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女優退場  作者: 滝川 聖
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第七幕(2)ロボット殺し

「ばかっ、何を言い出すんだ! ロボットに殺人なんてできるわけ無いだろっ」


 最初にケインの発言に反応したはリルであった。

 次いで博士も憤慨したように声をあげる。


「そうですよ。それに彼にはちゃんと三原則が施されています。それとも私の検査に何かミスがあったとでも?」


 口々にロボットの殺人などありえないと言うリルと博士を、ケインは冷ややかに見つめた。


「ウェイン博士。アーサーにはちゃんと三原則が施されているのはわかっています。でも、殺人はできる」

「ケインっ!」


 ケインが何を言い出すのか分からぬまま、それを止めようとするリルの声は一種悲壮に響いた。


「マクドナルド刑事。確かに私はルイザを殺しました」


 ゆらりと、アーサーが立ち上がる。

 リルはその動きに思わず身をすくめ、博士はアーサーを止めようと腰を浮かした。

 ただ一人ケインだけが何の反応も見せずに無感動な目をアーサーに向ける。

 そんな彼に向ってアーサーはゆっくりと手錠がはめられた両手を差し伸べた。


「私は教義にのっとって彼女の魂を解放しました。それは他の方から見れば殺人という行為と同じに見えるかもしれません。ですが、本質は全く違うのです。私はただルイザの魂を現世の苦痛から救っただけなのですから」


 あくまで自分はルイザを救ったのだと信じるアーサーの目は狂信者のそれと同じであった。

 ケインはアーサーに頷いてみせた。


「だからお前は第一原則には抵触していないと、言いたいのだろう?」

「はい」

「あはははははは」


 力強く、あるいは誇らしげにアーサーが答えると、ケインは天を仰いで笑い出した。


「お、おい。ケイン?」


 声をあげてそれは楽しそうに笑うケインにリルはとまどいながらも声をかける。

 それなりに付き合いのある彼女ですら初めて見る大爆笑に、彼が突然狂ってしまったのだろうかと危惧する。


「はぁ…」


 ようやく笑いの発作が収まったケインは苦しそうに息をついた。


「まったく、ルイザはすごい女優だよ。なぁ、アーサー」


 少し乱れてしまった前髪をかきあげながら、彼はアーサーに顔を向けた。


「ロボットすら騙し、その虜にしてしまうなんてな」

「私にはあなたのおっしゃっている意味が理解できません」


 アーサーの怪訝そうな視線を受け流し、ケインは上着のポケットにねじ込んでいた台本を掲げて見せた。


「これが何だかわかるか?」

「台本ですね」

「そうだ。しかもこれはルイザの…お前の知らない、永遠に演じられることのない作品だ」

「それが何だって言うんだよ!」


 突然殺人とは関係のないことを話し出すケインにリルは語気も荒く叫んだ。

 リル自身もなぜかわからなかったが、ケインにこのまま話を続けさせたくないと思った。


「まあ待てよ」


 しかしケインはリルの怒りを受け流し、ぱらぱらと台本をめくった。


「ああ、あった。このページにちょっと面白いセリフが書いてあるんだ」


 とあるページを開くと、ケインはおもむろに台本を朗読し始めた。


『あまりに汚れた魂は、魂の国に永遠に封じ込められて、生まれ変わることができなくなってしまうのよ。それにね、もっと怖い目にあうのは現世の汚れがつきすぎて重くなって飛べなくなってしまった魂なの。そんな魂は魂の国に行き着くこともできずに、永遠に地上をさまよい続けるのよ。それこそ、本当の死だわ』

「……」


 リルは台本を読むケインにルイザ・ローゼンシュバルツの影を感じた。

 声だって、年齢だって、性別すら違うのに、台本を読むために伏せられた目や、息の継ぎ方、ページをめくる指などがなぜかルイザを思い起こさせる。


『ねぇ、私はもう十分に生きたわ。今の私は、医学の力によって無理矢理生かされているお人形のようなものなの。私がこうしている間も、一息ごと、心臓の一打ちごとに私の魂は汚れていくの。そして輪廻の輪もどんどん私から遠ざかっていくのよ。こんなに、耐え難い苦痛はないわ。だからお願い。私を殺して。私の魂を解放して。自ら命を絶つことは、心弱い私にはとてもできないことだから。お願い。愛しているのよ、あなたを…』


『愛しているわ』


 と、もう一度繰り返してケインは台本から目をあげた。


「どうだ、アーサー。このセリフにどこかで聞き覚えはないか?」


 ケインが問う前から、アーサーの体は小刻みに震えていた。


「ど、どうして。あなたがそれを…」

「その答えを、お前はもうわかっているんだろう?」


 ケインはほとんど優しいと言うべき声でささやいた。


「お前はルイザに騙されたんだよ。お前はただ、新しいドラマの相手役をやらされていたんだ」

「嘘、でしょう?」


 ケインの言葉に、アーサーは苦しげに顔をゆがめる。


「じゃあ、なぜ僕がお前しか聞いたことのないはずの言葉を知っているんだ?」

「………」


 ケインの問いにアーサーは答えなかった。

 いや、答えることができなかった。顔からは血の気が引き、身体は震え続け、明らかに何かがその身に変調をきたしていた。

 ケインはそんなアーサーにさらにたたみかけるように話し続ける。


「ルイザはお前相手にゲームをしていたんだ。この、エリアル教徒の女の台詞を使ってな。お前がルイザを愛し、彼女の言葉を信じれば彼女の勝ち、信じなければ負け。そして彼女はそのゲームに勝ったんだ」


 ここでケインは一度言葉を切り、息を吸った。


「…本当に、ルイザ・ローゼンシュバルツというひとはすごい女優だよな」

「な、なぜ、ルイザはそんなことをしたのです?」


 ケインの言葉を理解し、認めてしまった哀れなロボットは、錆びついたような声で問うた。


「それは僕にもわからない」


 救いを求めるように見つめてくるロボットに、ケインは無慈悲に首を振った。


「だが、時間と才能が有り余る人間は、時折気まぐれでこういうゲームをしたがるのかもしれないな。そしてルイザはたかをくくっていたんだろう。たとえお前がどんなに彼女の言葉を信じたとしても、ロボット三原則を逸脱することなどできないと。でなければ人間が――それもあんな大女優が、たかが愛玩用ロボット相手に『愛している』なんて言うと思うのか?」

「そんな…」

「もう、やめなさいっ!」


 我に返った博士が叫んだときにはすでに遅かった。

 アーサーはケインの言葉を理解してしまっていた。

 アーサーは首を2、3度振ると、いっさいの動きを止めた。

 整った顔から全ての表情が抜け落ち、深青色の瞳は光を失いただのガラス玉と化す。そして文字通り人形が倒れるようにアーサーは床にくずおれた。

 ケインは足下に倒れるロボットを黙って見下ろしていた。

 彼はアーサーが完全に機能を停止した確認すると、その両手を戒めていた手錠をはずす。


「リル、捜査は終了した。署に戻ろう」

「ケイン…?」


 ケインの声は静かすぎて、かえって怖く響いた。


「ルイザ・ローゼンシュバルツはエリアル教徒だったが為の自殺。彼女の所有するロボット・アーサーはそれを阻止できなかったが為にロボット工学第一原則に抵触して活動不能に陥った。――これくらいで上層部も納得してくれるだろう」

「そんなの、何の解決にもなっていないじゃないか」

「解決なんてしなくて良いんだ」


 ケインは面白くもなさそうに言った。


「必要なのは誰もが納得できる理由だ。最初から分かっていたことだろう? 上層部が僕らに求めたのは『解決』なんかじゃなく、穏便に『処理』することだったじゃないか」

「でも、ルイザに死ぬ気はなかったんだろ? それに、これは三原則が施されたロボットが人間を手にかけた初めてのケースなんだぜ。もっとちゃんと調べなくてどうするよ」

「真実なんて誰も欲してはいない」


 そう言うと、ケインは手にしていた台本をおもむろに破り捨てた。


「それにもう、こんな殺人は起こり得ない。ルイザ・ローゼンシュバルツは死んだのだから」


 一瞬だけ、ケインの瞳に痛みに似た色が浮かぶ。しかしそれも数度の瞬きの間に消えてしまう。


「帰るぞ、リル」

「あなたは、事件を簡単に処理するためにアーサーを殺したのかっ!」


 出て行きかけたケインを糾弾するように博士が叫んだ。


「彼に真実を語られるとやっかいだから。私を招いて彼の三原則が機能していることを確認して、それを逆手にとって彼を殺したんだ!」


 利用された怒りからか、それとも最高級ロボットのひとつであるアーサーを破壊された怒りからか、彼は老いた顔を真っ赤に染めてケインにつかみかかった。


「あなたが言うような筋立てにするのに、彼を殺す必要はなかったはずだ。あなたのしたことはただのロボット殺しだ!」

「ロボット殺し?」


 ケインは整った顔に陰気な笑いを浮かべた。

 そして彼は部屋の隅に立っているマイトに問いかける。


「マイト。僕は殺人者かい?」

「いいえ」


 その問いにマイトは即答した。


「ロボットは人間ではありませんし、生きてすらおりませんので、博士のおっしゃった『ロボット殺し』という形容は適当ではないかと思われます」


 マイトはそう言うと、床に伏しているアーサーに目をやった。

 このような場合につくる表情はプログラミングされていないのであろう。少しも動かないその顔は、かえってこの事態を悲しんでいるようにも見えた。


「…だ、そうですよ。ウェイン博士。本日はわざわざご足労いただきありがとうございました。我々は上層部への報告もありますので、これで失礼させていただきます」


 慇懃に礼を言い、ケインは胸ぐらをつかみ続ける博士の手を解いた。

 彼は優雅とも言える一礼をし、今度こそ部屋を出ていった。


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