第一幕(2)真夜中のヴィジホン
「許されていない?」
ケインは戸惑うようにデニスの言葉を繰り返した。
そもそも、聞けば聞くほどこの事件の捜査が自分に回された理由がケインにはわからなかった。
刑事としての評価は決して低いものではなかったが、自分はまだ若い。このような慎重を期する捜査にはもっと優秀な、経験豊富な刑事があたるべきなのではないだろうか。
「それがな」
デニスにもケインの言いたいことがわかったのだろう。彼は一呼吸おくと奇妙な目線を画面の向こうから投げてよこした。
「この事件に関してはもう一つ不可解なことがある。事件が通報されると同時に市警に被害者から手紙が届いたんだ」
デニスが取り出したのはこの時代には珍しい紙の封筒だった。青い色の封筒から同色の便箋を取り出し、彼はそこに書かれていた文字を読み上げる。
「これにはこう書かれてあった『この事件はロサンジェルス市警、ロボット犯罪課のケイン・マクドナルド刑事にしか解決することはできないでしょう。そして私もそれを望みません』と、な」
そのときのケインの表情を見られただけでも、この難解な事件に関わった甲斐があったとデニスは思った。
ぽかんと口を開け目を大きく見開いたその顔は、存外に彼を幼く見せた。普段年に似合わないほど冷静で皮肉屋のケインの、滅多に見られない表情だった。
こんな風に大きく見開いているとその瞳の青さがやけに際立つんだな。
と、金髪碧眼の美形などという今時ではちょっとありえない容姿をもつ部下の顔をデニスはじっくりと眺めた。
「…なんですか、それは」
しばらくしてようやく、といった感で乾いた声がケインの唇から漏れる。
やっと反応した部下に向かってデニスは肩をすくめた。
「そんなの俺が聞きたいくらいだ。お前、彼女と何かあったのか? いや、何か無くてもどこかで見初められたくらいあったのかな。お前くらいの美形だとそれもありそうだからな…おい、どうした」
直筆の手紙を画面越しに見せ、陽気にからかおうとしたデニスの言葉が止まる。
ケインが再び固まっていた。
しかし先ほどとは異なり、その顔からは一切の表情が消えていた。顔色は刷毛で塗られたように蒼白になり、元々色の薄かった唇もまた真っ白になっている。
その中で、見開かれた瞳の青さだけが際だっていた。
「ケイン? おい、大丈夫か」
「…ルイザ・ローゼンシュバルツ…」
心配するデニスの問いには答えず、ケインは手紙の最後に書かれた署名を声に出して読んでいた。
「ああ、そうだ。被害者はルイザ・ローゼンシュバルツだ。お前、本当に彼女と知り合いなのか?」
「いいえ!」
思いがけず激しい口調でケインはそれを否定した。
「あ…」
ケインは自分で自分の激しさに驚いた表情をした。
それから彼は胸に手をあてて二、三度深い呼吸を繰り返し、ゆっくりと目を明ける。
その時にはもう、深青の瞳には何の感情も映ってはいなかった。
「申し訳ありません。あまりのことに少々動揺しました。そうですか、あの大女優が死んだんですか」
「そうだ。命を落としたのはルイザ・ローテンシュバルツだ」
それ以上問うことを拒否する瞳に、デニスは何度目かのため息をついた。
「ルイザの死亡時刻は昨日の…いや、もう一昨日になってるか。午前0時前後。場所はビバリーヒルズの北側にある女優の邸宅だ」
ふいに画面が変わり、邸宅の場所の地図と女優の顔写真が映し出される。何かのブロマイドだろうか、金髪碧眼の美女がこちらを向いて微笑んでいた。
その笑みにケインの片頬がぴくりとひきつる。
…ルイザ・ローゼンシュバルツとは銀河ネットワークの届く範囲においては知らぬ者はいないと言われるほど高名な女優であった。
左右対称の完璧な美貌を縁取る鮮やかな金髪にグラマラスな肢体。怜悧な印象すら与えるほど深く青い瞳が瞬くだけで、人々は目を奪われた。
そして、年端もいかない少女から盛りを過ぎた娼婦まで、あらゆるタイプの女を演じることのできる演技力で、彼女は過去何十年にもわたり、銀河系の花であり続けていた。
彼女の姿を目にしたものは例外なくため息とともにこうつぶやくのだ。
――彼女ほど美しい女優はいない、と。
『銀河系で最も多くの人々に愛された女性』、『銀河系最高の美女』、『銀河史上最も美しい女優』。
彼女に捧げられたいくつもの賛辞を思い出しながらケインはただ女優の顔を見つめていた。
しばらくすると画面が再びデニスに変わる。
「必要な情報はこれからそっちに送る。リルと連絡が取れ次第ただちに現場に向かってくれ。必要なものが有ればいつでも言ってくれ。できる限り対処しよう。…それから。なぁ、ケイン」
「はい?」
デニスは突然口調と表情を改めた。そうするとセクシーな印象のある顔はとたんにきつくなる。
切れ者の一端をちらりと見せ、デニスは言った。
「上層部は真実を必要としているわけではない。欲しいのは解決ではなく正しい処理だ。これだけは頭に入れておいておけ」
「処理、ですか」
「あまり使いたくない言葉だがな」
ふとデニスは苦笑を漏らした。それはいつもの彼が浮かべるものよりもずっと苦みの濃いものだった。
「わかりました」
ケインも少し笑い、二度まばたきをした。
「できるだけご希望に添えるよう努力いたします」
「幸運を祈る。あと、リルの居場所を知らないか? あいつ、いくら電話しても携帯につながらねぇんだよ。多分、電源を切ったままなんだろうな。あいつこそお楽しみ中か」
いつものくだけた口調に戻り不満そうに鼻を鳴らすデニスに、ケインは肩をすくめた。
「それならばご心配なく。リルレイン・ランダースならばここにいますから」
ヴィジホンがきれる瞬間のデニスは驚愕を絵に描いたような顔をしていた。