第二幕(3)女優の邸宅
「は?」
予想外の答えに、リルは間の抜けた声をあげた。
瞬きを繰り返すリルに微笑みかけ、アーサーは語り続ける。
「私はルイザを愛していました。愛ゆえに私は彼女を殺したのです。いえ、殺したというのは形骸的なものでしかありません。私はただ、彼女の魂を古き器から解放しただけのこと。魂の解放こそがルイザの真の望みで唯一の救いでした。そして彼女の望みを叶えることこそが私の愛なのです」
これが普通の人間であれば狂っていると言われてもおかしくない言葉の数々が形のいい唇からこぼれおちる。
――だけど、これほどまでの美形が言うとまるで映画のセリフのようで妙な説得力があるな。
と、少し持ち直したリルは妙な感心をした。
だがそれにしてもロボットがここまで不合理な事を語るのははじめてだ。
彼女はぼりぼりと頭をかき、ケインを見た。
ケインは無表情にアーサーを見ているだけであった。
「どうする、ケイン?」
彼女が問うとケインの青い瞳がこちらに向けられた。
「そうだな、僕もこんな展開は少しも予想していなかった」
「ホントだよなぁ」
頭を抱えるリルの横で、どこか憮然とした様子でケインは額を指先でたたいた。
それから彼はレコーダーのスイッチを切ってマイトを呼び寄せる。
「マイト」
「はい」
まだバラを抱えたまま近寄ってきたマイトにケインは手をのばした。そこから摘んだばかりのバラを一本引き出す。
「マイト。僕から離れろ」
「かしこまりました」
三原則に抵触しなければどんな命令にすら従うよう作られているマイトは、疑問すら口にせず彼から離れていく。
「ああ、そこでいい」
5~6メートルほど離れたところで、ケインはマイトを止めた。それから彼は手したバラの香りを嗅ぐ。
花の種類には詳しくないケインにはその赤いバラが何という名かはわからなかったが、甘い芳香を楽しみ、次いでアーサーに視線を向ける。
「アーサー」
「はい」
今度はアーサーが従順に返事をする。
「きれいなバラだろう?」
「はい、そうですね」
「これは香りもいいんだ。かいでみろ」
やはりロボットであるアーサーも素直にその命令に従った。
指先でそっとバラに触れ、やや目を伏せてバラの芳香を楽しむ。
アーサーはそんな仕草すら美しく、そしてどこか芝居じみていた。
それをケインはただ無感情に見下ろしている。
「何やってるんだ? ケイン」
ケインの突然の行動に人間であるリルだけが不思議そうに聞いてくる。
「まあ、見ていろ」
そう言ってケインは薄く笑った。
顔の筋肉だけで笑っているようなその笑顔にリルは何かよくないものを感じる。なまじ顔立ちが整っているだけによけいに怖いと思う。
ケインはリルのもの言いたげな視線を無視して言った。
「アーサー。このバラをお前にやろう。うけとれ」
「ありがとうございます」
アーサーがバラを受け取ろうとより身を乗り出した瞬間、ケインは摘むように持っていたそれを握りしめた。
「ケイン!」
とっさに叫んだのはリルであった。
その時には彼の手はアーサーによってつかまれ、無理矢理ひろげられていた。
「何をなさるのですか!」
離れていたマイトもあわてて駆け寄ってくる。
「アーサー。見ろ」
ケインは顎をしゃくって自分の指先を示した。
ぽたり。
バラの刺によって傷つけられた指から真っ赤な血が滴り落ちる。それは1滴、2滴と床の上に丸い血痕を残した。
「っ!」
その光景にアーサーはまるで自分自身が傷つけられたように顔をゆがめた。
苦しそうに息を吐き、それでもケインの手を離さない。アーサーはポケットから取り出したハンカチでケインの指をおさえた。
その反応はロボットとしては正しいものであった。
人間が傷つくのを止められなかったことに動揺し、それでもまず人間の傷の手当をする。少なくともその部分に関しては、アーサーに焼き付けられた三原則はちゃんと機能していると言ってもいいだろう。
「驚いたな。狂ってないじゃないか」
まだ己の手を押さえているアーサーを振り払うと、ケインは傷ついた指先を口に含んだ。
彼の足下ではどこかから現れた掃除機械が床に落ちた血痕を拭い、血で汚れたハンカチを回収しているところであった。
「ケイン!」
血の止まったことを確認しているケインのネクタイを、リルが引いた。
「何やってんだ!」
「実験だよ。このロボットの三原則がきちんと機能しているかどうか知りたかったんだ」
「お前、たったそれだけのことを試すためにこんな事をしたのかよ?」
彼女の見上げる目が、非難するように揺れている。
その瞳に向かってケインは先ほどと同じ口元だけの笑みを浮かべてみせた。
「そうさ。人間を愛しているなんて馬鹿なことを言うロボットだから、どこまで狂っているか試してみたかったんだ」
「…その様な事でご自分を傷つけるのはお止めください」
離れていた分だけアーサーよりショックの少なかったマイトが心配するように言った。その表情はこわばり、やけに機械めいて見えた。
マイトに至っては、喉に手をあてたまま動かなくなっている。
「そうだな、悪かった」
少しも悪くなさそうな調子で言うと、ケインは再びレコーダーのスイッチを入れる。
「見た通りアーサーにはちゃんと三原則が焼き付けられている。それがどうして人間を殺せたのか、人間を愛しているなんて言い出したのか、僕には分からないし手に負えない。だからこれは提案なんだが、専門家を呼んだらどうだろうか」
「ロボット心理学者をか?」
「ああ」
少し嫌そうなリルにケインは深く頷いた。
ロボットがより精巧になり、その知能回路や感情回路がより複雑になるにつれてロボットの心理状態を科学するロボット心理学が脚光を浴びるようになってきた。
犯罪捜査においてもその重要性は認められ、近年のロボット犯罪においてはロボット心理学者の協力なしに事件の解決はありえないとまで言われるようになっていた。
だがロボットの心理に詳しいと言っても学者はあくまで学者である。現場をしきる刑事たちにとって世間知らずの学者はかなり煙たいものであるのも事実であった。
「うーん」
リルは腕を組み、しばらく考え込んだ。それからほっとため息をつくと顔を上げる。
「ま、いいんじゃないかな。もとからこんな事件を俺たち二人だけで調査しろって事自体が無茶なんだしさ。それくらいの協力はお偉方だってしてくれるだろ」
「ただし」
と、リルはケインの鼻先に握った拳を突きつけた。
「もし今度あんなことをやったらその時は俺がお前をぶん殴るからな」
真剣な彼女の瞳にケインの表情が和む。ケインは彼女の拳に己のそれを軽く合わせた。
「わかったよ」
「よし」
微笑みあう彼らの足下を、掃除を終えた機械がかすかな音を立てて通り過ぎていった。