第九幕(1)女優の邸宅再び
長かった休暇も終わりルイザ・ローゼンシュバルツの『自殺』に関する騒動も影を潜めた頃、ケインは再び女優の邸宅を訪れていた。
最初にこの場所を訪れた時と同じく、名を名乗っただけで扉は解除された。そして迎える者もない敷地内に、ケインは躊躇もなく入っていく。
屋敷の前で車を降り、ケインは周囲を見回した。
「相変わらずよく手入れされているな」
――もう、女主人はいないのに…。
と、いう言葉をケインは飲み込んだ。
彼は最近癖になってしまったため息をひとつ吐くと、屋敷には直接向かわず温室の方へと足を向けた。
小ぶりの温室は今を盛りと花々が咲き誇っていた。
その中に長身の男の姿を見つけてケインはまた息を吐いた。
『彼』は初めて会ったときと同じように両手にバラを抱え、ただそこに佇んでいた。まるで瞑想でもしているかのようなその姿に一瞬声をかけるのを躊躇する。
「ケインさま」
ケインが名を呼ぶよりも先に彼に気づいたマイトがおだやかな笑みを唇に乗せた。
優雅とも言える足取りでマイトが近寄ってくるのを、ケインは微妙なデジャ・ヴをもって見つめていた。
「この度は、お忙しい中ご足労をいただきましてありがとうございました」
「まったくだな。たかだか遺産相続の放棄をするためだけに何でここまで来なきゃならないんだろうな」
「それは申し訳ありません」
ケインの駄々っ子めいた言い方に、マイトはただ笑うだけであった。
「ですが、どうあってもルイザの遺産は受け取っていただけないのですね」
確認にしてはトーンの低い問いに、ケインは両手を軽く広げて答えた。
「当たり前だろう。僕とルイザには何の関係もない。あったのは事件の被害者…いや、自殺者か。と、その捜査をした人間というだけさ。そんな人間が大女優の遺産をもらっても、マスコミに下世話なネタを提供するだけだろう」
「そうですね」
そんなことはケインに言われるまでもなく分っているのだろう、マイトは少しだけ目をふせて頷いてみせた。
それからマイトはがらりと口調を変えてケインを誘う。
「屋敷にお入りになりませんか? 大したおもてなしはできませんが、お茶でもお入れいたしましょう」
「ああ。そうだな」
歯切れの悪いケインの返事にマイトは片眉を上げた。
たったそれだけでケインに発言の先を促させるのは、それだけマイトが己の表情がどのように相手に伝わるか熟知しているからだろう。
「その花はルイザのところに持っていくつもりだったんだろう?」
「ええ」
顎で花束を示されてマイトは納得したように頷いた。
「ですが少しくらい花が届くのが遅くなったからといって、ルイザが気にすることはないでしょう。それに今現在の順位はルイザよりケインさまの方が上ですので」
「そう、か」
「はい。あなたは『生きて』らっしゃるのですから」
こともなげに言い切るマイトに、ケインは返すべき言葉を失ってしまった。
喉の奥に何かがつまり、息すら苦しい気がしてケインは喉元に手をあてる。
「さあ、どうぞこちらへ」
そんな彼には気付かないふりで、マイトは屋敷に向かって歩き出した。
「そう言えば。ルイザの墓はここの近くにあるんだったな」
ゆったりと歩くマイトの後を追いながら、ケインは思い出したように言った。
「はい。あちらの小高い丘に埋葬させていただきました」
マイトが示した先には大きな木が立っている丘があった。
「お前がやったのか?」
驚いたように聞いたケインに、マイトは面白い冗談を聞いたかのように声をあげて笑った。
「いいえ、まさか。もともとあちらの土地はルイザが自分の墓を作るために所有していた場所です。あとはルイザの遺言をもとにして弁護士が手続きをとってくださいました。もちろん、埋葬の時には列席させていただきましたが」
「…だろうな」
妙な間をおいてからケインは納得したようにつぶやいた。
それから暫く二人の間には沈黙が落ちる。
「あの場所は…」
意外にも、先に口を開いたのはマイトの方であった。
質問への答えでもなく、発言を促されたわけでもないのにロボットが自ら話しだすことがどれほど珍しいことか職業柄ケインはよく知っていたが、不思議と驚く気持ちにはなれなかった。
「あの場所は、ルイザが生前大変気に入っていた場所でした。風がよく通る場所で、そこで風に当たりながら見る風景が彼女の故郷によく似ていると話していました」
「ルイザは、どこで生まれたんだ」
「惑星ルッツです」
マイトが上げたのは銀河系でも辺境部に位置する惑星の名だった。
現在でも田舎のイメージがある農業惑星。
その星とルイザの華やかなイメージが重ならなくて、ケインは彼女が埋葬されているのだという丘をすかし見た。
ケインが立ち止まると、マイトも止まった。
マイトはケインの視線の先を追いながら囁くように言った。
「今日は天気がいいので遠くまで景色が見渡せますよ。きっとケインさまもお気に入りになられるでしょう。よろしければご案内いたしますが、ルイザの墓を詣でるついでに行ってみますか?」
マイトのもったいぶった言い回しにケインは小さく笑みを浮かべた。
「それは魅力的な申し出だな。だが僕がルイザの墓参りなどしなきゃならない義理なんかないさ」
「そうでした。あなたはルイザとは何の関係もない方でしたね」
自分の方からそっけないもの言いをしたくせに、嫌味のような言葉を返されてケインは少しだけ唇を歪めた。
「そうだな…」
さらに何か言い返してやろうと口を開けたが、結局何も声にならず、彼は歩き出したマイトの背を見つめただけに終わる。
そして彼は己の行動を恥じた。
マイトに反抗したりきつい言葉を吐く自分が、ひどく子供じみているように思えた。
これではまるで思春期の少年が信用できる大人に甘えを含んだ反抗をしているようだ。
「…馬鹿か、僕は」
こっそりとそうつぶやくと一度だけルイザの眠る丘を見上げ、ケインはマイトの後を追った。