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女優退場  作者: 滝川 聖
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第九幕(2)女優の邸宅再び

 マイトがケインを導き入れたのは彼がアーサーを破壊した部屋であった。

 そこに案内されたことにケインは何らかの作為があるのかと勘ぐったが、綺麗に片付けられたその部屋から事件の匂いは少しも感じられなかった。


「どうぞ」


 マイトが用意してくれたコーヒーは以前捜査のときに出されたものと同じ銘柄であった。

 褐色の液体から立ち上る香りが、それがちゃんと豆から入れられたものであることを示していた。

 一口含むと芳醇な香りと苦みが口いっぱいに広がる。


「僕の好きな味だ」


 そう言ってカップをもとに戻すとケインはマイトをじっと見つめた。


「で、僕をわざわざここまで呼び出した本当の理由はなんだ?」

「理由は先ほどご自分で申し上げられたのではありませんか?」


 自分は何の飲み物も持たないままに、マイトはケインの向いに腰を下した。


「相続放棄なんかここまで来なくても出来るだろう? それなのにわざわざここに呼び出したってことは、それ以外の理由があるからじゃないのか」

「………」


 ケインの問いに、マイトは軽く眉根を寄せた。

 困ったような表情の中に含まれた年長者の余裕のようなものを見せ付けられて、ケインは少しだけ声を荒げる。


「マイト。質問に答えろ」

「理由はございました」


 命令調で問われてはロボットであるマイトにはそれ以上ごまかすことは出来ず、しかたなしに口を開いた。


「ですが、それはもうケインさまによって拒否されてしまいましたから。現在においてはなくなったのと同意義でしょう」

「僕が何を拒否したって?」


 いぶかしげに聞くケインにマイトは悲しそうに首を振った。


「あなたに、ルイザの墓を詣でていただきたかったのです」


 そう言われてケインはばつの悪そうな顔をした。

 先ほどマイトが嫌味を言ったのはそのせいだったのかと思う。


「それはルイザの最後の希望でした。ルイザの墓には毎日沢山の方が訪れます。彼女を愛し、彼女の死を本当に悲しんでくださる方々が。ですがルイザが愛し、花を手向けて欲しいと望んだのはケインさま、あなただけなのです」

「そ、そんなことを言われても。僕は彼女とは何の関係もない人間なんだ」


 自分でも言い訳めいていると思う言葉を、ケインは少し震える声で言った。


「ですが、あなたはルイザの息子です」


 マイトはおおよそロボットらしくない、きっぱりとした口調で断言した。


「僕は認めていない」


 その口調がケインの頑なさに拍車をかける。


「それに戸籍上も何も残っていないし、誰も知らない。誰も知らないということは何もないのと同じことじゃないのか」

「ルイザとあなたが知っています。そして、この私も」

「ロボットのお前が、か」


 あざけるようなケインの言葉をマイトは正面から受け止めた。


「はい。ロボットの私が、です」


 ケインはどこまでも透明で黒いマイトの瞳から逃れるように顔を背けた。身じろぎをする彼の下で革張りのソファがかすかな音をたてる。


「…僕に、道具として生まれてきた事を認めろと言うのか」


 ケインは華奢なつくりのカップを両手で支えながら言った。

 手の中の液体は彼の動揺を示すかのように小刻みに震えている。


「それは違います。あなたは道具などではありません。あなたは望まれて生まれてきた方です」

「慰めなどいらない」

「いいえ、慰めなど言ってはおりません。私は真実を述べているだけです」


 すっとマイトの手が上げられてケインの顎に触れた。

 ロボットが許可も得ずにいきなり人間に触れるなど本来はありえない行為だったが、ケインはあえて逆らわずにされるがままにしていた。

 不快ではないほどの力が指に込められ、ケインは少しだけ顔を上に向けられた。


「あなたは、本当にルイザに似ていらっしゃる」

「そう、かな」


 初めてケインはルイザに似ていると言われるのを受け入れた。


「ええ、あなたは私が初めて会った頃のルイザによく似ていらっしゃいます。あの頃の彼女は女優という仕事に燃え、人生を謳歌していました」


 一度だけマイトの手はケインの頬を滑り、離れていった。

 一瞬だけケインは温もりが離れた事をさびしいと思う。


「あの頃のルイザはとても輝いていました。ですが、輝きが増せば増すほど、影も色を濃くしていくものなのです」


 ひどく哲学的なことを言って、マイトは上げていた腰を下した。


「もう五十年以上前のことになります。ルイザはその頃、自分の最後に残された生身の器官を取り去るかどうかで悩んでいました」

「最後の、器官?」

「子宮です」

「っ!」


 その言葉のなす意味にケインは息を飲んだ。

 彼の動揺には気づかぬふりでマイトは続きを語る。


「ルイザ自身の言葉を借りますと。『女性としての器官』である子宮を取り除くことに彼女は大変悩んでおりました。それ以外の内臓器官はほぼ人工のものになっていましたから、子宮を無くしてしまうことで、自分は人間でも、女性ですら無くなってしまうのではないか、と」

「でも、結局彼女はそれを取り去る事を選んだのだろう?」


 ケインの言葉に、マイトは沈痛な面持ちで頷いた。


「拒否するにはルイザは有名になりすぎていました。やはりたったひとつでも生身の器官があるのと、全てが人工のものになっているとでは寿命も病気のかかりやすさも格段に違いますから。たとえルイザ自身が残す事を望んだとしても、彼女のまわりが許さなかったでしょう。それがルイザにとっての最大の悲劇でした」


 マイトはここでケインなどにはとても表現できないほど重いため息をついた。長い年月を生きてきたものだけにできるような、深い感慨を混ぜた吐息。


「それでもルイザには女優という仕事がありました。忙しい時期はまだよかったのですが、彼女の価値を上げようとするプロダクションの意向で仕事の量をセーブするようになった頃から、少しずつルイザは不安定になっていきました。演じることだけが彼女の生きがいだったのに、それを制限され、その上愛する者もおらず、子を生すことも出来ない自分はただのロボットに成り果ててしまったのではないかと。ルイザはひどく悩み、落ち込んでいきました」


 どんな気晴らしもカウンセリングも効果がないほどの悲しみに沈む彼女に、マイトが出した答えは簡潔だった。

 ルイザが子を生すことができない自身を嘆くのならば、子を与えればよいのだと。

 それも養子などではなく、彼女自身の遺伝子を継いだ子供を。


「そこで、遺伝子保管銀行の事を思いついたのか。よく、そんなことを考えついたな。それに、手続きも大変だっただろう?」


 皮肉とかではなく、本気でケインは言った。

 ある意味ロボットらしく合理的な発想かもしれなかったが、それを実現させるまでの諸々の問題を考えればほぼ不可能に近いアイディアだったはずだ。

 しかしマイトはそれをやってのけたのだ。それこそ誰の手も借りずに。


「おっしゃるほどではありません。それに、そのようなことを為すのに必要なのは能力ではなく財力の方でしょう」

「…そうだな」


 言外に不法行為であることを匂わせるマイトに、ケインは少しだけ笑みを浮かべる。

 刑事としてはあるまじきことなのかもしれないが、マイトの言葉に素直に納得させられたからだった。


「幸いなことにルイザには財力がありました。ですから、ルイザさえその気になればあとは大した障害はありませんでした。ロボットの存在に慣れているあなた方ですら容易には見破ることのできなかった私ですから、普通の方はまず私をロボットだと気付くことはありませんでしたし」

「気付いても、まさかロボットであるお前自身がそんなことを考えついたとは誰も思わなかっただろうしな」


 裏世界に生きる人間ならば、自分の身元を隠すために交渉事にロボットを使うことは多々ありえることだろう。

 それにそんな世界の人間たちならば、金さえちゃんともらえれば交渉の相手が人間だろうがロボットだろうがそんなことは些細な問題にしかすぎない。


「そうですね」


 おだやかに肯定すると、マイトはケインの手からコーヒーカップを取り上げた。すっかり冷めてしまったそれを入れなおすために立ち上がる。


「それから少ししてあなたが生まれたとき、ルイザはとても喜んでいましたよ。彼女は自分の手で育てたいと言ったルイザを止めたのは、私でしたが」

「なぜだ」


 驚いた表情を隠さないままケインは聞いた。

 ケインはこの世に自分を送り出したのも、生まれた彼を手放したのも全て彼女の気まぐれからきた行為なのだろうと思っていた。

 …そう思いたかった。

 そうすれば、ケインは簡単に彼女を憎むことができたから。

 膝の上で拳を握るケインにちらりと視線を送って、マイトは話を続けた。


「良くも悪くも、あなたはルイザに似すぎていました。ルイザが子を生せない身体であることはすでに広く知られていましたから、そんな状態であなたをルイザの手元で育てることは、ルイザのキャリアに傷をつけたでしょう。そしてひいてはあなたの発育にも良い影響は与えないであろうと判断いたしました」

「お前が判断した、だと?」

「はい。私が、です」


 ケインがうめくようにつぶやいた言葉を繰り返して、マイトはこちらに向き直った。

 その顔はあくまでおだやかで、まるで他愛のない世間話でもしているようであった。

 ゆっくりと近づいてくるマイトの顔からケインは視線をはずした。


「ルイザは…」


――僕を手放すことを嫌がったのか? 


 と、聞きかけてケインは言葉を飲み込んだ。

 それを聞くのはあまりにも自分が惨めだったし、たとえ聞いたとしてもマイトは本当のことを話さないかもしれない。

 マイトはある意味とても出来のいいロボットだから、ケインを傷つけないためならば嘘のひとつやふたつくらい平気でついてみせるだろう。

 うつむくケインの前に新しく入れられたコーヒーが置かれた。

 くるりと取っ手の部分をまわす指に、太めの銀の指輪がはめられているのをケインは見て取った。

 捜査の時にははめられていなかったそれは、そこにあるのが当然であるかのごとくマイトの指になじんでいる。

 ケインはその指から目が離せなくなった。


「ルイザは泣きましたよ。せっかくあなたという家族を得たのに。何故手放さなければならないのか。と」


 ケインの言葉の続きを知っていたのかのようにマイトは言った。

 それからマイトは彼の視線に気付き、指輪を抜き取ると手渡してくる。

 素材はプラチナだろうか。冴えた輝きを放つ銀の指輪の内側に、LとRの文字が絡まるように彫られていた。

 L・R……それはルイザ・ローゼンシュバルツのイニシャルであり、それをマイトが身につけることによってマイトが彼女の所有物であることを示すものでもあった。


「私たちロボットは主人の命令で動きます。ですから私たちは主人の意に沿わない行動をすることはまずありません」


 ケインから指輪を受け取り、マイトはそれを左の薬指にはめた。


「ですがロボット三原則にも記されていますように。私たちロボットは主人を守るためならば主人の意を無視することもできるのです」

「それで、お前はそうしたんだな」

「はい、そうです」


 指輪を大事そうにさすりながら、マイトは簡潔な返事をした。


「私はルイザからあなたをとりあげ、とある施設に送り込みました。戸籍を買い資料をそろえて、あなたを『事故で両親を失った孤児』ということにして、マクドナルド夫妻の養子になるようとりはからいました」

「父さんと母さんのところに僕が行くようにしたのもお前だったのか」


 今更驚くほどのことではないのかもしれないけれど、ケインは動揺を隠し切れずにつぶやいていた。

 年こそ少し老けていたけれど、マクドナルド夫妻はケインを本当の子供のように慈しんで育ててくれた。

 ケイン自身の彼らに対する愛も本物だと思う。それほど彼らに育てられた子供時代は幸せな記憶で満ちていた。

 それがロボットごときに作られた幸せだったなんて、裏切られたような気持ちになる。


「どうぞ、誤解なさらないでください」


 どこまでも聡いマイトはケインの苦しみを正確にくみ取って言った。


「確かに彼らの素性や財力などは調べましたが、彼らがあなたを養子にする際に私との金品のやりとり等は一切ありませんでした。マクドナルド夫妻はそのとき本当に養子をほしがっていて。私はただあなたのいる養護施設をお教えしただけ。ただそれだけです。あなたはちゃんと彼らに選ばれ、愛されたのです」

「だが、お前には彼らが僕を選ぶであろう根拠があったんだろう?」

「当然です」


 何故かマイトは誇らしげに笑ってみせた。


「私はロボットですので人間の美醜は正確には理解できません。ですが、客観的に見ても生まれたばかりのあなたはとても美しい赤ん坊でした。そんなあなたを誰がひきとりたくないと思うのでしょう? 事実。マクドナルド夫人はあなたを一目見た瞬間『天使だわ』と叫んでいましたよ」

あと2話で完結します

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