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呼応  作者: はじめ
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何もしなくても生きてていいのだと、やっと骨身に沁みて理解した。生きていけるかどうかはまた別の話で。


どんなときもいつも背後にピタリとくっついて、湧き上がるような寒気を発して私の心身を縮こまらせていた通称"不安"という生き物は、いまや毛足の柔い毛布になって必要なときだけ肩や頭に掛かって私を温めてくる。

幸運な人が生まれながらに持っている毛布を私は持っていなかったから、ヘルニアという文字通りの地獄を迎えて、勝手に涙が流れるほどの痛みにのたうちまわっているうちに、一種の防衛本能や生存本能か、火事場の馬鹿力の類なのか、知恵の輪が解けた時のように、あっと合点がいった感覚の後に、背後にピタリと付いていた不安が自前の毛布になり変わって、気付けば自分の手に握られていた。その毛布を見て、私は新鮮な驚きを持って、なんだこんなところにあったのかと拍子抜けしつつ、毛布の温い手ざわりを確かめてみたりした。

初めて手にした毛布の威力はなかなかで、ヘルニアの、神経に直接響く酷い痛みの中であっても、ふっと肩や背に掛かればそこからふつふつと温まって、うへへと変な笑いが出るほどだ。

"不安"という生き物は、不安を与えてくるだけとはいえ、誰よりも近くずっと私の側にいて(私が、一人きりだと錯覚して震えていたときも)、その存在を自覚して以来はそれなりに親近感を持っていたものだから、いざ毛布に変わって馬鹿素直に温められると何か気恥ずかしいし、寒気の代わりに暖気が来るようになって、自分はこれまでとは別の人間に変容したりするのだろうかと、未知の感覚に気を揉んだりもしたが、今のところ自分の外向きの行動や態度には何も変わったところはないように思う(しいて言えば背筋が少し伸びたような気はする)。

内向きのことで言えば、いつ何時最期のときが来ても、一抹にも不安に思うところがなくなったというのがある。それというのは、最期に差し掛かるにあたっては、全ての生の苦しみから解放されるのは結構なことだが、その前に生命が途絶える寸前にはやはり何かしら身体的に耐え難い苦しみがあるのではという懸念と恐れがあった(すごく苦しいとか、すごく痛いとか)。しかし毛布を手にしてからは例えその懸念の通りであったとしても、まぁいいか、程度に楽観できるようにはなっている。なぜかと言えば、例え耐え難い苦しみが起こったとしても、そのときにはヘルニアで威力実証済みの強力な毛布がふわりと全身を覆ってくれることが決まっているからだ。それは恐らく、もしも最期の日を迎えようとしている人を眼前にしたならば、最期くらいは労いを込めて温い毛布でふわりと覆ってやりたいものだと私が思っているからに違いない。


日が昇る頃に寝て、日が沈む頃に起きて、たらたらと夕方の近所を散歩する。蒸した空気の隙間に紛れ込んだ秋風を見つけてにやりとする。遠く、背後でポンポンと花火の上がる音がする。振り返って見れば厚くねずみ色の雲が広がっている。日没直後の薄明かりに滲んだ水墨画は、じわりじわりとゆっくり滲んだり、濃くなったりしながら流れていく。ポンポン音の鳴る風変わりな画をしばらく眺めて、家に帰る。


「君が先に死んだら、君の神様によくよくよろしく祈り倒してやるから、私が先に死んだら覚えた経のひとつでも読んでくれ

好みは般若心経だ」


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