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5分11秒の回想  作者: 仁科学
第一部 ヴィクトリア朝の亡霊
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序章 ロールド・ザ・ワールド(5)

「あぁ……久しぶりじゃねぇか」


難波の、顔には不釣り合いなハスキーボイスがこれに応じた。

俺の方は、その後ろを通り、小便器の前まで行った。

通り過ぎる瞬間に、難波が蛇口を捻ったせいで、割に大きな水の音が出て、割に驚き、割に間抜けな顔を見せてしまった。何より、鏡に写った自分の顔が見えたのが、始末が悪かった。

ともかく、俺は3つ並んだ小便器の端の、難波から最も遠い位置に陣取った。

横にあった個室には、よくよく見た訳ではないが、ドアが閉まっているように見え、誰か入っているようだった。


「やっぱオマエ……運がいいな」


唐突に口を開いた難波。

横を向いたものの、鏡台のところがへこんでいるという、このトイレの構造上、壁が邪魔になり、難波の顔はおろか耳さえ見ていなかった。

ポケットに向かっているかに見えた、難波の濡れた両手が、ポケットの側で、右へ左へと揺れる。

正確に言えば、こちらからは難波の左手の方しか見えていなかったが。指の先から、水が飛び散るのが見えた。


「……どういう意味だよ?それ」


低いトーンで俺が答える先で、難波はこちらへ背を向けるフォームでもって、振り返って……

ドアのノブへと手をかけた、らしい。

これも構造上の問題になるのだが、ドアの側がへこんでおり、振り返った後も難波の顔はついに見えなかった。ただ、ガチャッという、それらしい音は聞いたが。

難波は何も答えなかったし、個室のドアも、俺がここから出るまで、ついに開くことはなかった。


そうして部屋に戻ったのは、けしていいタイミングとは言えなかった。本当のところ引き返したいぐらいだったが、そうもいかなかった。

このとき、俺の皿が置かれたテーブルの方へと周囲の視線が集中していた。そこには、一人の男が立っていた。

背格好は、180センチ近かったと思う。男の、真ん中で分けた髪の先は、谷間のように曲線を辿っており、団栗眼に団子鼻、髭の剃り残しがあり、酔っているのか、顔は真っ赤だった。

この男の前には、俺はいないが、アイツがいる。色白で、あのひ弱そうな男。ただでさえ肩身狭そうにしていたというに、今は一段と小さく見えた。

俺も俺で、出入り口の側に立ったまま、状況を見守ることしかできなかった……


「アァ~?にぃちゃん、なに見とんねん、ワレェ~……なんや自分、何か文句でもあんのかぁ~?」


アイツが目をそらしていると、


「人が話しかけとんねん!目ぇ見て話さんかい!オラァ!」


右足を台に乗せ、両手で胸ぐらを掴んできた。


「ワシが酒呑んだらアカンのかぁ~?……えぇ~?」


アイツは黙っていた。すると、


「何とかいわんかい、ボケェ」


ドスの利いた低い声で、そう言い放った。

遠くからは何が起こっているのかよくはわからなかったが、萎縮いしゅくしたアイツが声も出せずに震えている様は、本人には悪いが容易に想像がついた。


「何モゴモゴしてんねん、ゴラァ!」


俺の位置からはよく見えなかったが、右手でアイツの頬をぶったらしかった。パチンといってしまえば安っぽくなるが、俺の位置にも届いた程で、結構大きな音がした。


「はっきりいわんかい、はっきり!オマエ、それでもタマついとんのかぁ~?」


……銃声が鳴り響いたのは、それからすぐのことである。

見れば、この酔っ払いの足元から煙が上がっている。


「……なんや、これ」


酔っ払いがキョロキョロと周囲を見渡すと、すぐに犯人が特定された。

それはイスに腰かけていた、『彼ら』の中にいた。シルクハットを被った燕尾服の『彼』で、その手にはマスケット銃を構えられていた。

ほぼ隣にいた俺には、『彼』の一挙一動がよく見えていた。

『彼』はまず、紙の包装を剥いて鉛の弾を出し、次いで持ち手の近くにある「く」の字型の部品を引き上げて、弾を中に入れた。続けて、白い袋を銃口に入れたかと思えば、その横にあった細長い棒のようなものを引き抜いて、向きを逆に持ち直して銃口の中に突っ込み、しばらく出し引きを繰り返す。

やがて、棒を元あった場所に戻すと、構えて、銃口をまた例の男へと向けた。


「ひっ、平生さぁん…………なんですかい?こんなん……ボケやがな」


男は急に震え始めた。

あえて言うことでもないが、この男の視線は平生の方に向いていた。

「冗談キツいわぁ~、アハ、アハハ……」


この男、顔は笑っていたが、明らかにその声はひきつっていた。俺は人生でおそらくは初めて、恐怖に膝を震わす人間を見た。


「……イヤや、そんな……下ろしてくださいや、それ……なぁ?」


両手を上げて必死に訴える男だったが、無慈悲にも引き金が引かれてしまう。

衝撃だけでも恐ろしいものがあり、男の体が浮いたかと思えば、片手がぶつかったテーブルは脆くも倒れ、銃弾に撃ち抜かれた男の脇腹から出た血が、白いシャツを紅に染めていた。周囲の誰もが、あの男に注目していたろう。


……もっとも、俺が注目していたのは、そこではなかったのだが。


(To Be Continued……)


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