傷だらけの雫
ガララララッ。
教室の扉を雫が開ける。そこに立つ雫の姿を見て、クラスメイト達が言葉を無くした。
雫の顔や指のあちこちには絆創膏が貼られ、両足など包帯を隙間なく巻いていて、素肌が見えない。しかも、その包帯が殆ど赤く染まっていたからだ。
まるで魔物にでも襲われたかのような姿の雫を見て、心配をするよりもその姿を気味悪がった。
この水の都は水の精霊王が納めているため、魔物は滅多に入り込む事はない。それなのに襲われるなんて、運がない――と。
才能がなく、既に実力が伸びないと教師のブーリングに言われたため、誰1人彼女の将来を信じる者はいない。
クラスメイト達は雫と目が合うと、ぱっと目を反らす。
例え心配していたとしても己自身の心配で、雫を心配するようなクラスメイトは1人も――1人だけしかいなかった。
焔は、ガタっと机に手をおいて勢いよく立ち上がった。
(魔物に襲われた?とんでない。これは、きっと……)
赤いワンピースを着て幼い頃の自分の姿と、ボロボロの雫の姿が重なる。
焔自身も、そうだった時期があったから雫が、とんでもない無茶をしたのが良くわかる。
「どうしたのですか、その怪我は?」
さすがに雫を放っておけなかった焔は唯一、心配して声をかけてくれる人物だ。
「別に……」
雫は答えたくなくて、目を反らし俯いて呟く。
(だって、お前はブーリングに最も目をかけられているだろう?)
何でそんなクラスの優等生が、声をかけてくるのかわからない。
そんな事をしても、いい事なんて何もない。自分だって変な目で周りから見られるかもしれない。
「いい加減になさい!とにかく保健室に行きますわよ」
本当の事を言いたくなくて、ぐじぐじと考えていると焔は怒りながら、手を掴む。
滅多に怒らない穏やかな焔が怒ったのに驚いて、顔を上げて、きょとんとしてしまった。それで反応が僅かに遅れて腕を掴まれた。
「つぅ……」
雫が、思わず小さく声を漏らして、腕を大きく振って、焔の手を振り払った。少し下がって、右手の手首を押さえながら焔をきっと睨む。
焔は、雫が僅かに顔を歪めたのを見逃さなかった。
「貴女、まさか……、まぁ、いいですわ」
焔が近づいて、今度は振り払われないように、いきなりがしっと掴まれた。
「つぅ……」
また雫は顔を歪める。
(それは貴女が自分の体を労わらないですわ)
「ちょっ……」
歩き出した焔に文句を言いかけるが、焔は黙殺し、雫の手を引っ張り、教室を出て廊下をずんずん進んだ。
「ちょっ、手を離してよ。ねぇってば」
高かったり低かったり、聞き取り難い雫の言葉を焔は聞かず、雫が抵抗したが、どんどん廊下を進む。
「恥ずかしいからっ!」
「駄目ですわ。離したら、貴女は、逃げるでしょ?」
「逃げないってば!!」
焔が、雫の方を向いて顔をじっと見つめる。雫は黒紅の瞳に正面から見られて、見続けられなくて目を反らした。
「駄目ですわね」
見抜かれたのがわかったが、雫を抵抗は止めない。しかし、そんな抵抗を無視して強引に雫を引っ張っていった。
廊下にいる生徒達が、引きずられるように連れて行かれる雫に道を開け何事かとこっちを向く。それでも焔は気にしてくれなかった。
焔は嫌がる雫を保健室の前まで連れて来た。
「い~や~だ~!」
ガララ……っと音を立てて開けられた扉に手を掛けて、まだ抵抗していた。焔は腰のベルトを掴んで、雫を引張る。
「そんな事をする貴女は、可愛くないですわよ!」
「えっ?あたしが可愛い……?」
信じられない言葉を聞いて、雫の腕から力が抜けて呆然となった。焔はその瞬間を見逃さず、力の抜けた雫を保健室に引っ張り込んだ。
「ほら座って」
「うわっ……とと、きゃっ」
焔は半ば押し飛ばすようにベッドに座らせた。
座らせた雫の右足をすぐに取って、捲かれた包帯を取り始めた。雫の足には転んでできたような傷ばかりだ。続いて靴を脱がせると擦り傷に豆が潰れてできた傷が沢山ある。
焔は、思わず目を背ける。
気持ち悪がっていたら、手当もできないとゆっくり目を開けて焔は手当てを始めた。
でも、獣の牙の痕や爪で引っ掻かれてできたような傷は無いし、武器でつけられたような痕もない。焔の予想通り、魔物に襲われたような傷などない。
転んでできたような傷と潰れた豆が殆どだから、事故でもない。
「どうやったら、こんな怪我ができるのですか?」
「……ちょっと、その、踊りの練習を……」
「嘘を言わないで下さい!」
歯切れが悪く小さい声の答えに、ぴしゃりと言い返されて雫は黙った。
「……」
(一応嘘はついていないんだけどな)
けど本当の事でもないし、後ろめたいので何も言えなかった。
「腕も見せて頂けます?」
「えっ?」
まさか気づかれているとは思わなくて、雫は驚く。
腕を隠すようにしながら、焔をちらちらと見て出すかどうか考えていたら、じっと焔が揺らがない目で見ているのに気づいて、諦めたようにおずおずとゆっくり腕を出した。
焔は、雫の上着の袖を捲くって上げる。
焔が思った通り、腕にも包帯が巻いてあった。さすがに足程ではではなかったけれど、赤くなっている。
「この暑いのに長袖を着て、腕の怪我を隠そうとしてたのね」
雫は、目を反らして合わせようとしない。
腕の包帯を解いて雫が自分と同じような無茶ではなく、自分以上の無茶をしているのがわかった。怪我を見る焔の眉の間に皺が寄る。
「ねぇ、こんな怪我をしてまで貴女は一体何をしたいのですか?」
「……見返したいんだ。あたしをバカにした奴、皆……」
雫は、やはり何処か後ろ暗いとわかっているから目を伏せてそう呟いた。
「……そうですか。まぁ、全くわからないわけではないですけれど、これでは見返す事もできませんよ」
それを聞くと歯を食いしばって雫は睨んできた。そこには泉雫の名とは、かけ離れた荒れ狂う炎のような怒りが見て取れた。
一瞬どきりとしたが、焔は気にせず雫の手当てを続ける。
たぶん見返せないようなら自分に価値がないと思っているのだろう。同じ貴族達に化物だの悪魔だのと呼ばれる焔には雫の気持ちが、全くわからないでもない。
焔も雫と同じように周りの人を見返そうとしたし、復讐しようとした事もある。
宮廷で化物だと呼ばれていた焔は、周りの者に見くびられないために誰よりも強くなければならなかった。
隣の国リバス・フライカから王都に旅行に来ていた水の精霊に会わなければ、彼女に雷の半精霊の話を聞かなければ、自分も雫のようになっていたかもしれないと思う。
だからこそ、ここまで自分を痛めつける雫が心配で、自分を救ってくれた精霊のように雫を救ってあげたいと思うのだ。
そしてこの惨たらしく酷いあり様こそが、かつての自分の姿なんだと思い反省した。
(情けないですわね)
かつての自分と同じように苦しんでいる子さえ救う事ができない。
「……っつぅ」
「もう少し体を労わってやって下さい。貴女の努力は、私が認めますから」
母に何度も言われたけれど、焔は救われなかった。だから、たぶん私の言葉が届かないと思う。
「焔に認められたって……しょうかないよ」
保健室で手当てを受けながら雫は、横の壁の方を向きながら言った。
予想通りの答え。
(それでも、貴女にいつか救いがありますように)
毎日のように怪我をしてくる雫を焔が手当てをするのも、もう何度目になるかわからない。
そして1年かからずに傷だらけの雫は、可愛いではなく、焔と比べるべくもない美しい少女になる。この時の焔は、そんな事を考えもしなかった。
後からこの話入れました。
ここで入れとかないとこの章で主人公の雫の出番が後になりすぎる。