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futari

作者: matsu

まだまだ熱い夏の日私は人生で最高の瞬間を迎えていた。

無数のフラッシュが私を照らし最高の笑顔をカメラに向けていた。きっと撮影しているカメラマンの人も私の笑顔につられて笑顔でシャッターを押しているだろう。

念願の直木賞受賞と同時に私の売れっ子作家への道はスタートを切った。受賞した作品はありふれた恋愛小説だが、表現並びに言葉のタッチが絶妙で老若男女安心して読めて、共感してもらえる小説だ。

私の名前は志村愛子29歳。都内で保育士をしながら一生懸命小説を書いて来た。実体験ではないが、我ながら見事な出来映えに仕上がったと思っている。

私の家はワンルームのアパートだが狭いながらも二人で暮らしている。同居人というか、相棒というか、私の分身といったらいいのか、とても大切なパートナーだ。彼女の名前は坂下由美同い年だ。彼女との出会いは20年以上前の事になる。

この春から小学生という時に父の転勤の為埼玉県に引っ越して来た。家は大きな団地に暮らす事になった。子供ながらに仲良かった子と離れてしまう事が悲しくて引っ越しが決まった時からいつも膝を抱えて泣いていた。ましてぜんぜん知らない街で新しい小学校。寂しさと不安だけは覚えている。

入学式の少し前に引っ越しになった。全て運び出されて空っぽの家の玄関のドアノブに必死にしがみついて泣いて抵抗した。どう考えても無駄な抵抗なのだがそれぐらい嫌だった。それから半ば強引に父の車に乗せられ埼玉へやって来た。

団地の3階に我が家はあり引っ越しの作業の邪魔になるというのですぐ前の公園で遊びながら作業が終わるのを待つことにした。特別珍しい遊具は無く王道のブランコに乗り漕ぐわけでもなく少し動かしながら仲良かった子達の顔を思い出していた。

同じ歳くらいの子供達は何人かいてグループで遊んでいた。チラチラと視線が気になったが、その中に入って行く勇気が私には無かった。多分向こうの子達も見慣れない顔にどうしていいか分からなかったと思う。

どれくらい時間が過ぎたのだろうか?全然迎えに来てくれる気配は無い。団地の方を見るとまだトラックは止まっている。作業は終わっていない。だんだん視線が鋭くなっている気がしてならなかった。私は回りを見渡した。すると鉄棒の側にベンチがあった。私は立ち上がりベンチへ移動した。

するとグループはブランコで遊び始めた。私がブランコを陣取っていて遊べなかったので鋭い視線を送っていたんだと分かった。私は何だかホッとした。私はベンチに座りまだどのくらい掛かるのか分からない作業を待つことにした。

あのグループはぜんぜん私の方を見なくなった。それはそれでつまらない。目が合いそうになると視線をそらすという心理ゲームはなかなかスリルがあって楽しかった。そのうちグループは一斉に帰って行った。この公園は出入口が2つあるのだが、帰って行った方向からすると新しい住まいの団地の何処かに住んでいる子達だろう。

そういえば私が座っているベンチから少し離れた所にある砂場でしはらく前から遊んでいる女の子がいる。やっぱり同い年ぐらいだ。砂を集め山を作り作り終わったら上から潰して山を作る。ずっと同じ事をしている。私はその動作をずっと見ていて直感でこの子となら話が出来ると思った。

私は少しずつ近づいて行き声を掛けるタイミングを伺っていた。山を作り両手でパンパンと叩いて形を整えそれを崩し始めた時、私は「今だ!」と心の中で叫び「こんにちは」と声を掛けた。するとこちらを向き数秒固まり私に軽く会釈をした。これが由美との出会いの始まりだった。

すると由美はまたすぐ山を作り始めた。私はどうしていいか分からず暫く見ていた。「そうだ!私も砂場で遊べばいいんだ!」自分なりの解決策を思い付いた時、「愛子終わったよ」と母が迎えに来た。私は「うん。分かった。」と返事をし、山を作っている由美に向かって「じゃあね」と声を掛けた。今度は返事はおろか会釈も無かった。変な子だなと思いながら新しい家に向かった。

前のアパートよりはいくらか広くなっただろうか?私の部屋もちゃんとある。勉強机に本棚と置いても布団を敷いてもまだ何か置ける余裕がある。私は凄く嬉しくなった。

友達にお別れの時にもらったぬいぐるみを机の上に置き、椅子に座りぬいぐるみに話し掛けた。この机も小学生になるというので新しく買ってもらったやつだ。つい何時間か前まで大泣きしていたのがまったく嘘のようだ。

父と母は運んだ物を整理していたが、一段落すると私を連れて挨拶に出掛けた。すぐ隣のお宅は留守らしい。ピンポン押しても返事が無い。続いてその隣のお宅に行った。今度は「ハーイ」と返事があった。私達三人がこちらに来たことを説明した。出て来たおばさんは母と同じ位の人だろうか?私を見て「何年生?」と聞いて来たので「今度小学生です。」と答えると「うちも同い年の女の子よ。」と話、「由美新しいお友達が出来たわよ。」と奥の方に声を掛けた。

たどたどしく現れた女の子はそう砂場の子だった。私は思わず「あっ」と声を出してしまった。するとおばさんが「知ってるの?」と聞いて来たので公園での出来事を話した。その間に女の子は奥へ行ってしまった。おばさんは「少し人とお話しするのが苦手な子なのよ。だから仲良くしてくれないかしら?」と言うので私は元気良く「分かりました!」と返事をした。おばさんは

「よろしくね」と最後に言い別れた。それから何軒か挨拶をして回り家に戻った。

私はさっそく自分の部屋に行き部屋の広さを味わうように寝転がってみた。非常に嬉しい。何も無いのにニタニタしてしまう。私は天井を見ながら由美の事を考えていた。砂場での初めての出会いから何となく感じるものがあった。

次の日も私は公園に出掛けてみた。真っ先に砂場を見るとやはりいた。山を作っている。私は近寄り「由美ちゃんでいいんだよね?私は愛子よろしくね!」と元気良く話し掛けた。するとこちらを見て数秒固まったあと小さい声で「よろしく」と返事が来た。「それだけ?」と思ったが初めて声を聞いたし返事をしてくれた事が嬉しかった。

その後は何を話していいか分からなくなり私はそのまま帰ってしまった。あと数日で学校が始まる。小学生だ。真新しいランドセルを用もないのに何度も背負い足踏みをした。そうしているだけでワクワクして来た。

入学式も無事に終わり私は由美と同じクラスになった。みんな初めての顔だったが由美だけは違った。いろんな子に話し掛けられ私は話し掛けた。その間もずっと由美を見ていた。話し掛けられはするが自分から話し掛けはしない。だんだん中央から端に移動しているのが目に見えて分かった。

下校時間になった。親も一緒に帰るのだが、うちの母は由美のお母さんと凄く仲良くなっていたので親同士子同士のコンビに別れた。私はいろいろな事を由美に話し掛けたが、返事は「うん」か「そう」だけだった。

私の話が面白く無いのかな?と考えていると目の前に団地が見えて来た。家はもうすぐそこだ。別れ際「由美ちゃんまた明日ね!」と私から言うと「さよなら」と返事が来た。口数は本当に少ないが少しずつ会話になってきている。

そんな少しずつの手探りな日々が続いた。由美も本当に少しずつだが会話が増えて来ているような来ていないようなそんな感じだ。私は他のいろいろな子とも話すし遊ぶ。由美は他の子とは挨拶以外は話をしているのを聞いたこと無いし見たことが無い。

だけど私とは挨拶以外にも話をする。そんな由美は私にとって特別な存在になっている。また由美にとっても私が特別な存在なんだろうと勝手に思っている。

三年生になった。この頃の由美は凄く打ち解けて来た。でも私にだけだが会話も少しは弾むようになって来た。由美は国語が得意だった。特に作文はいつも先生から褒められていた。私はそういうのはぜんぜん駄目だったので憧れの眼差しで見ていた。

ある時私が「ね〜由美、交換日記しない?」と持ち掛けた。「私と愛子で?」と目を丸くしていたが「その日の出来事や思った事を自由に文にして交換するだけだよ。」と私は説明した。由美は「面白そうだからやってみようか。」と賛成してくれた。

次の日から交換日記が始まった。一冊のノートの1ページが一人の受け持ち。私は埋められる日は少なく絵などで誤魔化した。

でも由美はしっかり文字で埋めていた。そこには今まで聞いたこと無いような思いや感情が書かれていた。私は由美に「口に出すのが苦手でも文字にすれば伝わるんじゃないの?」と私の意見をぶつけてみた。すると由美もそう感じていたようで私に「ありがとう」と言って来た。

やがて六年生になった。交換日記はまだ続いている。由美には独特の感性なんだろか、表現の仕方が素敵過ぎる。友達と遊ぶ事も無いので本ばかり読んでいるうちに養われたのだろうか?私は由美に冗談で「小説でも書いたらいいんじゃない?」と言った事がある。その時は「無理無理。」と言っていたがその頃から実際に書いていたようだ。

中学生になった。私は成績はぜんぜん良くないものの、みんなのムードメーカー的存在になっていた。由美は相変わらず周りとは馴染めずいたが、私の一番の親友という事でイジめられる事も無く学校生活をそれなりに満喫していた。文章作りは相変わらず天才的で、学校行事でも活躍しその時は注目される存在になっていた。

私はたまに表舞台に立つ由美を尊敬の眼で見ていた。それは私には真似できない事だし、由美は活躍し褒められた時は他の子には見せない笑顔を私に見せてくれる。それは私にとってとても嬉しい時間になっていた。

これまで放課後や休日に何度お互いの家を行き来しただろうか。もしかすると家族と一緒にいる時間と同じ位の時間を由美とは一緒に過ごして来た。これからもそうなるのだがこの頃から由美の作家活動は少しずつ開花して行った。

高校も同じ学校になった。由美はもっと良いところに行けたはずなのに私の成績で入れる高校に合わせてくれた。「愛子と別々の学校は嫌だから。」と何とも嬉しい事を言ってくれた事もある。

入ってみたのはいいが、私は必死にやって付いて行けるくらいの成績だったが、由美は常にトップクラスだった。

私は社交的に振る舞っていたが、成績優秀で寡黙な由美のほうが何故かモテた。恋愛の話は何度もするが由美はこういう事にも消極的でいた。違う友達から由美を好きな男子がいると聞かされた時、その男子の名前を聞くと私も憧れている人だった。私は自分の事じゃないけど、嬉しくなり真っ先に由美に教えた。でも興味無いような返事だった。この時ばかりは少し嫉妬した。

でも由美は恋人に関してはしっかりした考えを持っていて、「お互い彼氏が出来たり結婚する時は直前まで秘密にしていようね。」だった。私は彼氏が出来たら由美と過ごす時間は当然少なくなるだろうからその報告の直前までは変わらずにいようという考えなんだと捉え、それを二人の約束とした。

もうそろそろこの先の進路を考えなくてはならない時期になった。私は小さい子供が好きなので保育士になりたいと前から思っていた。由美は調理師と栄養士の資格を取り学校の給食を作る仕事をしたいと言っていた。そんなに人と会わないで済むだろうからという由美の考えは実に由美らしいと思った。

同時に由美と別れる時が来る。小学生入学時からほとんど一緒に過ごして来た。別れると言っても休みの日とかはいつでも会える。けど、消極的で引っ込み思案な姿を見ていると心配でたまらない。私が居なくてもやって行けるのだろうか? そんな事ばかり考えるようになった。

二人とも進学先が決まりいよいよ卒業という時がやって来た。由美は私に原稿用紙が何枚も入った大きな封筒を持って来た。「実は結構前から小説を書いていたの。読んで。」と私に渡した。私は「読んでみる。」と預り早速その晩読んでみた。内容は仲の良い3人グループが山に探検に行き洞穴を見つけ中に入ってみると江戸時代へタイムスリップしてしまうという内容だった。

私は読んでみて内容を表す言葉遣いなどは非常にいいのだが、江戸時代というのがピンと来ないかな?という感想を素直に伝えた。すると由美は「江戸時代についていろんな本を見て勉強してやり直すよ。」と私の感想に怒らず耳を傾けてくれた。

私はそれが楽しみだった。由美という人間を知っているから余計かもしれないが、小説というものを好きになった。由美は私に読ませるためだけに一生懸命小説を書いた。私の喜ぶ顔を見たいというのが本音だったのだろう。口では気の利いた冗談を言う事も出来ないから小説に託したのだろう。

私は幾つかの作品を読んでいるうちに私だけじゃもったいない気がしてならなかった。由美は他の人に見てもらう物じゃないとは言うが二人でいろいろ話し合いいろいろな賞に出品してみる事にした。もし何も賞を取れなくても悔い無しという事でいろんな所に出してみた。

由美は自分の名前で出すのにどうしても抵抗があるみたいで、私の名前で出す事となった。由美はゴーストライターになってしまうが、もし賞が取れて表舞台に立つという恐怖よりは私の名前で出したほうが気が楽だというのだ。

私も正直に言うと自分では良い作品だなと思っても、他の人やまして審査員の人達にはウケるのかさっぱり分からない。だから当然取れない物として考える事にした。

専門学校も就職活動をする時期になった。私は成績はいまいちだったが、好きな事をやっているので何とか卒業出来そうだ。就職先も都内ならたくさんあるだろうし上京する事にした。親は私の自由にしなさいという事で理解してくれた。

由美にも話をした。すると自分も私が勤める保育園の近くの学校を探すという事で二人で一緒に暮らして行こうという事になった。私はこっちより人がたくさんいるし心配だったが、「愛子と一緒なら何とかなる。」という由美の言葉に決心する事が出来た。

アパートを探したが家賃が高くとても広い部屋は手が出ない。どうしようか結構悩んだがお互いが必要最低限の荷物だけにすれば、ワンルームで何とかなるだろうという事で小さい部屋を借りる事にした。

お互い無事に就職先も決まり部屋も決まり新たな生活が始まる事となった。由美の小説は何処にも入賞しなかったが、また落ち着いたら新たな視線で書いてみるという事で少しお休みとなった。

部屋の狭さにイライラしながらも何とか面白くおかしく過ごす事が出来た。他でもない由美が一緒という絶対的安心感が私の支えとなっていた。

同じく由美も私と一緒という事で何か嫌な事があってもどうにかこうにかやっている。由美は料理や洗濯などの水仕事をほとんどやってくれる。私は得意じゃないし好きでは無いので非常に助かっている。

お買い物などは私が率先して出ている。食材から洋服から日用品まで私が買って来ている。私は結構オシャレには自信があるので、そのセンスで買ってくる為由美も性格とは少し違った格好をしている。それは下着から上着までものすごく明るい子が好む格好なのでギャップが凄くあり、それはそれでとてもかわいい。

もう少しで6年になる。また最近由美は小説を書き初めている。やはり文を書くのが好きなのだろうか?書き始めるとテレビも付けずに黙々と書いている。私は側で物音を立てて邪魔しないように本を読む。

そうやって由美の作家活動が本格的に始まった。言葉の選び方、目を閉じると思い浮かぶ風景その全てはやはり成長していた。私達も成長しているんだから当然だろう。大人の書く小説と言ったらいいのか分からないが、確実に進歩していると思う。

私自身も仕事がようやく一通り覚えられて波に乗っている時だ。多分由美もそうなんだろ。だから今まで書けなかった分頑張って書いているんだろう。私は口には出さないが今度は何か賞を取れそうな気がしてならない。

真剣に作品を書いている由美を眺めているのもまた楽しい。普段の頼りない顔とは違い、獲物を狙うハンターのような眼差しだ。知らないうちに結構時間が経っている。そんな日々が続いた。何作か出来上がりその中で傑作じゃないかという恋愛小説を出す事にした。あと何年もしないで30歳になるので、20代最後の記念も込めて。

暫くして私の所に直木賞受賞の電話が来た。私もそこまでの思い入れは正直無かったが、電話を切りそのあとの時間の経過と共に喜びの実感が湧いて来た。由美も当然喜んでいたが、やり尽くしてしまったのか私よりはぜんぜんクールだった。

その日の夜は二人でレストランに行き二人だけで祝杯をした。由美は「私はただ物語を書く事しか出来ないからそれ以外の事は愛子にお願いする。」と言って私の名前で受賞して今後も私の名前で作品を出す事となった。

受賞式も終わりインタビューもそつなく終わった。初めての事で良く分からずほとんど勢いでその時を済ませた。私の勤め先には今後休むことが多くなるというのを伝えた。事が事なのでみんなが理解とお祝いをしてくれた。

出版社の人もいい人が付き、いろんな事を教えてくれた。今まで由美が書いたものを全部見てもらい、その中から三作ほどを段階的に本にする事も決まった。印税も受賞作だけで私の仕事の年次の10倍以上にはなるだろうという事も教えてくれた。

それから私の生活は急変した。直木賞受賞作家という事でテレビに何本か出させてもらったが、その時のウケがよかったらのか、継続してテレビに出れるようになった。もともと社交的な性格が良かったのかバラエティーからコメンテーターまで幅広く出させてもらい作家だけでは無くそっちでも人気が出て、私は凄く忙しくなった。

その辺のタレント以上にテレビの仕事はくるし、出演料も半端じゃなかった。本の印税も入ってくるようになり私は一気に大金持ちになった。といっても半分以上は由美のおかげでもある。

私は由美に「もっと広い所に引っ越そう!」と提案した。由美はそれは構わないけど今のワンルームも借り続けたいと言っている。私は二人の出発点でもあるこの思い出の部屋だからそれもありだなと思い、住み続けながら探す事にした。

今のワンルームに程近い所に8階建てのマンションの最上階の角部屋が売りに出ているのが見つかり私は一目惚れをした。早速中を見に由美と出掛けた。中の広さに感動しまくった。価格は現金で余裕で買える値段だった。由美はそこまでって程喜んではいないが、それぞれの部屋が持てるという事で賛成してくれた。

私は即決で購入を決めた。ベランダに出てみると今自分のいる高さに感動する。この上から下を眺める景色そしてこの部屋が私の物になる。そう思うだけで興奮してくる。何もかもが手に入りそうで不安の欠片も感じずまさに幸せとはこういう事かと実感出来る瞬間だった。

賞を取った小説も順調に売れ次の作品もまずまずのスタートだった。私はいくらか自由に出来るテレビには必ず2作目の小説を持って行き宣伝しまくった。どうしても受賞作というインパクトの大きい作品よりは宣伝が必要で私なりに頑張ってみた。本の中身もほとんど丸暗記出来るほど読み、どの場面でも質問に答えられるように努力した。

たまに評論家の人が辛口のコメントをする事もあったが、私は受け入れ「次回の作品の参考にします。」と答えて来た。「次回作はどんなやつを?」と質問されるのが一番困っていた。出版社へのストックから順に本は出されるがまだ丸暗記するほど覚えていないからだ。

出される本が分かり次第それを何度も何度も読む。そうやって二人の秘密を守って来た。それは由美に好きで楽しい事を続けて欲しいという願いからだ。

私は仕事をとっくに辞めていた。好きで始めた事だけど作家兼タレントのほうがよっぽど稼げるからだ。でも由美は仕事を辞めないでいた。そんな事しなくても楽に食べて行けるはずなのに辞めないでいた。私は由美に仕事を辞めて欲しかったが何故か賛成してもらえず、この頃から少しずつすれ違う生活になってしまった。

テレビの仕事は何故か夜遅くに終わる事が多い。明くる日ほ私は遅くまで寝ていられるが、由美はそういう訳にはいかないので、ワンルームのほうで寝泊まりする事が多くなって行った。でも土日は休みになるので金曜の夜はなるべく私も早くに帰るようにして大きいマンションで二人で過ごすのを楽しみにする日々が続いた。

これまでに4作品出版となった。受賞作ほどの売り上げは無いもののまずまずの売れ行きで印税だけで莫大な金額となった。ちょうどこの頃出版社の人からも「そろそろ次回作を。」とプレッシャーを掛けられるようになった。

それはもちろん由美次第だが、行き詰まっているのかなかなか書けない日々が続いた。私のタレント活動も勢いは無くなったものの何とか続いていた。演者さんと視聴者からも「そろそろ次回作を。」という期待が凄くなり私は作り笑顔で「今、凄いのを書いています。」と言うのが精一杯の答えとなっていた。

私は最初は急ぐ事無い。慌てず傑作が書けるのなら。と思っていたが、何も成果の出ない時間が過ぎて行くとだんだん苛立って行った。時には由美と衝突する事もあった。しかしそれでも慌てる素振りを見せない由美に余計に苛立っていた。

一回は私自身でも何かをと考えたが作文の延長に過ぎずとても人に読んでもらえる内容じゃ無かった。本当に由美頼みであり由美が書いてくれなければこれまでもそしてこの先も無いんだなと痛感させられた。

私もここは我慢だと自分に言い聞かせて暫く待っていた。由美も頑張ってくれて、2作品を出版社に出してみたが出版までには至らなかった。私が読む限りでは悪いものでは無かったのだがハードルが上がっているのだろうか?厳しい評価となった。

由美も書きたい気持ちと何を書いていいのか分からない気持ちと常に戦っていた。由美の本音は売れる売れないは関係の無い事なのかもしれない。ただ小説という唯一の自己表現を書いて行きたいというのが本当の気持ちなんだろう。でも、もう後にも引けない厳しい状況となっている。

本が売れてお金も入って幸せいっぱいのはずだったのに、最近はとても暗い。気持ちが乗らない。テレビの仕事もだんだんやっつけ仕事になって来ている。それは自分でも十分分かっている。

何が原因なのか自分でも分からない。ただこのままじゃいけない。でも漠然とそうおもうだけでどうしたらいいのか分からない。そんなモヤモヤした日々が続いた。

ある日収録の予定がありテレビ局まで行った時に急にキャンセルになる事があった。収録は無くなるんじゃなくて延期という事で

私は急に時間が出来たので、必死で小説を書いているであろう由美の元へ差し入れを持って行くことにした。

書くことに集中したいという事でしばらくワンルームで暮らしている。私は建物に近づいて行くと同時に二人の出発点である建物がもっとずっと昔の話のような遠い場所にあるような不思議な感覚にとらわれていた。

鍵は自分でも持っているが、驚かしてやろうと思い、インターホンを押してみた。1回少し間を置いて2回。返事は無かった。仕方なく自分の持っている鍵でドアを開け中に入ってみた。由美は留守だった。「珍しいな。」と思いながらも久しぶりの出発点の雰囲気を味わっていた。

家具などは変わっておらず掃除も行き届いていた。由美が暇をみてやってくれているのだろう。小説を書くときに向かっている机に目を向けた。机の上は綺麗に整頓されていた。でも私は少し違和感を覚えた。「無い。」書きかけているはずの原稿用紙が無いのだ。

由美にはこだわりがあって、こんなにワープロパソコンと言われている時代でも原稿用紙に物語を書いている。鉛筆で書くのだが、削るのもナイフで削る。そんな姿を見ていてただそれだけでただ見ているだけで良かった時もあった。しかし原稿用紙はどうしたのだろう?

この時何故か私は胸騒ぎがした。もしかしたら由美はまったく小説を書いていないんじゃないか?そんな悪いことばかり考えていた。1時間くらい過ぎただろうか?全く帰って来る様子は無い。

私はとりあえず由美の携帯電話へ掛けてみた。電源は入っていなかった。私はこのまま少し待つことにした。その間由美との思い出の詰まったこの部屋をずっと眺めていた。もうどのくらい由美とは一緒にいるのだろう?気付けば長い長い付き合いだ。

私はまた由美の携帯に掛けてみた。変わらず電源は入っていない。もう待てないと思い、置き手紙を残して帰ることにした。自分の鞄から手帳を出し1枚切って暫く待っていた事、携帯に掛けてみた事を書こうとした時玄関でガチャガチャ音がした。

「由美、おかえり。」私に出迎えられてびっくりしていた由美だったが、それ以上に由美の姿に私がびっくりしていた。見た事無いような派手目の服に厚い化粧。自分の殻に閉じこもり気味な由美とは正反対の格好だった。

私は収録が延期になって時間が出来たので寄ってみたと説明した。由美は仕事場の人とご飯を食べて来たと説明していた。でも嘘をついている。私には分かる。でも私は由美を責めたくなかったので分かったふりをしてその場は別れて来た。

私はいつも午後から行動する生活だったが、次の日から少し早く起きて行動するようにした。それはワンルームを見に行くため。由美の行動を知るためにだ。その時間なら由美は必ず仕事に行っていて部屋には誰もいない。何日か偵察をしてみたが、小説を書いた気配すらない。

やがて週末になるので、私は由美をご飯に誘った。しかし、小説を書かなきゃならないという事で断られた。それは仕方の無いことと自分に言い聞かせた。でもやっぱり気になって土曜日の夜11時頃部屋の前の通りを通ってみたが明かりは消えていた。疲れて寝てしまったのだろうか?それとも集中し過ぎて机の灯りだけで書いているのだろうか?訪ねようかやめようか考えて同じ道を行ったり来たりしていた。

すると向こうからこの間の由美に似た格好の人が歩いて来た。私はとっさに反対側にある電柱に隠れた。その人は私に気づきもせずワンルームの部屋のある建物に入って行った。薄暗くて良く分からなかったが、あれは由美だったのだろうか?信じられない気持ちのまま私達の部屋に目を向けると部屋の明かりが付いた。

由美は出掛けていたんだ。事実を知ると急に悲しくなった。こんな事しなければ良かった。ただ小説を書いてくれているというのを信じて待っていれぱ良かった。今さら後悔しても遅い。私はその晩から眠れなくなった。

考えれば考えるほど悪い方向に思考が傾く。別に出掛けるのはかまわない。私以外にも付き合いがあるだろうから当然だ。ただ小説を書かなきゃならないという嘘の理由はいらないだろう。なんでそんな嘘をつく必要があるのだろう?そもそも小説は書いてくれているのだろうか?

そんな事を考えモヤモヤする日々が続いた。由美を信じ抜きたい私と信じられなくなっている私がいる。私は一人で考えていてもどうにもならないので探偵を雇って身辺調査をしてもらう事にした。由美には悪いがそれしか考えられなかった。

とりあえず1週間偵察してもらう事にした。その間ももちろん連絡はしたし会いもした。ただ小説については由美のほうから私に話すことは無かった。私から聞いても「書いてる途中。」と答えるのがほとんどだった。出版社の人もたまに連絡してはくるが、私も「今はいいのが浮かばない。」と言うのが精一杯の答えとなっていた。

調査をお願いし、予定期間の1週間が過ぎ報告書が出来たと探偵事務所から連絡があった。私は近所の喫茶店で報告を受ける約束をした。私が自分で探偵に身辺調査をさせておきながら、内心は祈っていた。おかしな部分が出て来ないように祈っていた。

約束の時間が近くなるので、喫茶店へ向かった。探偵を頼んだ事に後悔や罪悪感も少しあったが、おかしな所が無いならそれはそれで立証されるだろうからそうである事を願っていた。喫茶店に付きテーブルに向かい合わせで探偵と話した。

報告書と見出しの付いた紙には月曜日から日曜日までの行動が書かれていた。その中で土曜日の6時頃の内容に目が止まった。その日は私が夕飯に誘ったのだが珍しくノリノリで小説を書いてるというので諦め会わずにいた日だ。報告によると6時頃出掛け11時頃帰宅となっている。最初はファミレスで男性と会いその後カラオケ、居酒屋と行ったそうだ。

彼氏が出来たのかな。そう思っていた私に探偵は徹底的な写真を見せて来た。そこには年齢的には同じくらいであろう男性に由美が大きな茶封筒からたくさんの紙を取りだし見せている写真だった。二人とも笑顔だが特に由美の笑顔は眩しいほどだった。

私は瞬間的に由美が男性に小説の原稿を渡しているのだと思った。私じゃない人のゴーストライターをしている。つまり私を裏切っている。そう見える写真だった。私は全ての書類と写真をもらい報酬を渡して探偵と別れた。決して安くなかったが調べてもらった価値はあった。

私は自分のマンションに戻りしばらく呆然としていた。なぜ由美は裏切ったんだろう?自分の何処がいけなかったんだろう?何故もっと早く気付かなかったんだろう?最初はそう考え自分だけを責めていたが、時間とともにやっぱり由美が裏切ったんだから一方的に悪いと心境は変化して行った。

そしてその思いは由美への憎しみへと変わって行った。何で?どうして?約束を破り裏切ってまでも私じゃない人のゴーストライターをする必要があるの?そんな思いで私は満たされない自分の心と葛藤していた。

私は由美とこれからどうしようか考えていた。解決出来るなら解決したい。というかしなければならない。ただ今すぐは私も冷静じゃないので少し様子を見て話し合う事にした。来週私の誕生日もくるしそれまでに解決しようと決めた。

それまで由美と連絡を取ったがやはり私のほうがぎこちなかった。真実を知っている以上それを隠しながら冷静にするのは大変だった。その間も私はいろいろ考えた。何処で歯車が狂ったのだろうか?周りや私が期待し過ぎたのだろうか?いつしかただ小説を書き表現するだけでは済まなくなってしまったプレッシャーからだろうか?

思えば直木賞を取る前はそれはそれで楽しかったはずだ。ところが本が売れて私が有名人になり生活の質が上がり欲しい物が何でも手に入るようになった。由美もただ書けば良いでは済まなくなってしまった。その反動なんだろうか?でも売れる小説を書いてもらわなくては困る。これまでに手にした物の維持費などかなり高額になるからだ。

私からの小説に関しての問いには相変わらずの返事だった。私のほうの小説まで手が回らないんだろう。写真の男性に書いてやるのが終われば書いてくれるだろう。いつしかそんな気持ちになっていた。私から写真を見せて正直に話してくれたら許してやろうとさえ考えもするようになった。

いろいろ考え悩んでいると由美にメールするだけでも苦しくなって来た。全ての真実を知りわだかまりを無くせばまた元のようにやっていけるのだろうか?そもそも真実を知る事が怖い。どうしても思い切り由美を責めてしまいそうだ。それをしては駄目だと頭では分かっているがその時になって自分を押さえられるか、かなり心配だ。

そんな事を考えている時に由美から連絡が来た。私に話があるという事で夜会いたいと言って来た。私は「分かったよ。」と返事をしたものの、不安で仕方無かった。あの男性に小説を書いていたと打ち明けるつもりなのか?それとも私との関係はもう絶ちきりたいと言うのか?やはり考えれば考えるほど悪い事しか思い付かない。とは言ってみても夜は必ず来る。

由美は鍵も持っているのでオートロックでもそのまま入ってくる。なので私は来るまでに部屋を掃除していた。探偵から渡された報告書も無造作に置いてあったのでまとめて机の上の引き出しに入れ、鍵を掛けた。そろそろ言われた時間なのでソファーに座り待っていた。

鍵を持っていて自由に出入り出来るはずの由美がインターホンを押して来た。私は返事に困ったが「入って来て。」と答えた。由美は玄関に大きなスーツケースを置き部屋の中に入ってきた。とりあえず座るように促し、二人分のコーヒーを入れた。そして由美の分と私の分のコーヒーをテーブルに並べて会い向かいに座った。

何故か二人とも喋り出せないでいた。コーヒーにも口を付けずにいた。私もいろいろ話したいこと、聞きたい事はあるのに何から話せばいいのか分からず完全にタイミングを失っていた。由美は一点をじっと見つめて黙って座っていた。しばらく沈黙が続いた後私から「コーヒー冷めちゃうよ。」と由美に話し掛けた。

由美は「うん。」と一言話してからコーヒーを飲み始めた。その姿を見ながら私は「最近どう?」と話し掛けてみた。由美はコーヒーを飲むのをやめカップを置き「実はね。」と話し出した。由美は小説がぜんぜん書けなくなってしまった事と、気分転換に海外旅行に行くという事を私に話した。

私は時折頷きながら聞いていたが、全部は理解出来なかった。なので由美に小説が書けなくなった理由を聞いてみた。由美の答えは理由が分からないから困っているという話だった。私はこれを聞いて正直迷った。あの写真を見せるべきだろうか?

私はそれも大事だが、何故かすぐ近くにいる由美が遠くにいるような感じがしてならなかった。人と話すことが苦手なのに私より綺麗に感じる。理由は分からないが何処か違う所に行ってしまった感覚でいた。きっと今回の事で信じきれていないからそう思うのかもしれない。私は今までのようにすぐ仲直りしてまた前みたいにやって行けると簡単な考えでいた。

なので私はあの写真を見せる事にした。椅子から立ち上がり鍵を掛けた机から写真を取り出し、由美の前に並べた。由美はびっくりした顔をして私に「この写真どうしたの?」と聞いて来た。私は隠す必要も無いので正直に探偵に頼んだ事を打ち明けた。

すると由美はだんだん険しい表情になって行き、見た事無いような怖い顔で私をにらみつけた。私はかなり焦り必死で釈明をした。由美の行動が怪しいから、小説を書いてくれないから、いろんな理由で探偵を頼んだ事を説明した。

でも由美は聞いてくれなかった。涙ぐみながら私をにらむばかりだった。そして「もう愛子とは会うこと無いと思う。」それだけ言って立ち上がり出て行こうとした。「由美!待って!」そう言いながら私は由美の袖を掴んだ。「離して!」振り払おうとする由美の肩を掴んだ。するとさらに強く「離してよ!」と仰け反った時にバランスを崩し勢い良く倒れ、由美は分厚いガラスのテーブルの角に頭をぶつけてしまった。そして気絶したのか動かなくなってしまった。

私はすぐに救急車を呼ぼうと携帯電話を取りに向かった。しかし横たわっている由美の肩から下がっているトートバッグに目が止まった。私はそっちに気がいってしまった。トートバッグから少しはみ出している大きめの茶封筒。それこそが写真に写っていた男性に見せていた小説なんだろう。

私は由美に声を掛けながら揺さぶってみた。返事がない。少し大きな声で大きく揺さぶってみた。やはり返事は無い。うつ伏せに倒れている由美を私は起こした。するとぶつけた頭付近から大量の血が流れ出てクリーム色のじゅうたんを真っ赤に染めた。

私はびっくりしてその場に座り込んでしまった。でも由美の安否が気になりまた近づいて脈を確認してみた。止まっている。私は半分叫び声で「由美!」と読んでみた。やはり返事は無い。多分亡くなっているだろう。そう思ったとたん私は自分でも驚くほど冷静になった。

別に急いで救急車を呼ぶ事も無い。それよりも今の僅かな時間でトートバッグにある茶封筒の中身をコピーしてしまおう。少しアレンジすれば私の小説として本にする事が出来る。まずはそうしてから警察に通報しようと思い、由美のバックから茶封筒を取り出した。

封をする事も無く普通に開ける事が出来た。いよいよそれを見る事が出来る。私じゃない誰かのゴーストライターになりかけた由美の小説。新作は本当に久しぶりだ。これを書いていたため私の方を振り向かず小説も書いてくれなかった。そう思うとこのまま燃やしてしまいたい気持ちも少しはある。

ためらって少し時間がかかったが、そこに書いてある目を疑う内容に私は絶句した。そこに書いてあったのは由美の結婚に関するプランと私への感謝の気持ちが書かれていた。私は動かず横になっている由美に静かに問い掛けた。「どうして話してくれなかったの?」当然返事は無いが私は由美に真剣に話し掛けていた。

私への手紙も読んでみた。そこには私と初めて会った時の事からつい最近の出来事までが綴られていた。由美から見て私は太陽のような存在であり、私がいるから由美本人も明るくなれると書かれていた。文の中に時折登場してくる「洋介さん」という人は由美の結婚相手であり、探偵が撮った写真に写っている男性の事なんだろう。

由美の計画は私へのサプライズでありそれまでは絶対に秘密と書かれていた。それは愛子との約束だからと書かれていた。私は記憶の糸を手繰りいろいろ思い出してみた。私は思い出した。確か高校生の頃互いにいい人が出来ても直前まで秘密にしようと約束した事。由美はそれを覚えていて忠実に守ろうとしていた。

私は自分が情けなくなり許せなくなった。由美の純粋な気持ちを踏みにじってしまった。あんなに同じ時間を共有し互いを知り尽くして信じ合ったはずなのに。私はただ自分の名声と富の為に由美を利用しただけだったのだろうか?何故こんなに素直な気持ちを持った由美を信じられなくなってしまったのだろうか?

由美はただただ私との約束を守ろうとしていただけだ。変わってしまったのは私のほうだろう。由美がいたから全てが進み回っていた。それなのにいつしか自分一人で全てを勝ち取った気になったいた。どれもこれも由美無しでは出来ない事だらけだったのに。それを由美が亡くなってから気付くなんて自分で自分に呆れていた。

自分に対しての脱力感で暫く何も出来なかった。私は一人では何も出来ない弱い人間だ。由美が引っ込み思案だったから私が出来る人間に見えていただけなのかもしれない。そう思うと余計に私自身がちっぽけでどうしようもない人間だというのが、改めて分かる。

それなのに大切な友達、私自身の分身のような由美を信じ切れずに一方的に不信感を抱き弾みだけど殺してしまった。これから花嫁となり幸せな日々が来ることが分かっていたのに。

私は自分の弱さと勝手な思い込みだけで大切な友人を亡くしてしまった。前みたいに由美を信じ駄目なときもお互いに励まし合いスランプを抜けるまで待っていれば、こんな事にはならなかった。

何よりも結婚が目前に迫っていた由美の幸せを奪うことも無かった。本当に悔しい思いをしたのは由美でありそうさせてしまったのは私だ。それなのにサプライズで私に渡そうとしていた手紙には私に向けての敬愛と感謝の言葉しか書いてない。

そもそも私は由美に何をしてこれたのだろう?もしかしたら由美は何を望むとかじゃなく、私という存在に満足していてくれたのかもしれない。自分に足りない物を互いに補い合う。こんな簡単な事で由美はずっと満足してくれていたのだろう。でも私はそんな簡単な事すら出来なかった。

全てを由美の裏切りだと逆恨みして大切な物を失ってしまった。私が手にした富や名声は幻だったのかもしれない。今よりももっと大きな富が欲しくて勝手に暴走しただけなのかもしれない。本当はもっと早くにこの事実を分かっていれば、大切な物を失わないでいられただろう。

大切な物は失ってから分かるとよく言うけど、本当はいつでもすぐ側にいたから気付かずにいただけなんだ。私は一人では何も出来ない本当に駄目な人間だ。由美のおかげで私が目立ちそれが私の才能だと思い込んで今までやってきた。

もう遅くどうにもならないがそこに気付く事が出来た。私は由美が引っ込み思案で可哀想という気持ちと私の思うままに操れるという気持ちでずっと接して来た。あの娘は私が居ないと駄目だろうと思って来たが、実際は逆だった。

由美との楽しい思い出もたくさんあった。頭に浮かび目の前に映し出される楽しかった出来事を由美に何度も話し掛けた。もう由美から返事は無いが何度も何度も話し掛けた。もう由美は顔色も変わり、冷たくなっていた。

私は由美の頬を手のひらで撫で、何度も「ありがとう。」と「ごめんね。」を繰り返した。由美の変わる事の無い表情を私の脳裏に焼き付けた。もう動くことの無い冷たい由美の顔は私に「絶対許さない!」と訴えているように見えた。

私は由美の生涯の半分以上を一緒に過ごして来た。何もかも分かっているという自負があったが、結局は何も分からず掴めなかった。けど、二人で過ごした思い出だけは輝いていてそれだけでも救いになった。

どれくらいの時間が過ぎたのだろうか?私は返事の返ってこない由美に何度も何度も話し掛けた。そのうちに私の心は不思議と穏やかになって行った。まるで昔に戻ったかのように爽やかになって行った。

私は自分が軽くなったような気がしてベランダに出てみた。明け方だろうか?薄暗く顔に当たる風も少し冷たい。この大都会のこの場所で売れっ子小説家が殺人を犯したなんて誰も知らないだろう?

眠らない街東京もさすがにこの時間は静かだ。もっともっと高い所に住みそこからの景色を見たかったけど、これが私の限界なのだろう。私の成功というのは由美無しではあり得なかった。

全てを失った今の私は逆に何でも出来そうな気がしてならなかった。不意に小学生の時のプールを思い出した。「両手を耳に当て、お腹から飛び込まないように。」そんな先生の言葉を思い出し、私はクーラーの室外機の上に乗り、飛び込みのポーズを取った。今の私ならこのまま空を飛べそうな気がした。

私は室外機の上でしっかり両手を耳に当て、綺麗に飛び込むイメージをし、それを実行してみた。







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