第六幕(1)女優の寝室
ケインが女優の寝室に入っていったとき、リルはかけられていたシーツをはいでぼんやりとルイザの顔を見つめていた。
「どうかしたのか」
「ああ、ケイン」
ぼんやりとしたままケインを見上げて、リルはほぅとため息をついた。
「んー。なんか俺さぁ、ルイザの顔に見覚えがあるような気がするんだよなぁ」
「銀河一の女優、なんて言われている女性だからな。彼女の顔なんてそこら中に氾濫しているじゃないか。そのせいだろ」
「そういう遠い感じじゃなくてさ。もっと側にいて、よくしゃべっているような、身近にいる誰かに似てるような…。うーん?」
ぶつぶつとつぶやきながら、リルはもう一度ルイザに視線を戻した。せめて彼女が目を明けて動いて、少しでも会話をしたら思い出すかもしれない。
「…あいかわらずいい勘をしているな」
そんな彼女から少し離れたところで、ケインは低い声でつぶやいた。
「何か言ったか?」
「いや、何も」
「ところでケインはわからないか? 俺たちのそばにいるルイザに似た奴」
「特に思いつかないな」
そっけない声で言いながら、ケインは本棚の扉を開けた。
「気のせいとか、思いこみって言うのもあるんじゃないか」
彼は手にしていた台本を元あった場所にもどした。
「あれ、それもう読み終わったんだ」
「ああ」
リルもそれ以上考えるのをやめて、ケインの傍らに歩いてくる。
「どんな話だった?」
「興味がないんじゃなかったのか?」
ケインはリルに顔を向けた。
深青色の瞳がリルを捕らえ、それを見返したリルはアーサーと同じ色だなと漠然と思う。
「興味はないんだけどさ、なんとなく聞いてみただけ」
にっと笑うリルからケインは視線をルイザに移した。
「ただのメロドラマさ。ただ、銀河中を駆けめぐるスケールだけの大きい、ね」
「それだけ?」
「他に何が?」
逆に聞き返されて、リルはぽりぽりと頭を掻いた。
「お前に説明を求めた俺が馬鹿だったような気がする。しょうがないから自分で読むかな」
「そうしてくれ」
「でも、文字って読んでると眠くなるんだよなー」
などとつぶやきながらリルが手をのばしかけたとき、ケインの携帯電話が鳴った。
「はい、ケインです。…ああ、デニス」
課長の名に、リルは台本を手にしたままケインを見つめた。
ケインは時折前髪に手をやりながら、電話の向こうの話に聞き入っている。軽く目を伏せているために髪の毛と同じ色の睫毛が揺れるのがリルからはよく見えた。
彼女は職場の女性陣がケインのまつ毛の長さや濃さをひどく羨ましがっていたのを思い出す。
――まつ毛ながいなー。それにきれいにカールしてるよな。博士が人間にしておくのはもったいないって言ったのもちょっと頷けるよなぁ。それにしてもこいつすげー絵になるな。
この古風だけれども豪華な屋敷の雰囲気にケインの容姿は驚くほどにマッチしていた。
――あー、でもこうして見ているとうちの課の女性陣がケインの横に立つのをためらうのがわかる気がする。
と、リルは心の中でひとりごちた。
自分が彼のひきたて役になってしまうのはまだしも、自分が隣に立つことでこの独特の空気を壊してしまうような気がするのだと、女性たちは言っていた。
リル自身は自分の容姿にこだわりがなかったし、ケインが纏う空気が壊れようがどうでもいいと思っていたので普通に彼に近づいて友情をはぐくんだ。
そして関係が深まるほど彼が見かけほど派手な性格をしておらず、むしろ古風で頑固なのだと知った。
だが、ケインのこんな姿を見ていると余計に気になる何かが鎌首をもたげてくる。
昨夜も覚えた違和感。
「いや、違うな」
と、つぶやいてリルは唇に指を当てた。
この違和感は昨夜からじゃない。
そう、この事件が自分たちに回ってきたときからずっと感じていた違和感だ。リルはその理由がケインを見ることで分かるかのように彼を凝視する。
「はい…。はい。どうもありがとうございました」
電話を終えたケインは、リルが自分のことを見つめていることに気付いた。
「何だ?」
「いや、いい男だな。って、思って」
「ロボットのように、か?」
「そんなんじゃねぇよ」
博士の言葉を使って揶揄するケインにリルは肩をすくめた。
「この部屋にお前が似合ってるって思ったんだ。刑事なんかにしておくのは本当にもったいないよな。お前がその気になりゃ、俳優でもモデルでも、何でも成功しそうじゃん」
「冗談じゃない」
リルはケインが嫌がってそう言うのを見越してからかったつもりだったが、その反応はいつも以上に激しかった。
「僕は女優だの、俳優だの、そんな人種は大嫌いなんだ」
吐き捨てるかのような言葉にリルは思わず絶句する。
「あ…。すまない」
ケインも自分の過剰反応に気付き、気まずそうにリルから視線をはずした。
コンコンコン
偶然、彼が視線を移した先のドアがノックされる。
「…どうぞ」
一拍遅れてケインが返事をすると、微かな音がしてドアが開かれた。
ケインやリルの月給では一生かけても買うことなどできないであろう、樫の一枚板のドア。
マイトはその価値など全く気にかけた様子もなく、優雅に一礼するとするりと中に入ってきた。
「博士におふたりをお呼びするように申しつけられてまいりました」
「もう検査が終わったのか?」
リルは助かったと言わんばかりに声をあげた。
「はい」
「早いな」
ケインは訝しげな表情をした。
今まで何回かロボット心理学者の検査に立ち会ったことはあったが、こんなに早く終わることは初めてだった。
「結果はどうだったんだ」
「さぁ。私はあくまで博士の助手としてあの場にいただけですので、検査の結果に対して博士がどのような判断をくだしたかまでは分かりかねます」
そう言ってマイトは彼らを通すためにドアから少しだけ身を離した。
「そうか…」
そこでケインは何を思ったのか、リルの手から台本を取り上げるとドアへ向かった