第3話香水
「ねえ、あの人の心が欲しいの」
「残念だけど、ココには置いていないわ」
クスクスと笑う少女の影に立つ女性は、少女に向かって怒鳴る。それは、人の声ではないかのように、こう、喚き散らす・・・。
「ここはなんでも売ってると聞いたわ!私の命なんていらないわ!なんでも売ってるんじゃないの!?友達が言ってたわ!ねえ!・・・」
えんえんと続くそれはしかし、店の外に出てしまえば聞こえない。
散々喚き散らすとその場に座り込んで、顔を覆い、泣き出す。少女は誘惑の笑みを漏らす。
「では、これを売ってあげる。一つだけ注意なさい。これは男がつけてはいけない秘薬。それだけは守ってね」
クスクスと笑いながら、香水を差し出す。少女の笑みが意味するものは、本当のところはこの女性にはどうでもよかった。
―――ただ、あの人の心がほしい
バタバタと走る足音。外だというのに、いやに響くその足音は、とある男の家へと向かっていた。
チャイムをな鳴らすと、がちゃりとドアが開いた。そこにはよく見知った男が立っている。
「なんだよ、また来たのかよ。もうお前とは終わったんだよ」
嘲笑うような表情で吐き捨てる男。女はにこりと笑う。さっきまでの形相はどこへやら、鬼のような形相で喚き、走ってきた女が、天使のように微笑んだ。
「あ、あの、話を、聞いてほしくて」
「俺はもうお前と話すことなんかないよ」
そういうと男はドアを閉めた。
ドアの前にたたずむ女は、さっき買った香水を首筋にひと吹きした。可愛らしい苺の形を模したボトルから、甘い香りを想像していたが、香りはしなかった。女は目を見開いた。そしてチッと舌打ちし、右手の親指の爪をガリッと噛んだ。
―――騙された
そう思ったが、そのまま再びチャイムを鳴らす。
「いい加減にしてくれ!!」
ドアを開け、顔を出して怒鳴る男。すぐにドアを閉めようとするが、その動きが止まる。そして、完全にドアを開けると、にこやかに笑った。
「お、俺、どうかしてたんだ。お前とは終わったなんて・・・」
そういった男の顔をまじまじと見て、ポケットの香水を握り締める。
「上がれよ、泊ってくんだろ?」
―――戻ってきてくれた
女はそう確信して男の家に上がった。
女はそうやって幸せを手に入れた。毎日欠かさず香水をつけ、男と一緒に暮らし、結婚した。
2年たったある日、しまってあるはずの香水がテーブルの上に置いてあった。不思議に思い男を見ると、男は何も変わらず普通にしている。きっと自分が片付け忘れたのだろう、と思い、いつもの場所にしまった。そのときふと、少女が言っていたことを思い出した。
―――男がつけてはならない秘薬
どういう意味だったのだろうかと考える間もなく、そのことは忘れた。
そして数日後、やはりふと思い出した女は、試してみたくなってしまった。少女のいいつけを破り、男の寝てる間に、男の首筋に香水を吹きかけてしまった。
変わった様子はなく、ただの脅かしだったのかとその日は眠った。
更に数日後、男の体に異変が現れた。体中に黒いあざができ、それがどうもなにかに巻きつかれたようなあざだった。蛇のような、細長いものが男の体中をあざが着くほどに締め付けているような、そんなあざだった。
医者に行っても原因はわからず、ただ安静にするようにと言われるばかりだった。
日に日にひどくなるあざは、ついに体中を埋め尽くした。その瞬間、男は発狂し、狂い死んでしまった。まるで、香水を買ったときの女のように泣き喚き、人の声とはつかない声で叫び、そしてぷつんと糸が途切れたように死んでしまった。
女は悲しんだ。そして、香水のことを思い出した。自分があの時男に香水をかけてしまったから・・・と思うようになった。いてもたってもいられなくなった女は、あの日と同じ形相であの、香水の少女の店に走った。
バンッと乱暴に扉が開けられた。あの日と変わらぬ姿のままの少女が、女に微笑みを向けていた。
「幸せな生活は出来たかしら?」
「夫が、狂って死んでしまったわ」
少女は変わらずクスクスと笑っている。
「あんたのせいよ!あんたがこんなものを私に・・・」
「だから言ったでしょう?男に使ってはいけない秘薬だって」
あの日と同じ、鬼のような形相で女は少女をにらんだ。そして、襲いかかろうと飛び掛ってきた。少女はあっさりとその手につかまる。しかし動揺するでもない、微笑みは絶やさない。
「殺してやる」
小さく呻いた女は細い首を持つ手に力を込める。
「貴方の望んだことよ」
少女は息をしていない。目も開いていない。心臓も・・・。
荒く息をついで、手を離す。ばたりと少女が倒れ、我に返る。
―――こ、殺してしまった・・・!!
女は逃げた。店の外へと飛び出した瞬間、目の前を通った車、スローモーションで道路に叩きつけられる女の体。
ぐにゃりとしたただの物体になっても尚滑り続け、店から10メートルは離れているだろうか、歩道にひっかかり、動きを止めた。
カランッ
「私の店の品を悪用しようとするからいけないのよ」
首に女のつけた痕はない。平然とした顔で女の死体を見つめ、クスクスと笑いながら、扉を閉め、奥へと消える少女。
「確かに、御代をいただきました」
その正体を知る者は、誰もいない。