第2章 シンギング・ユー・アー(6)
─時任宅の敷居を跨いで玄関に入ると、ソファーベッドが置かれた廊下が見えて、また靴を脱いで上がり、左右に目をやれば、左手には少し開いたドアから二階へ続く階段、右手にはガラス戸。この戸を開けた先に、六畳ばかりの洋室があり、そこに彼の遺体はあった。
整えられた真っ白な浴衣に身を包まれ、これまた柔らかそうな布団に寝かされた男の表情はといえば、写真でも見た通りの生気のない顔つきである。誰の目にも、絶命しているのは明らかだった。
「……しばらく、ボクは外すよ」
千秋を部屋まで案内した時任は、そう言うと、来た方とは違う側の戸を開けて、部屋を後にした。
遺体の左側に腰を下ろす千秋。正座して、合掌して、一礼して。しばらくぼんやりと相手の顔を見ていた。
そのうちに戸が開いて、時任が戻ってきて、やはり同じ対応をした。それから、振り返らずに、
「……大丈夫?」
と。そう尋ねる時任に千秋は、突然で動揺したのか、
「あぁ……はい」
と曖昧に応じた。
「……ツラいとは思うけど」
そう言った時任。千秋の方はというと、
「いえ……その……まだ実感、わかなくて」
という反応を示す。更に続けて、
「多分……死後硬直とか、そういうのが理由だと思うんですけど……何か、俺が知ってる姿より、ちょっと小さいような気が……」
対して時任は、
「……そうか」
と背中で答えるだけだった……
─同日。警察の射撃訓練場にある女性の姿はあった。
髪型といっても、後ろ髪を軽く結んだ程度のシンプルなもので、服装も黒のタートルネックを着ていて、下も同じような色である。背丈は160センチは優に越えているだろう。
彼女は今、足を大げさに広げつつ、重心を低く構え、両手で拳銃─H&K P2000─を握っている。そうして放たれた弾丸は、目標パネルの額を確かに撃ち抜いた。
そんな彼女だったが、直後、着信音を聞き、慌てて部屋を出た。
画面に映っているのは、「逆井英世」の4文字。
彼女はその後、更衣室らしき場所のベンチに腰を下ろす。そこで電話をした。
「……急にかけてくんなって言ったよね?前に」
『すいません……結構大事な用事だったもので……』
ボソボソと低い声で応じる電話相手。
名前から、あるいは声から、男性だと分かる。
「……んで?」
『まず、ですね……仁科学が殺害された、との情報が……』
軽く唇を噛むと、
「犯人はわかってんの?」
『……緑川瞳だとのことです』
君塚は鼻から軽く息を漏らすと、こう言った。
「それなら……同情はできないかな。死んだヤツを悪く言うもんじゃないけど」
と。
『緑川の目的は不明で……仁科を彼の家で刺殺した後で、時任宅でも同様の行為に及ぼうとして、返り討ちに遭って亡くなっています……確か、時任が登山用に所持していたロープによる絞殺という話です』
「……ええと」
ため息をついた女性。
「緑川さんの性格を考えると……一人で犯行に及んだとは考えにくいわね。まあ、仮に一人での犯行だったとしても、協力者なり、黒幕なりはいるって考えた方がよさそうだと思うけど……っていうのは、みんな考えることか」
二度目のため息。
『どう……思われますか?』
「そうねぇ…………まあ、平生さんがアイツをわざわざ殺させよるかっていうと、可能性低そうだし。あとは、そうね。所くんや寄神くんとか?……いや、誰でも説得力に欠くけど……」
何気なく彼女が顔を上げてみれば、目の前には開けっぱなしのロッカーが見えた。もっとも、中には何も入っていなかったが。
「……緑川さんって、時任くんとは接点あったの?」
『最近はよく通いつめていたようですよ……時任自体は仁科との関係のことで相談を持ちかけられていた、と証言していますが』
「となると……何か不都合なものでも見られた、とか?……時任くんの自作自演って線も捨てきれないわけね……まあ、そうはいっても、彼に仁科くんまで殺す理由があるとは思えないけど。ひとまず、時任くんが今後どう動くかにもよるかなぁ……てか、葬儀とかどうなってんの?」
『その件ですが……葬儀が明日になるそうでして……現在、ご遺体は時任の家に置かれているとの話です』
「……うん」
唇を少し吸って口内に入れ、すぐに出した。
『……出席されますか?』
数秒押し黙った末に、彼女はこういう結論を口にした。
「……よしとくわ」
(第2章・完)




