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女優退場  作者: 滝川 聖
8/23

第三幕(1)女優の寝室

 ロボット心理学者の手配をした後彼らは殺人現場の検証にとりかかった。

 女優の寝室だというその部屋は邸宅の最上階に位置していた。

 さすがに主の部屋らしく調度品もファブリックも一目で最高級品とわかるものばかりが置かれている。

 マイトに案内されて室内に足を踏み入れたケインはその場で立ち止まった。

 ほの暗い部屋中に甘い香りが満ちていた。それは部屋の真ん中に置かれている天蓋つきの豪華なベッドから香ってくるものだった。

 ベッドの上に何かがたくさんのバラの花に埋もれて横たえられている。


「ケイン?」

「ああ」


 リルにうながされてケインは小さく頷いた。

 彼は一度拳を握るとベッドに向かって歩き出す。

 部屋の入口から枕元までケインの足で約十歩ほどの距離。普段ならば何気なく進むであろうその距離がケインにはとてつもなく遠く感じられた。

 急ぎすぎず、遅くもならず、意識して歩を進めたケインはベッドの横で立ち止まった。

 それを包むように配置されたバラをかき分け、白いシーツを無造作にはぐ。


「ルイザ・ローゼンシュバルツ」


 その名をつぶやいたのはリルだったのだろうか、それともケインだったのだろうか。

 ルイザ・ローゼンシュバルツ、『銀河系最高の女優』。

 その彼女が今ここでねむっている。

 そう、それはまさに『ねむっている』と表現するしかない死体だった。

 うっすらと笑みすら浮かべているように見える唇は赤く、青ざめてはいるがみずみずしさを保つ肌は触れた指を押し返しそうだった。

 ケインはふいに古い童話の主人公――確か、継母に毒リンゴを食べさせられて死んだお姫さま――を思い出した。

 物語がハッピーエンドだったのは覚えているのだが、あのお姫さまはどうやって生き返ったのだったのだろうか?


「おい、ケイン」


 またもや動かなくなってしまった同僚にリルは声をあげる。


「すまない、始めようか」


 夢から覚めたような表情で謝るとケインは女優の身体を覆っていた布を全部はぎ取った。

 彼女は古い型の白いドレスに身を包み、胸の上で軽く手を組み合わせていた。組んだ手の中に凝った細工のナイフが握らされている。

 ケインはルイザの華奢な手からナイフを抜き取った。

 ちょうど片手に収まってしまう大きさのナイフは冷たい光を放ち、不吉な印象を彼に与えた。

 肉眼で見る限りには血痕など確認できなかったが、それほど強度のない刃の部分が少し欠けている。


――この重量や触感は、銀製か?


 心の中で材質を推測しながらケインはナイフを観察する。

 刃渡りは15cm、幅は約4㎝程度。柄の部分には凝った細工までされている。

 このように天然の素材を用いた上に作りも繊細なナイフは高価なものだろうと思われた。もしかするとかなりの年代物なのかもしれない。

 だがこのナイフは美術品としての価値は高そうだが、人を殺傷する能力はさほどではないように思える。となると、なぜこのナイフを凶器に選んだのか、ますます疑問がわいてくる。

 ナイフをひっくり返したケインは柄の部分に掘られた紋章に気づいた。

 7つの角のある星とAの飾り文字が絡んでいるマーク。

 それをどこかで見たことがあるような気がして、ケインはリルを呼ぶ。


「リル。この紋章に見覚えがないか?」

「ん? どれ」


 問われたリルはのぞき込むように彼の手元を見た。


「ん、んー?」


 彼女も思い当たることがあるのか、唇に指をあてて考え込む。


「ああ、確かにどこかで見たことがあるような気がする。それも何かあまりよくない感じのことで。んーここまで出かかってんのに思い出せねぇな」


 と、喉元を押さえてリルは悔しそうな顔をした。

 その表情に、少しだけケインの顔が和む。


「まぁ、いい。とりあえずこれはあとで鑑識に回そう。これだけ珍しいナイフだからな、すぐに入手ルートもわかるだろう」


 そう言ってケインはナイフを保存用の袋に入れ、スーツの内ポケットにしまい込んだ。

 続いて彼はルイザ・ローゼンシュバルツの死体に向き直り、ドレスの胸元を大きく開いた。

 わずかに赤い染みをつけるドレスの下に、彼女は何も身につけてはいなかった。

 美しい乳房がこぼれ落ちる。シミひとつない左の乳房のやや中央よりのところに、細い傷跡が残っていた。

 ケインは指先でその傷に触れた。傷の幅、長さともに先程のナイフとほぼ一致する。やはり、あれが凶器でまちがいないようだった。


「さっきのナイフで心臓を一突きか。これならあまり苦しまないで死ねただろうな」


 リルも同じ意見のようだった。


「そうだな。だがその前に彼女は薬か何かで眠らされていたりしたんじゃないかな」

「どうして?」


 リルの問いにケインはルイザの腕を持ち上げて見せた。死後まる二日はたっているはずなのに、奇妙なほどスムーズに動く身体に、ケインは軽く眉をひそめる。

 ほら、とケインは傷ひとつない手のひらとしなやかな腕をなぞる。


「抵抗痕や苦しんだあとが一つもない。たとえ自殺でも意識があれば多少は苦しんだような形跡が残るだろう」

「じゃあ、やっぱり他殺なんだ」

「絶対とは言い切れないが、多分そうだろう」


 ケインはそう言うとルイザの服をもとに戻した。

 それを見ていたリルが突然ドレスに付いていた染みに鼻を近づけた。つんとした香りは、あきらかに血液のそれではなかった。


「ああ、やっぱりこれ、血じゃないんだ。他にはいっさい血がこぼれたあとが無いから変だと思ったんだ」

「そう言えばそうだな」


 二人はベッドの周りをざっと見回した。

 殺人の現場だったはずなのに、血の一滴どころか塵一つ落ちていない。余計なものも片づけられ、そこはすでに女優の死を悼むための部屋と化していた。


「アーサーが片づけたのか」

「いえ、それは違うかと思いわれます」


 ケインのつぶやきに、控えていたマイトが答えた。

 マイトはぎくしゃくとした足取りでベッドに近づき、今朝がた摘んでいたバラをルイザの顔の周りに飾った。そして放りだされていた彼女の腕を最初と同じように組ませ、シーツをかけた。

 本来ならば部外者に現場を触らせることは許されないことなのだが、ケインもリルも今回だけはそのセオリーをを無視した。

 二人の気遣いに一礼をし、マイトは話を続ける。


「ご主人さまのお体を清めたのはアーサーかもしれませんが、汚れたシーツや血痕などを片付けたのは掃除用の機械たちでしょう」

「ああ」


 リルのまき散らした髪の毛や、アーサーの三原則を確認するためにわざと流した血を即座に片付けていた掃除機械を思い出してケインは軽く頷いた。


「でもそれって、自分の主人の血を掃除機械たちは『汚れ』ってみなしたってことなのか?」

「おそらくは」

「うへぇ」


 あの機械たちはルイザが死を迎えようとするその傍らで、流れ出る血をせっせと片づけていたのか。

 想像力の豊かなリルはひどくいやそうな顔をした。


「あれらにはそのような高度な判断はできませんから」


 そう答えたマイトの顔はロボットであると言う以上に無表情だった。

 感知し得なかったことだとはいえみすみす主人を死なせてしまったという事実が、マイトの知能回路にかなりの負荷を与えているのであろう。


「紅茶でもコーヒーでも、たとえご主人さまの血液でも、『床にこぼれた液体は手早く拭き取る』『汚れたシーツは取り換える』というのが、あれらに与えられた命令ですから」

「よく死体まで片づけてしまわなかったものだ」

「『死体』は汚れとしてプログラムされておりませんから。あるいは、アーサーが命じたのかもしれませんが」


 皮肉めいたケインの言葉にも、マイトは律儀に答えた。


「って、ことはここにある機械たちはお前以外の命令も聞くって事かい?」

「はい。自働機械のみならず、私たち人工知能を持つものはより高次なものの命令を聞くように作られております」

「高次の、もの」


 リルはよく分からないと言うように小首を傾げた。


「家庭用機械よりは自働機械。自働機械よりはロボット。ロボットよりは人間。と言う具合に、私たちにはそれ相応の順位付けがなされております」

「…もちろん、人間にも順位がつけられているんだろう?」


 ケインが途中から口を挟んだ。


「おっしゃるとおりです。命令の内容にはよりますが、やはりご主人さまの命令は私たちにとって最高位に属します」

「そうか」


 突然興味を失ったようにケインはマイトから視線をはずした。


「じゃあ、ルイザの命令でここを機械たちが片づけたとしたら、やっぱ彼女は自殺だったってことじゃねぇの」

「そうだとして、アーサーの言っていることはどうやって説明する?」

「それはさぁ、それは主人の死に接したために、知能回路に異常をきたしたとかさぁ」


 リルはわざと語尾をのばす子供のような口調で反論した。

 しかし、対するケインのいらえは冷たかった。


「馬鹿。給料分くらいは働け」

「だよなぁ」


 自分でも無茶な結論だとは思っていたのだろう。リルは軽く肩をすくめると窓際に向かって歩き出した。


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