街の日暮れ、雫の焔
「よっと、……はっ」
くるくると噴水の前で雫は踊る。
その雫の踊りは命の最後の一雫まで燃やしているような熱い踊りで、それを感じさせるから誰も止められない。
学校が終わってからすぐに踊り始めて、日が沈みかけていて空が赤くなっている。もう流れているのが汗なのか血なのもうかわからない。
踊っている内に足を縺れさせた。
「わっ、とと……」
倒れないように腕をパタパタと上下させたが、そんな事でどうにかなるはずなんてなく――ドサッ音を立てて、前に倒れた。
「あつつぅ~」
腕を突っ張って起きようとした。けど、力が入らなくて、起き上がれなかった。すぐに腕にも力を入れられなくなって、石造りの地面に倒れた。
もう雫には立ち上がる力も残っていなかった。
またわたわたとロープを解くまで待ってから、小舟に乗ると、葵は役所の裏から小舟を出した。
「それでは、さっき言っていた通り宿屋に向かえばいいですか?」
「ああ、頼む」
「えっと、どんな宿屋がいい?この街は水霊王の塔に近いほど水が綺麗なので、水霊王の塔に近い程貴族や金持ちの商人なんかが多いです。当然、宿屋なんかの施設も値段が高くなってるの」
「あんまり持ってきてるってわけでもないからな~、さすがに貴族や金持ち商人が通うような所は無理だ。平民がギリギリ通えるくらいの所を頼む」
「はい。わかりました」
夕陽に空が赤く染まり、空を映す水も染まったように見える。街が暗くなり始めたので街灯にも灯りが灯る。ゆるゆると進む小舟の上からライアットは街の景色を見ていた。
橋を潜り、何度か曲がると水路の階段下に葵は小舟を止めた。
「ここから少し歩くけど、いい?」
「ああ」
「よかった。この街は水路が交通の要になっているから、水路に面していると商業関係が発達しているの。宿屋もそうで、だからこそ水路から離れた所にある宿屋は料金の割にいい宿があるの」
小舟を降りてわたわたと小舟を結びながら言う。
「水の渡し人でも、散歩が趣味の私しかしらない穴場なんだから」
自慢げに言いながら、小舟を縛り終わると、葵とライアットの2人は階段を登り歩き出した。
世間話をしながら街の角を曲がり、葵から目線を離すと、噴水から出ている水の先にうつ伏せに倒れている少女が見えた。
「!」
ライアットは倒れている少女――雫に近づくと、石畳も血で濡れていた。両膝を地面につけ、くたっとした雫を乗せて雫の上半身を起こす。葵もすぐに駆け寄って来た。
「おい、大丈夫か?しっかりしろ」
見た感じ10歳前後の小さな子供だ。体も軽い。
「ん……、う~ん」
唸りながら雫は目をゆっくりと開いた。ぼやけた視界がはっきりすると赤い空と目の前には知らない男の顔があった。
雫はライアットを押し退けるようにしてよろよろと立ち上がる。
「お、おい」
ライアットに答えず無視をして、足をふらつかせながら進むと、両手を震わせながらゆるゆると上げて踊り始めた。
「何してる!無茶はやめろ」
立ち上がって雫の両腕を掴む。
「煩い邪魔だ」
ライアットを振り払うと振り向かず、眼だけ動かし睨んだ。睨まれたライアットは近づくものを全て燃やすような暗い焔の宿る瞳に声が出なかった。
雫は目線を外すと、またゆるゆるとふらつきながら踊り始めた。
「止めなくていいんですか!?」
「あんな目をする奴を止められるわけないだろ……」
(何であんな小さい子が、あんな目ができるんだよ)
あんな目は生死をかけた戦場でしか見た事がない。俺が憎い仇として見られているようだ。
(こっちの話を聞かない、聞こうともしない。あれじゃあ話が通じない、まるで手負いの獣じゃないか)
ライアットは辛そうな顔で、葵は心配そうに暫く見ていた。
「行くぞ……」
「え……でも」
「今のあいつに何を言っても無駄だ。仕方ないだろ」
ライアットは向きを変えると歩き出した。葵は見なかったが、歯を食いしばって、厳しい顔をしていた。
あんな小さい子1人救う事のできない自分の不甲斐なさに憤っていた。
「う……、うん」
葵は心配で雫をチラチラと振り向きながら、ついて行った。
「えっと、ここ何だけど」
葵に案内された宿屋は半円形をした薄緑の入口付近の屋根に、両開きの横にずらす形の扉をした建物で、扉の上に『湖の畔』と看板が出ている。
「良さそうな宿じゃないか」
中は淡い色調で落ち着きのある緑色が、ふんだんに使われている。
客は少なくないが多くもない。
立地が交通の要である水路に面していないため商人が少なく、宿屋としてはいい宿のため、旅人が多い。雄叫びの被害さえなくなれば、ここに止まる観光客も増えるだろう。
ライアットは中に入ってカウンターに行き、受付をしている。その間、葵は中に入らず扉の外で開かれた緑の扉に寄り掛かって待っていた。
「待たせた、明日も頼む」
「うん、でもさっきのあの子……」
そっと噴水のあった方向を向いて顔を上げる。
「今の俺達じゃあ、止められないんだ。あまり気にするな」
「でも……」
ライアットは、葵の方を見てポンっと手を肩に乗せる。
「あくまでも今は、だ。雄叫びを解決したら俺は王都に戻るから無理だが、お前はこの街にいるんだ。見守っていれば、いつか、何かできるだろ」
「そっか。うん、そうだよね」
葵は宿屋の前に駆けて行き、ツインテールの髪を振り、手を広げてくるりと一回転すると笑顔見せる。
「それじゃあ、明日ね」
上げた手をパタパタ振って、葵は走って去って行った。
「あれ?」
ふと気づいて足を止める。
(よく考えたら、王直属の近衛騎士って凄い人なんじゃ?)
だって近衛騎士って騎士の中でも選りすぐりのエリートだ。普通の騎士だって王に叙勲されなきゃなれないはず。小さな男の子の憧れや夢だって騎士だ。『近衛騎士』じゃない。ライアットはその中でも王直属なんだよ。
(うわ~、凄い人と知り合っちゃった)
今更それに気づいて、『湖の畔』の方を振り向く。けどそこには、もうライアットの姿はなかった。宿屋の中に入ったみたいだ。
それから小舟に向かってトコトコ歩き出した。歩きながらライアットについて想像する。
騎士なのだから本当はもっと綺麗な鎧を身につけているはずだ。現に身につけていた剣は何か特別な物みたいだった。あの剣を振っている所は格好良さそうだ。
マントは着けてるのかな?あれ馬には乗れる?う~ん、乗っている所が想像できない。
想像すると聞きたい事や知りたい事がいっぱい出てきた。
(明日、いろいろ聞いてみよう)
葵は、そう決心すると明日がとても楽しみになった。
宿屋『湖の畔』の部屋でベッドに腰をかけている。横の窓の外には水の都の建物の屋根と星が瞬き、三日月が出ている。
ライアットは今日の出来事を思い出していた。
(フォイア将軍はわかったのに、王都で王の考えている事がわからなかった。俺は人の考えに思い至れない)
どうすればそんな事ができるのかわからなかったし、できるようになる方法さえわからなかった。
けど、葵に偶然聞いた事で、相手の考えを聞けばいいとわかった。
答えてくれる人もいれば、答えてくれない人もいるだろう。けど、聞かなければ絶対に答えてはくれない。それで少しでも人の考えを学んで行くところから始めればいい。
(それと自分の当たり前と相手の当たり前は違う。常識にも多少ずれがある)
何処が違うかを知る事、それができれば幅広い考えができる。より良い考えができる
ぐっと握り拳を作って見つめる。
(今日はいろいろ学べた。フォイア将軍これで少しあなたに近づける)
そう思うと嬉しくてライアットの口元に笑みが浮かんでいた。
あの踊り続ける小さな少女の姿が陰を落とす。
いつか機会があれば、好機があれば救ってやりたいと思った。
だがライアットのこの願いは、1年後には叶わなくなってしまう事になる。