水の都、響き渡る咆哮
「ありがとう、助かった」
ライアットは幌馬車の幌から出て左右は背の低い雑草が好き放題伸び、地面が剥き出しの少し低くなった道に降りると御者の横に来て礼を言う。
「おう、兄ちゃんも気をつけてな」
「ああ」
ライアットの返事を聞くと御者は馬車を出してライアットと別れた。
もう水の都の白く高い壁も見えている。道の上に置かれた皮で作られた円筒に近い形の鞄を肩にかけると、歩き出した。
ライアットは歩き水の都の門の前まで来た。
今は水が張られた堀の上に架かる木でできた手摺のない橋の上にいる。今のライアットは騎士の格好をしていない。
長旅に向かない近衛騎士の時に使っている赤い鎧は王都に置いてきた。今は簡素なブレストプレートを着ている。服や装備も騎士の物ではなく、冒険者だった時の物だ。ただ剣は騎士の時と同じ魔導剣フレイムブリンガーだ。
巨大な門は一応閉められるが常に開いているし門番もいない。その門を潜って水の都に入る。
中に入ると景色が一変する。
外は長閑な緑で大自然が広がっていたが、中は白を基調とした人工的な造りになる。建物の屋根は、殆どが平らで色は燻んだ赤や青だ。水路も整備されているが、場所によっては、家のすぐ横が何の区切りもなく水に浸かっているような場所まである。
そして入った正面に巨大な水霊王の塔が見える。
この水の都アクアリウムは、あの精霊王の塔を中心にだいたい円状の形をして、外側の大部分を高い壁が覆っている。
水路が網目状に広がり、水路が交通の要になっている。この水路は季節が冬の満ち潮の時は街に住んでいる人でも迷ってしまう程、複雑に入り組んでいる。
(さて水の渡し人を探すか)
前に来た時は通らなければならないから通っただけの町なので、簡単に見て、すぐに別の街に向かったから、中がどうなっているか良くわからない。だが、ここには水の渡し人というゴンドラと呼ばれる小さな舟に人を乗せ案内する事を生業とする女性達がいる。彼女達を見つければこの街に詳しくなくても行きたい場所に行ける。
水の渡し人を探しながら、とりあえず景色を堪能しながら水路に沿って歩いた。
人の喧騒もあるが、静かで水の流れる音が常に聞こえる。たまに横をすれ違う人は微笑みかけてくる。
緩やかな時間の流れる街だと思った。
(剣を振り、戦場を駆ける……俺達には似合わない街だな)
暫く歩くと長い髪を長いツインテールにした白に水色の模様の入った服を着ている少女を見つけた。腕に水の渡し人の証である小舟と橋が描かれた大きめの青い腕章をつけている。
少女は、わたわたと小舟の傍で何かしている。
小舟で案内を頼もうと近づくと、彼女は小舟を止めておくロープを結ぶのに苦戦していた。
「ふぅ~、やっと結べた」
水の渡し人は満足してから、一仕事終わったという感じで額の汗を腕で拭った。
「悪いが乗せてくれないか?」
少しある段差を跳び降りて近づきながら声をかけると、こっちに向き直ってず~んと急に沈んだ顔になった。接客業で仕事を頼んだら笑顔が返ってくると思っていたから意外だった。
「ん?どうした?」
「えっと、見てましたよね?私、今、小舟を、やっと結んだ所なんですよ?それをすぐに出せなんて……」
「俺は仕事を頼んでいるんだが」
ライアットは帰ってきた答えに呆れる。
「はい……そうですね。いいですよ。どうぞ」
のろのろとした動きで小舟に乗ると、ライアットに手を差し出してきた。
差し出された手をとって、小舟に乗る。小舟に乗りなれていないと危ないからだ。
ライアットが座ったのを確かめると、またわたわたとロープを解くのに苦戦し始めた。
一体どんな結び方をしたのか気になったが、客である俺が口を出すのもどうかと思う。
「やっと、解けた~、すいませんお待たせしました」
本当に待たされた。結局、口を出さずに見ていたら5分は確実にかかっていた。
「それで、どちらまで行きますか?」
ロープを解いている間に気を入れ直せたらしく、優しそうな微笑みを浮かべている。
「適当に案内を頼む。それから最後に役所に連れて行ってくれ」
「はい、畏まりました。では双青所属、藍葵、拙い操舵ですがお寛ぎ下さい」
葵はそっと櫂を動かし、小舟はゆっくりと波紋を生みながら、水路を動き出した。
(ここは青と白の街なんだな)
ライアットは、ぼ~っとそんな事を考えながら、小舟の上から街並みを見ていた。
「さっきは待たせてしまって、すいませんでした」
「ああ、全くその通りだ」
街並みを見ながら平坦な俺の口調に葵は少しむっとしたようだ。
「だったら、見習いの黒い小舟になんか乗らなきゃいいじゃないですか」
「見習い?」
「そーです。……もしかして水の都は初めてですか?」
黒い小舟が見習いの小舟だというのは水の都では一般常識だ。そうでなくても、観光用の本なんかにも書かれていて知られている。
「初めてじゃないが、この国に来た時に通っただけだ」
「ああ、そうですか。じゃあ、知らないんですね。ここに住んでいる人や観光に来た人は皆、知っています。観光用の本にも書いてあって、ちょっと調べればわかる事です」
「そうなのか?」
「はい、この黒い舟は小舟協会から貸し出された舟です。たまに水上でお店を出す人やここの実家に戻って来たに小舟乗れる人なんかが、お金を出して貸りています。私達、見習いは、半人前になったら黒い舟が貸し出されて、安い料金でお客様を乗せる事ができます。その代わり、こっちの失敗にも寛容でいて下さいという事です」
「なるほど」
「1人前になると小舟協会から、黒以外の色の自分のゴンドラを貰えます。ですから『水の渡し人の腕章をつけた黒い舟』は見習い、半人前の舟なんです」
「そうか」
「あの……今から1人前の水の渡し人を探します、か?」
櫂を抱えて少し前屈みになって不安そうに尋ねてきた。
「いや、お前でいい」
(観光に来たわけじゃないし、今から探すのも面倒だ)
「良かったぁ」
そう言って安心すると葵は花のように笑った。
「右手に見えるあちらは、えーと……ヴォールト教会です。働いているのは巫女や修道女の女性だけで、あとは……すみません、勉強不足で」
「見習いなら仕方ないだろ」
拙いし、途切れ途切れの観光地の説明を聞きき流しながら街並みを見ていた。より正確に言えば、水霊王の塔から聞こえる雄叫びの影響はないかを見ている。
「あの、こちらへは何をしに来たのですか?」
「あ?ああ――」
「グォォォ……」
ライアットが答えようとした時、劈くような雄叫びが街中に轟いた。
「ーー……」
葵は、聞こえてきた大きな音に耳を塞いだ。櫂を持っていたため塞ぐのが遅れて顔を顰めて、悲鳴を上げ、すぐに立っていられなくなってしゃがみ込んでしまう。
葵の悲鳴は雄叫びにかき消されてライアットには聞こえない。
ライアットも耳を塞いだが、顔を歪めて下を向く。何とか街の方を見ると、全員耳を押さえているし、人によってはその場でしゃがみ込んで苦しんでいた。
雄叫びが小さくなっていき、治まると葵がなんとか立ち上がった。ライアットも顔を上げる。
「大丈夫ですか?」
濃い青色の髪を片手で掻きあげながら、こっちを心配して尋ねてきた。
「ああ」
(何だったんだ、あれは?いや……)
「そうか、あれが塔からの咆哮って奴か」
ライアットが声をした方、水霊王の塔を見上げる。
「俺はあれを止めに来たんだ」
ライアットは強い眼差しで、そう言った。
「俺はあれを止めに来たんだ」
葵はそれを聞くと、驚いた顔をしてからライアットの手を両手で掴んで両膝立ちになって詰め寄る。
「ほ、本当ですか!?」
「あ、ああ」
ライアットは気圧されて、後ろに下がる。葵の顔が近い。
「だったら、私にも協力させて下さい!」
「……」
そんな事を頼むつもりはなかったから、言葉が出ない。
「私がいれば、この街の移動には困らないですし、散歩が趣味なので小舟で行けない所も案内できます。それにあちこちに行くから、顔も広いんですよ。えーと、それから……それから」
すっと手を離し、立ち上がると片手を胸にそっと当て、アピールする。
「……わかった、協力頼む」
「やったぁ!」
必死さと勢いに押されてライアットは協力を許すと、嬉しくなってピョンピョンと小舟の上で跳び跳ねた。葵が跳ねる度、小舟が上下に揺れ、水飛沫も跳ねる。
「ちょ、飛び跳ねるな!跳ねるの止め……落ちつけ!とにかく落ちついてくれ!」
「あ、ごめんね」
ライアットは座っていられず必死に船縁にしがみついて叫ぶ。そのライアットの情けない姿を見て葵は落ちついた。
「お前、猫被ってたのかよ」
「酷いなぁ、ただの営業モードだよ。あなただって、上司には敬語使うんじゃないの?それと一緒だって」
「あーそう言わるとなー」
ライアットは小舟に座り直ながら答えると、葵をじっと見た。
「……なぁ、何で俺の手伝いで、そんなに喜んだんだ?何か理由があるんじゃないか?」
「あ、うん。今、王都で巫女見習いをしている妹が夏の長期休暇で帰って来てるの。もうすぐ開かれる水泳の競技大会に毎年、出てて楽しみにしてるんだけど、あの雄叫びのせいで開催するかどうか怪しくって、それで……」
「そうか、それがお前の事情か」
ライアットは、その答えを聞いて勅命とは違う考え事を少しした。
「それで、私は何をすればいいの?」
考え事をしているライアットを見て、不安になって尋ねてきた。
「とりあえず、あの雄叫びの被害を知りたい。例え煩くても所詮は大きな音だろ?」
「何、言ってるの?大問題だよ。赤ちゃんのいる家だってあるし、料理中に火を使っている家だってある、手摺がないから水路に落ちる人だっているんだよ!?」
「あ、そうだな。わりぃ」
騎士だから、そんな家庭の事情を考えていなかった。ライアットが考えていた被害は、あの雄叫びに魔物を引きつける力があるとか、聞いた精霊が暴れるとかだ。つまりは、戦士として剣を振って解決できる被害だ。
(そうか、俺の当然とこいつの当然は違う。俺は自分の物差しでこの事件を計っていたのか。いや、今までもそうだったかもしれない。気をつけねぇと)
「続けてくれ」
「あ、うん。さっきの火だけど、結構危ないと思う。この街は水が綺麗で、その水を使うガラス製品が有名なの。だからガラス製品を造る工房も当然多い。工房にはガラスを溶かす大きな竈があるはず」
「他には?」
「あの雄叫びで耳を押さえて、小舟をひっくり返して、転覆させる水の渡し人が出てる。水の渡し人は皆泳げるから怪我とかないけど、落されたお客の苦情が会社に殺到してて、水の渡し人の会社は皆、大赤字」
「それは、お前達の事情だろ?そういうのはいいんだよ」
「そうでもない。この街は観光で有名な街だよ。ただでさえ、雄叫びの騒音で観光に来る人は減ってるのに、その観光の要である水の渡し人が赤字だと街全体で赤字になるよ」
(確かにそう言われれば、まずいのがわかる。……俺は考えが足りない)
「……ガラス工芸で有名なんだろ?それでも街全体で赤字になるのか?」
「うん、皆、職人気質で、大量生産してるわけじゃないから」
「そうか」
「だいたいこんな感じ。細かいとこを上げれば、まだあると思うけど、う~ん、……思いつかない」
「いや、充分だ」
「それで、これからどうするの?」
(ん~本当は、雄叫びの被害を知りたくて街の案内を頼んだけど、だいたい聞けたしな……)
「街長に会いに行く。役所まで行ってくれ」
「あ、それで役所に行きたかったんですね。はい、わかりました」
トーンっと水路の壁を櫂で弾き、葵は小舟の向きを変えて、漕ぎだした。
魔導剣は、魔法的な力を持つ剣です。対して魔法剣は、魔法剣士が付加系の魔法をかけた状態の剣です。なので、この2つは全くの別物です。
前の4話と一纏めにしました。