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5分11秒の回想  作者: 仁科学
第一部 ヴィクトリア朝の亡霊
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第3章 ゼン・ゼア・ワズ・レイン(3)

─少し前のことになる。

電気屋のテレビがノーナ・リーヴスを流していたとき、シナさんが言っていた。


「ガガーリンは、な……『地球が青かった』……とは、言ってない……らしい」


「……へぇ」


心底どうでもいいと思ったが、はっきりそうとは言わなかった。


「……『地球は青いベールに包まれた花嫁のようだった』……ってのが正解らしい」


つい笑ってしまった。

ことの真偽はさておき、その詩的な台詞をシナさんがそれは真面目そうに語っているのが妙に可笑しくて。

笑い声を聞いたシナさんは、こっちを向いて、


「……なんだよぉ?」


といつものクセのある言い方で言ってきたものだから、また笑ってしまう。


「いや、だって……さぁ……」


話そうとしているのに、まだ笑いが収まらない。


「……中二病みたいだって言いてぇのかぁ、おらぁ!」


そう言うシナさんの言葉は、言葉自体はキツいが、冗談っぽい物言いであるから、やっぱり笑ってしまう。


「第一……オマエにだけは言われたくないわ」


「……いやー?」


そうやって、いつもと同じ白井のマネで切り返す。


「おめぇ……またそれか」


シナさんの呆れた物言いの横で、テレビから聞こえてきたこんなフレーズが、不思議と耳に残った。


『今、僕が……ガ・ガガーリン……』



─瞬きも終わらないうちに、目に写る世界は一変していた。


まず、変化は足元に来た。ほぼ凹凸のなかった地面が、今は波を打っているかのように安定しない。地面が揺れているのか、自分が揺れているのか。

目前に立つ女性すらも歪んで見え始めたとき、やっと自分が倒れていることに気が付いて、辛うじて左手をついた。

しかし、何が揺れているのかも定かではない混乱の中では、地面に垂直に下ろしたハズの手でさえも、奇妙な角度をもって落とされ、小指が可動域を越えた方向に曲がってしまう。


「……アァァッ」


そんなうめき声が漏れるのも必然であったろう。

ただ、千秋の体感時間は恐ろしく緩やかであったことがせめてもの救いで、不恰好ながら首を引いて左肘を枕にして倒れることで、どうにか頭は守った。


こうして半ばうつ伏せる格好となってしまえば、何ということはない。

地面に特段変化はない。もっとも下は砂利道であったから、小石などが肘に突き刺さり、千秋を苦しめることにはなったが。


次いで千秋が天を仰ぎ見てみれば、空は見覚えのない色をしていた。

玉虫色というのが、一番近いか。緑と金を交ぜたような、光沢帯びた緑色の空がそこには広がっていたのである。

いや、よくよく見れば、それは空の色ではないらしい。

それは雲。ベールのように空を覆い尽くす暗い雲の数々が、その色を醸し出していたもである。


ただし、千秋はそう長く空を見つめてもいられなかった。

女の3本目のナイフが、容赦なく千秋へと投げつけられたのである。

緩やかに感じられたその時間の中で、飛んでくるナイフだけはひどく高速で千秋の方向へと届けられたのである。あるいは、ナイフの速さ自体は変わっていなかったのかもしれぬ。しかし、少なくとも千秋の体が鋭敏に反応することは叶わなかった。

……幸運にも、ナイフは右肩に突き刺さるに留まり、致命傷とはならずに済んだが。


続き、またもや鋭い風が吹き抜けたが、どうにも今度は位置が違う。

もしも、ナイフの軌道を逆向きに辿るとすれば、風の行く先は、投げた女の肩の辺りに向かうであろう。

けれども実際は、それよりもいくらか上であり、女の垂れた右の前髪を多少切り落とす形となった。


「……どうなってんだ、クソ」


そう漏らしつつ、見直すと、これまたあの玉虫色のベールが視界を覆う。

何時からか、ただ頭上だけの世界に広がっていたに過ぎなかったあのベールが、今は目に写るもの全ての前にかかっている。濃淡でものの所在こそ分かるが、眩しい緑色の世界に、千秋は面食らった。


ひとまずは、顔を上げて、女の方を向いた。

すると、女はゆっくりとした動きで、4本目のナイフを投げつけてくる。そのフォームは、バレエを踊るダンサーのような円を描く回転の動きであった。


逃げる程の動きは出来なかった。

出来たのはせいぜい、頭を押さえつつうつ伏せるぐらいのこと。

確かに、頭は守れた。けれど左腕には、ナイフが深く突き刺さってしまう。


……声にならない声で、千秋が吠えた。


─同じ頃、時任は書斎にいた。

書斎で、古びた置時計に向き合っていた……


(To Be Continued……)

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