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溢れ出す随液  作者: 耕助
第7巻
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見ることの出来ないもの

神様・悪魔・幽霊・妖怪・おばけ、これらの「見ることの出来ないもの」を

僕は同じものと見ている。人間だっていろんな奴がいるんだ。

ただ、人間側にとってどういう存在であるかと言うことで

種類分けしているに過ぎない。


さて、見えるか見えないかということに重きを置いている人もいるが、

信じるか信じないかということが重要なような気がする。


その人に見えたとしたなら、幻覚だろうが幻聴だろうがきっと

その人にとっては存在しているのだ。その人に「視える」ということは、

確実に存在している証拠であると言えよう。


もし、存在しないのであれば、何故これらの「見ることの出来ないもの」に

姿形が定義付けられているのだろう?本当にそれは空想だけの産物なのだろうか?


大人になればなるほど、そういったモノに遭遇する機会は少なくなる。

それは得てして、現実にしか目を向けられなくなるからだと考察する。

つまり、それらのモノを見る余裕がなくなってしまうのだ。

これは人間にとって悲しいことではないだろうか。


インディアンをはじめとして、精霊はもちろん、先ほど挙げた様々なモノの

存在が当たり前の社会も存在する。それはもしかしたら幸せなことではないだろうか。


例えば、時間だって空気だって見ることは出来なくても存在している。

夢や心だって、実際には見ることが出来ない。

見ることの出来ないものを受け入れるというのは、

ある意味余裕を持って生きることに繋がらないだろうか。


何でも妄信するというのは感心できないけれど、

「妄想出来る余裕」は、常に持ち続けていたいものだ。

現実に飲み込まれる方が、よっぽど怖いからね。

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