街長との会合
四角い役所は裏からも入れるようになっていて建物のすぐ裏が水路に面している。その水路に舟を止められる短い桟橋がある。
スーっと速度を落として桟橋に小舟を近づけて、止めた。
「着きました。小舟を縛るので、それまで待って下さい」
「ああ」
返事を聞くと、葵は小舟から降りて、小舟を桟橋に結び始めた。わたわたと結ぶまで2~3分待たされた。
「ふぅ~、やっと結べた。あ、お待たせしました。足元に気をつけて降りて下さいね」
「ああ」
葵に手を引かれて小舟を降りると役所の中に入って行った。
役所の中は、街と違い騒がしかった。書類を抱えた役人が走り回り、横にスライドする表の入り口の燻んだ赤い扉の前では腕貫きをつけた役人に前掛けをした奥さんが2人がかりで文句を言っている。役人はあわあわしながら何とか対応しているが勢いに押されている。そうこうしている内に、Tシャツにニッカポッカを掃いた体格のいい男性が怒鳴り込んできた。
「外とは偉い違いだな」
「さっき、雄叫びが聞こえたばかりだからね。その対応に追われてるんでしょ」
「ああ」
それもそうかと、答えながら受付嬢のいる深緑のカウンターに向かう。
「街長に会いたいんだが?」
きっちり切り揃えられたボブカットにした焦げ茶の髪に上着を脱いだスーツ姿の受付嬢に要件を言う。
「はい、面会のお約束はしてありますか?」
「いや、してない」
「でしたら、面会のお約束をして後日いらして下さい」
「そこを何とか会う事ってできないの?」
葵がカウンターに両手をついて身を乗り出して言うと、受付嬢はこっちを不審な目で見てきた。
「申し訳ありませんが、後日いらしてください」
「ちょっと、何でよ!会わせてくれてもいいじゃない!」
葵は喰ってかかるが、無理だと思う。受付嬢が見た俺の姿は使い古したブレストプレートにボロボロの茶色のズボンだ。剣を腰につけているから冒険者だとはわかるが、身なりが良くない。不審者だとまでは思わなくても、街長に会わせられる人物ではないと思ったのだろう。
「まぁ、当然の反応だろ」
「ええ、でも、それじゃあ」
葵がこっちを向くとライアットは皮の鞄を目の前の床に置いて、手帳のような物を取り出した。それをカウンターの上に置く。
出したのは教会が発行している冒険者証明書だ。あちこち旅する者は、商人以外は必ずと言っていい程、持っている。定住しない冒険者の場合は、住所や連絡先は書かれないが、身分証明として使える。
受付嬢は、不審に思いながら、こっちを気にしつつ手に取って中を見る。そこにはライアット・グレイトンの名前と写真、それから今の職業。すなわち王直属の近衛兵。
それを見た直後、さーっと顔色を青くした。
「申し訳、申し訳ありまでした。今すぐ、街長にこの事をお話しますので、暫くお待ち下さい」
ペコペコと急に態度を変えて頭を下げる。
王直属の近衛兵という事は王を護る立場だ。それがこんな所にいるから、何か重要な――王からの密命を受けていると勘違いをしたんだろう。
葵は、ぽかんとした顔で、その様子を見ている。
受付嬢は、駆け足で奥に消える。すぐにカンカンカン……と階段を上る足音が聞こえてきた。
立って待つ必要なんてないからライアットは、カウンターに並べられた観葉植物の横の黒いソファに座った。
階段を上る足音が聞こえなくなると葵が、カウンターからぐりんとこっちを見る。
「ねぇ、一体何したのよ?」
葵は近づいてきて尋ねる。
「ほれ」
説明するのも面倒だったから、冒険者証明書をヒョイっと投げて渡してやった。
それを開いて中を見た葵は、俺の顔と証明書を何度も見比べて、あわわわわ……と言いながら、口をぱくぱくさせていた。
コンコン。
「失礼します」
返事を待たずに街長のいる部屋の濃い茶色の片開きの扉を開けて中に入る。
「どうしたのだ、そんなに慌てて」
頭の上に毛がなくて横にだけ残っている、チェック柄の服を着た恰幅のいい背の低い男ゆるりとパイプをふかしていた。声もどこかゆるりとしている。
「し、下に王直属の近衛兵が来ています」
「な、何だと!?」
トトトっと汗を拭きだしながら、小気味良く窓に走り寄り、ぴとっと頬をガラスに当てて役所の前を見下ろす。そこに近衛兵の姿はない。
ガラスから頬を離すともう一度見直す。何処かに隠れているのではないかと探すが、やはりいない。
「いないではいか!」
バっと勢いよく振り返り、受付嬢を見る。
「?」
「近衛兵が押しかけて来たのであろう!1人もおらんではないか!」
指で役所の前を指で指しながら叫ぶ。
「……いえ、来たのは1人だけです。今、下で待ってもらっています」
(この慌てよう、いったい、どんな後ろ暗い事をしてるんだろう)
清廉潔白ならこんな怯え方はしない。受付嬢は白い目で街長を見下ろしていた。
「な、何をそんな目で見ている、今すぐ、呼んで来い!」
「あー、はい」
汗を飛ばしながら取り繕うように言うマルコを見て、冷淡な声で答え、受付嬢はライアットを呼びに戻った。
2階から受付嬢が下りて来て、ライアットを呼びにきた。
「ライアット様、街長がお会いになるようです。2階へどうぞ」
「おう」
ライアットは立ち上がと、袖を引かれた。振り向くと葵が心配そうに俯きながら服の袖を掴んでいる。
「ねぇ、私も一緒に行ってもいい?」
「ああ、後で宿に案内して欲しいからな」
「わかった」
葵はほっとした表情になった。2人は秘書に案内されて2階へ行った。
カチャ。
「こちらです」
案内された部屋に入ると、街長がお茶を入れていた。
「そちらへどうぞ」
茶色のソファを進められて座る。隣に緊張してカチコチになっている葵が座る。
「初めまして、水の都アクアリウムの街長をしています、マルコ・ロレンツォと申します」
黒いテーブルを挟んで正面に座る。マルコの後ろには1人の修道女のバストアップが描かれた絵画。すぐ右に木で造られた台の上に赤い花が刺された花瓶が見える。
「そちらは、炎の騎士ライアット様ではないですか?」
「知っているのか?」
「ええ、炎を纏い炎の斬撃を飛ばす魔導剣フレイムブリンガーを持つ魔法剣士はライアット様しかいませんから。……少し腰の剣を、拝見させてもらってもいいですか?」
「ああ」
腰の剣を鞘ごと外すと片手で持ってマルコに渡す。マルコは両手で恭しく受け取ると、まじまじと見る。曲線の美しい赤い鍔に金色の炎のような文様。鞘も赤に金の装飾がされていて美しい。
「抜いてみても?」
「ああ」
スーっと剣を鞘から抜くと鞘をライアットとの間にある黒塗りのテーブルに置く。
刀身部分の中央で鍔に近い部分には平らになった場所があり、そこに見た事もない紋様が、彫られている。刀身も透き通って鏡のように綺麗で覗き込むマルコの顔が映っている。
「よく磨かれていますね。美しい刀身です」
「ああ、魔法の力を持つ剣は装飾剣だからな。整備を怠って、炎を使えなくなっては困る」
「成程」
時折、「おお」とか「ふぅむ」とか、マルコはそんな感嘆の声を漏らしている。
「ありがとうございました」
ひとしきり見て、満足すると、剣を鞘に入れて恭しくライアットに返す。
「素晴らしい一品ですな。眼福です」
「剣に興味が?」
「いえ、剣というよりも珍しい物ですね。なにぶん私は商人上がりでして」
「なるほどな」
(俺自身を知っていたんじゃなくて、俺の持つ剣を知っていたのか。有名な剣の持ち主だから、ついでで知っていたと)
「ところでその剣はどちらで」
目をキラーンと一瞬輝かせてライアットを見上げながらさり気なくマルコは尋ねる。
「ああ、国境沿いの隣の国リバス・フライカ側にある遺跡の町。あそこの鍵職人が経営する鍛冶屋で売っていた。元はそこの遺跡の出土品だ」
「はあ~、そうですか」
マルコは同じような剣をどうにかして手に入れられないか考え込んでいる。
(まさか二束三文――具体的にはパン1切れ程度の値段で買ったとは言えないな)
「あ、つい考え事をしてしましまた。それで、いったいどのようご用件で水の都に?」
「水霊王の塔から聞こえる雄叫びをどうにかするように頼まれてきました」
「それは嬉しい。それで私に何を頼みに来たのですか?」
自分の後ろ暗いところを調べに来たのではないと聞いて、ほっと安心できて、声が普段の調子に戻った。
「水霊王の塔を直接調査したいので、その口添えを頼みたいんです」
「ああ、そう言う事ですか。わかりました。では、私も一緒に参りましょう」
「ねぇねぇ、何で街長にそんな事頼むの?王直属の近衛騎士なら直接行ってもいいんじゃないの?」
葵がライアットの服の裾を、くぃくぃ引っ張り、聞いてくる。
「精霊王の恩恵は国が受けているし、水の霊王の塔は国の物だが、そこで働く巫女や修道女は教会に属しているからな」
「えーっと……?」
葵が良くわからなくて腕を組んで頭を斜めにして悩む。
「国と教会は全く違う組織だ。教会は人同士の戦争には関わらないと言っているが、国も知らないような魔法技術や古代遺産を秘匿している。国を跨いで存在しているから、他の国から圧力をかけてくるし、全体の人数も集めれば国の兵士より遥かに多い。突いたら、確実に蛇どころか竜が出てくる。だから軋轢はできるだけ避けたい。そこで王族の近衛兵が直接行くより、水の霊王のある街の長という関わりの強い者に緩衝材として間に入ってもらった方がいいって事だ」
「はー知らなかった。私は冒険者をまとめたり、民の為に働いてくれる便利な組織としか思ってなかったよ」
「国に直接仕えてないならその認識で間違ってない」
「今日はまだ仕事が残っていますし、今からでは少々遅いので明日にしましょう。明日の朝、もう1度こちらにいらして下さい」
「わかった」
ライアットは立ち上がって部屋を後にした。
遺跡の町はリメインスルーインという名前です。
かつて暴れていた魔王を封印した遺跡があり、その地上部分近辺に、遺跡調査で人が集まってできた町です。
ただ、最近魔王復活の兆しが見え隠れし始めたようです。