58.甘い吐息と滾る理性と
誰もがもう寝ているはずの時間帯。そんな中、足音を立てないようにゆっくりとその足を進める俺と湯花。
やばい。ここで誰かに遭遇したら一巻の終わりだ。旅館と家が繋がっているとはいえ、夜更けに娘と彼氏だぞ? この階段まで来た時点で行先は容易に分かるだろう。
……湯花のお父さんにでも会ってみろ。鉄拳が飛んでくるのは目に見えてる。
しかしながら、辛うじてその最悪な展開は避けられた。辿り着いた部屋の扉を湯花がゆっくり開けると、すかさず部屋を指差す。
先に入れってことか? サンキュー湯花。
扉の向こうに広がる、湯花の部屋。真っ暗だけど散々暗闇の中歩いていたからか、どことなくその内部の様子は認識できる。お見舞いの時に来た時と変わらない、綺麗に整頓された部屋。そして、
カチャ
静かに聞こえる扉が閉まる音と共に、
「海、こっちだよ?」
不意に触れたぬくもりに手が包まれると、それに引かれるがままに足を進めていく。
「ここベッドだよ」
「あぁ」
ベッドか……ということは一緒に寝るってことで良いんだよな。ここまで来て床とかないよな? 確かにフカフカなカーペットだけど、さすがに背中が……
「一緒に……寝よ?」
ねっ、寝ます!
「わっ、分かった」
「海はどっちが良い? 壁側? それとも……」
「俺はこっちでいいよ」
普段だったら断然壁側選んでるけど……今日に限れば何かあった時の為にベッドから抜け出せるその反対側の方が良い。別に湯花が何しようと全然OKなんだけど、問題は自分自身。
一緒にベッドに寝て、おそらく密着するであろう状況を上手く想像することができていない。だからこそ、もしどうしようもなくなったら、素早く身を引けるこっちで寝るべきだ。なんて、こんな時でも頭だけは冷静で……いや? 無理矢理冷静を装っている。
「了解。じゃあ……」
そんな言葉と共に、一足先にベッドに横になった湯花はベッドの端に寄ると、
「よいしょっと、じゃあ海。来て……」
静かに、そして甘い声でベッドの上を2、3回……指先で軽く叩く。
よっし、良いんだよな。良いんだよな? 行くぞ。
そんな湯花に誘われる様にベッドに腰掛けると、そのまま……
「よっと」
湯花のベッドへ潜入完了。
「ふふっ、いらっしゃい」
いくら湯花が気を遣ってベッドの端に居ようと、シングルベッドの横幅はそんなに広くない。
「えっと……お邪魔します?」
「そうなるのかな。海、枕使って?」
「えっ? 良いの?」
「うん」
でも、俺が枕使ったら湯花は?
「けど……」
「いいからいいから、はい、寝ちゃって?」
「じゃあお言葉に甘えて……」
そんな言葉に甘えるように、決して大きくはない枕の上に頭を乗せると、その瞬間ふわっふわな感触と石鹸の良い匂いが一気に鼻の中に入り込んできて……改めていつも湯花が使ってる枕なんだってことを認識する。
「ふふ。自慢じゃないけど、枕気持ち良いでしょ?」
「あぁ、程良くフワフワだけど、頭全体が何かに包まれてる気がして良いなぁ」
「良かった」
ん? でも、それならなんで湯花は俺に枕を?
「でも湯花? この枕俺が使ったら、お前はどうするんだ」
「私の枕は決まってるよ」
決まってる?
「ん?」
「海、左手真っすぐ横に伸ばしてくれる?」
左手? お望みならいくらでも伸ばすけど……
「ほいっ、これでいいのか?」
「うん。これで私の枕の準備完了」
準備完了……? はっ! まさか。
「えいっ、ここが湯花の枕だよ?」
その瞬間二の腕に感じる髪の感触と程良い重さ。そして腕から胸の辺りに感じる温もりと、強く香る石鹸の良い匂い。それを感じた瞬間、
ドクン
心臓の鼓動はより大きく、
ドクンドクンドクン
より早くなったのが自分でも分かる。
そしてそんな俺の状態を知ってか知らずか、更に湯花は俺を見るように体勢を変えると……体の左半分に優しい温もりが駆け巡る。
ヤバイ……全身が湯花と密着してて色々ヤバイ。しかも脇あたりに押し付けられるような感触、これって胸だよな? めちゃくちゃ柔らかい!
「海……心臓ドキドキしてる」
うっ! その囁きはズルいぞ! ……って! おい、湯花。なんで俺の左足の上に足乗せてるんだ? ははっ、挟んでる!? こんなの……
「しっ、仕方ないだろ?」
「ふふっ、私もね? すごくドキドキしてるんだよ?」
ドキドキって……
「確かめて……みる?」
その甘く囁くような湯花の言葉が耳に入り、脳へ響き渡る。その瞬間、俺の……今まで抑えていた何かがゆっくりと溶けていく。
「湯花っ」
口に出した途端、俺は体を起こす様に横向きになると、右手を湯花の腰に回して思いっきり引き寄せる。
「はっ……」
湯花から零れる吐息がシャツを通り越して熱く感じ、そして驚いたようにゆっくりと顔を見上げた瞬間。俺は勢い良く唇を重ねると……感じ合うかのようにそれを激しく触れ合わせた。
「んっ……」
呼吸をすることさえ忘れたかのような長い時間のあと、ゆっくりと離れて行く唇。そして目の前に映る湯花の表情は蕩けるようで、色っぽくて仕方がない。お互いの口から溢れる息遣いがぶつかり合って、俺達の周りだけ熱く甘い空気に包まれる。
もっと、キスしたい……触れたい……
何度キスしただろう、どれくらい湯花のそれが俺の口に俺の体の中に渡っただろう。
肩で呼吸をするくらいに荒くなって、自分の体の異変に気付かないわけはない。それでも、俺達は一言も口にしなかった。それはお互いが何を求めているのか理解できるから、その全てを受け入れる覚悟があったから。
「……海……当たってる……」
「私で……こんなになってくれたんだね? ……嬉しい」
久しぶりに聞いた湯花の声に、心臓は壊れそうなくらい高鳴る。そして溶けてしまいそうなくらい熱くて、俺は……
「湯花……俺……」
「いいよ?」
その返事を待つか待たないかの内に再び唇を重ねると、抱き締めていた右手を密着する体の間へとゆっくりと滑らせる。
そしてその指先が、柔らかい何かに届いた途端、湯花の体が一瞬ピクっと動く。そして手の中へすっぽり収まると、俺はそれに……優しく触れる。
柔らかい……柔らかいしか出てこない。それにやっぱり湯花……見た目より全然大きい。しかも……付けてない? シャツの上からでも触れるたびにどんどん息が荒くなって、時々ピクってして……痛くないんだよな? その……良いんだよな?
柔らかさの中に時折指に掛かる硬いモノ。その度に、顔を俺に押し付けてる湯花の口から、零れる息遣いは荒くて、少しだけ体を震わせる。そんな姿を目の前に……
止まれる気がしなかった。
可愛い、可愛い。こっ、このまま……良いよな? 湯花だって抵抗しないってことは良いんだよな?
少しずつその手を強めても、湯花が嫌がる様子は見えない。それどころか、だんだんと荒く、色っぽく、甘く。
このまま……このまま……あっ、でもあれ持ってない。てかこんなことになるなんて思ってなかったし、準備だって……
でも、こんな状態で……最初だけなら……1回だけ、1回だけならなくても…………
『羽目は外して良いけど……外し過ぎちゃったらダメよ?』
はっ!
その時、ふと頭の中を通り過ぎたその言葉。なんでいきなり浮かんできたのか……思い出したのかはよく分からなかった。けど、頭の中に響くその巴さんの声が、熱くて思うがままに動いていた自分を……引き留めてくれたのは確かだった。
……俺、何……考えてたんだよ……何しようとしてたんだよ。その場の雰囲気に負けて、欲望そのままに……しようとした……
その行為の意味を知ってるはずなのに、
付けずにするリスクも頭の中にあったはずなのに、
俺は……俺は……
その右手をゆっくりと湯花の腰にまで持っていくと、もう1度ギュッと抱き締める。
そして寄り添うように顔をくっつけた俺は、
「ごめん……湯花」
自分のしようとした過ちを、囁くように口にしていた。けど、
「…………うぅん。海にギュってされてなかったら、私もどうにかなっちゃってた」
そんな湯花の言葉に、心が救われる。
「俺、湯花のこと好きだしそういうことだってしたい。でも好きってことは大切な存在だってことなんだ。だから……欲求に負けて湯花を悲しませるようなことだけはしたくない」
「……嬉しいよ。私こそごめんね? 海にならされても良いと思ってた。そうなる危険だってあったのに……」
湯花……
「だからさ? ちゃんと準備して、そしたらさ……?」
「うん……しよう?」
顔を離して目と目が合うと、
「じゃあ、速攻で買いに行くよ」
「あっ、私も買いに行こうと思ってたのに」
「ふふっ」
「ふっ」
お互いに照れくさそうな笑顔がこぼれる。
「じゃあ湯花、このまま寝るか?」
「あっ、ちょっと待って? アラームセットしなきゃ」
「アラーム?」
「4時で良いかな?」
4時? 早くないか?
「早くないか?」
「だって、皆より早く起きて布団入っておかなきゃ」
あっ、そういうことか。朝起きて俺達2人居なかったら怪しさMAXだもんな。
「あっ、そうか! なるほどね」
「うん……よっとOK」
「ありがとうな?」
「全然だよ? ……海? んっ」
ふっ、不意打ちっ!?
「アレ用意出来たら……ね?」
あっ、当たり前だろ?
「絶対すぐ買いに行く」
「だったらいつでも大丈夫だね? ふふっ、私の全部……あげるね?」
そんな湯花の言葉に、俺は固く決心する。
「大事に……受け取るよ?」
明日、いや日付変わったか? 帰ったら絶対に……買いに行くぞっ!!




