第七幕(1)ロボット殺し
ケインたちが部屋に入ると、ウェイン博士とアーサーは何か話をしていた。
「博士。検査の結果が出たそうですね」
「おお、そうだよ」
ケインが声をかけると、博士はようやく来たかと言わんばかりの表情で振り返る。
「ずいぶんと結果が出るのが早いですね」
「そんなに精密な検査を繰り返す必要もないほど、答えは単純明快だったからね」
彼はゆったりとソファの背にもたれかかるとだされていた紅茶をすすった。
ずずずと、音をたてて最後の一滴まで飲み干す。
「結果は、どうだったんですか?」
悠長な彼に苛立ったようにケインは結果を促す。
しかし、博士はそれに腹をたてた様子もなく、器用に右の眉だけを上げてみせた。
「うん、それなんだがね。君たちにはちょっと困ったことになりそうだよ」
困ったと言いながらも博士の目は若々しく輝き、この事態を楽しんでいるように見えた。
「困ったことって、じゃあ」
勢い込むリルに博士は鷹揚に手を振った。
「まぁそう慌てなくてもいいだろう? まず座りなさい」
博士は二人に椅子を勧めた。
そこまで言われては仕方なく、ケインとリルは二人掛けのソファに並んで腰を下ろした。
彼らの右隣にある一人掛けのソファに博士が座り、正面には機材をとりはずされたアーサーが座っている。
「で、どうだったんです」
「私が、ルイザを殺しました」
博士が口を開くより早くアーサーが答えた。
ケインはそれをまるでなかったことのように無視する。
「博士?」
身を乗り出しかけたケインの鼻孔をコーヒーの香りがくすぐる。
「どうぞ」
いつの間に準備をしたのか、マイトがカップを差し出していた。
「…ありがとう」
おそらく初めてマイトに礼を言って、ケインはコーヒーを口にした。
芳醇な香りとともに程よい苦みが下に染みる。
正直、疲れた身体と頭には熱いコーヒーが心地よかった。
ほぅ。
と、ケインは小さく息を吐いた。
「アーサーには、ちゃんと三原則が施されているよ」
ケインたちが落ち着いたのを見計らって、博士は穏やかに言った。
「そうですか」
十分に予想していた答えに、特に驚いた様子もなくケインはつぶやいた。
ただ昨日までの疲労がどっと出てきたように感じられ、彼は左手で目元を覆った。
リルはそんなケインをちらりと眺めてから、おいしそうに二杯目の紅茶をすする博士に目を移した。
「博士はルイザが殺されたときの状況をアーサーから聞きましたか?」
リルの問いに博士は首を横に振った。
「いいや。私がしたのはあくまで三原則のチェックだけだからね。そのようなことまでは聞いてはいないよ」
「では、それに対しての尋問を、アーサーに対して行ってもよろしいでしょうか?」
「リル?」
彼女の言葉にケインは顔を上げた。
それは自分が今まさにやろうとしていたことだった。
しかしリルはケインの方は見ずに真っ直ぐ博士を見ていた。
「それは私にも興味があるな。ぜひ聞いてもらいたい」
博士は快諾すると、子供のように好奇心に満ちた目をアーサーに向ける。
「ありがとうございます」
博士に礼を言い、リルはアーサーに向き直った。
「じゃあ、アーサー。話してくれ。お前がどうやってルイザを殺したのか。どんな状況で、どんな方法だったのか」
「はい」
アーサーはリルの命令に深く頷いた。
改めてアーサーの顔を見て、リルはルイザの部屋で覚えた違和感を思い出した。
そしてその理由に今更ながらに気づく。
何故かアーサーはケインによく似ているのだ。
髪や目の色が同じなだけでなく、雰囲気や所作まで似ている。
まるで、誰かがケインをモデルにしてアーサーを作ったのではないかと思うくらいに。
――昨晩の俺の冗談を誰かが実行していたのか? いや、まさかな。
リルは即座に己の考えを否定したが、アーサーが話し出すとその疑惑はすぐに再燃した。
「まず23時30分に私はルイザにワインと一緒に睡眠薬を飲ませました」
――やっぱり似ている。
瞬きのタイミングや息を吸う間や軽く目を伏せるときの仕草など、ほんの些細な行動がケインを思い出させる。
「…そして彼女が眠りに陥ったのを見計らってから、24時ちょうどに彼女の胸を生別されたナイフで貫きました。正確に心臓を貫いたのでほぼ即死だったとは思いますが、彼女の生命活動が完全に止まったのはその約15分後でした。ルイザに飲ませた薬には鎮痛効果もありましたし、規定量の約3倍を飲ませましたので、痛みはほとんど感じなかったと思います」
――ああ、でも怖い。
アーサーの淡々とした口調は、かえってリルに恐怖を感じさせた。
三原則が施されていながら人を殺し、その殺害の内容まで淡々と語る。
こんなことがあっていいのだろうか。
初めてリルはこの無害そうなロボットが怖いと感じた。
このロボットには、他のロボットにはない何かがある、と。
リルはぶるりと身を震わせて、自分の身体を抱くように腕を組みながら質問を続けた。
「その凶器のナイフは誰がお前に渡したんだ?」
「ルイザです。あれは特別に大司教さまによって清められたものだと彼女は言っていました。それで私はルイザの死後、彼女に命ぜられていた教義にのっとって彼女を清め、ナイフを握らせて朝を待ちました。朝になったら…」
「ちょっと待て」
いきなり出てきた聞きなれない言葉に、リルはアーサーの言葉をさえぎった。
「大司教とか教義って、いったい何のことだ? ルイザはお前に何を命じたんだ?」
「ルイザが命じたのは、教義に反した行いをしないことです。そうしないと、彼女の魂は正しい輪廻の輪に戻れないからと。ルイザは…」
ここで、アーサーは誇らしげに胸を張った。
「ルイザは、エリアル教徒として最高の死を得たのです」
「そうか! あのマークはエリアル教のものだ! やっと思い出した」
とリルが叫んだ。
そんな彼らの影でケインはそっと目を伏せる。
エリアル教とは、銀河系周辺部で最近問題になっている自殺を最も神聖な行為としている教団の名であった。7つの角を持つ星にAの飾り文字は、エリアル教のシンボルマークであった。
「まさか、ルイザがエリアル教徒だったなんて。でも、だからと言って何でお前にルイザを殺せるんだ?」
「それは、本当の意味での殺人ではないからです」
アーサーはその端正な顔に微笑みを浮かべた。
アーサーは自分が主人のために崇高な仕事を成し遂げたのだと信じて疑っていないようだった。
「私が行ったのは、魂の解放ですから」
「それが一体何だっていうんだ?」
「リル、もういい」
なおも言い募ろうとしたリルの肩にケインの手がのせられる。振り向いた彼女を目で制し、次いでケインが口を開いた。
「アーサー」
「はい」
それまでリルに向けられていた視線がケインに映る。
濃い青の瞳をケインは同じ色のそれで見返した。
「彼女は…ルイザはエリアル教の教義についてどんな風に語っていた? 正確に、どんな言葉ももらさずに再現して見せろ」
「かしこまりました」
アーサーが頷くと同時にカチリと、スイッチのはいるような音がした。
『命は死なない、魂は永遠なのよ』
次にアーサーの口から流れ出たのは本来のものとは全く違う声であった。
少しかすれた、少女のように可憐でいて、そのくせ成熟した女性の声。
その声をケインはよく知っていた。
『肉体という器を失った魂は、魂の国に還って現世の汚れを洗われるの。そして真っ白になった魂はまた新しい器を得てこの世に生まれ変わるのよ。だからたとえ肉体は滅びても魂は永遠なのよ』
それはまるで幼い子供にでも言い聞かせるような口調だった。
誰もが一度は耳にしたことのある美しい声は不思議な説得力をもって聞くものの心を震わせる。
『だからね。いつまでもひとつの器に魂に止めておくことは危険なの。長く現世にいればいるほど、その魂は汚れ、重くなってしまうから。あまりに汚れた魂は魂の国に永遠に封じられて、生まれ変わることができなくなってしまうのよ』
おだやかであるのにひどく悲し気な声。
ロボットが再現しているただの録音と変わらないはずのそれは聞くものの心を深く揺さぶった。
だがケインだけはアーサーがルイザの声で語るのを冷めた目で見ていた。
しかしその視線とは裏腹に、肩にのせられたままの手がどんどん熱くなっていくのをリルは感じた。
知らず知らずのうちに力が込められた指先が痛いくらいに食い込んできても、彼女は黙って耐えていた。
『それにね…』
「もういい」
ふっとケインは手を上げてアーサーの言葉を途中で遮った。
「お前は、ルイザのドラマや舞台を見たことがあるか?」
「はい。映像として残されているものでしたら全て」
唐突な質問にすら戸惑わず、アーサーは自分本来の声に戻って答えた。
「ケイン。いきなり何を言ってるんだ?」
こちらは素直に戸惑っているリルに問われてケインは笑った。
唇の両端だけをつり上げた、顔の筋肉だけで笑っているような笑い。
なまじ顔の造作が整っているだけにその表情はひどく作り物めいて見えた。
その笑みのまま、ケインはアーサーへの質問を続ける。
「ルイザの演技はすばらしかっただろう?」
「はい。ルイザはトップクラスの女優です。過去、現在の演技者と比較しても彼女の演技力は勝るとも劣るものではありませんでした」
「だが、お前はルイザの仕事自体には触れていなかった。そうだな? 例えば、これからルイザが何を、どんな役を演じようとしているかまでは知らなかった」
「おっしゃるとおりです」
「なら、話はこれで終わりだ」
突然、ケインは話を切って立ち上がった。
「R・アーサー。お前を殺人の容疑で逮捕する」




