第八幕(1)地上59階
ルイザ・ローゼンシュバルツの『自殺』は銀河中に衝撃を与えた。
各界有力者からの追悼の言葉と突然の『自殺』に対する訳知り顔のコメント。
そして、たくさんのファンたちの嘆きの声。
生前の彼女の業績に対する賛辞という名目の特別番組がくまれたり、何人かの後追い自殺者などがでたことも相まって、ルイザ関連の情報は(信憑性のあるものから聞くに耐えないゴシップまであわせて)何日もの間TV・雑誌を賑わせていた。
中には、公然とエリアル教を批判する番組なども出てきて、いつしか大女優の『自殺』は宗教問題へと発展していった。
そんな騒ぎの中、その事件を担当したケイン・マクドナルドC級刑事だけは、静かな時間を過ごしていた。
事件を穏便に『処理』した彼に対して、上層部は簡潔なねぎらいの言葉と、少々の給与アップと2週間の特別休暇という形で報いた。
休暇と言っても特にやることなどもないケインは、たまっていた読書などで時間をつぶし、ただ毎日をすごしていた。
そんな彼の元に同僚のリル・ランダース刑事が訪れたのは、休暇が始まって7日目の夜のことであった。
「どうしたんだ、こんな時間に?」
すでに23時を越えた時間。
親しいと言ってもリルがこのような時間にいきなり尋ねてきたことはなかったし、また事件を『処理』してからの彼女はあからさまにケインを避けていた。
その理由がわかっていたから、あえてケインはリルと話をすることもなく休暇にはいったのだ。
おそらく、休暇明けにはコンビも恋愛関係も解消となるだろうと思っていたケインは、突然のリルの訪問に驚きを隠し得なかった。
「何かお前に会いたくなって。悪ぃな、こんな時間にさ」
自分の言葉に目を見張るケインを面白そうに眺め、リルは軽く自分の髪に触れた。
「ひでぇな、そんなに驚くことねぇだろ。俺だって一応は悩むこともあるんだぜ」
冗談めかしているが固い声でそう言われ、ケインはほっと息をついた。
それと同時に、リルを玄関口に立たせたままだったのに気づき、部屋の中に招き入れる。
「どうぞ」
「失礼します」
いつになくしおらしく言うと、リルはリビングのソファに腰を下ろした。
「今日はそっちの姿なんだな」
「ああ。一昨日変化した」
ケインのもとに訪れたリルは男性体へと変化していた。
女性体のときより背が高く肩幅なども広くなっているが、普通の男性よりはやや細身な姿は中世的な男性に見える。
言葉を探すように膝の上で組んだ両手を見つめているリルに軽く肩をすくめ、ケインはキッチンへと向かった。
ケトルで湯を沸かしながら棚の中からとっときの紅茶の缶を探す。
共に酒好きのふたりではあるが、今はアルコールよりもいい香りのする紅茶の方がいいように思えた。
リルもまた同じ思いだったのだろう。湯を沸かし始めた彼の背を何も言わずに見つめている。
ほどなく湯が沸き、ケトルを持ったケインは自ら口火をきった。
「で、本当は何の用なんだ? ただ僕に会いたかったなんて理由だけでこんな時間に来るような奴じゃないだろ、お前は」
ケインがそう切り出すと、リルは顔を上げて真っ直ぐに彼を見つめた。
その猫を思わせる緑色の瞳は、久しぶりに見てもやはり綺麗だと思う。
「休み明けじゃ遅かったんだ。その前にどうしても、俺はお前の口から聞いておきたいことがあるんだ」
「そうか」
と、ケインは穏やかに言った。何を、と聞かなかったのはそれが何だか分かっているから。
ケインは紅茶の缶を開けると茶葉をティースプーンで三杯、大き目のティーポットに入れ、湯を入れる。
「なあ、お前はルイザの『自殺』報道を見たか?」
「いいや、休暇に入ってからはTVのスイッチすらいれていないよ」
「じゃあ。ルイザのマネージャーの、ポプキンズ氏の言葉も知らないんだな」
探るような目をしたリルに、ケインは微笑みかけた。
「何て言ってた?」
「『今思うと。彼女は死を覚悟していたのか、ここ一ヶ月は仕事の予定を入れていませんでした』」
「それで?」
「この台本のことさ」
リルはバッグからいつかの台本を取り出した。ケインがそれを破り捨てたあとはきれいに修復されている。
「確かに内容はお前の言う通りただのメロドラマだったさ。だが、ルイザの新作なんかじゃなかった」
「何だお前も読んだのか。結構つまらない話だっただろ」
とりだしたカップに湯をいれながら、ケインはくすくすと笑った。
ティーポットの中で茶葉を十分にジャンピングさせてから、温めたカップに注ぐ。
まず少し薄目にいれた紅茶に角砂糖をひとつ溶かしてからリルに手渡す。
「…うまい」
それをひとくちすすったリルがつぶやくのを耳にして。ケインは小さく笑った。
ケイン自身はコーヒー党だが、紅茶党だった養母からおいしい紅茶の淹れ方はしこまれていた。
そのため彼の淹れる紅茶は美味しいとリルに毎回絶賛されるものであった。
「大女優が演じるだけあってスケールだけは大きかったろう? きっと制作費用は莫大なものだったんじゃないか」
「ちゃかすなよ」
からかうようなケインの言葉にもっと怒るかと思っていたリルは軽く柳眉を逆立てただけだった。
「大体、どうしてマイトはこいつをルイザの新作だなんて言ったんだよ」
「別にマイトは『新作』だなんて言わなかっただろう?」
リルに出したものより濃い目に淹れた紅茶をもちつつ、ケインはその向かいに腰を下ろす。
「マイトが言ったのは『ポプキンズ氏が持ってきた台本』ってことだけだった。それを僕らが勝手に新作だと思いこんだだけのことさ」
「でも、マイトはその間違いを訂正しようとしなかったじゃないか。それはあいつがあえて俺たちに誤解させたってことだろ」
「まあ、その可能性もあるが、そうじゃないかもしれない」
紅茶で口を湿らせ、ケインは言った。
「マイトはルイザの仕事には一切感知していなかったと自ら言っていたじゃないか。おそらくルイザ自身がマイトにそう思わせるようなそぶりをしたんだろう」
「どうしてルイザはそこまでする必要があったんだ?」
リルの質問にケインはゆっくりと笑みを浮かべた。それはリルが今まで一度も見たことのない種類の笑みだった。
そして彼は本来ならば答えることのできるはずのない問いにはっきりと答えた。
「それは僕にこの事件を解決させるためにさ」
「ルイザが?」
「…リル。お前は他にも僕に聞きたいことがあるんじゃないのか?」
ケインは微笑んだままリルに聞いた。
彼は先細りのきれいな手でリルの膝に置かれていた台本をとりあげ、ページをめくる。
「その台本に、お前が読んだ例のセリフがどこにも無かったってことか?」
「よくできました」
ケインは『正解』とでも言うように小さく拍手をした。
「セリフがなかったにも関わらず、なぜ僕がルイザとアーサーしか知るはずの無いその言葉を語ることができたのか? と、お前は聞きたいんだろう?」
ケインの質問にリルは一度だけ頷いた。
その迷いのない緑の瞳をケインは美しいと思う。
「それにはお前が期待するようなトリックは何もないよ。答えは『僕がルイザ・ローゼンシュバルツから直接聞いた』と、いうだけの話なんだ」
「ふざけんなっ!」
かっと、リルの顔に朱が走る。
「どうやったらお前がルイザの言葉を聞けるっていうんだよ! それともお前には霊能力でもあるって言うのかよ」
本気で怒っているくせに、妙にかわいらしいことを言うリルをケインは好ましげに見つめた。
くるくると変わるリルの表情と、リル自身のオリジナルな言葉がケインは好きだった。
しかしそんなリルの表情も、ケインの次の言葉で固まってしまう。
「僕はルイザ・ローゼンシュバルツの息子なんだ」
「な、何だって?」
驚きのあまりに掠れてしまった声で聞き返すリルに、ケインはもう一度繰り返した。
「僕は、ルイザの息子なんだよ」
一瞬の逡巡のあと、リルはその言葉が真実であると理解した。ケインがアーサーを破壊したあの時、確かに自分はケインのなかにルイザと似たものを感じとったではないか、と。
そしてそう意識して見てみると、彼の繊細な美貌は男女の差こそあれルイザとよく似ていた。
それでも俄には信じがたくて、リルは弱々しく反論を試みる。
「で、でも。年が…年が違いすぎる。彼女の年齢や身体では、もう子どもを産むことなんてできなかったはず、だ」
「もうだいたい想像はついただろ? 彼女は遺伝子保管銀行を使ったんだ」