第1章 セーブ・ザ・ナイトタイム(1)
夜の公園に、千秋の姿はあった。
ジャングルジムに背を預け、地べたに座り込み、震える手でスマートフォンを握り締めている。
その画面には、「シナさん」と、受話器のマークが浮かび、音声が鳴っている。画面を気にして、下を見たかと思えば、今度は顔を上げて右へ左へと首を振る。
「……もう、ヤダ」
彼の視線の先には、一人の男が立っている。
自転車用のヘルメットを頭に被り、フラフラとして足取りで、自身の方へと歩いてくる。
しばらく下がっていた顔が、ゆっくりと上がっていって……
『……ニュースHIGH/GATE。11月22日のニュースをお伝えします』
テレビからそんな音声が耳に届いたとき、俺はキッチンに立って、ヤカンの乗ったコンロに火を点けていた。
そうして、部屋まで戻ると、テレビでは「ある事件の話」が盛り上がっていた。9月から断続的に起こり、世間を賑わせている猟奇的な殺人事件の話である……
『……ええ、語弊を恐れずに申し上げますと、犯人の殺害方法が、ですね……医学的に見ると非常に高度な技術を持って、犯行に及んでいると……そう、言えるわけですね』
『……それでは先生は、犯人は医学的な知識のある人物だと?』
『……ええ』
『……また、遺体に争った形跡がないことから、知人の犯行という説や、女性が犯人だという説も上がっているようです』
ヤカンの沸騰する音に、一時、テレビからの声が遮られた。
ゆっくり立ち上がり、キッチンへと逆戻り。
『いやぁ、巷では話題となっている本件ですが……捜査の方は、難航しているようですねぇ……』
『えぇ……今挙がった説にしてもですねぇ。あくまでも、憶測ですからね。他にも、今月の9日に殺害された女性は、水商売をしていたという点では今までの被害者の条件に合致しますが、彼女だけは、他の被害者たちとは年齢が一回り近くも離れていますし……』
急須の中に、筒から出したお茶っ葉をいくらか落とし、お湯を注ぐ。そうして戻ってみれば、テレビでは例の事件の話はもう終わっていた……
チャイムの音を耳にしたとき、俺はそのままテーブルにうつ伏せてだらしなく眠ってしまっていた。何時から意識がなかったのか。勝手が悪かったからだろう、ネクタイは無意識のうちに緩ませていた。それからヨダレも垂らしていた。
慌ててハンカチで口を拭き、ネクタイを上げながら玄関の方へと走った。途中、浴室を横切った際、浴室のドアの前にある洗濯機の上に『ヤツ』が陣取っているのが目の端に写ったが、見向きもしなかった。
そうして玄関に立ち、黒い革靴に足を突っ込んで俺は、ゆっくりとドアを開けた。そこに立っていたのは一人の女性だった。
肩にかかる長さのボブカットで、切れ長の目に腫れぼったい唇、目線が俺とほとんど変わらない程の長身で、黒いトレンチコートの前を閉めて、黒っぽいスキニーを履いた女性である。
「どうしてこ……」
などと俺が言いかけたとき、相手はこちらに向けて一歩踏み込み、その唇を俺の唇に重ねた。それからこちらの両腕の肘辺りを自身の両手で掴み、耳元で、
「……お久しぶり」
と囁いた。
「……何しに来た?」
と問えば、
「……わかるでしょ?」
と言い返された。
また、俺の左手を握っていた彼女の右手が今はそこから離れ、俺のスラックスのベルトを握って揺すっている。
「……それとも、ここでしたいの?」
彼女は手元の辺りを見ていたが、話の途中で目線を上げて、今は上目遣いでこちらを見ている。
若干前屈み気味の彼女からはそのコートの内側から、胸の谷間が見え、1秒とか2秒とか、そちらへと目がいっていた。
慌てて目を剃らす。
「……バカ言うなって」
俺は彼女の両手を振りほどいて背を向け、靴を脱いで上がると、左手で左頬を軽く叩き、
「……上がれよ」
と彼女に言った……
先程まで俺が座っていたイスの上に腰を下ろした彼女に、俺はコーヒーを出した。そうしてキッチンへと引き返そうとしたタイミングでもって彼女が、
「……いつぶりだっけ?会うの」
と尋ねてきた。背を向けていた俺が彼女の方を向いたとき、彼女は若干首を傾げ、微笑んでいた。
「……7月以来だろ、確か」
「そっかぁ~、もう随分ご無沙汰なんだねぇ」
そう言って首を軽く逆側に向けて振ると、フフッと鼻で笑い、コーヒーへと口をつける。一口飲むと一度カップを置き、わざとらしく唇を舌で舐める。
対する俺はキッチンの方へと向き直り、気付かれないように息を飲んだ。
「正直…………たまってるんでしょ?」
そんな声に振り返れば、両腕で胸を挟むようにしつつ、前屈みの姿勢になり、上目遣いでこちらを見ている。
「……そんなこと、あってたまるか」
と言い返し、俺はキッチンへと向かった。
(To Be Continued……)