第3章 ゼン・ゼア・ワズ・レイン(1)
─仁科クンは、
『ひとまず……話は聞くけど……』
と言った。それは独り言みたいに、小さな声で。
「お友達の千秋クンについて、だよ。彼の身が心配だ」
そう口にしながら、ボクは思わず受話器を強く握った。
『……オマエに何の関係がある?』
そんな言葉が返ってきた。呟くように、漏らすように。だから、
「……その通りだ」
ボクはゆったりとそう返した。
「パーティの時には少し話をさせてもらったが……まあ、あってないようなものだ」
『なら……どうして?』
ゆっくりと息を吸い、ゆっくりと吐く。そうした2、3秒のごく短い静寂を経て、
「いい加減、やめにしないか?……このバカげた諍いを」
と告げた。語調が強くなるのが自分でもわかった。
「……こちらからの提案は、千秋クンへボクの下に来るよう口添えしてもらいたい……ということなんだよ」
この一言になると、また物言いを穏やかで優しげなものへと戻した。
『……俺がオマエを信用すると思うか?』
「確かに、約束はできないかもしれないが…………考えてみて欲しい。君たち二人だけでは……無理ではないにしろ、困難を極めることになるだろう……ボク以外に寄神さんや徳国さんもいる……他にも何人か声をかけていて、まあ、どこまで信用に足るかは分からないが……君らに味方する人間が増えるんだ。悪い話ではないと思うんだけど……」
このあと、一呼吸挟んで、ボクはこう続けた。
「現に……もう襲撃のひとつも、あったんじゃないかい?」
仁科クンはすぐには返事しなかった。やはり、2、3秒の沈黙があって、それから、
『……考えさせてくれ』
と応じてきた。
「構わないけれど……時間が立てば不利になるのは君らの方だからね」
とだけは、言っておいた。すると、
『まあ、負け惜しみのひとつとでも思ってくれていいが……』
仁科クンは鼻で笑いながら、唐突にそんな言葉を発した。
『……オマエは血脇さんにはなれない』
ボクの状況を加味すると、言われてしまった、というところだろうか。
一瞬瞠目してしまったが、ひとまずは、
「……肝に、命じておくよ」
と変わらぬ口調で返した。
このあと、電話が切れたのは、何秒と経たぬうちだった……
これは、昨日の夜の話だ。
─時任宅に話を戻そう。
結局、あれ以降に会話らしい会話はなく、最後、玄関を出るときになってやっと、靴を履いている千秋へと、
「……葬儀には来てくれるかい?」
と尋ねた。なお、時任はこのときは、彼の後ろに立っていた。
対して千秋は、首を回し、愛想笑いを浮かべる横顔でもって、
「ええ……」
とだけ答えた。
これに時任の方は、
「よかったよ……それなら」
と目を細め、笑いかける。
このとき、もう千秋の視線は自身の足元の方に移っていたが、この直後、
「……ンフッ」
といった鼻息を漏らす時任に、千秋がまた首を動かせば、
「あまり……来てくれないらしくてね」
と時任は告げた。ゆっくりとした物言いで。
「……え?」
千秋がそう答えるのは、少し遅かった。時間にして、1秒ばかりのズレがあった。
「なんていうか、こう……政治的な理由というか、ね」
そう言われて千秋は、左右の口角を下げて、複雑そうな顔をした。そして、
「……なんか、嫌ですね。それ」
と言った。少し、ボリュームを抑えた声で。
「……ああ」
そう言う時任の返事を聞いたあと、彼に背を向けて、立ち上がる千秋。
「……それじゃ」
と千秋が言えば、
「うん」
と時任が返す。
このやりとりを経て、千秋はドアを開けた。なお、時任宅の入り口のドアは引き戸であった。
そうして、開けたドアを閉め、進行方向に向き直ったとき、景色が一変する。
─まず、そこは、学校の教室らしかった。
彼の開けたドアの先には黒板と教卓があり、机も並んでいる。夜なのか、月明かりの他に照らすものはなく、更に煙も漂っていて、視界はあまりいいとは言えない。もっとも、煙というよりは、雲に近いような白い靄であったが。
『……ねぇ、ねぇ』
どこからか、『少女』のあどけない声が彼を呼んだ。
これと同時に、千秋は、こめかみへ痛みを感じて倒れ、左手を地面についた。
『……こっちだよ』
声は奇しくも、手をついた左側の先から聞こえていた。
見れば、赤やオレンジや水色、黄緑などの明るい色を散りばめたパッチワーク柄の大きな傘が時計回りでクルクル動き、その下から赤い長靴を入った足が見えた。
そのうち、『彼女』が着ているのであろう真っ赤なドレスの、主に端の黒い部分が見え隠れする。
『……いたいでしょ?……このままだと、こうなるよ?』
そんな『彼女』の問いに、右手で自身のこめかみを押さえ、苦悶の表情のままに千秋は聞き返す。
「……どういう意味だよ?」
と。
すると、『向こう』はヘラヘラ笑いだし、最終的には、
『いいから……よけなよ。ミギでも、ヒダリでもいいからさ』
と言ってきた。その台詞のときでさえも、少し笑っているようだった。
それから急に、落ち着いた声でもって、
『でないと……死んじゃうよ?』
と告げたのであった……
─それと共に、視界が暗転する。
その瞳が次に光を捉えたとき、そこは時任宅の玄関の先であり、顔はそのドアと向き合っていた。
心臓の音がやけに大きく聞こえる。慌てて左手で胸を押さえた。
口元からは震えるような息を漏らしつつ、振り返る。
そこには、1本のナイフが……
(To Be Continued……)




