれ!」

 激しくドアを叩く。数十秒を経てドアが少しだけ開いた。

「リック。部屋には来ないでといったはずよ」

「ドラゴンフライが殺された!」

「え?」

「殺されたんだよ!」

「そんなことって――」

 リフレクトマンはマッドネスガールを伴って左棟の廊下へともどった。マッドネスガールは遺体を前にして慎重にヘルメットを外した。

 黒いヘルメットの下からセオドア・ダウンライトの顔が現れる。死を直前にした人間のみがみせる恐怖に歪んだ不気味な顔。経済情報誌で高らかにアメリカの金融政策について語る若き天才実業家の笑顔はそこにはなかった。

 ドラゴンフライの太ももの下に紙の束が挟まれていた。マッドネスガールが一枚目を手に取る。

 

ミスターダウンライト

 不当だ。あまりにも不当だ。

 わたしは半生をダウンライトグループに捧げてきた。この身はグループと共にあるといってもいい。

 それなのにあなたはわたしを裏切った。

 ガーランドファブリックスの株の購入を勧めたのはあなただ。わたしはあなたの商才を信用して同社の株を購入した。ダウンライトグループがガーランドと業務提携を交わすなんてひとことも聞いていない。それなのにわたしはインサイダー取引の容疑で訴えられた。

 ガーランドファブリックスのミスジルバとのメールも、例のホテルに入るあの写真も、全てでっちあげだ。虚偽の証拠だ。それなのに。あぁ、それなのに。誰もわたしを信じてくれない。

 ミスターダウンライト。あなたはわたしを恨んでいる。グループの経営会議で軍事産業への参入に反対したことをまだ根に持っていらっしゃる。わたしの反論が正鵠を得ていたから、グループの皆が、あなたのお父様さえもわたしの肩を優しく叩いてくれた。それがあなたは気にいらなかった。貴方は素晴らしい役者だ。みなの前では笑顔で敗北を認めながら、その笑顔の裏でわたしへの憎しみを育んできたわけだ。

 謝ってももう遅い。あなたがわたしにした全てのことを、アメリカ中の報道機関に書面で告発した。ダウンライトグループはおしまいだ。最初にいったでしょう。この身はグループと共にある。わたしが沈む時、あなたもまた沈むのです。

 エンリコ・クルーズ

 あなたの忠実な下僕


「あぁ、まさか」

 マッドネスガールは二枚目をめくってそうつぶやいた。


 ワールド・トゥデイ 二〇一四年 一月二十一日号

 インサイダー取引容疑者自殺

 昨日未明、ニューヨーク州マウントフォードの民家より銃声が聞こえたと警察に通報があった。通報を受けた警察官が民家に駆けつけたところ同宅のリビングで頭から血を流し死亡しているエンリコ・クルーズ(59)を発見。傍らに落ちていた自動拳銃により自らの命を絶ったと思われる。


「自殺? まさか。冗談……」


 三枚目をめくり、マッドネスガールはため息をつく。


 ワールドファステストジャーナル 二〇一四年 二月号 世界に羽ばたくダウンライトグループ特集! シリコンバレーの革命児が語る、成長と躍進の秘密がここに!


「エンリコ・クルーズの告発はもみ消されたわけね」

 紙の束にはまだ続きがあった。その全てにセオドア・ダウンライトとダウンライトグループの行ってきた不正と犯罪の証拠、そしてそれらをグループがもみ消して来たという事実が記載されていた。

「これがドラゴンフライの“罪”ね。そうなのね、リック」

 リフレクトマンは目の前の空気が鋭く動く気配を感じ、無意識に身体を後ろにそらした。

 光のような速度の拳が空気を引き裂く。マッドネスガールのパンチは空振りにおわり、――二撃目――あごを狙った対空ミサイルのような飛び膝蹴りを、リフレクトマンは両手にためたリフレクトパワーではじき返した。

「あなたが犯人ね、リック」

「……ちがう。ちがうよマディ。部屋を出たらドラゴンフライは死んでいたんだ」

「この期に及んでよくもそんな嘘を! ここにはあなたとわたししかいない。そしてわたしは自分がドラゴンフライを殺していないことを知っている。だったら彼を殺したのは誰? あなたよ、リチャード・キングスコート。あなたは仲間たちを殺し、その罪を告発してまわった」

「ちがう。犯人はぼくじゃない。人影を見たっていっただろう」

攪乱かくらんのための芝居だったわけね。わたしは騙されない」

「やめて。ぼくじゃない。人影が。いたんだ。図書室に……」

「いいわ。だったら、今からロイたちを呼びましょう」

 マッドネスガールは天井を指さした。

「ヒーローとして若輩者のリフレクトマンと実績のあるマッドネスガール。特別活動局が、いえ、この地球上の人間がどちらの言葉を信じると思う?」

 リフレクトマンの顔から血の気が引いた。彼は知っていた。自身に対する世間の評価が決して高くないことを。

「やめて。やめてよ」

 彼の脳裏にイメージが走る。罪人と責めたてられるリチャード・キングスコート。新聞の紙面に『罪人』の二文字と共に自身の素顔が載る。


「やめてよ」


 テレビ局のカメラが両親と祖父母が暮すマイナーハウスに訪れる。ハンカチで目元をおさえる母親。その肩を強く抱きしめる父親。


「やめてよ」


『あいつはリフレクトマンの名を穢しました』

 初代リフレクトマン、サー・ジョージ・キングストンがつばを飛ばす。

 『あんな軟弱者にヒーローの資格なんてなかったのです。一族の恥です』


「たのむから」


 『最低。大嫌い。ヒーローなんていっても、所詮はただの人間と変わらなかったんだ』

 ニット帽を被った子どもが無邪気に毒を吐く。あまりにも正当な毒を――


「ちがう。ぼくは……」


 マッドネスガールは勢いよく飛び上がった。天井を破壊し、土を掘り進めて外に出るつもりだ。


「やめてよ!」


 リフレクトマンは両手を大きく開き、全神経を手のひらに集中させた。過敏な神経が常時の彼には不可能な量のリフレクトパワーを放出させた。マッドネスガールは見た。天井に張られた半透明の壁。彼女の身体は、鋼鉄でつくられたベースの外郭を貫くほどのエネルギーを保っていた。

 そのエネルギーが何倍もの力となって自身に跳ね返る。

 マッドネスガールは砕け散った。

 桃色の肉片が無数に別れて落ちていく。細かな白い骨片がシャワーのような赤い血と煌びやかなコントラストを奏でる。彼女の戦闘服もまた、散った。ショートパンツのボタンがくるくると優雅に回っている。持ち主の、無数の、肉片とともに、くるくると、くるくると――

 最初の一滴は、鼻の上に落ちた。

 そして残りの全てが、数秒前までマッドネスガールの肉体をかけめぐっていた赤い血がリフレクトマンの全身を濡らした。半透明の鎧がものものしく彩られる。頭に降りそそいだ血が口の中に潜りこんでいった。リフレクトマンは感じた。マッドネスガールの存在を舌の上で感じた。

「はぁ」

 親指ほどの肉片がリフレクトマンのほほを撫でる。生暖かい。肉はまだ熱をもっていた。

「ははぁ」

 血だまりの中でリフレクトマンは息を吐いた。一度、二度、三度。

 そして彼は叫んだ。悲壮感のこもった叫び声がベースの中をかけめぐる。

「殺した」

 リフレクトマンはいった。

「ぼくが殺した。マッドネスガ―ルを殺した。殺してしまった。だって、だって彼女が――あぁ、マディ!」

 リフレクトマンは震える身体で血だまりから逃げ出した。全身に降りそそいだ血が廊下に赤い轍をつくる。

「許して。そんなつもりじゃ。やめろ、近づくなぁ!」

 おぼつかない指先で半透明の鎧を脱ぐ。赤く彩られた鎧を血だまりに向かって投げつける。半裸になったリフレクトマンは、必死に自身の肌をこすった。爪を立て、何度も何度もこすった。

 廊下の向こうから、何か小さなものが飛んできた。

 カタリと音を立てて床に落ちる。それはダイダロスのタブレットだった。

 リフレクトマンは震える指でタブレットを掴んだ。そこにはすでに一本の動画が再生されていた。

 陽の光が差し込む広大な石畳の上に、百を超える白い体操着の少女たちが整然と並び両刃の剣を手にしている。

「腕を素早く振り下ろすのです!」

 猛獣のようなその声に、少女たちが揃えた声で応える。少女たちは剣を素早く振り下ろした。

「逃げの姿勢は許されません。敵を見つけたら進みなさい。恐れず果敢に進みなさい」

 少女たちは再び声をそろえて叫ぶ。姿勢を低くして剣を構え正面に突きを放った。

 少女たちが向いている方向には台座があった。その台座の上で、黄金色の鎧と仮面をつけた女性が自身の身長と変わらない長さの剣を高々と掲げ、叫び声をあげていた。

「あなたの不遇は誰のせい?」

「悪しき汚れた男のせい!」

 少女たちは声をそろえて叫ぶ。

「あなたの涙は誰のせい?」

「淫らに汚れた男のせい!」

 少女たちは声をそろえて叫ぶ。

「よろしい!」

 台座の上に立つ黄金色の女性が仮面を取り外す。少女たちが歓喜の声をあげた。

 リフレクトマンは息をのむ。自身の予想が当たっていたことにくちびるを噛みしめる。

 仮面の下から現れたのは、マッドネスガールだった。

にえを連れてこい」

 マッドネスガールがそういうと、台座の横から白い下着姿の少女たちが両手足を縛られた全裸の男を連れてきた。男の表情は恐怖と焦燥に染まり、やみくもに首を左右に振っている。

「この者は自らが教鞭をとる学び舎にて不貞を行った。己が生徒に性的暴行を加え、その様を写真に収め告げ口をせぬようにと脅迫したのだ」

 マッドネスガールが男の罪を告発する。少女たちが野獣の如き嫌悪の声を発した。

 マッドネスガールは手にしていた剣で男を縛る紐を切った。全裸姿の男は四つん這いの姿勢でマッドネスガールを見上げる。

 下着姿の少女が一本の剣を男に手渡す。男がそれを受けとると、マッドネスガールは男の身体を持ち上げ、剣を構える少女たちの中に放り投げた。

「殺せ! そのものは牙を有しておる。立場は対等。容赦は無用。殺せ。自らの憎しみを認識するために殺せ。自分を穢した男への恨みをはらせ」

 石畳の上に腰を抜かし怯える男の姿が見えた。剣を手にしていた男に少女たちが襲いかかる。

 男の姿は少女たちの陰に消えた。叫び声だけがたしかに聞こえた。そして血が、一心不乱に剣を振り下ろす少女たちの間から、噴き出る鮮血がちらりちらりと見え隠れをくり返していた。

「乙女たちよ、世の男たちを恨みなさい」

 マッドネスガールが叫ぶ。少女たちも呼応する。

「乙女たちよ、世の男たちを正しなさい。生物は母なる存在なくしてはこの世に生まれません。母性こそが、女性こそがこの乱れ切った世の中における絶対的な正義なのです。男性中心主義の狂った現代を正すのは、われら“慈母の慰め”に他なりません。鍛えるのです。きたる聖戦の時のために。鍛えるのです。自らの幸福を実現するために!」

 慈母様バンザイ。慈母様バンザイ。

 歓喜の声が響きわたる。何度も、何度も、何度も何度も。

「なんだよこれ。マディ、あんたは、あんたはただのテロリストじゃないか!」

 リフレクトマンは両ひざをたたんで泣き始めた。その泣き声に混ざり、廊下の向こうから足音が聞こえる。

 照明の光で聖の刃が輝いた。リフレクトマンは気づかない。聖を手に後ろから近づいてくる人影の存在は、現実から逃れ、狂気の世界に安らぎを見出したリフレクトマンには届かない。

 聖の刃がリフレクトマンの背中に突き刺さる。心臓を貫いた聖は、上半身を貫通してその動きを止めた。

「あ、あれ」

 リフレクトマンは首をうしろにまわし犯人の姿を見た。

「どうして、ここに」

 犯人は答えない。

「でも、よかった。ぼくはひとりじゃなかったんだね」

 口から血が噴き出し、リフレクトマンは自身の身体を赤く染めた。全身が痙攣を始める。

 壊れた電子人形のように震える身体。決して長くはない時間を経てリフレクトマンの身体は活動を止めた。

 犯人は床に転がるタブレットを掴み、一本の動画を再生し始めた。

 映像の左下に日付が表示されていた。二〇二二年十月十日。商店の陳列棚の前にひとりの男が立っている。

 男は左右を見渡し、すばやく棚から商品を取ってポケットに入れた。男は足早にカメラの外に消えた。

 画面が切り替わる。また別の商店の陳列棚が映る。その棚の前に、先ほどと同じ男が現れた。日付は二〇二二年十月十日。先ほどの映像と同じ日だ。

 男はまたしても棚の商品をポケットに入れた。背後からエプロンをつけた店員が笑顔で声をかける。男は笑顔で答え、首を横にふりながら店の外に出ていく。

 そんな映像が続いた。長いこと続いた。合計して一三三回の万引きの映像が再生された。

 百三十三本の映像に映っていた男はすべて同一人物だった。金色の髪をした白人男性。リチャード・キングスコート。百三十三のカメラが彼の常習的な万引きの瞬間を収めていた。

「おわった」

 犯人はつぶやいた。全身を駆ける疲労感からため息を吐き出す。

「いや違う。あとは、あとは最後に――」

 大広間にいた大鷹は物音が気になったのか、廊下にやってきた。大鷹は犯人の姿を見て首をひねった。その首の動きにどんな意志がこめられていたのかを知るものはいない。

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