序章 ロールド・ザ・ワールド(6)
─銃弾が辿った軌道の不自然さに、俺は目を疑った。
例えるなら、野球のフォークボールが分かりやすいか。
ある程度まで飛んでいって、それから急に落ちた。曲がったというよりは、落ちたという方がイメージに近い。放たれたままの道筋であったならば、おそらく男の頭上を通り抜けていたことだろう。
今、目の前で起きた現象にも無論驚いてはあるが、それ以上に、人が撃たれ倒れているというこのシチュエーションで、そんなことを考えている自分に驚いていた。
最早声ともいえない男の叫びが室内に響き渡る中、誰もが何もできずただ見ていることしかできなかった。
……ただ一人を除けば。
「……おい!」
ドスの効いた声が響き、あの酔っ払いでさえ、傷口を押さえて振り返った。
声の主は平生であった。
ジャケットを脱いで横の男に預けて平生は、ゆっくりと件の男の側までやってくると、その髪を掴み、その横のテーブルへと頭から叩きつけた。近くにいた人間によると、鈍い音がしたらしい。それから、
「……出ていけ」
然程声を張り上げてはいなかったが、威圧感のある低い声だった。
数秒して、フラフラとした危うい足取りながら、この酔っ払いは辛うじて立ち上がり、そのまま出口の方へと歩いていった。人々はこの酔っ払いを見つめていたが、近付いて来ると退いて道を開けた。俺は出口の側にいて、顔自体は見えなかったもののの、ドアを開ける瞬間に男が漏らした、
「……チッ」
という舌打ちだけは聞き逃さなかった。
「……ここいらで、お開きにしましょうか」
との一言が出たのは、それからまもなくのこと。
年の頃ははっきりとは分からないものの、その声、あるいはしゃべり方からして、中年男性であるらしかった。平生のジャケットを腕に抱えているのが見えた。
それがきっかけとなって、蜘蛛の子を散らすように、それぞれが帰路に着いた。
ものの15分もすれば、客は大方その場にはいなく、声をかけたこの中年男性も、平生にジャケットを帰すと、
「我々も……そろそろ……」
と平生に呼びかけた。
平生は何も答えず、ただ行動のみで同意を表明した。出口へと向かって歩いてくる。
俺はまだ、出口の側に立っており、ぼんやりと室内を見渡していた。
横を通ったとき、平生は特に何の動きも見せなかったが、もう一人の男性の方は違った。俺と顔を合わせると、
「……お疲れ様です」
そう言って一礼したので、こちらも頭を下げた。更に相手は続けて、
「千秋クンには、悪いことをしてしまった……」
と告げてきた。
なお、「千秋クン」とは、酔っ払いに絡まれていた彼のことだ。
対する俺は、ついつい頭を下げてしまいながら、
「……いえ、そんな……悪いのは……別の方ですし……」
などと返した。
「……元気を出すように言っておいてくれるかな」
「あっ……はい」
俺はまた一度頭を下げた。
「それでは……お先に」
「はい……お疲れ様でした」
「……君もね」
そう言って、優しげな微笑みを返して、この男性は去っていった。
短髪で額が広く、細い垂れ目で、頭のシルエットは玉子のような男性だった。何故か知れないが、こめかみの辺りが黒ずんでいたのを覚えている。
二人が去った後で、俺が何気なく横を見ると、そこにいたある男もこれから帰るところだった。
ツーブロックの髪、片耳だけのイヤリング、ネックレス、と。
あの男は確か、千秋が奥津城だと教えた人物だ。俺がその動向を目で追っていると、ドアの手前でこちらを一瞥された。
何とはないが、嫌な予感がして、目を逸らした……
(序章・完)