ギルド 冒険者の集会所
今は春休みで学校は長期休暇だ。
バルガディアに見せてもらっただけじゃ、だいたいの場所しかわからなかった。下手をすると数日かかりそうだから精霊に会いに行くには、ちょうどいい。
玄関に座りながら、茶色の皮のロングブーツを履いていると雫の後ろにエプロンに臙脂色の上着の恰幅の良い母が来た。
「おや、朝ご飯はいらないのかい?」
「うん、いらない」
玄関の扉を開けて、荷物を纏めた小さなリュックを背負うと、家の外に出た。
雫は空を見上げる。見上げた空は晴れ渡っていた。
(まぁ、なんとかするさ)
この晴れ渡った空を見ているとそう思える。
(じゃ、行くか)
くるくるとその場で、ステップを踏みながら2回転。
トっと軽い音を立てた踏み込み。
次の瞬間には、雫はその場から消え10m以上の高さにいた。
普通ではありえない超常を現実のものとする力――魔法。その力を使うのに必要な手順である呪文の詠唱をステップや腕の動き等に組み込んで、代替物で行う。
ただ、当然魔法が、2回転しただけで仕えるわけがない。雫が当然のように簡単そうに使っているが、間違いようのない超絶技巧だ。
短い髪を風に揺らし、気持ち良さそうに風を切って、ストっと音を立てて、建物の上を飛んで行く。
「行ってらっしゃい」
母親が顔を見せるが、そこには誰もいなかった。
「あら?素早い」
母親は顔に片手を当てて、そう言った。
トン。
屋根に着地すると、くるくると回転して、次の屋根へ跳び移っていく。
(気っ持ちいい~)
『あの、どこに向かってるんですか?』
氷の影が過る。
「冒険者の集会所。近くまで馬車に乗せてもらいたいから。それっぽい依頼ないかなって」
『分かりました』
スっと影が消える。
屋根を跳び移って行く雫を見て、特殊な魔導士だとフリーデは思った。
雫は、街から出る南門の近くにある冒険者の集会所付近の人通りの少ない暗い路地裏に降りた。
ゴミ箱や木箱を避けて路地に出ると、人通りが多い。
通りを歩くのは商人と、その商人の商品を買いに来た人、それから冒険者だ。
冒険者の集会所は、街が水精霊王の加護で街中に魔物が出る事はないため、冒険者は街の外での仕事が必然的に多くなり、そのため門の付近に多い。
路地を出ると、すぐ左の緑の看板に『人魚の酒』と書かれた木造建築の冒険者集会所の扉を開けて中に入る。
酒の匂いと暑苦しいむわっとした熱気。
丸い木のテーブルに酒と肉中心の料理。それを取り巻く椅子には体格の良い人と厚着のようにローブを着た魔導士達。
全体的に男が多く、柄がよくない。肌の露出の多い赤いチャイナ服の踊り子が壁際の台の上で扇情的な踊りを踊っている。
中に入ると、踊り子以外がこっちを見た。それからヒソヒソと話す。こっちを値踏みしているのだ。
小さな男の子か女の子かわからないような子が来る所じゃないんだから当然だ。
それから獲物を見るような目に変わる。
冒険者の集会場にいる冒険者以外に人と言えば、集会所で働く人か、依頼人だ。どう見たって踊り子ではないし、ここで働いているのなら従業員の制服を着ているはずだ。その2つが違うのなら、残りは依頼人。つまり、冒険者にとっては金ヅルだ。
そんな雫が、カウンターの前を通り過ぎ、クエストボードの前に立つ。見ていた冒険者達が不振に思ったようだ。
雫は人差指で貼り出された依頼を上から下へ確認する。
『小鬼退治 500G』違う。
『狼から畑を守る 1000G三食付き』違う。
『豚鬼の縄張り調査 1500G』違う。
正直、やってできない事はないと思うし、腕試しにやってみるのもおもしろいかも、とも思う。
(え~っと、ないな~)
「ん~」
1歩横に移動してから、貼り出された依頼を上から下まで見る。
「おい、オチビちゃん」
雫がゆっくり振り向くと柄の悪そうな3人の男が取り囲んでいた。
声をかけて来たのは真ん中の男だ。3人の中で最も背が高くてノースリーブの深緑のシャツを着ている。灰色の逆立てた髪で筋肉質ではあるが、マッチョというわけではない。蛇を彷彿させる男だ。
左右の2人は筋肉の鎧を着ているような感じだ。右の男は実際に銀色の重そうな鎧も着ている。
「何?」
「まさか俺らの喰い扶持、奪うつもりじゃ、ねぇよな?」
「そんな事しない。港町ハフェンスダートまでの商人の護衛を探してるんだ」
(何、平然としてんだよ。つーかこいつ状況わかってねーのか?馬鹿じゃねぇの?)
3人は威圧感たっぷりに見下ろしている。だが、怯える様子もなく、平然としている雫にイライラが募る。
「はぁ?それはお前が護衛をするって事だろが!お前見てーなチビに務まるわけねーだろが」
「あ~、違うって。あたしは馬を扱えないから荷台に乗せてもらいたいんだ。依頼を受けてくれた冒険者には追加報酬っていう形で小遣い程度しか出せないけど、支払うつもりだし」
「なんだ、そうなのか」
(最初から敵対するつもりがないから、怯えてなかったのか)
急に笑顔になって、背中をバンバンと叩かれた。痛い。
で、雫の頭が前後に揺れる。当然短い髪が揺れ耳元の耳飾り、ティアーズが長身の男に見えた。
盗賊系で目利きができたその男は、それが、何なのかわからないが高価なものだとわかる。男は下卑た目で笑う。ボロ儲けができると思ったんだろう。
『雫様』
『雫ちゃ~ん』
精霊の2柱が男の下心に気づいて雫に声をかける。
カン。
(わかってる。狙いはこれだろ)
その意図を込めて指で耳の耳飾りを弾く。
更に何かを言おうとしたフリーデを、意図が理解できたメロウが止めた。
『うふふ。私ぃ~貴女に興味が出てきちゃったわ~』
耳元で声を残して精霊の気配は消えた。
「何で門のとこで探さないんだ?そっちの方が楽だろ?」
「ハフェンスダートまで乗せてもらうんじゃなくて、途中で降ろしてもらって、帰りに拾ってもらいたいんだ。だから、門のとこでいちいち聞いて確認するより、往復の護衛依頼から商人を探した方が早いかなって」
「成程な。なら、これだな。依頼は俺らが受けよう」
長身の男はそう言って掲示板から依頼書を剥がした。
「助かる」
「じゃあ、早速行こうぜ」
馴れ馴れしく肩に手を置かれて、見上げた。
(蛇のような奴だな)
店の入り口の方へ歩かされながらそう思った。
「あの」
小さな声を出して店員の2つの束の三つ編みにした赤みがかった茶色の髪の少女――岬灯は、後ろから袖を摘むように引く。
3人は雫に声をかけた少女に余計な事は言うな、と睨んだ。
「……っひ」
「……先に行ってて、必ず行くから」
片手を上げて、3人を制する。獲物を持った。
「っち、わかった」
3人が出て行くと、少女は安心したように胸を撫で下ろした。
「それで、何の話?」
「えっと、あの人達あまり柄が良くなくって……だから、その一緒に行くの止めた方が」
歯切れが悪く途切れ途切れに話す。
「大丈夫大丈夫」
手をひらひら振る。
「で、でもあの人達、悪い噂も、あって、その……」
周りを見るが、雫と目を合わせようとしない。あの3人をかなり恐れているのがわかる。
今ここに居る冒険者ではあの3人を止められないのだろう。
けれど正直怖くない。青い竜、水霊王が目の前で口を広げるあの恐怖に比べたら全然どうって事ない。
「ふ~ん、だいたいわかった。教えてくれてありがとう」
雫は礼を言って店を後にした。
門に向かう雫をメロウが離れた位置から見て微笑む。
(最初は乗り気じゃなかったんだけどぉ~、精霊の声を聞く古い魔法を使えるし~、さっきも、相手がティアーズを狙ったのに気づいていたしぃ)
バルガディア様が認めるから精霊王になったのでないかと考えを改めた。メロウは口元に笑みを浮かべた。
ギルドは冒険者の斡旋所です。
依頼をまとめて受け、依頼料の1割をもらい冒険者に紹介しています。




