王子の来訪
フランツ達4人が水の都アクアリウムの巨大な門の前に来た。
この水の都は精霊王が住まうため魔物の被害が少ない。もしも、万が一精霊王に何かあるといけないので国王が巨大な壁でこの都市を括った。
その開かれた門から真っ直ぐの所に天を衝くような巨大な塔が立っていた。
「あそこが……」
フランツが感嘆の声を上げる。
精霊王の世代交代を確かめに来たのだから、登るかもしれないと思えば当然だ。
「ええ、そうです。あそこが精霊王の住まうと言われている塔です」
茶色のローブを着た女魔法使いのパーシルが丁寧に答える。
「言われているとは、どういう事だ?」
「昔は多くの人が見たり聞いたりできたようですが、今では巫女達でさえ、見たり聞いたりできない者が殆どです。それに精霊王に直接仕えるのは1人だけで、直接仕えていた巫女は塔で生涯を終えるので、本当にいるのかさえ、今ではもう定かではないんです」
「そんな者のために、ここまで呼ばれたのか?」
「いなくても薄れているとはいえ信仰はありますし、本当に精霊王がいて、本当に何かあったら困りますからね」
「精霊はいますよ?」
フランツとパーシルの会話を不思議な顔で聞いていたてんが口を挟む。
「精霊王の輝きの記述は実際に星詠みの塔に残っていますから」
「それ自体が疑わしいんです。こちらの部署にも精霊王の記述された文献は僅かにありますが、どれも現実味がない。私は作り話ではないかと思っています」
フランツは、パーシルと天の会話を聞いてパーシルが精霊王を信じていないのだとわかった。王家で精霊の恩恵があると言われ続けたから今まで疑わなかったが、精霊の恩恵そのものが眼に見える物でなない。 想像上の話しだと言われると、証明する事はできない。
(今まで信じて疑わなかったけど、精霊王は存在するのだろうか?)
「パーシルは精霊王を信じていないのか?」
「当然です。いない者を信じるなんて馬鹿げています!」
「ライアットはどうだ?」
「答えは保留な。ただどっちかつーと信じている寄りだな」
「以外ね~、てっきり私と同じで信じてないんだと思っていたわ」
「冒険者時代に精霊王はともかく下級精霊とやり合った事が、何度かあるからな」
「それ、本当ですか?何かの見間違いとか、勝手に関係者が精霊と呼んでいただけじゃないですか?」
「何だ?お前、精霊そのものも信じてないのか?」
ライアットは、パーシルが精霊王はともかく、精霊そのものを否定するとは思わなかった。
「さすがに声を聞いたり、姿を直接見れば私だって、信じるわよ!」
両手を握って真っ向から否定する。その態度から全く信じるつもりがないのがわかる。
「ライアット、それで精霊王は信じているのか?」
「それも保留。ただし、去年、この街で雄叫びが問題になって、調査に来たんだが、塔の巫女は精霊王の雄叫びだと確信があったようだぞ」
「そうか、ならやはり、あそこに行く事になる、か」
フランツはそれに向かって聳え立つ塔を再び見た。
「ここに何時までもいてもしょうがないだろ。行くぞ」
「すみませんが王子、私は別に用事があるのでここで」
ライアットが促すとパーシルがそう言って、さっさと歩き去ってしまった。
門を潜ると1人前になった葵が舟の前で待っていた。
「お久しぶりです。ライアットさん」
「……久しぶり」
初めて会った時の仕事口調だ。素で話してくれた方が気が楽だったが、仕事なので仕方がない。
葵は手を取って3人を舟に乗せる。
「それにしても、よく選ばれたな」
「はいとても大変でした。王子を乗せるのは私だと言って騒動に発展しそうでした。そこで一緒に来るライアット様を1度乗せた事がある私が選ばれました」
「そうか」
3人が座ったのを確かめると葵は舟を出した。
「早くこっちです」
焔が大水路に架かるアーチ状の橋の真ん中で遅れてきた雫とミナモに声を掛けた。学校のクラスメイトであるミナモとは同じ目的で来る途中に会った。
近衛騎士を目指している焔は3人の中で1番張りきっている。王子を見る好機を逃すまいと、少しでもいい場所を確保しようとして先を進んでいた。
「待ってよ~」
ミナモが焔に遅れて人混みの中大変そうに走ってついて行く。雫は、ポケットに手を入れたまま、人混みを軽く見ながら、スルスルと人の間をすり抜けて、2人の少し後ろを歩く。
「早く来ないと良い場所から王子を見られないのですよ?急いで下さい!」
「わかってるよ、そんなこと」
はぁはぁ、ぜぇぜぇと横まで来て下を向いて息を切らせる。
「雫さんは、まだ来ていないの?」
「ここだけど?」
焔が聞いてすぐに答えがすぐ後ろから聞こえて2人が驚く。
姿を消したり、自身の幻影を使う雫は、気配を意識的に出したり消したりできる。人混みを通るのに気配を消した方が抜けやすいので練習がてら消していた。
「いるなら、いるって言って下さいよ!もう!」
「あー悪い」
適当に答えながら雫は瞳を閉じる。
「フリーデ、王子の舟はあるか?」
小声で尋ねる。
『王子に興味があるのですか?』
雫が心の中でそう問いかけると頭に直接響く声が質問を返す。
「王になるために必要な事を学んで来たなら、見習うとこも多いだろ?」
『それもそうですね』
「それにあたし以上に焔は興味があるみたいだしな。あいつは王姫に仕える近衛の精霊騎士を目指しているからな」
『ようするに私と同じ守霊騎士のまねでしょう?』
「なんか身も蓋もないな」
『聞こえていますよ』
雫は、ふふふと微かに笑う。
「……で?」
『今、3つ目の橋を潜りました、すぐに見えてきます』
「助かる」
『いえ、これくらいどうという事はないです』
目を開くとフリーデに言われた正面を指差した。
「……ん、見えてきたよ、王子の舟」
「本当だ」
焔とミナモは手摺から身を乗り出すように見た。
「これが水の都か」
フランツは舟の上から街を見る。
この街は水の精霊がいるだけあって水そのものが多い。そのためどうしても水と共に暮らさなくては、ならないため水路がとても多い。
その水路の左右には王子の顔を見ようと人がずらっと並んでいる。
眼鏡に白衣のてんは、感心したようにあっちこっちきょろきょろと見ている。
「珍しいのか、てん?」
「はい、書物で読んだ事はあるんですけど、来るのは初めてで。はぁ~やっぱり本物は違いますねぇ」
「来れて良かったな」
「はい」
てんは、にっこりと素朴な満面の笑顔を浮かべた。
華やかではあるが、ほの暗さと微かに怪しさのある貴族社会では見られない笑顔だ。腹の探り合いと策謀を嫌う博が気にいるはずだ。
答えを返したライアットが頭をつい撫でてしまっている。
「それにしても、ここ水路のせいで道が入り組んでて、始めて来たら人は道に迷うわないのか?」
「あ、それは大丈夫です。基本的にここの水路は蜘蛛の巣のような網目状に広がっているんです。迷った時は東西南北さえ間違わなければ塔を見て、そこに続く8つの大通路を探せばいいんです。塔は街の中心に立っているので、通りから必ず見えます。それを元にすれば、だいたいの場所は、わかります」
「なるほど、そうなっているのか」
「ええ。それから今日の宿は精霊王の塔の傍になります」
「どうして?」
「精霊王の塔に近い場所の方が精霊の恩恵を強く力を受けるため水が綺麗です。そのため精霊王の塔に近い土地を貴族が買うため、近いほど土地代が高くなります。当然高級な宿も塔に近くなります。まさか王族が街の端の宿に泊まる事は、できないですからね」
「詳しいな」
「書物で読んだだけです」
フランツは星詠みの教授が連れていかせようとしたのかわかる。大量の知識はあるが本物を知らない てんに本物を見せたかったのだろう。読むだけではわからない事を経験させたかったのかもしれない。
焔達のいる橋の傍まで舟が進んできていた。
ミナモは舟を指差してはしゃぎ、焔は敬う気持ちで見ていた。
橋の真ん中にいる3人をフランツが見た。
特に何も思う事はなく、王子として振舞おうとして――3人の真ん中にいる雫と目が合った。
(なんだ、あれは?)
そこにあるのは、尊敬や憧れの瞳とはまるで違う、ただ悠然とそこにある瞳だ。
その瞳は父である国王のような偉大な瞳によく似ている。
父のように叡智を秘める代わりに優しさと冷たさを併せ持つ深く青い底の見えない不思議な瞳だ。
船が橋の下を通る時も通り抜けてもフランツは気になって雫の方を向いて、彼女を探していた。
(彼女は一体何者なんだ?)




