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女優退場  作者: 滝川 聖
11/23

第四幕(2) 夜

「そんな顔をするなよ」


 リルはにやにやと笑いながらグラスを干し、手酌で空いたグラスに酒を足す。

 やや荒っぽいそのしぐさにつられたように長い髪が揺れる。普段は茶色く見える髪がひと房、ベッドサイドのランプの明かりで虹色に光った。


 リルは母方からチョーク星人の血を引いている。

 地球人とほぼ変わらぬ体格と見た目、交配可能な遺伝子を持つチョーク星人には地球人とは明らかに違う特徴があった。

 それは彼らは生まれたときには男女どちらの性も持っているというものだった。

 それは雌雄同体とはまた違い、幼年期の間は男性になったり女性なったりと性別が変化し続ける。そして思春期になるとジェンダーアイデンティティーの確立と共にどちらかの性に固定される。

 リルはその特徴を持って生まれていた。

 しかしリルの特異なところは、成人して数年経つにもかかわらずいまだにその性が固定していないということであった。

 今現在のリルは背が高く少しがっちりはしているが一目でそうとわかる女性の姿をしている。

 しかし何かのきっかけで突然男性体に変化することもあるのだ。

 その変化にリルの意思は反映されない。

 また完全なチョーク星人とも異なるために性の固定がいつ終わるかも、どちらの性になるかもわからない状態でいた。

 リル本人のジェンダーアイデンティティーがどちらであるかケインは知らない。

 一応ケインとはベッドを共にする仲ではあるが、ケインがヘテロであるため男性体のときは寝たことはない。

 だがリルはバイを公言しており、ケインと付き合う前は女性体でも男性体でも男女どちらとも寝ることがあった。

 それゆえあまり自分のジェンダーアイデンティティーを重要視していないのかもしれないが。


「本当はさ、俺の性別を固定する方法がないわけじゃないんだぜ」

「え?」


 リルの突然の告白にケインは声をあげた。


「まあチョーク星人向けの治療になっちまうから、完全に効果があるかどうか半信半疑ではあるんだけどな。どちらかの性別になっているときにそういう治療をすればそっちで固定もできるらしい」


 まるで明日の天気の話でもするかのように軽く、リルは己の秘密を告白していく。


「でも、俺にはどちらの性も選べないんだ。まあ生まれたときからどっちも持ってたからな。どちらの性も俺の性別だって思っちまう」

「そうか」

「グラスが空だぜ、まあ飲めよ」


 リルは何も言えなくなってしまったケインのグラスに酒を注いだ。

 ケインは素直にそれに口をつける。


――まあ、違和感も持っているんだけどな。


 酒を飲むケインの喉ぼとけが上下する様を見るともなしに見ながらリルは心の中でつぶやいていた。

 先ほどケインに言った『どちらの性も自分の性別』と思っているのは嘘ではない。しかしそれと同時にリルはどちらの姿である時でも、己の性別に違和感を覚えていた。

 十代のころはその違和感の理由がわからなかった。

 ただただ己に対して違和感を覚え、始終いらついていた。

 性別の揺れが己自身の揺れであるように感じて怖かった。

 それが自分の性別のせいだと気づいたのはいつの事だっただろうか。性別が変わることに違和感を覚えていたのではない。どちらの性になっても違和感を覚えるからこそ不安なのだと。

 そんなリルを救ってくれたのは家族だった。

 両親や兄弟たちがリルをリルとして受け止めてくれたから、彼女はこの違和感をも自分の一部として受け止め、性別の揺れもそのままに生きていくことができるようになった。

 それはとても幸運なことだったのだろう。

 そして今、ケインから感じる違和感や揺れが、己を己として違和感ごと受け入れる前の自分と似ているようにリルには思えた。


――まあ、俺が勝手に思っているだけかもしれないけどな。


 内心で苦笑し、リルはグラスを両手で持った。

 一杯目は水のように呷ってしまったが、本当はこの酒はそんな飲み方をしていい酒ではない。

 少し口に含み、鼻へと抜ける香りを楽しみながら横目でケインを盗み見る。

 彼は何かを考えながらグラスの中の液体を揺らめかせている。


――いい男だよな。


 と、リルは漠然と思った。芸能人などをのぞげば彼ほどきれいな顔立ちの男にリルはお目にかかったことがなかった。

 毛質のいいブロンドに冴えた青い瞳。身に纏う雰囲気が少々冷たすぎる感もあるが、こうしてグラスを傾けている姿なんてとてもロボット犯罪課の刑事になんて見えない。

 いっそのことモデルか俳優にでもなった方がずっと成功するのではないかと思うが、そんなことを言ったら本人は盛大にいやがるんだろうな、とリルはしのび笑いを洩らした。


「何だ」


 その振動がベッド越しに伝わったのか、ケインが顔をこちらに向ける。


「何でもねぇよ」


 近距離にある青い瞳がリルを捕らえる。

いつ見ても本当にすごい色だとリルは思った。そういえば彼のこの瞳をなんとかって女優に似てるって言ってた奴がいたな。あれは誰のことだったんだろう。

 ケインの瞳に見とれていたリルはそれが近づいてくるのに気づくのが遅れた。彼が瞼を閉じたときはじめて、キスしようとしているのだということに気づく。


「ん…」


 リルは目を明けたままでケインの唇を受けとめた。すっと、ケインの手が動き、すでに空になっていたグラスが奪い取られる。

 唇を重ねたまま、ケインはリルをベッドに沈めた。


「なぁ、すんのか」


 唇が離れると、リルはあけすけに口にした。

 その言葉にケインは形の良い眉をひそめる。


「この状態でそれをきくのか?」

「いや、だってさ」


 押し倒されたままの状態で、リルはぽりぽりと頭をかいた。

 どちらかというと色っぽい雰囲気とは無縁の彼女ではあるが、別に経験が無いわけではない。そもそもケインとは何度か身体も重ねている。ふたりでベッドに入っていればそういうことになってもおかしくはない。

 ただケインのほうがらしくないと、リルは思った。

 案外古風でモラリストなケインは、ベッド以外のところではそういう行為をやりたがらなかった。

大体ここは他人の家である。ホテルでのセックスも好まない彼なのに、ましてや殺人事件のあった屋敷内で…なんてもっともケインが嫌がりそうなシチュエーションだった。

 もの問いたげなリルの唇に、ケインはもう一度口づけた。


「嫌か?」

「別に」


 先ほどまでの会話のどこにその気になる要素があったのか、それともセックスで忘れたい何かがあるのか。


――きっと聞いても答えてはくれないだろうな。


 整った顔を見上げながら、リルは理由を聞くことをあきらめた。

 あえてそれ以上は何も言わず、彼女は少しあげていた頭を枕に沈める。

 そして彼女は両腕を上げてケインの首に回した。

 細身ながらしっかりと筋肉のついた肩の感触を掌で味わう。


――男の姿の俺とでも、ケインは寝れるのかな。


 漠然とそんなことを考えてしまって、リルは自分で自分の思考に驚いていた。

 どうやら先ほどまでの会話に影響されてしまったのは自分の方だったようだ。

 リルが男性体のときにケインと寝ないのはただひたすらにケインの性志向がヘテロだからだ。

 リル自身はどちらの性でもケインと寝ることに抵抗はない。

 ただ、ケインにNOと言われたくなくて、男性体のときに彼を誘ったことがないだけだった。


――男の俺はだめだって言われたらへこみそうだ。


 と、リルはひっそりとごちた。

 この事件にかかわったときからふさぎがちなケインに思考がひきずられてしまっているらしい。


――今そんなこと考えて仕方ないだろ。


 思考を切り替えるよう努力しつつリルはケインの服に手をかけた。

どうせなら布ごしなどではなく直に彼の身体を感じたかった。

 上半身を脱がして、きれいな形をしている鎖骨にリルは口づけた。

左の鎖骨のすぐ下にあるほくろ。普段は服に隠れてしまうそんな場所にほくろがあるのを、一体何人が知っているのだろう。

 微妙な独占欲にかられて、リルはそこにキスマークをつけた。


「そう言えばさ」


――またこんな事を言ったらムードがないとか怒られるかな。


と思いつつリルは言った。


「ルイザにも同じところにほくろがあったよな」


 びくりと、リルの胸に触れていた指が止まった。もともと体温の低い彼ではあったが、そこから一気に熱が引いていく。


「ケイン?」

「死んでしまった女の話なんて、もういいじゃないか」


 低い声でそう言うと、ケインは行為を再会させた。

 しかしそれには先程までの熱さはなく、何かを振り払おうというような性急さばかりが目立つ行為であった。


「んっ、ちょ、ケイン?」

「リルレイン」


 抗議の声を上げかけたリルの髪に口づけをし、ケインは彼女の名を呼んだ。

 それはリルの本名。ベッド上でしか呼ばれることのない名だった。

 その声に哀願の響きが含まれているのを感じて、リルは深々とため息をついた。


「…あのな、ケイン」


 これが彼でなければベッドサイドに置かれているランプでぶん殴っているところだ。


「こんなセックス、これきりだからな」


 そう宣言すると、彼女はケインに付き合うために身体の力を抜いた。


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