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女優退場  作者: 滝川 聖
22/23

第九幕(3)女優の邸宅再び

 『私の天使』と、幼いころケインは養母にそう呼ばれていた。

 それがこんな出会いから来ていたなんて、ケインは懐かしいような悲しいような複雑な気持ちにさせられる。

 確かに絶世の美女と詠われたルイザに似ているのならば、美しい子供だったのだろう。

 他人ごとのようにそう考えて、ケインはふとある疑問をもった。


「…お前は、僕がルイザに似ているから美しいと思ったのか」


 そう聞くとマイトはびっくりしたようにケインを見つめ、二度瞬きをした。


「そうですね。あなたは確かにルイザに似ている。ですから、私は余計に注意を払ってあなたとルイザの関係を隠さなければならなかった」

「よく、ロボットの身でできたな…」

「先ほども申し上げましたが、財力さえあればそう難しいことでもありませんでしたよ」

「そうか?」


 あえてマイトの言葉に反論はしないまま、ケインはコーヒーを口に含んだ。しかしそれが口で言うほど簡単でないことを彼は職業柄よく知っていた。

 もともとロボットにはその行動を支配するロボット三原則以外にもいくつかの原則が焼き付けられている。

 そのため不法行為自体ができなくなっているはずなのに、マイトがこれだけの行動を起こせたということは、その根底にあるルイザへの忠誠心や思い入れが深かったからということに他ならない。

 コーヒーをすするケインに困ったような微笑を返し、マイトは軽く目を伏せた。その視線の先には銀の指輪が光っている。


「本当に、それほど難しいことではなかったのです」


 ここで言葉を切ってマイトは静かに息を吐いた。


「ルイザとあなたを守ることは私にとって何ものにも変えがたい大切な仕事です。ですからルイザもあなたを手放すことを理解したはずだと私は思っていました」


 その時、ロボットであるマイトの瞳に痛みに似た色が走るのをケインは確かに見た。


「…ですが、それは間違いだったのです」


 そう言ってマイトは組んだ両手に額を押し付けた。


「当初のルイザは、それでも時折私が持ってくるあなたの記録を楽しみに待っていました。あなたがどんな風に成長して、どんなものと出会うのか。彼女は新しい記録が届くたびに何度も何度も繰り返し見ていました。ですが、そのうちルイザはあなたがマクドナルド夫人を『お母さん』と呼ぶたびにつらそうな表情になっていきました」


 指輪に口付けるマイトの表情は見えない。その分声から真実が伝わってくる。

 マイトは――このロボットは悔やんでいるのだと、ケインは思った。


「ルイザは『キスすることも抱きしめることもなく、母と呼ばれることすらない私はあの子何なのかしら? 遺伝子的には確かにケインは私の子供のはずなのに、私はお腹を痛めてすらいないのよ』と、言っていました。『そして私たちが親子だと証明するものも何ひとつ無いの。それは何も無いのと同じね』とも。そしていつしか、その悲しみは絶望に変わっていきました。私がルイザのためを思ってしたことは、結局彼女を深い絶望の底に落とす行為となってしまったのです」


 うつむいているマイトはまるで泣いているようだった。


――いや、マイトは涙など流してはいない。


 再びマイトが語りだすのを待ちながらケインは思った。

 マイトほどのロボットならば、機能的には涙を流すことなどたやすいことであろう。

 ケインが一言命じれば――それがまったく意味のない命令であろうとも――マイトはいとも簡単に涙の粒をこぼしてみせるだろう。

 それこそ熟練した俳優が舞台で落涙してみせるときのように。

 しかしただ涙を流したからと言って、それが本当の意味で泣いていることになるのだろうか。

 ロボットたちはただ命じられたから、あるいは人工知能にプログラミングされた感情表現としてふさわしいから涙を流す。

 そして今ここでマイトが涙を流すのは場面としてはふさわしくない。

 だからマイトは涙を流さない。

 だが、涙を流さないからと言って悲しんでは――泣いてはいないとは言い切れないのではないか。


「マイト」


 そこまで考えてケインは思わずマイトに向かって手を差し伸べかけた。その手が触れるよりも先に、マイトが小さく吐息をつく。


「絶望は…」


 気のせいか幾分かすれたような声で、マイトは続きを語りはじめる。


「絶望は、人間の心の中で最も強い感情のひとつだと私は思います。生きることに絶望した人間には、生きること自体が苦痛になってしまいます。そのような人間が望むのは死しかないのです」


 どこかで聞いたような言葉。それは例の宗教団体の教義にも似ていた。


「その頃にはもう、ルイザはエリアル教に入信していたんだな?」


 確信をもったケインの言葉に、マイト俯いたままで頷いた。


「正確な時期はわかりかねますが、多分そうだと思います。私は何度か彼女の自殺未遂の現場に立会い、例のナイフを奪いとりました。そして私が何度ナイフを取り上げてもルイザはいつの間にか例のナイフを手に入れていました」

「そんな昔からなのか」


 ケインは苦々しくつぶやいた。

 きっと銀のナイフを奪われ、泣き崩れるルイザはさぞかし美しかったのだろう。

 プライベートのルイザなど見たことはないが、それを想像してもあまりあるほどに彼女は美しいひとだった。


「ただ、そんな中でも一度だけルイザが希望を見出したことがありました。あなたのご両親が亡くなられたときです。ご両親が亡くなられ、あなたが成人した今ならあなたと暮らすことができるのではと、ルイザは考えたようでした」


 マイトに言われ、ケインははっと顔を上げた。


「嘘だ」


 と、つい口に出してしまう。

 確かにただ一度だけ、ルイザはケインに連絡をしてきたことがあった。だがその時の彼女は、自分に対してそんな希望など言わなかった。


「彼女が…ルイザが僕に言ったのは『愛している』と『私を殺すために貴方は生まれてきたのよ』ということだけだった。彼女は一度として、僕と暮らしたいなど言わなかったんだ」

「彼女はあなたと暮らすことを夢見、そしてエリアル教徒としての最高の幸せも同時に望みました。『最愛の人と暮らし、最愛の人間に殺され、最期を看取られること』がエリアル教徒としての幸福なのです」

「そんなこと、僕に分るはずがないだろう」


 絶望的な気分でつぶやくケインを痛ましそうに見つめ、マイトは話を続けた。


「それは彼女のミスでした。残念ながらルイザはとても不器用な方だったのです。そしてそのミスは彼女にさらに絶望を与えたのです」


 その時、ケインがもっとルイザと語り合っていればこの悲劇はまぬがれていたのかもしれない。

 しかしそのことを少しも非難せずにマイトは淡々と語り続ける。


「生きる事を何よりも苦痛に思う人間を無理に生かし続けることは、何よりもその人間を傷つけることになるのではないか。ルイザの自殺を止め続けているうちに、私はそう思うようになりました」

「『ロボットは人間に危害を加えてはならない。またその危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない』」


 ロボット工学三原則第一条。ロボットを作成する際において最も重要なその一文を、ケインは我知らずにつぶやいていた。

 心の傷と身体の傷。この一文における『危害』にはそのどちらに対してであるとは明記していなかった。


「ルイザにとって生存と死とそのどちらが大きな危害となりうるのか、私には判断しかねるようになってしまったのです。それで私は、ルイザにもう一体のロボットを手に入れることを勧めました」

「人間を雇おうとは思わなかったのか?」


 判断しきれなくなった事柄を第三者に任せるというのならば、何故人間にしなかったのか。

 と、ケインは疑問を持った。

 その問いにマイトはこんな言葉で答える。


「私はロボットなのです」


 まるで自分自身に言い聞かせるかのように、マイトはもう一度繰り返した。


「私はロボットなのです。そんな私が全幅の信頼を寄せるものがあるとしたら、それは同じロボットという存在しかありえません」

「人間は、信頼できないか?」

「私などが信頼…いえ、理解するには、人間は複雑すぎます」


 その言葉にケインは小さく苦笑していた。

 複雑…それはロボット心理学者が操作中にマイトを指して言った言葉だった。それとまさに同じ言葉をマイトは人間に対して言っている。


「だから、アーサーなら信頼できたのか」

「性能の差こそあれ、アーサーは私と同じものですから」


 穏やかに答えるマイトにケインは緩めていた口元を引き締めた。

 まじまじとマイトを見つめたのち、ケインはああと、声にならない声をあげる。


「僕はあの外見から、アーサーは僕の身代わりとして作られたのだと思っていた。だけどそれは違うんだな。アーサーは、お前の代わりに作られたんだな」


 マイトはそれには答えなかった。

 彼はただ黙って黒い瞳でケインを見返しただけだった。


「アーサーの仕草や行動パターンはあなたのそれをコピーしたものです。ルイザもまたアーサーをあなたの代わりのように愛していました。彼女はいつでもアーサーを傍におき、優しく話しかけていました。そして全ての愛情をそそいでくれるルイザを、アーサーもその出来る限りの気持ちで愛していました」

「それは、お前がそう仕向けたからなんだろう?」


 先ほどマイトはアーサーなら理解できると言ったばかりだった。

だから同じロボットであるアーサーが、誰よりも美しいルイザを愛することを彼には容易に想像できたのであろう。

 そしてルイザを愛したアーサーが、死という彼女の望みを叶えてやることも…。


「そこまでわかっていたのなら、なぜお前がルイザを殺してやらなかったんだ?」

「それは先ほど申し上げました通り…」

「嘘だ」


 強い調子で言われてマイトは目を見開いた。そして数度瞬きをすると左手にはめられた指輪に目を落とす。


「…本当はルイザはもう限界なのだと理解しておりました。そしてルイザの苦しみを亡くすには、もう魂の開放しかないということも分かっていました」


 かすかに震える手でマイトはリングに触れた。


「ですが、頭の中でそう理解していても私にはルイザを殺すことはできませんでした。それは三原則が邪魔をしたのではなく、私自身がルイザに生きていて欲しいと思ってしまったからなのです」


 おかしいでしょう? 

 

 と、問いかけるマイトに、ケインは肯定も否定もできなかった。

 ただ、ケインはルイザという女優に想いを馳せる。

 人間だけではなくロボットすら虜にしてしまう女優。

 ルイザ・ローゼンシュバルツとはどれほど美しい女性だったのだろう。

 それが自分の母親なのだと言われてもまったく実感できなかったけれど。

 ケインは目を閉じてルイザの顔を思い出そうとした。

 しかし彼の脳裏に浮かんだのは花に両手を組んで花に埋もれた、彼女の美しい死に顔だけであった。


「アーサーは幸せでした。たとえあなたの代わりであったとしても、ルイザに愛され、彼女の最も望む行為をしてあげられたのですから」

「僕に殺されてしまったのにか」


 ケインは初めてロボットに『殺す』という表現を使った。言葉の用法としては正しくないのかも知れないが、今はこの表現こそがふさわしいのだと思った。

 マイトもまたその言葉を訂正しようとはしなかった。


「むしろアーサーは幸運だったと思います」


 すっと、マイトは自分の胸に触れた。


「ロボットは人間に必要とされてこそ、その存在に意義があるのです。私もアーサーも、ルイザを――主人を失ってしまったらその存在意義はなくなってしまうのです。ですがこの身に刻まれた三原則によって私達は自らの意志ではこの存在を消すことができないのです」


 ロボット以上に複雑な心を持ってしまったのに、最後までロボットある事を裏切ることの出来ないマイトを、ケインは哀れに思う。


「僕は、お前は僕がアーサーを殺すのまで計算にいれてこの筋書きを作ったのだと思っていたよ。そうすれば余計な口が減る分ルイザの秘密を守りやすいからと」

「まさか」


 と、微笑みさえ浮かべてマイトは首を振った。


「そこまでは考えていませんでした。あなたの心の動きを理解できるほど、私は貴方を存じません」


 だからケインによって『殺された』アーサーは幸せなのだと。

 マイトは叫ぶわけでも泣くわけでもなく言った。

 そんなマイトにケインは問うた。


「お前は不幸なのか」

「…わかりません」


 マイトは困惑したように首を振る。


「私たちロボットには、自分の幸不幸を定義することは許されていないのです」

「じゃあ」


 ケインはごくりと喉を鳴らした。


「お前は、死にたいか?」

「その問いは適切ではありません」


 奇妙な重さでもって響いたその問いに、マイトはそぐわないほど綺麗な笑みで答えた。


「ロボットは生きてはおりません。ですからあなたのその表現は不適切だと思われます。また、もし死と活動不能になることをあなたが同意義に使われていると解釈するのならば、それはロボット工学三原則の第三条に抵触します」


 そう言うと、マイトは立ち上りどこからか数枚の紙を取り出してくる。


「さあ、もうお時間もすぎました。どうかこちらにサインをお願いします」


 ひどく事務的な口調になったマイトは当初の目的であった相続を破棄する内容の書類をケインの前に並べたのだった。


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