水霊王の継ぎ手
雫が水の精霊王に会って、年が明けた最初の日。
水の精霊王の塔最上階、精霊王の間で、雫と精霊王は会っていた。
竜が水を放ち、渦を起こす。雫は扇子を振り、くるくるとその間を抜けながら踊る。
(優美だ)
微かな手の動き、流れるような動作が雫を美しく見せる。見た目が美しいのではない。動作が美しいのだ。どれだけ、踊ればこれほど美しく見えるのかわからない。
戦っている最中なのに、つい見惚れてしまいそうになる。それがどれだけの惨事になるかももうわかっているはずなのに。
しばらくして、竜の目の前に雫が現れ、見惚れてしまった竜は避ける好機を逃し、踵で蹴り落とされた。
さっきまで荒れ狂うようにあった風が凪いで、波紋を残し消えていった。
――ピチャン。
雫の頬を伝い水滴が落ち、その音がドーム状の部屋に反響する。
ここでは雫の起こした音だけしかしない。
あるのは石造りの床に、神殿にあるような柱、それと中央に3段で組まれた石の台座があるだけ。
そして台座の上には、蒼い半透明の巨大な竜が水面に顎を付けていた。
竜は目を開け、体をのっそりと起こす。
竜の瞳には、淡く輝く水色の髪に、深く青い瞳に滴と波紋と翼の紋章が瞳に浮かぶ少女が映っている。動きやすい白地に薔薇の花と炎のような青い模様と縁取りが翠に淡く輝くのコートを着ている。少女の肌には蔦のような紋様浮かんでいる。
歳は14で今年15になると聞いた。
初めて会った時と全く同じ容姿をしていて、見かけだけなら11~13くらいと年齢より幼く見える。けれど、彼女が踊る時に纏う、この静寂の似合う優美で神秘的な雰囲気が年齢以上に見せる。
『お主の勝ちだ』
雫の心に直接低い声が響く。
勝った事が、まだ信じられないようだ。
「そっか」
呟くと、雫の髪が茶色に変わる。同様にコートにあった模様は全て消え、縁取りは黄色に変わっている。
パチン。手に持っていた数匹、揚羽蝶が描かれた2つの舞扇の扇子を、音を立てて閉じ、腰のベルト扇子の黒い紐でつけた。
雫は、反芻すると唇を横に伸ばし満面の笑みを作った。さっきまでの神秘的な雰囲気は消え、そこにあるのは子供のような笑顔だった。
『いと小さく強き者よ』
雫は顎を上げ、目の前の竜を恐れる事なく、見つめる。
『汝は何故それ程の強さを求めた――?』
雫は眼を閉じて考える。
脳裏に甦るのはクラスメイトや教師の顔。
『まーた、足引っ張って』
『お前才能ねぇよ』
『君はこれ以上強くなる事はできないよ』
『無駄な事はやめろって』
皆に指を指されて笑われた。誰1人雫の将来を信じる者も、心配をしてくれる者もいなかった。
「悔しかったから、かな……」
雫は瞳を開いて前を向く。
『それだけか?見返そうとは思わなんだか?』
「思っていた。でも、もうどうでもいいかな、そんなこと」
『そうか』
竜はそっと目を細める。
初めて出会った時は、無謀な人間だと驚いた。手合わせをして人間にしては強いと思ったが、それだけだった。
次に会った時は、彼女の身につけた強さに驚いた。古代の魔法が失われた現在では、中級の中でも弱い精霊に勝つのが精一杯のはずだ。しかし彼女は、上級精霊と比べて遜色ない程の強さを身につけていた。
そして今回は、負けた事に驚いた。
雫には驚かされてばかりだ。
『その強さで汝はいったい何をする?』
雫は瞬きをして目を見開いた。きょとんとした顔になる。
それから顎に手をやって、右を見たり、上を見たり。
見返すために強くなりたいとずっと、思っていた。でも、いつの間にか強くなる事が目的になっていた。手段が目的になってしまっていたんだ。
実際に強くなった今は、見返すなんて片手間にできるけれど、それがひどくつまらない事にしか思えない。もう、そんなつまらない事を、わざわざ望んでしようとは思わない。
「さぁ?」
今何がしたいかと問われると困ってしまって、結局、出た答えがこれだった。
竜は瞳を閉じて僅かに考える。
(ここまで磨き抜いた技と技術、そしてその強さを手に入れるまでの挫けぬ心)
踊るように戦う姿は美しくて、このまま自分の心の中だけにしまっておきたいとも思うが、これほどの者を捨て置くのは、勿体なさすぎる。
何よりも、このままでは力に溺れて歪んでしまうかもしれない。
そうさせないためには、彼女にしかできない、彼女の力が必要とされる場所があればいい。誰かに求められ、認められれば、歪まずにすむはずだ。
(ならば、我ら精霊を守って貰えばいい。そのためには――)
『では、我が汝に為すべき事を与えよう』
「……」
『汝に我が水霊王の称号を与える』
(は?水霊王?)
竜が言っている事が信じられなくて、頭の中で反芻する。
水霊王とは、その名の通り水に属する精霊達の王だ。当然、精霊がなるべきものだ。
「え?本当に?」
『ああ』
雫は、僅かに思案する。
強さだけを求めて強くなった空っぽの自分。もしも精霊王になれば、いつの間にか無くしてしまった大切な何かが手に入る気がする。まるで空の器に水を満たすように。
「わかった」
『では、戴冠の儀を行う』
雫の足元の床に青い光が生まれ、目の前に円を作った。
『中へ』
こくんと頷いて円の中に入る。
「こう?」
『ああ』
中に入ると円から光が生まれ上に立ち昇る。それに伴い髪と衣服が風もないのにはためき始める。
(何これ?不思議な感じ……)
やがて光が薄まって、緩やかにはためいていた髪と服も治まっていく。代わりに目の前に青い光の塊が生まれる。
『それを』
竜に言われて、そっと両手を出すと光は収まり、花と水の繊細な柄のティアラに変わった。
「キレー」
雫はそのティアラに見惚れた。簡単に壊れてしまいそうで、大事に扱う。
少ししてからそっとティアラを頭の上に乗せる。
「似合う?」
『ああ』
へへっと雫は照れて笑う。
それからティアラは花をあしらった簡素なヘアバンドに変わる。
「もしかして、魔力特殊特性を発現してないとティアラにならない?」
『その方がよかろう?』
「まあね」
普段からティアラをしていればコスプレみたいで自分も恥ずかしいし、一般家庭出身の少女が常に高価そうなティアラをしているのはおかしい。
何より精霊王から授けられた秘宝を持っていると知られたら、周りから狙われるたりで普通に生活などできなくなってしまう。
『それともう1つ。汝に精霊名を与える。汝の精霊名はフォンティーン・ルブラン。美しき輝きの泉。智と力、沸き出る泉という意味だ』
「ありがと」
精霊王に名前を付けてもらうのはとても名誉な事なのだが、簡単にしかお礼をしない。
『では、これから頼むぞ。水の都の花よ』
「迷惑かけるぞ?」
『くく……素直だな。別に構わんさ』
「わかった」
雫は、花のように微笑みながら答えた。
『では、頼む』
「うん」
これが時代を担う精霊王にして初の人間の精霊王誕生の瞬間だった。
そして、これが雫の救いの1つであり、彼女の運命を定めた瞬間でもあった。
人でありながら精霊王になった雫ちゃん。しかも力づく。
この時点で、史実に載せられない存在になりました。




