聳え立つ水霊王の塔
「あ、来た来た~」
翌日、宿から出ると葵が待っていた。こっちに気づいて、手をパタパタと振っている。
その後、葵の小舟で役所に行き、昨日と違う髪の長い受付嬢に街長を呼んでもらった。
話は通っているはずなのにライアットの姿を見て疑わしそうにしたので、昨日と同じように冒険者証明証を見せなければならなかった。
「いやぁ~お待たせしました」
腕を腰の裏に当て、階段をガニ股でのっそりのっそり降りてきた。
「では、行きましょうか」
そう言った街長のマルコは、役所裏にある葵の黒い舟を見て、嫌そうな顔をしてヒステリックに叫んだ。
「何で街長の私が見習いなんぞの舟に――!」
「うっ」
葵は、悔しいが見習いなのは事実なので何も言えなくて俯いてしまう。でも、俯いていてもしょうがないとそろそろと顔を上げると、マルコが冷や汗を流していた。
「っひ!」
ライアットが冷めた目で見下ろしていたからだ。殺気を放ったわけではないが、マルコには充分恐ろしかった。マルコは自分は近衛騎士の知人を貶したのだと自分の失敗に気づく。
「はぁ~、え~ごほん、行きましょうか?」
急に取り繕って、マルコは小舟に乗った。
ライアットは、葵と目を合わせると謝らなかった神経の太さにやれやれと肩を落としてから続いて小舟に乗った。
葵は小舟を止めているロープを解くのに、わたわたして5分かかった。
「それでは、では双青所属、藍葵です。拙い操舵ですがお寛ぎ下さい」
櫂が水を掻いて波紋を生みだすと、舟はゆっくりと動き出した。
水霊王の塔が近づく程、街並みは凝った装飾がされた建物や橋が増えている。街全体に点在していた水の精霊や騎士、魔導士の像も塔に近い程多い。
「ん?」
葵がこっちを見て櫂を抱き抱えて何かうずうずしている。
「どうした?」
「あの、近衛騎士になれるのって、凄い事なんでしょ。どうやってなったの?どんな事しているの?王直属なら国王様に会った事あるんだよね?どんな人!?」
尋ねると、口を開いた葵に矢継ぎ早に次々と質問された。
「あー、私も聞きたいですな。興味があります」
2人に言われて、ライアットは答えなければならないと諦めた。
「1つずつな。まとめては答えられないから」
「やったぁ」
葵は喜んで、ピョンピョン跳ねて小舟を上下に揺らした。
「見習い、やめんかっ!」
その叱責で葵は跳ねるのをピタっと止めた。
「ごめんねぇ」
船縁に捕まる2人を見て、謝ってからペロッと舌を出した。
「近衛騎士ってどうやったらなれるの?」
2人が座り直すと葵は、さっそく最初の質問をしてきた。
「あー、それは、わからないな」
「え、何で?ライアットは近衛騎士なのに」
「俺自身、冒険者からスカウトされたくちだからな。冒険者でA級の戦士系技能を保有していて、功績を残せばなれるみたいだけど……あまり詳しく知らないな」
「そうなんだ」
「けど、冒険者からのスカウトだと、礼儀作法を叩き込まれるから大変だぞ。歩く時は背筋を伸ばせくらいはいいけど、食事の作法や敬礼、行進、どれも正直苦手だ」
「にも関わらず、貴方はなぜ王直属の近衛騎士になったのですか?」
「俺を騎士に誘ってくれたフォイア将軍に憧れて、柄にもなくあんな風になりたいと思ったからだ」
「そうですか」
「……なぁ、葵はどうして水の渡し人になったんだ?」
今度はライアットが尋ね返す。
「小さい頃からの夢、だったから」
「そうか、じゃあ双青に入ったのは何でだ?水の渡し人の所属する団体は他にもあるだろ?」
「実は、その双青って2つの青っていう意味でしょ。それで私の名前が、藍と葵で2つ青が入ってて一緒だったから。でも双青の2つの青って空の青と水の青で、ここが2つの青がある街だからって――」
言いかけて座っている2人が、そんな理由で選んだのかと呆れているのに、すぐに気がついた。
「で、でも双青は、いい職場だって今はちゃんと思ってるし、優しい先輩だっているし、ちゃんとここに入って良かったって思ってるもんー!!」
同じ職場の先輩に話して笑われた事がある葵は上を見て、叫んだ。
葵は、水霊王の塔に向かうために何度も水路を曲がる。
「なぁ、さっきの大水路を真直ぐ行った方が近くないか?」
「うん、そう。でも、大水路は水霊王の塔から水が流れてくるの。だから水霊王の塔に向かうには、そういう水路を避けて行った方が早く着くの」
「それに、ほら」
角を曲がると、葵が後ろを見上げた。
ライアットの前には想像していたよりも巨大な白い塔が聳え立っていた。
塔の中に続く水路の両側には竜の像が立っていて、灰色の段差が5段あり、そこから外から見える場所に5階まで螺旋階段がある。そこから先は、窓が開けられて何階まであるのか数えるのも大変そうだった。
ライアットはその塔に圧倒されてしまった。
進んできた水路を離れ、開けた場所に小舟を止める。他にもかなりの数の小舟がある。どうやらここは水霊王の塔に来た者の舟着き場らしい。
小舟から降りて水の塔に続く階段の前で、もう1度塔を見上げる。もうここから見上げても、天辺は見えない。
その時、水色の短い線がはためいた気がした。
「ん?」
(何だ)
気になって目を凝らすと肌色の四肢に茶の髪が見えた。はためいて見えたのはコートだ。人が水霊王の塔のかなり高い位置の壁に張り付いている。
「なっ!?」
声を上げた直後、見えたそれは霞んで消えた。
「どうしたのですか?急に声を上げて」
「あそこに人が!」
ライアットが指を指す。
「えっ!?」
葵はすぐに見上げ、隣では右手を額の前に持って来て光を遮りマルコも見上げて探す。
「いないではないですか」
マルコがそう言い、隣で葵が頷いているから、もう1度見上げるが本当にそこには誰もいない。普通に考えて、水霊王の塔の壁に張り付いたりしないから、ライアットも見間違いだと思った。
「行きますよ」
振り向いて声をかけてきたマルコは、すぐにまた歩き出した。葵は階段を駆け上がって、だいぶ上にいる。
「早く!」
「ああ、今行く」
答えるとライアットは階段を登り始めた。
階段を登り終え、塔に近づくとは離れていて気づかなかったが白いだけの壁にレリーフが輪になって彫られていた。高い位置は見えないが階ごとにそれがあるらしく全部だと相当の量になるはずだ。
(凝ってるな)
先に来た2人は塔の中に入っている。じっくり見るのを後にして、ライアットも塔の中に入る。
すぐ横にはライオンの顔が大きく描かれたレリーフがあった。
ライオンの顔のレリーフを下から伸びてきた汗だくの小さな手が掴む。
「ふぅ~」
雫は長い息を吐く。
(結構登ったな~)
水霊王の塔の壁に張り付いたまま、水の都を見下ろす。
青い水が流れる水路に家の屋根が並んでいて、美しい街並みがある。ここからだと、燻んだ赤い屋根が多いのが良くわかる。
雫は、そんな景色に興味があったわけじゃない。ただ、どれくらいの高さを登ったか見ただけだ。
(げ……)
下を見て、こっちを見ている男に気がついた。
まずい、そう思った雫は、レリーフを掴んでいる指でトタタタタ……と叩く。
「我は虚ろなる者。何の感情も持たず、誰にも気付かれず、ただそこにある者」
音程が跳んだり跳ねたりして聞き取り難いが、それはごく短い詠唱だった。
こんな短い詠唱で発動する魔法はない。だが、唱え終わると右側から雫は透明になっていった。
雫は上を見る。
(最上階までそう、遠くない)
正面の精霊のレリーフに顔を近づけ、やや下を向き目を閉じる。
「すぅ~、はぁ~」
乱れていた息を整える。
(行くか)
目を開けて上を見ると、手を伸ばしてまた登りだした――瞬間、ズルっと汗で手が滑る。
「!!」
咄嗟に反対の手で階の間にある僅かな出っ張りを掴む。
「あっぶな~」
(もっと気をつけないと)
開いた右手で掴んでいるレリーフを暫く指でトタタタタ……と叩いて、足で2、3度壁を蹴ると、スルスル登って最上階の1つ下の階の窓から中に入って行った。