第2章 シンギング・ユー・アー(2)
時任というのは、あのパーティで千秋の側にいた西島秀俊似の男である。
千秋へと一報を入れた折、彼は自宅にいた。
ケータイを耳から離して机上に置くと、一人掛けのソファーチェアに腰を下ろし、次いで傍らにあった黒いCDラジオの再生ボタンを押した。ラジオから流れる一曲の歌。
時任は目を閉じた。
『……I think I'm drowning』
前奏が終わり、そんなワンフレーズが聞こえたタイミングでもって、ドアが開く音がした。
振り返ると、前髪で隠れて顔の見えない女性が立っていた。髪は、天然パーマと寝癖から、北斎が描いた大波のように乱れていた。
「……どうしたの?」
そう問うた時任は、突然のことに動揺しているらしい。その表情は、いくらかひきつっていた。
「いえ、その…………そろそろお電話をされた頃かと、思いまして……」
女がそう告げた。
「……ああ」
時任の方はその固まった表情ままに、口角だけ上げて、首を振ってこれに応じた。
次に彼がラジオの一時停止のボタンに手をかけたとき、こんな歌詞が聞こえてきた。
『You will be the death of me……』
と。一瞬、躊躇していれば、
『……Yeah, You will be the death of me』
と続いていて、同じフレーズを二度聞く羽目となった……
「……よかったんですか?これで」
「そうだねぇ……」
時任は立ち上がると、彼女に向けて、
「……心配しなくていい。ボクらは悪いことをしてる訳じゃないんだから」
そう告げ、そして微笑みかけた。
「……ですが」
依然彼女の視線は下がったまま。
「……時には、後ろめたい思いをすることもある……後ろめたいと思うのは君が優しいからだ。その気持ちは大事にすればいい……ただ、人は時に人を傷つける決断もしなくちゃいけない」
時任という男は、実に感情豊かである。
この話の中でも、最初はゆったりとした口調だったものが、「ただ」と言って以降は、その言葉こそ優しいが強い語調へと変わっている。表情にしてもそう。微笑んでいた優しげな顔は、例の文句を境に真剣な顔付きへと変わる。……たとえそれが、彼の芝居だったとしても。
それから彼女の側まで歩み寄り、
「……大丈夫だよ。一人じゃないから」
そう言いながら、彼女の手を握るのである。
「そうです……」
と女は呟いた。
「そうですよね」
そう言った彼女は口角を上げて笑顔を演出するが、その身はごく小さくながら震えているのである。
「……今日はもう遅いし、先に寝てて。まだすることがある」
「……はい」
作り笑いを浮かべたまま、部屋を後にする女性。
残された時任は、少しラジオの巻き戻しのボタンを押してから、続けて再生ボタンへと手をかけた。こうして流れてきたのは、この言葉だった……
『I wanna play the game……』
─同日の、時間帯も同じくらいであったろう。
カフェ・カンタンテ『ボルボン』という店がある。
カフェ・カンタンテとは、フラメンコ・ショーの上演される飲食店を指す言葉で、事実、紫煙にまかれた店内の中央に、青いドレスを着た女性が踊っているのが見える。
また、この店の窓際の席には一人の男性の姿も見える。こめかみが黒ずんだ壮年の男性である。今は、電話の途中だった。
『奥都城倫敦についてですが…………信頼に足る人物と判断してよろしいかと』
と言った電話の相手。
「そうか……」
『彼の残虐性については否定できませんが、こちらのオーダーを忠実に守っていましたし、ここ数日の行動を観察した限りでは……』
「それなら……君の判断を尊重するよ」
『……有り難うございます』
「ところで生天目クン……夕食は食べたかい?」
『……いえ、まだですが』
「……一緒にどうだ?」
『お気持ちは有り難いですが……これから妹と食事する予定でして……』
「そうか。では、また次の機会に……」
『……はい。失礼します』
そうしてケータイをカバンへ戻す。
その拍子に、何気なく手元へと目がいく。掌を、まるでそれが手鏡のようにじっと見つめている。
まもなく、この男の目の端に一人、見覚えのある人物が現れた。
「ああ………よく来たねぇ。奥都城クン」
顔を上げて、そう告げた男。
「……どうも」
と一礼する奥都城。
「まぁ、まぁ……座って」
そう言う彼は、先程まで見つめていた手を向かいの椅子の方へ向けた。ゆっくりと腰を下ろす奥都城。当人は椅子を引き、腰を下ろすと、
「本日は……お招きいただき、ありがとうございます」
と、もう一度頭を下げた。
「いやいや」
と手を振る男。続けて、
「ええと……それで、ね」
男の話が始まった……
(To Be Continued……)




