水霊王の塔、2人の出会い
水霊王の塔の中は広く、円を描く外周部が一般公開され、灰色の切り抜かれた石で組んだ壁に装飾の施された柱、精霊や騎士の像、観葉植物と花の咲いた白いプランターが並ぶ。
この一般に公開されている場所は博物館のようにガラスケースに入った古いレリーフや古い文献等が飾られている。歴史博物館としても使われている。
マルコが話を通してあったらしく、受付に行くと白い修道服の修道女がすぐに応接用の部屋に案内してくれる。
修道女に続いて外周部を歩くと、似たような部屋の数が多く、部屋は1FA-1、1FA-2……と札がついていた。
「ここです」
案内されたのは1FA-応接室と書かれた札がついている部屋だ。部屋の中は茶を基調とした落ちついた感じの部屋だった。
茶の皮張りのソファに3人は腰を下ろす。
「暫くお待ち下さい」
そう言って、奥の扉から消えるとすぐに白一色の修道服を着た髪が灰色で初老といった感じの修道女が同じ服を着た修道女2人に伴われて入って来た。
その後で案内をした修道女は扉を閉めて、お辞儀をすると部屋を出て受付に戻って行った。
初老の修道女だけがソファに座り、彼女を連れてきた2人はソファの後ろに控えた。
「私は、この水の精霊王の塔の巫女達の統括責任者をしております、アトスという者です。役職で言えば修道塔長といった所ででしょうか」
皺だらけの老婆が話して、ぺこりとお辞儀をしたので、こっちも3人供お辞儀を返す。
「お話ではこの塔から聞こえる雄叫びを止めるために原因の調査がしたいという事でしたね」
「ええ」
皺だらけのアトスは、ゆっくりと話す。けれど、そのぶんだけ物腰が柔らかいのがわかる。
「わかりました。私達も解決して欲しいと思っているので、もちろんできるだけ協力しましょう。ですが巫女達の暮らす場所等、一部男子禁制の場所がありますので、そこには入らないで欲しいのです」
「それでは原因がわからないのでは?」
騎士であるライアットと違い交渉事は慣れているため、話は基本的にマルコがしてくれている。
「いえ、入らないで下さいと申し上げた場所は雄叫びに関係ありません」
「それは、……まさか貴女方は原因がわかっているのですか?」
「えー、そうですね。何故雄叫びをあげているのかはわからないのですが、雄叫びをあげているのは――」
言いかけると、雄叫びが上から聞こえてきて、全員が耳を塞いだ。
一番年をとっているアトスが最も辛そうで床に倒れて、耳を押さえていた。
「ぐぉぉぉ……」
長い首を天井に向けて伸ばした青い竜の雄叫びがドーム状の部屋に響く。
床に張られた水が声の振動で大きな波紋を幾つも作る。
その部屋にいる半透明の竜は、それだけでは飽き足らず何かに狂ったように壁に体をぶつけ始めた。
しかし、竜の巨体でぶつかっても厚くはない壁が壊れない。それどころか壁に皹1つ、傷1つ付ける事ができていない。
よく見れば壁や床に書かれた文字や図形が、微かに輝いている。その光は今では伝説の遺物の放つ輝きで、古代にあったその魔法の力の輝きでこの部屋は護られている。故に竜の力がいくら強くともこの部屋から出る事は叶わない。
竜の体をよく見れば既にあちこちに傷がある。
それでも竜は止めない、外に出たいという衝動を抑えられない。
竜の眼にはこのドーム状の部屋は、狭い檻にしか映らない。
この部屋は精霊である竜の力を完全に封じ、この部屋の外に出す事はない。そして水の精霊王を要に水を浄化し、恩恵を国に渡す。
元々は人の王と精霊王の契約からなるものだが、それは数えるのも馬鹿らしいほど過去の人間の王との契約によるものだ。その間ゆうに1000年以上。人は変わり、精霊も変わった。
竜は恩恵を与えるのは構いはしなかったが、この狭い塔の中にいなければならない事に狂おしいほどに飽きていたのだ。
何も面白い事がなく、ただここにいるだけの毎日。
会いに来るのは、巫女姫の紋章を与える事が許された1人だけ。その巫女は精霊の話を殆ど聞き取る事さえできない。そして彼女が話すのは、精霊王の事だけ。町の事、巫女自身の他愛もない話、そんな話を聞きたいが、その声は巫女に届かない。
ほんの壁1枚向こうに、蒼く広い世界があると思えば尚更。
聞く事も見る事もできない外の世界に竜は思いを馳せる。
「もう止めて下さい、精霊王様!お体に触ります」
黒髪を結いあげた巫女装束の女性が竜にしがみつく。必死に竜が暴れるのを止めようとするが、暴れられて尻尾で、巫女が飛ばれた。
「ぐぉぉぉ……」
『汝がこの退屈を癒してくれるとでもいうのか!?』
精霊王は、吠える。
だが、巫女に精霊王の言葉は聞こえない、届かない。
かつていた巫女と違い今の巫女は、その力を落とし、精霊の声を聞きとれなくなりつつある。
今いるこの巫女にも竜の声はほとんど届かず、吠えているようにしか聞こえていない。
巫女は最後には竜の横で痛みを堪えて、巫女になったのを後悔しながら泣く事しかできなかった。
結局その後暫く泣き続けた巫女は、部屋の扉まで涙を拭きながら歩いた。
「もう、あんな事しないで下さいね」
そう言ってぺこりとお辞儀をして出ていった。
「ぐぉぉぉ……」
再び叫んだ竜の声は、空気を震わせ塔の下にある街まで響いた。
「ぐぉぉぉ……」
巫女が出ていった後も竜は吠え続けた。
「うるさいなぁ。まったく」
『?』
コートを着た包帯だらけの茶の髪をした少年が部屋の外の柱の影から現れた。
『お前は誰だ?どうやってここへ入った?』
ここは、この国カントラタレッタでも重要な場所で中に入るためには厳しい検査がある。まして精霊王の住まう最上階には精霊王が直接印を与えた巫女しか入れないはずだ。
重く低く重厚な声が直接、少年の頭に響く。
「おお~何これ?頭に直接声が響く」
少年は楽しそうに両手で耳を覆って、この不思議な感覚を楽しんでいた。
巫女姫ですら殆ど聞きとれなくなったはずの声が聞こえると聞いて僅かに目を見開く。
『聞こえているのか?』
竜は確かめるように恐る恐る小さな声で尋ねる。
「ん、ああ」
まさか帰ってくるとは思わなかった答えに竜は驚いて少年を見つめる。
「泉雫だ。ここへは外から登ってきた」
少年と目が合った。見つめ返してきたのだ。もう姿を見える巫女さえ殆どいないのに。
『見えてもいるのか?』
「ああ」
『お前は精霊の血筋なのか?』
「?違うと思うけど」
目の前の少年からは巫女達の持つ力は感じられないし、精霊の力も感じない。
『では、何故見える?何故聞ける?』
「どう言う事?」
『我ら精霊を見るのも、声を聞くのも巫女の才能がいる。そうでなければ精霊の血筋でなければならぬ。だが、どちらも汝から感じられぬのだ』
「へぇ、……ん?ちょっと待て」
少年は目を閉じて開く、瞳に先ほどまであった、雫と波紋の淡く輝く青い紋様が消えている。
目の前にいたはずの青い竜は消え、少年の目に映るのは、ただ台座と柱があるだけだ。
「やっぱ、見えなくなるか」
『?』
少年が何をしたのかわからず疑問符を浮かべる。
「視覚を強化する『水見の魔眼』の効力みたいだ。聞こえるのもたぶん、五感を強化する魔法の影響だと思う」
『魔法で可能になるのか?そんな便利な魔法があるなら、何故誰も使わなかった?』
「複数魔法を使ってるんだけど『水見の魔眼』の下地にしてる魔法が無属性で今は使い手がいない」
『そうか』
竜は残念そうに沈む。
「それで、お前は誰だ?聞いた本人が先に名乗るのが礼儀だろ?」
両手を腰に当て上半身を少し前に出しながら、ぷ~っと頬を膨らませる。
その姿が可愛いらしく和む。
『それは、人間の中の礼儀だ。第一我ら水の精霊達に我が名を知らぬ者などおらぬ』
「ふうん」
『まあいい。我はこの塔に住まう、蒼き水の精霊達の第1位の王バルガディア』
「お前が精霊王かっ!本当にいたんだ」
今では精霊を知る者は少ないし、信仰する者も減ってきている。
「なぁ、勝負してくれないか?」
『我は精霊王ぞ?』
「知ってる。精霊王がどのくらい強いのか見てみたい。伝説の存在と戦えるだけで嬉しいし」
『無謀な……死ぬぞ?』
「駄目か……?」
血の匂いが雫からする。怪我をしているはずだ。その上、ここまで登ってきたのなら相当、辛いはずだ。
それでも尚、戦いたいというのだ。断るのは無粋というものだ。
『愚かだな……まぁ、いいだろう。ただし、我が勝ったら外の世界の事を話して貰うぞ?』
答えを聞くと、満面の笑みを浮かべた。まるで花のようだ。
「わかった。じゃ、……行くぞ!!」
答えると雫は巨大な竜に向かって行った。
今まで部外者だった雫がやっと動きました。