前編
昔々、とある王国にそれはそれは美しい指を持つと言われるお姫様がいました。
お姫様の指の美しさは国中に知れ渡っており、隣の国の王子様も一目見たいと思いやってくるほどです。
しかし、お姫様は毎日のように聞かされる指を褒められる言葉に飽き飽きしていました。
「どれもこれも、わたくしの指を褒める言葉は陳腐なものばかり。わたくしは聞き飽きてしまいました……」
隣国の王子様がどんなに言葉を尽くして褒めてもお姫様の心には届きません。
そんなある日。
遠い遠い、東の国からやってきた一人のサムライと名乗る男がお姫様に会いに来ました。
そしてお姫様の指を見て、サムライはこう言います。
「なんと美しい指なのだ。白魚のような指と聞いたことはあるが、まことにその通りであった」
聞きなれない誉め言葉にお姫様は首をかしげます。
白魚のような指……とはどのようなものを指すのか、サムライに尋ねるとこう答えました。
「半透明の白く、細く美しい我が故郷の魚のことです。その指一本一本がたおやかでしなやか。まさに白魚のような指と言えるでしょう……」
サムライは頬を染めうっとりとお姫様の指を褒めたたえます。
そしてお姫様も、今まで聞いたことのない誉め言葉に気を良くしてサムライに褒美を与えました。
それからしばらくして……。
サムライが去った後も、お姫様の頭の中には『白魚のような指』という言葉が残り続けていました。
「白魚のような指……どれほど美しい魚なのでしょね……あぁ、あのサムライの故郷から手に入れてきてほしいものです」
自慢の指の手入れを終え、うっとりと眺めているお姫様に召使が何の気もなく言いました。
「美しい魚のように例えられたのなら……姫様の指が水で遊ばれる姿は、さぞ映えるのでしょうね」
それを聞いた瞬間、お姫様はハッとします。
そしてすぐに召使に水を用意させると、なみなみと水が入った桶にゆっくりと指を浸けました。
「……なんて……美しいの……」
揺らめく水面の奥にあるまさに白魚のような指は、お姫様を一瞬で虜にしてしまいます。
ちゃぷちゃぷと指を動かせば魚が跳ねるように水面が揺れ、まるでそれぞれが美しい生き物のようですらありました。
それからお姫様は、一日の大半を桶に入れた水に浸した指を眺めることに費やすようになってしまいます。
しかしそんなことをしていたら指が荒れてしまうのは当然のこと。
あっという間に以前の美しさを失ってしまった指を見てお姫様はショックを受けます。
「どうしてわたくしの指は荒れてしまったのでしょうか……?」
お姫様は召使の仕事なんて知りません。お水仕事は手が荒れるなんてことも知らないのです。
「水が、悪かったの……? そう、そうです。魚は自分に合った水に住むと聞くもの。きっと水が悪かったのです!」
こうしてお姫様は、毎日のように新しい水を試すようになりました。
ある日は有名な火山地帯の温泉水。ある日は魔境と呼ばれる大霊峰の雪解け水。ある日は神域とすら言われた泉の水。
しかしどれを試してもお姫様の指は荒れる一方です。
「どういうことなの! どうして、どうしてわたくしの指は醜くなっていくの!」
お姫様は癇癪を起こし思わず桶の中身をぶちまけ、桶を召使に投げつけてしまいました。
カンッ! と音を立てて召使の額に当たった桶は床に落ち、召使の額からは真っ赤な血が流れてしまっていました。
「あ、ご、ごめんなさい、わたくしとしたことがなんてこと……を……?」
最初は慌てて召使に謝ろうと近づいたお姫様。しかし、その額から流れる血を見て動きが止まってしまった。
「……姫様……?」
額から流れる血を拭おうとした召使の腕をとっさに掴み制止するお姫様。困惑する召使をよそにお姫様の手はゆっくりと流れていく血に近づき、その『白魚のような指』で掬い取りました。
「………………美しい……これです、これだったのです……」
指の腹が赤く染まり、重力に従って流れていく赤い血をみてお姫様は声を漏らします。
頬は染まり息が乱れ、指を流れる血に興奮が止まりません。
「そう、魚と同じに考えていたからダメだったのですね……私の指は、魚ではない……」
恍惚とした様子で血が流れ落ちる指を見るお姫様。
召使は、お姫様を見て何か恐ろしいことが起きる予感が止まりませんでした……