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女優退場  作者: 滝川 聖
23/23

閉幕 そして女優退場

 ケインが女優の邸宅を出る頃。外はすでに夕暮れにさしかかっていた。


「僕はもう、ここには来ない」


 玄関口まで見送りにきたマイトにケインは宣言するように言った。


「それが、ケインさまの判断ならば」


 マイトはケインがそう言うのを察知していたのだろう、穏やかな表情のままで答えた。

 そしてマイトはふと視線をとある方向に向ける。

 その視線を追うともなしに追って、ケインは女優の墓のある丘を見つめた。丘の頂上あたりにちらちらと見えるシルエットは、女優の墓に詣でるファン達だろうか。


「今はまだあのようにルイザを訪ねてくださる方も多いですが。あと何年かしたら誰もここには訪れなくなるでしょう」


 どんなに人気を博した女優でもいずれ忘れ去られる。そんな人間たちの心を知っているかのようにマイトは断言した。

 その言葉にケインはずっと気になっていたことを口にすることができた。


「お前はどうなるんだ?」

「どうもなりません。私はずっとここにいます。それがルイザの希望ですから」


 ケインが遺産を相続しない場合には、この場所もマイトもそのままにしておくことが女優の遺言で言及されているのだと、マイトは言った。


「ルイザのものよりも強い命令がなされない限り、私はこの場所でここを守っていくことでしょう」

「それは…」


――それは永遠じゃないか。


 と、ケインは言いかけてやめた。

 ルイザよりも強い命令を与えられる者などこの世に存在しないことはマイト自身がよく知っているだろう。


「まるで墓守のようだな」

「そうですね」


 マイトは何が面白かったのか、くすくすと声に出して笑っていた。

 それから彼は笑いやめてケインを見つめる。


「忘れてくださってかまわないのです」

「マイト?」


 その唇が動くのを、ケインは目を離せないままに見ていた。


「人間は忘れることのできる生物です。忘れることで悲しみや苦しみが薄れるのならば、私のことも、ルイザのことも忘れてくださって何ひとつかまわないのです」


 まるで子を慈しむ親のように、あるいは無償の愛を奉げる殉教者ように、何の希望も見返りも期待しない瞳でマイトは言った。 


「あなたが幸せであることが、ルイザと…そして私の願いなのです」

「ずるいな、お前」


 ささやくようなケインの声を、マイトは聞かないふりをした。


「やっぱり僕はこの事件の全てはお前が仕組んだんだと思う」


 いきなり話を変えたケインにマイトは少しだけ眉をよせ、頑なな子供を諌めるような表情をした。


「この事件の、いや、この舞台の幕をあけたのはルイザかもしれないが。それを組み立て、演出し、そして幕を閉めたのはお前だ」

「…おっしゃっている意味が、私には理解できません」


 完全に肯定する口調でマイトは否定の言葉を口にした。


「わからなくていいさ。これは人間の複雑な考えだから」


 皮肉をこめてそう言うとケインはマイトに背を向ける。

 差し込んでくる西日に眩しそうに目を細め、ケインは言った。


「僕は、お前のために何もできない」

「かまいません」


 マイトの発する言葉のあまりの力強さに、ケインは思わず振り返って彼を見つめる。


「ただ、これだけは覚えておいてください。私はここにいます。あなたが何らかの理由でルイザの残したものや、私を必要となされたときはいつでも頼ってくださってかまわないのです。いつでもここを訪れてくだされば、私はあなたのお力になります」


 それが、主人をなくしたロボットの最後の存在意義なのだと、マイトは静かに語った。

 自分自身が誰かの――例えそれがロボットだとしても――存在意義になるとは考えたこともなかったケインは、考え込むように親指の爪を噛んだ。

 その手に、マイトのそれが重ねられる。


「そんなにしては、爪を傷つけてしまいます」


 両手でそっとその手を開いて、マイトは握手でもするようにケインの手を包み込んだ。

 設定年齢に合わせて作られたマイトの手は、少しばかりざらざらしていて、人間めいた温かさをもっていた。

 それがひどく心地いいとケインは感じた。

 あの時は不自然だと指摘した脈動すら、不思議な優しさでケインを包み込んでくる。

 そのまま眠ってしまいそうな心地よさに負けないようにケインは強い瞳でマイトを睨んだ。

 そうすると視線がわずかに上を向き、マイトは長身のケインよりいくらか身長が高いことがわかった。


「別にこれくらい平気だ」

「ですが私はロボットですので。人間であるあなたが自らを傷つけるのを看過することはできないのです」


 照れ隠しにつぶやくケインに、マイトは年月を経てきたものだけができる優しい笑みで応えた。

 それすらも騙されているようでケインは少しだけ鼻を鳴らす。


「本日はご足労いただきありがとうございました」

「さよなら。もう、会わない」


 マイトの手を握り返し、ケインは最後の悪態をついた。

 それに対して、マイトは深々と頭を下げる。


「どうかお気をつけて」

「ああ」


 そのまま顔を上げようとしないマイトを尻目に、ケインは近くに止めてあった車に向かって歩き出した。


「………」


 と、何事か聞こえたような気がして彼はふと振り返る。

 その瞬間、ケインはマイトの頬にひとすじの涙が流れていたのを見てしまった。


「やっぱりずるいよ、お前は」


 結局遺産を相続してもしなくても、マイトは己自身をケインに預けてしまった。そして忘れてもいいと言いながら忘れることなんてできない存在になってしまったのだ。

 しばらくの沈黙の後、ケインは何も言わずにエンジンをかけてまだ頭を下げたままのマイトから視線をはずと車を出す。

 完全に暮れてしまった道を走りながら、ケインはマイトのことを思う。

 誰もいない屋敷の中、マイトは愛する女優の思い出を守って行くのだろう。それこそ永遠に近い時間の中を。

 それは少し寂しく、そして少し羨ましい姿でもあった。





 一時間ほど走ると車は街中に入った。すると辺りの景色はとたんに活気付いてくる。

 色とりどりの看板や音楽がさっきまでいた女優の邸宅の静寂を夢だったのかと思わせる。


「……っ」


 その中のひとつに、ケインは知らずと息を飲んでいた。

 ビルの半分ほどの大きさの看板では、ルイザ・ローゼンシュバルツが嫣然と微笑んでいた。その微笑みの横にはいくつかの映画のタイトルと彼女への賞賛が書き込まれている。

 『銀河一の美女』『すべてを魅了する微笑み』『魔性の美女』『銀河系で最も多くの男に愛された女優』

 そのどれもが彼女には似合い、そしてどれもが不似合いだった。


「ルイザ。あなたはマイトのことをどう思っていたのですか?」


 息子である自分よりも、彼女を愛し殺してくれたアーサーよりも深い愛を与えてくれたロボットの心にルイザが気付かないはずがなかっただろう。

 それともそれすら知っていてこの女優は利用したのだろうか。


――もう聞くことはかなわない謎だけれど。


 いちども母と呼びかけることなく終わった女性に一瞥をくれると、ケインはアクセルを踏んで家路へと急いだ。


 ルイザ・ローゼンシュバルツ。銀河中に愛された女優は退場した。

 カーテンコールの幕はもう上がらない。


 了


ずいぶん前に書いてみたSFでした。

美しい人と、その人に翻弄される人とそして魅了されたロボットというものを書きたかったのです。


 作品中で書ききれなかった話として、マイトはアーサーがルイザを殺したとしても、自分は壊れないことを理解していました。

 危険を看過することで人間に危害を加えてはならないとロボット三原則では決められていますが、ロボットであるアーサーが人間であるルイザを殺すのはかなりの低確率でした。

 アーサーがルイザに魅了されない限り、アーサーは『魂の開放』が死より軽いとは考えないからです。そしてロボットが人間に魅了されることはほとんどありません。

 でもルイザはそれができてしまうほど美しい人でした。

 マイトはそれを知っていましたがそれは計算上とても低い確率です。しかもいつアーサーが行動に移すかもわかりません。

 ですからルイザが死したとしても、マイトの知能回路は『その危険を想像しえなかった』として三原則には抵触しないとしてマイトを破壊しないと、マイト自身はわかっていました。

 そしてその壊れないことがマイトにとってルイザの死を看過した己に対する罰でもあるのです。


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