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プロローグ~とある宿屋店主のモノローグ~

 イートン伯爵領にあるアイビーヒルは温泉の湧く街だ。多くの宿が立ち並び、湯治を目的とした旅人が多く訪れる。

 その温泉宿の中でも老舗にあたる【切り株亭】で、白の調理服に身を包んだ男が大きなため息をついていた。

 名前はレイモンド=ネルソン。一応、ここの店主である。一応と前置きするのは、彼がこの店を任されたのが、ほんの数日前だからだ。


 老舗とはいっても【切り株亭】は大きな宿屋というわけではない。大部屋二つと個室十部屋を有し、お風呂は男女別に分かれた温泉、食事は併設の食堂【切り株の集い】でとる。何度か修復を加えられた外装はつぎはぎの様相を呈していて、素朴さはあれどおしゃれ感はない。

 新しい宿屋が次々建設される昨今、泊り客は激減し、宿屋よりも食堂の収益でなんとか経営を維持しているような状態だ。


 当然、多く人を雇う余裕などあるはずもなく、レイモンドと義父と母で構成されるネルソン一家と、通いの従業員であるランディとチェルシーのふたりを加えた、合計五人少数精鋭で成り立っていた。


 もともとの店主は義父だ。レイモンドはまだ子供の頃に母の再婚でこの宿屋の息子となった。そのうち料理の才能を見いだされ、調子に乗せられ食堂の料理担当になったのが八年前の二十歳のとき。


 レイモンドの料理は、絶品だった。肉を焼けば、表面はカリカリとしつつ、ひとたびナイフを入れれば肉汁が飛び出すと評判だったし、素材のうまみをしっかり引き出したスープに、ごろりとした具材が残る煮込み料理はリピートを求める客が後を絶えなかった。

 この八年、新しい宿屋に押されつつも何とか【切り株亭】を維持していられたのはひとえにレイモンドの調理の腕のたまものである。

 自然に、レイモンドは食堂、義父は宿という役割分担が出来上がっていた。


 それなのに一週間前、宿に届いた一通の手紙によって、事態は急変した。


 内容は、二つ隣の町に住む母の両親が倒れたというものだ。夫妻は【切り株亭】をレイモンドに任せ、看病に向かった。すぐに戻ってくるだろうと高をくくっていたレイモンドだったが、祖父母の容体はかなり悪く、日常生活に介護が必要な状態だということが分かった。

 ならば母だけ残して父は戻ってこればいいと思うのに、しばらくこっちに住み込むという手紙をよこした。


【すまないが、切り株亭のことは頼んだ】


 という義父の文面を見たときは若干呆れた。

 歴史ある宿屋だと、胸を張っていたのは誰だったのか。いきなりふたりの人手を失えば、この宿が立ちいかなくなることくらい、経営者なら分かっているだろうに。


 だが、だからと言ってすべてを放置できるほどレイモンドは無責任ではない。

 途方に暮れつつも、飯時は料理、空いた時間で清掃、リネンの整備等眠る暇もなく働いている。


「くそみたいに忙しい……。ああもう、過労で死んだらどうすんだよ」


 ちっと舌打ちしながらつぶやくと、対面のカウンターから朗らかな声が聞こえてきた。


「だから、この店を閉めて屋敷の料理人になればいい」


 聞こえていたのか、とレイモンドはげんなりする。


 目の前のカウンターに座っているのは、男の二人組だ。やたらにキラキラした金髪たれ目の美丈夫が、この街を治めるイートン伯爵の子息、ケネス。もう一人の夜のような黒髪を有し、頬杖をついて涼やかな緑色の瞳をこちらに向けるのが、彼の従弟だというザックだ。


「ケネス、レイモンドが嫌がっているよ」


「嫌よ嫌よも好きのうち、だろう。こんなに熱烈にラブコールしているというのに、どうして頑なにここで料理人をすることにこだわるのかな、レイモンドは」


 気持ち悪い言い方をするなよ、と心の中で毒づきつつ、伯爵子息に礼を失するわけにはいかないので、レイモンドは勤めて冷静に返答する。


「百年近い歴史を持つ宿を、そんなに簡単に閉めるわけにはいきません」


 金髪のケネスと黒髪のザックという見目麗しいふたりの精悍な青年の組み合わせは、宿屋の客の目を引く。

 誰に聞かれるとも知れないのだから、宿の経営に関する不穏な話などしたくない。


 ケネスは、すぐ近くに屋敷を持つ、イートン伯爵の子息だ。当然、宿屋の客ではないのだが、レイモンドの料理をことのほか気に入っていて、自領にいる間は毎日のように通ってくる。


 先日もケネスの二十二歳の誕生日を祝うため料理を作るようわざわざ注文された。余剰従業員がいないから無理ですと言えば、手伝いとして伯爵邸の料理人を五人も送り込んできた。助かったが釈然としない。しかし、そういった臨時の仕事がこの宿を支えているのも事実なので、甘んじて受けているのが現状だ。

 ちなみに、ザックも同い年らしい。働き盛りの年齢なのにこうしてプラプラしているとは、貴族のおぼっちゃまがたはのんきなものだ、とレイモンドは思う。


「だってレイモンドひとりでここを経営するのは、現実的に無理だろう」


「ひとりじゃありません。ランディとチェルシーという従業員がちゃんといます」


「どちらにしろこの規模の宿屋を三人で切り盛りしようというのは無理がある。閉めるのが嫌なら、他にも人を雇えばいいじゃないか」


「そう簡単ではないんですよ」


 レイモンドは再び舌打ちをする。不敬なのは百も承知だが、咎められることはないと分かっていての行動だ。この調子のいい伯爵ご子息は昔馴染みなので、なんだかんだとレイモンドに甘い。


「新しい従業員に仕事を教えるには、それだけ余剰人員が必要なんです。ランディもチェルシーにもそんな余裕はありませんよ」


「お前、そんなこと言ってたらそのうちつぶれるぞ」


「ケネス、いいじゃないか。そうなればレイモンドに伯爵邸に来てもらえば」


「あ、そうか」


「ちょ、ザック様! 余計なこと言わないでくださいよ」


 軽口をたたきあう高貴な青年たちにレイモンドはあきれる。

 お気楽なお貴族様と一緒にされたら困るのだ。

 義父がいない今、レイモンドは経営者だ。従業員の生活も彼の肩にかかっているのだ、適当な決断はできない。

 だが、たしかに、仕事が回らないのは事実だ。早急に即戦力となるような人材を雇い入れたい。


 その時、入口の扉がゆっくり開いた。


 中に入ってきたのは、緩く波打った金髪の丸顔の少女だった。琥珀色の瞳がキラキラときらめいている。

 一瞬懐かしいと感じたが、よく見れば見覚えのない少女だ。何の勘違いだ? と頭を振ったレイモンドは一瞬声を出すのが遅れた。


「……いらっしゃい」


「えっと、あの。この宿のご主人様はいらっしゃいますか?」


 おずおずとだがはっきりとした口調で、その少女は入ってくる。清楚な薄緑色のワンピースは庶民が着るものとデザインはそう変わらないが、生地の光沢が違う。

 この【切り株亭】に泊まる人間は庶民が多いが、レイモンドの料理の腕のおかげで食堂には貴族や高級商人もやって来る。おかげでレイモンドは人を見分ける目は肥えていた。

 この令嬢は、明らかにそちらに所属する人間だ。


 だとすれば、保護者と思しき人間がついていないことが気になる。

 少女にはまだあどけなさが残り、成人とはいいがたい。否、仮に成人だとしても貴族ならば、年頃の令嬢をひとりで歩かせるような真似はしない。


「やあ、可愛いお嬢さん。この宿の主はこいつだよ」


 ケネスが優雅な所作で女性を招き入れる。

 荷物は大きな車輪付きのスーツケースが一つだけ。宿屋に入るときに外したのか大きなつばのある帽子を手に持っている。


 お客ならチェルシーが、と思いつつ、降りてこないところを見れば二階の部屋の掃除で手一杯なのだろう。

 レイモンドは仕方なく厨房から出てくる。


「はいはい。お客さん、泊り?」


 大きな鞄もあることから旅行客かと思い、そう声をかけたが、彼女は予想外なことを言った。


「あのっ、私をここで使っていただけませんか!」


「は?」


 レイモンドは呆気に取られて黙り込む。

 これが、彼女――ロザリンド=ルイスがこの街にやって来た最初の日のことだ。


 なお、申し添えておけば、この物語の主人公は、ロザリンドことロザリーであり、レイモンドは物語の傍観者に過ぎない。



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