第二幕(1)女優の邸宅
ケインたちが女優の邸宅についたとき、夜はすでに白々と明けかかっていた。
高級住宅街で名を馳せるビバリーヒルズの中でも最も地価の高いと言われている一角に、ルイザ・ローゼンシュバルツは屋敷を構えていた。
「広い家だな」
門から車で数分進んでやっとたどり着いた屋敷を見た瞬間、リルは口笛を吹いた。
人口の増加と自然の保護が問題となっている昨今。人々は居住区として定められた地域で折り重なるようにして暮らしていた。年々高層化するマンションやビルたち。地下も地下鉄や網の目のように走るケーブルのために固められ、街は無機質な景観を作り出していた。
そんな時代においてむき出しの地面の上に住むことは最高の贅沢の一つになっており、それは限られた人間たちの特権ともなっていた。
もちろん銀河の大女優、ルイザ・ローゼンシュバルツもそんな特権階級の一人だ。
中世の城を思わせる広大な屋敷と、手入れの行き届いた庭。庭には咲き誇る花々や木々が植えられ、小さな噴水や温室までありさながら植物園か公園のような様相を呈していた。
ケインは屋敷の入り口のところで車を降りると、辺りをぐるりと見回す。
「空が近いな」
視界をさえぎる建物が無い分、上には見渡す限りの空があった。頬に当たる風も心地が良く、ケインは深呼吸をして朝の冷たい空気を肺いっぱいに吸いこんだ。
「しかし静かだな」
あまりの静けさにケインは首を傾げた。
さきほど車が門扉にさしかかったときに扉は自動で開かれたのだ。誰か門を操作した者がいるはずなのに、あまりにも人気が無さすぎる。
「ケイン。あれ」
その時、リルが彼を低い声で呼んだ。
彼女が示す方を見ると、男が一人こちらに向かってくるところだった。
「ここの使用人かな」
「どうかな」
耳打ちしてくるリルに小声で答え、ケインはわずかに緊張して身構えた。
その男は両手に大輪のバラの花束を抱え、ケインたちの姿を見とめても別段急ぐことなくゆっくりと歩いてきた。
年齢は六十代くらいだろうか。その足取りや品よくなでつけられた銀の髪、一分の隙もなく着こなされたスーツなどが、彼をいかにも良家に使える者らしく見せている。
彼はケインたちの前に立つと深々と一礼してきた。
「失礼ですが、お名前を伺ってもよろしいでしょうか」
その姿に違わぬ深い響きの声で問われ、ケインは困惑した。
あまりにも男の立ち居振る舞いや声が穏やかすぎるのだ。
ここは殺人があった現場ではないのか?
もしかしてこれは何かたちの悪い冗談で、このドアを開けると笑いをこらえたデニスや警察署の仲間たちがいたりするのではないか。
と、現実逃避にも似たことを考えてしまう。
だが、そんなことをされる理由もないし、冗談にしては仕掛けが大掛かりすぎる。
男に違和感を覚えながらもケインは身分証明書も兼ねたIDカードをとりだした。
「ロサンジェルス市警、ロボット犯罪課のケイン・マクドナルドと申します」
「リルレイン・ランダース」
横では彼にならってリルもIDカードを提示している。
「――ああ」
そんな彼らに男は少しばかり芝居がかった仕草で頷いて見せた。
「お待ちしておりました。私は当屋敷の管理を任されているものでございます。ケイン様たちの捜査には最大限に協力するよう、生前の主人から申しつかっております」
『生前の主人』と、彼はきっぱりと言った。
「あなたは、ルイザが死んだのを知っているのか?」
それにしては落ちつきすぎてはいないかと、言外に非難を込めたケインの質問にすら男はよどみなく答える。
「はい。主人が殺害された現場に居合わせたわけではございませんが、主人からの命令で警察に連絡と手紙を送ったのは私です」
「命令?」
彼の言葉にケインは違和感を覚えて目を細めた。
『命令』という言葉は人間の使用人もよく口にするが、ここまでその単語を大切に発音するだろうか?
違和感のもとを探そうとよくよく見直してみると、その男が棘のついたままのバラを平気で抱えていることにケインは気づいた。
「お前、ロボットか…」
「え?」
ケインの言葉にリルもはっとしたように男を見上げる。
男は――『それ』はさも思い出したと言わんばかりの仕草で片手をあげた。
「申し遅れました。私は登録番号B-6824、個体名をR・マイトと申します」
マイトと名乗ったロボットの言葉にケインは操作資料に書かれていた内容を思い出す。
ルイザの邸宅に登録されている居住人数はわずかに一人。彼女以外の人間は使用人すら登録されてはいなかった。
だがそれはただの住民票上のことだろうとケインは思っていた。
使用人やその他少なくない人間がこの地にはいて、女優にかしづいているのだろうと。
それこそロボットで事足りるような仕事に対して『人間を雇う』というのがいわゆる特権階級のひとつのステータスとなっているからだ。
現にそのような者たちの捜査にあたり、登録にない人間の存在を何度もケインは目にしてきた。
だからこそ周囲の静けさに彼は違和感を覚えていたのだ。
「ここには本当に他に人間はいないのか」
「はい、こちらに住んでいらっしゃるのはご主人様お一人だけでした」
念を押すように問うケインに対しロボットはそれを簡単に肯定する。
「『銀河で最も美しい女優は男と同じベッドでは眠れない』だったっけ」
マイトの答えにリルはひゅーと口笛を吹いた。
「前にギャラクシィボーイで読んだ記事もあながち嘘じゃなかったんだ。中々もやるもんだねぇ」
「リル」
愛読書でもある低俗な男性向け週刊誌を誉めるリルをケインは軽くたしなめた。
「悪ぃ」
さして悪く思っていないのがありありとわかる仕草で謝るリルに、マイトは苦笑を浮かべた。
「いえ、さすがにそのような事実はございません。ただ、ご主人様は人と接する機会の多い職業でしたから、プライベートくらいは人の目を感じないでいたいとはおっしゃっていられました。ええ、近年はその傾向が強くなっておりまして、休日はほぼおひとりで過ごされていました」
目を伏せ、少しだけ眉を寄せて困ったような表情を作るマイトにケインはどこか空々しいものを感じる。それはやはり目の前にいる男がロボットだと知ったせいだろうか。
居心地の悪い白々しさに耐えられず、ケインは声をあげた。
「屋敷に入ってもいいだろうか。一応捜査令状は持ってきているが確認するか?」
「提示の必要はございません。ご主人様はケイン様が捜査に来た場合にはご自由にさせるようにとおっしゃっていられました。すぐにご案内いたします」
屋敷へと向かいかけて、マイトは足を止めた。
「ところで、どちらからご案内いたしましょうか」
「どちら?」
いぶかしげに眉をひそめるケインにマイトは穏やかな顔で物騒な言葉を口にする。
「殺人の犯行現場と、ご主人様を殺した犯人の元へと、です」
「犯人?」
訝しげに聞いたリルに、マイトは手を挙げて言葉の訂正をした。
「失礼いたしました。正確には『犯人』ではなく『殺人の容疑をかけられているもの』ですね」
「そのロボットはまだ動いているのか? だってルイザを殺したんだろ」
リルの当然の疑問にマイトは頷いた。
「はい、そのロボットは――個体名はR・アーサーと申しますが、まだ稼働しております。アーサーはご主人様を刺した後アーサーは自らの意志でとある部屋に閉じこもっております」
「ちょっと待てよ。お前はさっき、犯行に居合わせた訳じゃないって言ってたじゃないか。それをどうしてアーサーが刺したなんて言えるんだよ。まさかこれ、手の込んだジョークじゃないよな?」
あまりにも彼らの捜査の常識からはずれたことばかり起こり、リルはついそう口にしていた。
彼女もどこかでまだこれが何かの茶番ではないかと疑っているようだった。
リルの言葉にマイトは一瞬だけ目を見開き、それから軽く首を振った。
「冗談などなにもございません。ただ、アーサーがそう申しておりましたから」
「なるほどな」
単純かつ明快な答えに、今度はケインが声をあげた。
「しかしそれでは証拠にならないだろう。人間でも犯人の自白は時として証拠にならないし、ましてやロボットの証言は法律上証拠として認められていないからな」
「左様でございます」
ケインの冷たすぎる言葉にすら、マイトはその微笑みを崩さなかった。
「ですが私にはアーサーの言葉を信じるしかございませんので。証拠と申されてもわかりかねます」
「確かに、それを探るのが僕たちの仕事だからな」
ケインは顎に手をあててしばらく考え込んだ。
「そうだな。まずそのアーサーとかいうロボットに会わせてもらおうか」
「かしこまりました。では、こちらへ」
優雅に一礼すると、マイトは身体の向きを変え、玄関の扉を開けた。