焔の家
精霊王の塔の最上階――精霊王の間。
水の薄く張られたその部屋で、騎士のような姿をした女性の氷の精霊は、青い竜の姿をした先代水の精霊王に向き合っていた。
『バルガディア様、私は雫様に新たな忠誠を誓いました』
それを聞いて竜は僅かに目を細める。
『そうか』
意を決して言うと竜は口の端を僅かに上げてそう答えた。
氷の精霊は、その答えを聞くと姿を消した。
竜は優しい目で暫くその場所を見続けていた。
ピンポーン。
雫は、ベージュの呼び鈴の茶色のボタンを押す。
ガチャ。
「はい、なんでしょう」
両開きの扉の片方が開いて、短いスカートの白黒のエプロンドレスにホワイトブリム、黒いニーソックスのメイドが出てきた。
メイドが雫を値踏みする。すぐに貴族からすれば綺麗とは言い難い雫を入れられないと答えを出して、扉を閉じようとした。
「ちょ、あたし焔の――」
「はぁ、あのですね……」
メイドに追い返されそうになって、昨日の商人さんとの話を思い出した。
雫は片手を腰に当て、もう一方の手で耳元の髪を払った。
「!?……申し訳ありませんでした。どうぞ」
メイドは雫を屋敷の中に入れた。雫も続いて中に入っていった。
昨日世間話の時に言われたのは、身分の高い人に会いに行って、門前払いされそうなら、その耳飾りを見せてやればいいと教えられた。
『そういう場合は見た目で判断される。なら、その耳飾りを見せて、どちらか判断できなくしてしまえばいい。判断できなければ、会わせて叱られるより、会わせなくて叱られる方がまずいから通してくれる』
(商人さんグッジョブ!)
コンコン。
「焔様、お友達が来ています」
「え?ちょっと待って!」
ガチャ。
扉を叩いてから、焔の返事を聞き流しメイドは扉を開けた。
そこには大量の縫いぐるみを隠そうとしている焔がいた。
「………」
「………」
雫は焔の意外な趣味を突然知ってしまって、焔は自分の趣味を知られてしまって、お互いに声が出せず、見つめ合って固まる。
雫は目線を下にずらして、床に落ちている焔がしまう時に落したクマの縫いぐるみを見る。焔は雫の目線を追って、縫いぐるみに気づくと、バっと掴んで背中に隠した。
やや俯いているが顔が赤いのがわかる。
(可愛い)
雫はそう思った。
今までそんな事を思う余裕さえなかった。今は心に余裕ができてそう思えるようになった。
「っぷ、くく……」
斜め後ろで押し殺した笑い声が漏れた。
「ミィ~モォザァ~」
焔がメイドを睨むと、しれっとした顔をする。
「焔様、私はこれで失礼させていただきます」
コッコッコッ……と歩き去るメイドを見る。
「っぷ、くくっ」
顔が見えないが歩きながら笑っているのがわかった。
「それで泉さんは何をしに来たんですか?」
両手を腰に当てて胸を張る。自分に自信のあるお嬢様である焔にはとてもよく似合っている。
「宿題教えて!」
「わかりました、……どうぞ、こちらへ」
きょとんとした後、扉を押さえて雫を部屋の中に入れた。
焔の部屋は深い茶色に近い赤のカーペットにシックな茶を基調とした調度品で落ちついた感じがする部屋だ。ただ、白いベッドにピンクの掛け布団にカーテン。クマや兎等の可愛い縫いぐるみが大量に飾られている。
貴族の生まれで品のいい調度品は、両親が用意したためで、パステル調の淡い色彩の物や縫いぐるみは、元来可愛い物好きな焔の趣味だ。
白い足を折り畳める低いテーブルを出すとその上で宿題を始めた。
カリカリカリ……。
宿題をする雫を見る。
去年の夏頃までは怪我だらけで、包帯を常に捲いて心配だったけど、今は傷1つない綺麗な肌をしている。傷跡が残らなくて良かったと思う。
私の肌ほど白くはないけど、健康的な色をしている。
(それにプニっとしてて、弾力がありそう。……触ってみたい)
平静を装ってそんな衝動に抗っていたら、コンコンとノックが聞こえた。
「失礼します。お飲物をお持ちしました」
部屋の中にミモザが入ってきて、持っていたトレイから林檎ジュースとクッキーをテーブルに並べる。
それからスっと、雫の斜め後ろに控えた。
部屋の壁際で正座をして、焔様とお客人の雫様を比べる。
焔様が雫様をチラチラと見ている。それから時折何かを堪えるように身悶えている。
(……ふむ)
ススっと音もなく近づき雫を後ろから、肩を引きそっと抱き寄せる。それから逃げられないように首に腕を回す。
「あわわわわ……」
雫がわたわたと手を上下に動かして嫌がる。焔様を見ながら、その頬を突く。
焔様が触りたそうにしていたので、先に失礼させてもらう事にした。
プニプニプニプニ。
「すっごい、柔らか~い」
焔様が、テーブルに握った両手をつけてふるふると俯いているのを見て堪能した。程良く止めないと後が怖いので、そろそろ止めなければならない。
カリカリカリ……
また宿題を焔に教わりながら進める。
「泉さん。フランツ王子が今日、この街に来るそうです」
「ふぅん、そうなんだ。あー、それで街が騒がしかったのか」
「知らなかったのですか?」
「ああ、忙しかったからな」
今一番この街で話題になっているので、焔は当然知っていると思っていた。しかし雫は2日ほど街を離れていたので知らなかった。
「見に行きませんか?」
「んー、そうだな、行ってみるか」
斜め上を見て、鉛筆をした唇に当てる。
(王子、王の息子か。興味あるな)
この国を治める王の息子、精霊の『王』になった今は興味がある。精霊王になる前だったら、見に行ったりしなかった。
(ふふっ、どんな奴なんだろうな)
雫は楽しみができて、微かに笑みを浮かべた。
 




