帰る雫と、見送るメルーティカの願い
メルーティカとヴァッサーは葡萄園で今後の打ち合わせをしている。
『それじゃあ後の事をお願いしますね』
『ああ、任せろ』
『では戻りましょう、雫様』
ぺこりとお辞儀をして、こっちに来ると悪戯っ子っぽく、ペロッ舌を出した。ていよく後始末をヴァッサーに押し付けたみたいだ。
メルーティカがヴァッサーに事後処理を頼んで2人は清晶の間に戻ってきた。
メルーティカが水晶の上に座り、雫は前に立つ。
『葡萄とアレを持って来て頂戴』
『はい、ただいま』
後ろに控えた女性の精霊の方を向いてに頼むと部屋を出ていく。
「アレ?」
アレが何かわからなくて首を傾げた雫を見ながら、少し腰を上げて座り直し、背筋を伸ばして居住まいを直して雫に向き直った。
スっと湖面のような瞳で雫を見る。
『先程はありがとうございました』
深々と丁寧に頭を下げる。
(え?は、や……)
こんなに丁寧にお辞儀をされるのも、お礼を言われた事がなくて、慣れているはずもなくて、雫は困って手をわたわたと動かす。
「えとー、えと、とにかく頭を上げて」
頭を上げると、困った顔でわたわたしていて、体を起こし終えると、私の前で、ほっとした顔で胸を撫で下ろしていた。
(可愛い)
戦っている時と魔法を使う時の冷たさと優しさの同居する神秘的な、あの姿を知っているからなおさら強くそう思った。
『1つお願いをしてもよろしいですか?』
「何?」
『メロウを数日、お貸りしたいのです』
「メロウは物じゃない……けど?」
雫は横に後ろのメロウに尋ねるように視線をやる。
『残らせてもらうわぁ。今回の騒動で出た怪我をした精霊のぉ治療を手伝って欲しいのよねぇ』
『ええ』
『私は回復や補助系統の魔法に似た力を扱うのが得意なのよぉ』
こそっと耳元で教えてくれた。そう言えば水を使い光を操っていたのを思い出す。
「わかった」
雫はそう答えた。
『持って参りました』
木のトレイの上には瓶に入れられた葡萄と、翠の宝石をつけた金の留め具と折り畳んだ水でできた物があった。
『葡萄は貴女に1つ。もう1つはバルガディア様に届けて下さい』
こくりと雫は頷く。
そのまま持っていくと、帰りに狼とかに襲われた時の戦闘で潰してしまいそうだから、瓶に入れてくれたのは嬉しい。
『こちらは、今回のお礼です』
そっともう1つ置いてあった水でできた物を広げる。それは水でできた布だった。
『これは私が水を編んで作った物で、月の羽衣です。魔法の発動媒介としても使えるので貴女に向いているでしょう』
(うわぁ、すごい)
僅かに水が揺らいでいて光の反射を変え、色合いが変わる。
水を編んで布を作れるなんて聞いた事がない。精霊特有の物だろう。
『こちらは、この留め具を外すと1か所に集まり、球体になります』
メルーティカは留め具を外し、水が集まって手の傍で浮く球体になった。その球体を横に山を描くように動かす。水はその軌跡に伸び、軌跡を辿って縮む。
『早く振れば長く、補足なります。早く振れば球体になる速度も速くなります』
今度は勢いよく頭上で左右に振ると留め具で留めた。羽衣がはらはらと広げた手の上に落ちた。
それをトレイの上に乗せる。
『とうぞ』
トレイを持った精霊が雫の方に来たので、月の羽衣を取った。今まで触った事がないほどサラサラしていた。
雫は寝室に戻ると帰り支度をする。といっても広げた荷物を詰めるだけだ。
詰め終えると、寝台に腰をかけ入れ忘れがないか中身を確認する。家の外で宿泊するのは初めてなので本当に忘れ物がないか、入れ忘れがないか数度確認する。
『雫魔』
確認しているとフリーデに声をかけられた。見ると足元に跪いていた。
「何?どうしたの?」
「手をよろしいですか?」
「手?」
何かわからず、自分の手を見ようと目の前に持ち上げようとして、手を掴まれた。フリーデの手は、ひんやりとして冷たい。
「へ?」
掴んだ手を引いて、フリーデは自分の顔の前に持ってきた。
(貴女の戦いを見て、貴女が真に王足りえるとわかった。だから――)
『貴女に心からの忠誠を』
フリーデは、そっと手の甲に口づけた。
口づけられた雫は顔を真っ赤にして困っていた。
支度を終えると帰りの挨拶をしに清晶の間に戻って来ると、メルーティカの横にヴァッサーがいた。
「楽しかった、ありがとう」
『いえ、こちらこそ助けていただいてありがとうございました』
「いいよ、気にしてないから」
『次は夏に遊びに来て下さい。ここは涼しいですし、ここの泉は精霊達が泳ぐので、貴女もご一緒しましょう』
精霊と水遊び。それは考えるだけで楽しそうで、楽しみになった。
「わかった。学校が夏の長期休暇になったら、絶対遊びに来る」
『では、その時は今回よりも、ごゆるりと過ごせるようにしておきます。ヴァッサー雫様を、お見送りしてあげて下さい』
『わかった。行くぞ』
メルーティカに了解を伝え、雫を促すと歩き出した。雫が横に来る。
「見送りって、この部屋の外までだろ?それくらい、いいのに」
『いや、この洞窟の入り口までだ。そこまでが俺の領域だからな』
「ふぅん」
2人はそんな会話をしながら清晶の間から出ていった。
出ていく雫の背をメルーティカは見つめていた。
彼女の踊りを見て感動した。その踊りはとても美しかった。聞いてはいないが歌も相当上手いはずだ。
(でも、恨みますよ、バルガディア様)
何故なら、雫の踊りは魔法を使うための呪文の代用で、戦うためのものだから。だからそこに心を込めたりはしない。
だからこそ、何のしがらみもなく、ただ歌が、踊りが好きだと心から思っての踊りを見てみたい。誰かのために心を、めいいっぱい込めた歌を聞いてみたい。
なのにバルガディアは『精霊王』という余計なしがらみをつけてしまった。
だから彼女は精霊王の戦う力として踊ってしまう。
(いつか聞いてみたいですわ)
メルーティカはそう思うのだった。
今でも最高級品の雫の歌と踊りが、更によくなったらどうなるかメルーティカには想像もできなかった。だからこそ、強く聞いてみたいと思うのだ。




