皆木 叶
「おはよう皆木さん」
「おはようございます、田中さん」
「今日も綺麗だねぇ」
「またまたぁ、お体どうですか? 佐伯さん」
こうして入院されてる人達と挨拶を交わす。それがここで働いた時からの私の日課。
私なんかが厚かましいかもしれないけど、挨拶1つで1日の気持ちは変わる。その人とのコミュニケーションにもなる。だからこそ、些細な変化にも……気が付ける。
どんなに忙しくても、これだけは必ず守ってきた。そうしないと、また昔の自分に戻ってしまいそうだから。
「さてと、今日は大人しくしてくれてるのかな?」
コンコン
「はーい」
「失礼します」
部屋には居てくれてるみたい。良かったぁ。でも相変わらず……
「よいしょ。お体の調子はどうですか? 雨宮さん?」
あなたの周りは眩し過ぎて仕方がない。
その眩しさに包まれると、私はどうしてここに居るのか……ふと考える事がある。
別に今の生活に不安があるわけじゃない。だって小さい頃からの夢だった看護師になれて、夢を叶えたんだよ? なのに時々頭の中にその疑問が浮かんでくる。
まぁそれにも慣れてきちゃったかな。だってしばらく考えた後で、その答えは必ず出てくるんだもの。そして……後悔の念に胸が締め付けられる。
たった1度の愚行。
けど取り返しのつかない過ち。
後悔しても後悔しても消えない罪。
私が一生をかけなければいけない償い。
忘れてはいけない、自分への……戒め。
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忘れられるわけがない中学時代。その多くは君との幸せな記憶で一杯だよ。小学校の時から優しくて頼もしくて、気が付けば好きだった君に告白されて……嬉しかったんだ。
ねぇ? 海。
海の隣に居るだけで心地良かった、話をするだけで幸せだった。そんな君に私は甘えてばっかりだったけど、いつでも優しく包み込んでくれて……温かかった。
でも……
そんな関係を壊したのは私。
ホントバカだよね? 何が、
『彼氏が甘えて来てウザイ』
だよ。何が……
『撫で声とかさ? ちょっと酷いよね?』
『2人きりになったらすぐ抱きついて来てさぁ』
だよ……
でもさ? あの時のお子様思考だった私は……その会話を聞いた瞬間、一気に不安になった。
海は1度も自分から抱きついたり、撫で声とか出してない。全部私が甘えてる……もしかして海が甘えられるような女としての魅力がないの?
今思えば呆れるくらいしょうもなくて、溜め息しか出ないよ。でもね? その時は本気で悩んだんだ? 海の事それくらい大切で、大好きだったから……
それから海の様子をじっと見てたっけ? 普段の学校生活でも、デートの時もさ? それとなく無理矢理女っぽい仕草見せても、海はやっぱり甘えてくれなくて……少しずつその不安は大きくなった。
そしてあの日、サッカー部の部室で用具の掃除をしてた時……奴が来た。
田川……その噂は聞いてた。でもサッカーの実力はそれなり。それに引退後も練習に顔出して、後輩達とサッカーしてたし……噂だけを信じてよそよそしい態度をするのは、元マネージャーとして良くないって思ってた。
でも、いつもならちょっと練習に参加したらすぐ帰るのに……あの時は最後まで残ってたんだよ。そして皆が帰った後、私が部室に居ると……どこからともなく現れた。
最初は何気ない会話。その後一緒にボールとか綺麗にしてくれて……意外と優しいとこあるのかな? なんて思った時だった。
『叶ちゃんも3年間マネージャーお疲れ様』
『叶ちゃんが居たおかげで皆イキイキしてたよ』
『叶ちゃんめちゃくちゃ魅力あるんだもん』
それはいきなりだった。唐突だった。だからこそ、それが耳に入った瞬間にあの不安が蘇って、言葉が詰まって…………気が付いたら手を触れられてた。
でもさ? 私はその魅力って言葉に……浮かれた。海以外に触れられたって事すら忘れて。
本当は海に言って欲しかった言葉。それを田川に言われたのに、心の底から望んでいたそれに反応しちゃって……手を触れられたのさえ心地良かった。気分が良かったんだよ? でもすぐに海の顔が浮かんで……手をどけた。
バカだよね? 冷静になったら私とんでもない事したんだって後悔した。だからそれ以降、部活では残らなかった、田川に会わないようにした。けど……あの日、今日で残りの道具を綺麗にしようと思った日……また田川が部室に来た。
私は前の事があったから、少し警戒はしてたんだよ? これは本当。適当に話し合わせて、早く帰ろうとしたんだ。でも……ダメだった。
その時の事は思い出したくない。けど、嫌なのに……消し去りたいのに……
鮮明に覚えてる。
『そういえばさ? 前も言ったけど皆木さんってかなり魅力あるよね?』
魅力って言葉は、いくら注意しててもその時の私には深く響いて……
『本当の事だけど? 雨宮にも言われない?』
『ん? なんかあったの? 雨宮って優しくないとか?』
優しくない……そんな訳ない。海は海は……
『海は……優し過ぎるんだよ』
そう口にした途端、思いっ切り引っ張られて……抱き締められた。一瞬の出来事で驚いて何が何だかわからなかった、どうしていいかわからなかった。そんな状態で、さらに耳元で言われたんだ。
『甘えていいかな?』
寒気がするくらい気持ち悪い。吐き気がする。
でもあの瞬間、私には……田川が海に見えた。
言って欲しい言葉、海に言って欲しい言葉。それを望むが余り、私の頭は勝手に都合よく……目の前の人物をすり替えた。
海……海……
抱き締められて温かくて、心地よい中で唇が触れて……もっと幸せな気持ちになれると思ってた。けど、それは違った。体を走る寒気に、口に感じる気持ち悪さ。
急いで体を離して顔をよく見たら、そこに居たのは……海じゃなかった。
体が震えた、胸が苦しくなった。
気持ち悪い笑顔を浮かばせた田川が、ゆっくりと私の胸辺りに手を伸ばして来て……寸前で逃げた。
あいつは、
『なんだ、つれないなぁ』
なんて軽く言って部室を出て行ったけど……私にとっては全然軽くなかった。
ははっ、めちゃくちゃ弱いよね? バカだよね? 本当に、昔の自分が嫌になる。けどさ? そこまで思い詰めるくらい好きだった。考えれば考えるほど悩んで苦しくなるくらいに海の事を思ってた。
でも、どうしたらいいのか……その時、私は進むべき道を間違えたんだ。
その後の私は最低最悪だったよ。この事海にバレたくなくて、偽るように普通に接してたんだから。それに応えてくれる海はいつも通りでさ? その反応が嬉しくて、安心して……いつしかあの出来事を記憶からなくそうとしてた。
結局あの後、田川が私に関わることはなかったよ。高校入って風の噂で耳にした話だと、田川のやり方はそれこそ優しく女の子に近付き、雰囲気の赴くまま同意を得た上で色々な事をするって感じらしい。自分にも非があるから相手の女の子も強く声に出せないんだって。実際、私もあのままズルズルいってたら……そう思うと寒気がする。
でもね? だからといって私のした事は許される事じゃない。海の事を裏切ったんだから。
それはいずれバレる。例え自分の記憶から都合よく消えていたとしてもね?
高校生活初日、海からの……
【ごめん、別れよう。それじゃ】
別れのメッセージ。
最初は意味がわからなかった。だから何度もストメして電話して……それすら繋がらなくなって、私は湯花ちゃんを頼った。
【特に変わった様子はないよ?】
その返事に少し安心はしたけど、やっぱり気になってさ? 留守電残して、学校終わったら海の家に行ったんだ。でも……いつまで経っても海は帰ってこなかった。
当たり前だよね。
海は帰ってくる訳がない。私に会いたい訳がない。
私の顔だって見たくなかった、声だって聞きたくない。
だって……
海は全部知ってたんだから。
思い出の公園、君に告白されて幸せな思い出しかない公園。そこで海と対峙した私は、全てを思い出した……と言うより、夢から現実へと引き戻された。
海の言葉に、徐々に露呈していく記憶。
頭の中を侵していく、あの日の光景。
そして、否定する事の出来ない行為と……海を裏切った事実。
その瞬間、私は私は……
最低で最悪でどうしようもない奴なんだって……気が付いた。
あの瞬間を海が見ていた事も、動画を撮っていた事も知らずに今まで通りの自分を演じてきた。
1人その事実に苦しんで、痛みに耐えてた海に気付かず、自分は都合の悪い事を全て忘れて……悠々と過ごしていた。
キスしてくれる事も、抱き締めてくれる事も、手を繋ぐ事も少なくなってた君を、受験が近いからナーバスになってるって都合良く決めつけて……今までの君だったら有り得ない行動に、何1つ疑問さえ持たなかった。
そんな人間を……クズと呼ばないで何と呼ぶんだろう。
そんな人間は……君の隣になんて居ちゃいけない。
近くにすら居てはいけない、汚れた存在。
ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……
何十回、何百回、何年、何十年言っても、思っても……それが意味をなすことはない。
ごめんなさい、お母さんお父さん。
顔を腫らして帰った時、心配してくれたよね。でも全てを話した時に一瞬見せた驚いた顔。迷惑掛けたよね? 軽蔑したよね? でも、ギュって抱き締めてくれた温もりは……忘れられない。
私は結婚しないと思う、花嫁姿見せられないと思う。その言葉にも、優しく頷いてくれてありがとう。その代わり……2人の事、ずっと見守るからね?
ごめんなさい、お兄ちゃん。
久しぶりに帰って来て、嬉しいはずだったのに。いつも優しいお兄ちゃんの表情を曇らせちゃった、ダメな妹です。だからこそ、お兄ちゃんには私の分まで幸せになって欲しい。何かに縛られる事なく自由に、楽しい一生を……棗さんと過ごしてね?
ごめんなさい、棗さん。
あの日、何も知らないとはいえ堂々と家に転がり込んで、彼女面してしまいました。本当の事を知ったら怒りましたよね? 私の事憎かったですよね? でも、久しぶりに顔を合わせた棗さんは、あの時と変わらず笑顔で……私に話し掛けてくれた。思わず泣いちゃった私を……抱き締めてくれました。嬉しかった、本当に嬉しかった。この温かさを、ちょっとずつでも返していきたいんです。だからこれからもずっと言わせてください。お義姉さん……
ごめんなさい……海。
信じられなくてごめんなさい。疑ってごめんなさい。不安になってごめんなさい。
今思えば、海は変わらずに私の事を思い続けてくれたんだよね? 女の魅力とかどうでも良い……小学校の時からずっと変わらない皆木叶が大好きだったんだよね。でも、海が好きだった皆木叶を消し去ったのは自分。海を裏切ったのも自分。そんな純粋な人の隣に居る資格なんてない、近くにすら居ちゃいけない存在。お兄ちゃん達が結婚するって言って、顔合わせた時も……私は海の顔見れなかった。言葉なんて全然出なかった。海の目に届かないところで、ずっとあの時の罪を背負って生きることが……私の償いだと思ってた。
でもね? 忘れないよ? お兄ちゃん達の結婚式の日、海と湯花ちゃんが私の前に来て……結婚するって言ってくれた事。そしてその時……
『叶、結婚式には出席してくれよ。義妹としてじゃなく……俺達の友達としてさ?』
って言ってくれた事。その後の事はよく覚えてないんだ。でもね? 胸が熱くなって……
『うんっ!』
自然と口に出してたのはハッキリと記憶にあるんだ。
……けど、海は許してくれても私は納得できないんだよ。これは多分死ぬまで消えないと思う。だから、一生かけて償うよ? お義兄さん。
そしてごめんね? 湯花ちゃん。そしてずっと友達で……親友で居てくれてありがとう。
私はあの日、湯花ちゃんを利用した。その理由聞いたら怒るし、友達辞めたいって思うよ? けど、湯花ちゃんは違った。中学の時と変わらない姿で……それからもずっと私と接してくれた。その当たり前の行動は私にとって、とても嬉しかったんだよ?
だから……あの公園で、湯花ちゃんが海の事好きって言った時も……悔しくなかったんだ。むしろ嬉しかったんだよ。湯花ちゃんなら、変わらない明るさで常に海の事支えてくれるって思ってさ? 私とは違うって……自信があった。
それに大会の日とかも教えてくれたよね? 最初は隠れて見に行ってたのに、湯花ちゃんにことごとく見つけられて……観念しちゃった。高校3年間で2人共凄いプレーヤーになってさ……ホントに凄いよ。また2人で遊びに行きたいよ? また美月と育美と4人で旅行に行きたいよ? 今は難しいけど今度は……温泉かな。でも……お互いお酒は程々にしようね?
ねぇ湯花ちゃん? 本当にありがとう。親友で居てくれて。あと、私なんかが言う事じゃないけどさ、 お願いだよ?
……一生幸せで居てね?
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「もうっ! 3人目だからって、なんでスクワットなんてしてるの! そもそも、おしるしがあったから急遽ここに入院したんだよ?」
「ごっ、ごめん叶ちゃん。でもその後陣痛来ないから暇で……」
「だからってダメなものはダメですっ!」
「えぇぇ」
「とうかぁ?」
「いやぁ……そのぉ……」
「とーにーかーく! 絶対安静! 今は湯花ちゃん1人の体じゃないんだからねっ!」
「はっ、はい……」
「運動なんてダメ! 絶対ダメ! 本当にもう……何かあったらすぐ呼んでね?」
「はぁい。ありがとうね? 叶ちゃん」
はぁ……本当変わらないなぁ。最初は双子だったから、今回は少し楽なんだろうけど……ダメダメ! 絶対にダメ!
……赤ちゃんかぁ。本当は私が……って何考えてるの。それを潰したのは自分でしょ? それに自分でも分かってるはず……
海を越える人なんて居ない。
それに、私自身がまだ納得してないだよ? いつまでかかるか分からない。もしかしたら一生……私は償い続けなきゃいけない。
3人で話せる様になったのは、笑い合える様になったのは嬉しいんだよ? でもね……
この思いだけは貫かせて欲しいな。
それに、あれからこの年まで誰とも付き合った事ない女なんて、逆に怪しいでしょ? そんな人に近付く物好きも居ないだろうしさ。けど、後悔はしてないんだ。
これが私の運命なんだから
さて、そうと決まれば仕事仕事。今日の混み具合はどうかな……って、相変わらず受付は凄い人だなぁ。こりゃ今日も……
「あのーすいません」
「はい?」
って! なにこの人! 金髪? ちょっとチャラそう……
「ちょっとお聞きしたいんですけど、院長室はどこでしょう? 受付の方は忙しそうで……」
いっ、院長室!? なにこの人? 私と同じくらいの年かな? でもその風貌から院長の知り合いって訳でもなさそうだし……怪しい!
「えっと、失礼ですが……どちら様でしょうか?」
「あぁ! これは名乗りもせず申し訳ないです」
はぁ……朝から湯花ちゃんは予想通り無茶な事してたし、目の前には何やら怪しい人。
「初めまして、今日からここでお世話になります」
まぁ、いつもの事だけどさぁ……
「精神科医の御神本と申します」
今日も1日……頑張ろうっと!




