第1章 セーブ・ザ・ナイトタイム(6)
傷を庇い、ジャングルジムへと背を預ける千秋。そんな彼の周囲を数人の男女が取り囲んでいる。
「……何してんだろ、シナさん」
そんな呟きを漏らした。
「……仕事かねぇ……ああ、ついてねぇなぁ」
彼が言っている最中だったが、相手にとっては無関係なことで、全員が一斉にジャングルジムへと押し寄せた。
「イチかバチか…………やってみるか」
何か合図が欲しかったのだろう。
千秋はパチンと指を鳴らした。
すると、迫り来ていた人々は皆誰かに突き飛ばされたようにその身を爆させ、特にサバイバルナイフを握った男は端の方にいたのだが、隣にいた別の男の右肩を跳ねた拍子に刺してしまった。
無論抜き取るまでに何秒とかからなかったが、それでも結果を知るより先に動いた千秋が、逃げ出すには十分なブランクとなった……
公園を通り抜けた先で、千秋はもう自分が追いかけられていないことに気付いた。
「……何だったんだよ、アイツら」
気にはなったようだが、引き返す気にはとてもなれなかったようだ。
─俺はゆっくりと受話器を置いた。
「……だっせぇな、俺」
そんな呟きを聞いてか聞かずか、誰かが俺の肩に手をかけるのである。誰かと言ったが、勿論この部屋には俺の他には一人しかいない。
彼女の左手だった。
咄嗟に振り返ろうとすると、その手を俺の頬に当てて、
「……振り向かないで」
と言った。とても小さい声だった。おそらくは俺の呟きよりも。俺が捻りかけた首を元に戻すと、
「サイゴに……聞いておきたいんだけど……」
と言うのである。思わず、
「……最後?」
と聞き返してしまった。
「……好きだったことある?……私を」
僅かにだが、その声は震えていた。
俺には、ほんの数センチ後ろに立つ彼女の表情が想像できなかった。だからだろうか、
「……ああ」
と曖昧な返事をした。
彼女に引きずられてか、俺の声も多少震えている。
「……誰よりも?」
唾を飲んだ。
比喩でも何でもなく本当に。それから数秒、いやもっと長く、俺は黙っていた。心臓の音すら大きく聞こえる静寂の訪れの中、顔に出来うる限りの作り笑いを浮かべつつ俺が、
「なあ、さっきから何の話を……」
と言いかけた瞬間、
「もう、いいよ……」
そう言われて、振り返る。
……震える彼女の右手には包丁が握られていた。
この包丁、我が家に置いてあったものではない。彼女が持ってきたものらしかった。
「……どこを、見てるの?」
彼女の言葉はそうだった。
そして、俺の視線は……床に転がる写真たての方へ。
左手を添え、彼女はその刃を俺の背中へと突き立てた。
避けようとしたが、両足が石を乗せたかのように重くて駄目だった。やはり比喩でも何でもなく、実感として。刺さった位置は、前面でいうところの左胸の辺りである。
彼女は一度包丁から手を離し、数歩ばかり後退りした。
やっと動けるようになったのがその時。
ただし、俺の体は脆くも床へと倒れた。
彼女が震える手で包丁を抜き取る。見てはいなかったが、きっと血が飛び散ったのだろう。俺は全くもって奇妙なことだが、痛いという感覚はなかった。
体の方はもうダメだと判断したのか、セックスの比ではないような快感を俺に押し付ける。痛みは感じていなかった。
次に俺が見たものは、彼女の顔だった。
あれはどんな表情だったろうか。
意識が薄れ始める。そんな俺の頭上にそれは降り下ろされた。
木製らしい。ただ、落ちた瞬間に別に割れる音が然程大きくはないが聞こえて、俺の頭の側にはガラスの破片が散らかっていた。
頬の上に乗ったものが皮膚をつたって床へ。割れた破片が目へ入った。やはり痛みは感じない。
霞む眼で見つめて分かったことは、それが写真たてで、今、目前にはある女の写真があったということだ。もう顔を識別できない。
しかし、それが長い髪の女であることは確かだった。茶髪にも、金髪にも見える色の……
(第1章・完)




