プロローグ
1
二〇二二年 六月四日 一四時〇七分
スイス連邦 ヴァレー州 ブルックシュルス城
「お遊びはここまでだ。クソガキどもめ」
半壊した城壁の上に立つヘビーメタルが、オープンフィンガーグローブに内蔵した小型マイクを介して怒鳴り声をあげた。往年のロックバンドのステッカーが張り巡らされたエレキギターで三連符のメロディを奏で始める。腰にぶら下げた小型アンプから、半径数メートル以内の人間の鼓膜を容易に破壊し得る超音波が発せられた。
「へたくそ。墓の下のビートルズが泣いているぜ!」
タンクマンのタックルを馬飛びで避けたブレイクスルーボーイは、空中で両手を高々と掲げた。
ブレイクスルーボーイの両手を、太陽光を反射させた白いコスチュームで着飾ったノーブルスワンが握りしめる。ノーブルスワンはコスチュームから伸びた巨大な両翼を羽ばたかせ空に高く飛びあがった。
「イェイ。おれたちのチームワークってば最高!」
「ポール・マッカートニーはまだ生きている」
リヴァプール出身のノーブルスワンが苦言を呈した。しかしブレイクスルーボ―イの耳には届かない。彼の心境は大人たちの協力なしに一流ヴィランチームと対峙しているという昂揚感で溢れていた。
「ヘビーメタルと近くでやりあうのはまずい。プリンスに任せよう。王子様はどこだ」
「あっちの崖沿いでネームレスといっしょに戦っている。相手はエンドタイムとドクター・ノー・マーシー」
「運んでくれ。おれが二人と代わ……おわ!」
ブレイクスルーボーイの右腕に黒煙を放出する麻紐が絡みついた。その麻紐は東側の城門に立つアリアドネの三本目の腕から放出されていた。妖艶な笑みと共にアリアドネは四本目の腕からも麻紐を放出する。弾丸のような勢いで伸びた二本目の麻紐はブレイクスルーボーイの左脚に絡みついた。
「降りておいでボウヤ。大人の女の味を教えてあげるよ」
「おいおい。淫行罪でしょっ引かれるのはそっちだぜ。プリマドンナ。おれを離せ。あのおばさんの腹に貫通孔をつくってやる」
「気をつけて。あの女、三年前にマッドネスガールの背骨を折った手練れなんだから」
ノーブルスワンがブレイクスルーボーイの両手を離す。麻紐の勢いを利用して、ブレイクスルーボーイはアリアドネに握りこぶしを向けて弾丸のように飛びかかった。
アリアドネはブレイクスルーボーイに絡みついた麻紐を操りて相手の軌道を変える。ブレイクスルーボーイの拳はアリアドネの数メートル下の城壁に激突した。その拳が当たった所はまるで筒を通したかのように円形に貫通していた。
「乱暴なボウヤだこと」
アリアドネは濃いルージュの唇を舐めた。
「軽口はここまで。これでもおれはジュニアジャスティスのリーダーだ」
貫通した孔に手をかけて、若きヒーローは城壁をのぼってくる。
「正義の使者の一人として、あんたをぶちのめして牢獄に入れてやる」
2
「本当に信じられない。こんなすごいものが目の前で見られるだなんて!」
ハーフパンツ姿の少女が両手をふりながら石段を駆けあがっていく。石段の先、高い丘の上には十二世紀ごろに半壊した古城が佇んでいる。晴天を背景に古城の周囲では飛行能力をもつヒーローとヴィランが宙を舞い、色とりどりのエネルギー波が破壊の音色を奏でていた。
「だめ。だめだめ。もどって、アンナ!」
ハーフパンツ姿の少女とは数十メートルの距離をおいて、別の少女が石段を駆けあがってくる。その表情は焦燥に歪み、ロングスカートの裾を掴む手は汗でにじんでいた。
ひと際大きな衝撃音が古城から響きわたる。古城の上空に間欠泉から噴き出した熱湯のように小さな破片が浮かびあがった。破片の一部が少女たちのすぐそばに落ちてくる。それは握りこぶしほどの大きさに砕かれた外壁の一部だった。
「ねぇナターリア。さっきノーブルスワンが飛んでいるのを見たの。あなたの妹さんが大好きなノーブルスワン。写真を贈ってあげましょう。額縁にいれて、プレゼントするの。絶対に喜んでくれる」
ロングスカートの少女――ナターリアは驚いた。どうしてアンナはリュドミラのお気に入りのヒーローのことを知っているのだろう。そうだ。一度だけ話したではないか。お気に入りのヒーローの話になった際、ヒーローに興味のないナターリアは自分の代わりに妹の話をしたのだった。
リュドミラはノーブルスワンがイギリスのベテランヒーローであるブラックバードのサイドキックとしてデビューした当初から、彼女の世界一のファンを自称していた。ノーブルスワンが登場するコミックスは全て買い集め、部屋の壁はノーブルスワンの写真で張りめぐらされていた。
リュドミラが六歳の時、彼女を乗せた車にオートバイが衝突した。オートバイの運転手はテロリストだった。全身に爆弾を巻き付けたテロリストの身体は粉々になってテラトリア皇国の冷たい風の中に散った。
後部座席にリュドミラを乗せた車は爆破の衝撃で半回転すると、逆さまになってコンクリートに叩きつけられた。リュドミラは脊髄を損傷し、微動だにしない下半身とこれからの人生で家族以上に時間を共にすることになる電動車いすを手に入れた。自分の足で歩けないリュドミラにとって、大きな翼を羽ばたかせ、自由自在に空を飛ぶノーブルスワンは憧憬の的だった。その正体が自身と同世代の少女ともなれば尚更だ。
たしかに写真を贈ればリュドミラは喜ぶだろう。だがその代償として友人を危険な目にあわせるわけにはいかない。ナターリアは叫んだ。止まりなさい。写真なんていいから、止まりなさい。だがアンナの背中はすこしずつ小さくなっていく。
突然、ナターリアの身体を背後から誰かが抱きしめた。切れ切れの息を吐きながらふり返ると、顔を青く染めたSPがそこにいた。
「お戻りください。どうしてこんな勝手なことを」
「離してください。お友達があそこに……あなたも知っているでしょう。アンナが――」
SPは無言のままナターリアの身体を担ぎ上げた。ナターリアは一度大きく息を吐くと、ポケットから護身用のスタンガンを取りだしてSPの首筋に当てた。
「ごめんなさい」
スパーク音と共にSPが小さな悲鳴をあげる。ナターリアは失神したSPの身体から離れると、アンナを追って石段を上りはじめた。
3
ブルックシュルス城の西側は切り立った崖になっている。垂直に近い角度でそびえ立つ岩肌に片手だけを置いて、プリンスは大きく息をついた。
「ちくしょう!」
崖の縁から、三本の医療メスが銀色の切っ先をのぞかせた。メスは太陽の光を反射させると、三本それぞれが「「「みつけた」」」としわがれた男の声を発した。
三本のメスは宙を舞いプリンスに向かってくる。プリンスは崖から手を離すと、両手足をまっすぐに伸ばして崖沿いを飛んだ。
空中で頭から前方に半回転。逆さまになった視界の中で、プリンスは紫色のグローブに包まれた右手を追いかけてくる三本のメスに向けた。
右手から紫色に輝く光が放出される。プリンスの主要武器、イオンレーザーだ。三本のメスは機敏に動いてイオンレーザ―を避けると、プリンスの眼前まで距離を詰めた。
プリンスはイオンレーザーを解除して、両腕を顔の前で交差した。三本のメスがプリンスの右腕に突き刺さる。
「プリンス!」
上空からノーブルスワンが羽ばたきの音と共に姿を現した。三本のメスがノーブルスワンに気をとられた瞬間を見逃さず、プリンスは腕に刺さったメスを一本だけ抜き取る。残り二本のメスは危険を察知したハエのようにプリンスの身体から離れる。プリンスがメスを握った手に力を入れると、手の内側を紫色の光が煌めき――次の瞬間、その手の中にはメス一本分の粉塵だけが残っていた。
「「すごくいたい。すごくひどい」」
二本のメスは陰鬱な声と共に空中を舞った。周囲から無数の金属が飛んでくる。鉗子。開創器。ピンセット。束ねられたワイヤー。骨ノミ。外科用ハンマーとプライヤー。無数の医療器具が空中でかたまり金属人間となった。ドクター・ノー・マーシー。かつてはドクター・マーシーという名でヒーローとして世の安寧を保っていた男がそこにいた。
「この世は無慈悲だ。そうは思わんかね、ぼうやたち」
「黙れよドクター。大人しく降参してくれ」
噴き出す血を押さえながらプリンスがいう。
「プリンス。ヘビーメタルのバッテリーが回復した。あいつのギターに対抗できるのはあなたのイオンレーザーだけよ」
「わかった。ヤブ医者はきみに任せる」
「ネームレスはどこ。さっきまでエンドタイムと戦っていたのに」
「あっち」
プリンスは人さし指を足元に向けた。
「落ちていったよ。ネームレスはグライダーを開いたから大丈夫。上まで戻ってくるのに時間がかかると思うけどね」
「エンドタイムは?」
「敵の心配をしている余裕はない」
「その通りだ」
ドクター・ノー・マーシーが右腕を差しだす。右腕を構成している無数の医療器具が二人の若きヒーローに向かって放たれた。
プリンスとノーブルスワンは上下に分かれて医療器具を避ける。プリンスは上に、ノーブルスワンは下へ。ドクター・ノー・マーシーはノーブルスワンを追いかけた。
プリンスが崖の上に行く。古城をはさんで反対側から聞こえるエレキギターの破壊音に、プリンスは顔をしかめた。
「なんて野蛮な音楽だ。ロックとかいう時代遅れのジャンル。高貴なぼくには耐えられない」
プリンスは空高く飛びあがった。古城の四方に立つ塔よりも高く飛び、戦況を俯瞰して捉える。
東側の城壁の上ではブレイクスルー・ボーイがアリアドネと交戦中。城の中心部にある中庭では、下半身を魚の姿に変えたトリトンが大きな池を上手く利用してタンクマンを相手に優位に戦いをすすめていた。
そして城の北東部――エレキギターの音はこちらから聞こえてくる――では、自身の演奏に酔いしれたヘビーメタルが小型アンプから発せられる超音波で古城を破壊して回っていた。古城が立つ丘の下には農村が広がっている。ヘビーメタルはその農村に向けて城の破片を落としているのだ。
プリンスは空中で停止し、手のひらをヘビーメタルに向けた。手が震える。イオンレーザーが放てるのはメスの刺さった右腕だけ。
『大丈夫』。プリンスは自分にそういい聞かせながら、太陽を背にヘビーメタル目がけて急降下した。
イオンレーザーが放たれる。ヘビーメタルはその超人的な聴力でイオンレーザーから発せられる電磁波音を感知した。ギターのネックを両手で掴むと、“野球選手”よろしくギターを振ってイオンレーザーを打ち返した。ピッチャー返しのようにイオンレーザーがプリンスに戻ってくる。間一髪、プリンスは空中で身体をひねって避けた。
「あ、危なかった」
地上ではヘビーメタルがにやにやと笑いながら立てた中指をプリンスに向けている。
「ふざけた見た目に騙されちゃだめだ。あの男にはエクストリームマンも苦戦したんだ」
プリンスは大きく深呼吸してから再びヘビーメタルを目がけて急降下した。
4
石段を登りきると、背の高い草をかき分けて古城へ近づくアンナの姿がみえた。
「アンッ……」
南側の城壁の上に、アリアドネの姿が見える。両手から伸びた麻紐でブレイクスルーボーイの身体を固定し、その身体を礼拝堂の屋根に叩きつけていた。
ナターリアは開きかけた口を両手で押さえた。三年前、あのアリアドネは世界中にテレビ中継されたカメラの前でマッドネスガールの背骨を砕いてみせた。家父長制からの脱却、独立した女性の象徴、新時代を担う戦う女。世界中の女性たちから羨望のまなざしを向けられていたマッドネスガールが、為すすべもなく倒されたのだ。
アリアドネの凶暴性はシンクホールマーダーズの中でも群を抜いている。ナターリアやアンナのような子どもが眼前に現れたとなれば、嬉々として拘束し、自身の凶暴性をジュニアジャスティスに見せつけるための材料にするに違いない。
音を立てないように気をつけながらナターリアはアンナをおった。
麻紐を引きちぎったブレイクスルーボーイは、ヘルメットについた吐血の痕を拭うと、礼拝堂の屋根に穴を開けてその中へ逃げ込んだ。引きちぎられた麻紐が黒煙を吐きながらビクビクと痙攣している。数メートルに及ぶ二本の麻紐は、ぴたりと痙攣を止めると、今度はヘビのようにするすると礼拝堂の屋根を這い、ブレイクスルーボーイが開けた穴へと入っていった。アリアドネの麻紐は敵を自動追尾する能力をもつ。アリアドネ本体もまた、穴を通ってブレイクスルーボーイを追う。地中からくぐもった破壊音が響いてくる。ブレイクスルーボーイが地中に穴を開けてアリアドネから距離をとっているのだ。破壊音は徐々に遠ざかっていく。
――今のうちに――
ナターリアは古城に向かって全力で走った。
アンナは崩れ落ちた外壁から頭をのぞかせて古城の内側を伺っていた。
「アンナ!」
ナターリアはアンナの肩をつかんだ。
「あとでたっぷりと先生に怒っていただくからね」
「ねぇ、ノーブルスワンはどこいったの。あなた見なかった?」
アンナはスマートフォンのカメラを起動しながらいった。その口ぶりからは緊張のかけらさえ感じられない。
「いいかげんにして。あなたがリュドミラのことを想ってくれるのは嬉しい。だけどあなたが危険な目にあうなんてわたしには耐えら――キャ!」
城壁をはさんで二人のすぐそばに、巨大な何かが落ちてきた。その衝撃で城壁の一部が崩れ、粉塵が周囲に飛び散る。
「よくもおれさまのヴィンテージギターを壊しやがったな。U2の“POP”なみに酷いやつだ!」
ナターリアの耳にアフリカ像をのどに詰まらせたような怒鳴り声が飛びこんできた。城壁の向こう側に落ちてきたのは、人間。いや、ヴィランだ。戦闘中のヴィランが落ちてきたのだ。
「アンナ、アンナ。早くここから逃げないと」
地面に伏せたナターリアはアンナの身体を掴んで揺さぶった。ヴィランが目と鼻の先に現れてアンナはやっと現状の危機を理解したらしい。その目は恐怖に包まれ、その身体は小刻みに震えていた。
ヘビーメタルに気づかれないよう、ゆっくりと城壁から離れる。二人が動くたびに身体の上に乗った城壁の破片が音を立てて地面に落ちる。粉塵がのどに入り、ナターリアはせき込みかけたが、手の甲を口に押し当てて何とか我慢した。
「You tooってなにさ。悪いけどそんな大昔の音楽は知らないね」
ヘビーメタルに応える男の声が空の方から聞こえてきた。若い声。声変わりもまだ終えていないだろう若い男の子の声。リュドミラと同い年くらいだろうか。
「これで終わりだ、ヘビーメタル。未来でお前の化石に会うのが楽しみだよ」
高エネルギーが収束する際に発せられる鶏の悲鳴のようなかん高い音が城壁の向こうで轟いた。ナターリアはその音の意味を理解し、自分よりほんの少しだけ先を行くアンナの身体を両手で力いっぱい押した。
アンナの身体は短い傾斜を転がり、その先にある小さな窪地に収まった。
「ちょっとナタリーいったい何を」
アンナはたしかにそういった。だがその声は頭上を飛ぶ紫色の光が発する音にかき消された。
そしてアンナはそれを見た。
紫色の光が消えた青空に、たしかに彼女はそれを見たのだった。
5
「You tooってなにさ。悪いけどそんな大昔の音楽は知らないね」
痛みに耐えながら右腕をヘビーメタルに向ける。得物と両足を破壊されたヘビーメタルは、城壁を背にしながら宙に浮くプリンスをにらみつけていた。
「これで終わりだ、ヘビーメタル。未来でお前の化石に会うのが楽しみだよ」
広げた右手に紫色の光が収束し、放たれた。
イオンレーザーが放出されるのと同時に、左手首につけた時間操作感知器がアラーム音を発する。イオンレーザーが城壁に当たる直前、ヘビーメタルの姿が消えた。
否。消えたのではない。時間操作感知器は、一秒が遥か昔に感じられるほどの数刹那前に、周囲で何者かが時間操作系の能力を使用したことを伝えてくれた。エンドタイムだ。エンドタイムが時間を止めて、ヘビーメタルを救出したのだ。
停止した時の中でエンドタイムは何をした。ヘビーメタルを救出しただけか。こちらに攻撃をする暇はなかったのか。プリンスはイオンレーザーを止めて、自分の身体が傷を負っていないかをたしか――
少女の悲鳴が青空を引き裂いた。
城壁の向こうから、恐怖に犯された悲鳴が聞こえてくる。
そしてプリンスはそれを見た。
消えたイオンレーザーの射線の上。風にあおられた凧のようにもどかしく回転する少女の身体。腰から下が消失し、鮮血と臓物を吐き出しながら青空を舞う、半分だけの身体。
たしかにプリンスはそれを見たのだった。