水霊王の塔6F 迷宮の1F
アトスに案内されて、外周付近の階段を登る。
(歩き難い)
女性の、それも初老のアトスの歩くペースは、体を鍛えているライアットには非常に遅い。特に階段を登る時にそう感じる。階と階の間も長いため階段も長いから尚更だ。後ろについて歩く修道女や葵でも遅く感じているはずだが、それを感じさせていない。
人に合わせる事が苦手なライアットには、苦痛でしかない。
5階まで登ると円の中央に向かう直線の通路を進み、中央付近に来た。
「着きました」
案内されたそこには重厚な、周りの壁よりも濃い灰色の扉があった。扉は、青いクリスタルが水晶のように嵌め込まれていて荘厳な雰囲気がある。だが、四隅を縫いとめるようにある鎖の紋様が荘厳な雰囲気を台無しにしている。
「戻ってきたら、帰りは同じ通路を通って1階まで降りて下さい」
「わかった」
アトスがそっと扉に触れると青い指輪が輝き、四隅の鎖の模様が消えた。そのままそっと押すと片開きのその扉は開いた。
「ああ、通りで似合わない紋様があったわけだ、封印だったのか」
「ええ、ここにはやんちゃな巫女見習いも多いですから」
「そうか」
扉の中を見るとは、人が1人歩くのがちょうどくらいの狭い通路になっていて、少し先にと階段が見える。切り抜かれた石を積み上げた石壁をしているが、見た事もない青い石が使われ、空気中に翠の燐光が浮いている。
ライアットと葵が1歩中に入る。
空気が澄んで、神聖な感じがする。
「不思議な場所ね」
「ああ」
2人の答えは同じでも感想は違う。
葵は純粋に神聖な雰囲気を不思議と表現し、ライアットは神聖だからこそ、やり難いかもしれないと不安を感じていた。
「それでは、私達はこれで」
アトスはぺこりとお辞儀をすると扉を閉じて、ススス……と長い裾を引きずって帰って行った。翠の燐光の輝きがあるから、薄暗いが灯りが必要なほどではない。
「じゃ、行くぞ」
「うん」
壁に当たって反響した返事を聞いて階段を登って行った。
階段を登り終えると少し広い円形の部屋に出て、3方向に道が別れている。
「とりあえず、右の壁に沿って進むぞ」
「うん」
ライアットに続いて葵も進んだ。
すぐに壁に沿って進んで良かったと思った。ここは文字通りの迷宮で迷路のように入り組んだ構造をしていたからだ。適当に進んでいたら確実に道に迷っていた。
歩いてみて、通路状の迷路で部屋がなさそうなのは助かる。魔物を1体ずつ相手にでき、襲われるのは前か後ろのどちらかで済むからだ。どこから魔物が来るかわからない部屋で囲まれると、葵を庇って戦うのが難しいからだ。もしそうなりそうなら、すぐに引き返そうと思っていた。
迷路の行き止まりの場所は覚えておく。そこに逃げ込めば、魔物は正面から来るだけだ。葵を背に庇って、後ろを気にせず戦える。
コッコッコッ……。
足音が反響して響く。
「もう少し足音どうにかならないか?」
「どうして?」
「ここが迷宮なら、音に反応する魔物がいるかもしれない。これくらいの明るさだといるんだよ――」
角を曲がるとバサバサっと音がして黒い何かが飛んで来た。反射的に剣を抜いたライアットが斬った。
「大蝙蝠が」
2つになった大蝙蝠が石造りの床に落ちる。
正式には落ちた大蝙蝠は紅い瞳が特徴のオニコリクテリスというのだが、魔物の知識が少ないから、そこまでわからない。さらに固有識別までできれば、牙が退化していて吸血能力が低いとわかり、この迷宮には血や体液を吸える魔物が少ないとわかる。そこから血や体液がないのは、当然例外もあるが岩石系や機械系、あとは実態のない魔物等だ。剣などの物理攻撃より魔法攻撃の方が、効きめが大きい。なら、実力の高い魔導士をパーティに加えるという対策がとれる。
「うぇ、気色悪い」
葵が口を手で押さえる。
(まぁ、それが普通だろうな)
魔物のとはいえ死骸なんて気分のいいもんじゃない。
壁に片手を当て、下を向く葵から死骸に目線を映す。
ポゥ。
淡く蒼い光が死骸から生まれてゆっくり浮きあがって消える。
(何だこれ?)
見ていると死骸が光になって消えた。
「ねぇ、魔物ってあんな風に消えるの?なんか綺麗な光だったけど」
「そんなわけないだろ?この水霊王の塔だからこその現象だ」
(青い石、翠の燐光、光になって消える死骸……奇妙な場所だ)
必ず、これらの現象には意味があるはずだ。けどそれは、考えてもわからないから、あるがままを受け入れる。
「……夜に灯る火よ。迷わぬように進む道、闇夜を照らしだせ。外灯」
呪文の詠唱を唱え始めると、足元に赤く輝く火の紋章に六芒星の描かれた魔法陣が生まれる。同時に剣の柄に嵌め込められた紅い玉が輝きだす。
その輝き右手で柄の赤い球を掴むとその輝きから赤く輝く火の球を取り出す。詠唱が終わると火の玉はふよふよと飛び肩のあたりに浮いた。
「明るくなった。でも灯りは足りてるのに何で?」
「蝙蝠は灯りを嫌うからな」
「そっか」
(外灯がいつもより暗い)
魔法が普段の効力を発揮していない。ここは水霊王の塔だ。火の魔法の力が抑えられているのかもしれない。魔物が現れたら試してみないと。
「行こう」
葵はライアットの後ろについて歩き出した。
曲がり角の前で足を止める。
スゥー。
今、何か異音がした。俺達の出す音ではない異音だ。
(これは、いるな)
手を葵の前に出し、葵を止める。
「何?」
「しぃ~、何かいる」
唇の前に人差し指を立てる。
その場で止まっていると、丸い球体に円錐形で渦を巻いたドレスのようにせり上がった水が、滑るように移動していた。
「あれは何?」
「わからないな。俺だって、何でも知っているわけじゃない」
あれは、ウォーター・エレメントという属性体で、下級精霊に属する魔物だ。
ツゥ。
ウォーター・エレメントが止まる。それが、お辞儀をするようにこっちを覗き込んだ。体を起こすとくるくると吊りあげられたように、その場でゆっくり向きを変えて、こっちへ向かってきた。
「もしかして見つかった?」
「みたいだな、戻るぞ。あれ、属性そのものに近い見た目だろ、物理攻撃が効きそうにない」
こくり。頷くと元来た道を走って引き返した。
スゥーっと追ってくるが動きが遅い。
(チャンスだ。試しておくか)
詠唱をするのに十分な距離が取れると、キキキっと、止まって振り向く。
「……熱気纏いて、火よ、彼の者燃やす球をなせ」
右手に片手を前に翳す。
シャリン、腕につけた金の腕輪が音を鳴らし、紅いルビーが光る。
手の平の前に火の玉が生まれる。
「火球」
詠唱が終わると、手の平の火球を打ち出した。
(やっぱりな)
いつもより火球が小さい。威力も出てない。
当たった肩の辺りを抉った。ウォーター・エレメントは動きを止めて、球体部分が回転させ、抉られた部分を見ているようだ。
見ていると、ズズズ……と抉られた部分が他の部分から流れるように元に戻る。代わりに全体的に僅かに小さくなる。
「……ウェォオオォォォ」
こっちに向き直ると、叫んだ。怒っている気がする。
相手が怒り出したのに気をとられて、速度を上げて突っ込んできた相手から逃げるタイミングを逃してしまった。
咄嗟に、剣を抜いて斬り払うと切れた。
「は?」
(属性体が切れた?そんな馬鹿な……)
剣を鞘に戻しながら振り向くと、苦痛に歪みながら淡く蒼い光を生みだし、光になって消えた。
(いったい、この迷宮はどうなってるんだ?)
ライアットが剣を鞘にしまう。
そんなちょっとした姿も様になっている。
(カッコイイ)
後ろで見ていた葵は、目をキラキラ輝かせている。
魔法を放ち、剣を振り魔物と戦う姿を格好良かった。襲ってきた水の魔物と初めて戦うみたいだけど、危なげなく倒していた。
葵の頬がほてって、赤く染まる。
この迷宮に入ってから、私が危ない目に合わないように注意を払ってくれてるし、気を使ってくれている。
(絶対王都でもこの人モテてるよ。う~困ったな~どうしよう)
昨日も考えたが王都では、どんな姿なのか気になった。
たぶん今回単独任務だから、動きやすさを重視したんだ。それに近衛兵の鎧は目を引く。
だから、きっと普段はもっと高品質で、キラキラした鎧を着けているはずだ。
(うわ~凄い似合いそう)
そんな事を考えていたら前に双青のエントランスに置いてある月刊冒険者という雑誌に近衛騎士の紹介があって、仕事仲間の間で話題になったのを思い出した。
確か若手の将軍(葵は誰かまで覚えてないがフォイア将軍)のインタビューのページに近衛騎士の鎧姿も紹介されて載っていた。
(凄い似合う)
前を歩くライアットの背を盗み見ながら、ついて行った。
雑誌に大きく写ったフォイア将軍の後ろで机の左右に書類を積み上げられ、その間で赤い鎧を着て書類仕事をしているライアットが小さく写っていたが、葵はそんな所まで見ていなかった。
ライアットが書類仕事をやらされているのは、将来出世する事を見据えてフォイア将軍が慣れさせておこうとしているからです。
剣を振るほうが好きなライアットにとってはかなりの苦痛です。