●第7話 脱走 (前編)
レバルタの駅は、大統領府のある旧市街から離れて町の南はずれにあった。
あちこちにまだ暴動の痕跡が残っている雨上がりの駅に、貨車や客車を引いた蒸気機関車が止まっている。
人や荷物の出入りでにぎわうプラットホームの片隅で、小銃を傍らに置いてカードに嵩じてる兵士達がいた。そこへやってきたのはラーン=ダ=カインだ。
「休憩時間はまだ先のはずだけど?」
兵士達があわててカードを片づける。
「乗客の降車か始まってる。早く検問に行け!」
あわてて走り去る兵士たちを見送り、息をついてから、カインは客車の方を見、目を見開いた。
「……アマン夫人!?」
穴蔵の中では、濡れた服のままダルトが湿気った床に転がっている。
「何日、経った? いや……まだ1日くらいか?」
声にも力はない
「(飢え死にさせる気かなぁ……?)」
そんなことを思いながら、寝返りをうつ。
「飢え死によりは、食い倒れがいいなぁ」
レバルタホテルのフロントでは、カインを伴ったロスがフロントマンと押し問答していた。スイートルームにいる人物に面会を申し込んだのに、ステートルームは空いてるという返事だったのだ。
ロスは最悪の想像に顔を曇らせ、カインと顔を見合わせた。カインは下を向いて少し考えてから、
「アマン夫人、部屋にいてください。私が事情を調べてきます」
大統領執務室ては、ライニーと官僚たちがあいかわらず書類を裁いている。
「サンベイルの上水道の件は?」
「5日前に終っています、大統領。」
「一昨日に調査をお願いしたはずですが……」
秘書官どうしが何か目で合図する。別の秘書官が答えた。
「異常はありませんでした。すでに終っています」
ライニーは疑わしそうな目をしたが、ここは認めるしかない。
「わかりました。次は、エレマイルの……」
浅い河の中、壊れたあの橋のそばに、あのままの取っ組み合った状態でM92CとM92があった。
川岸に装甲トラックが停まっている。
「でも、水が入ってぶっ壊れちゃったんじゃないの?」
疑問顔のジュディカにトーンはロープを用意しながら答えた。
「マークⅠ『戦士』は、たぶんね」
「|マークⅡカスタム『山賊』は?」
トーンはニヤッと笑って見せただけだった。
すでに日は落ちて、外は暗くなっている。大統領府の玄関広間にライニーが出てきた。2人の護衛がつき、本人は書類の束を抱えている。
「ラーン少尉……だったかしら、お待たせしました」
エントランスで待っていたのはカインだった。
「お忙しいところ、ありがとうございます」
「申し訳ないけど、話は移動しながら」
車の中で、ダルトが行方不明という話をすると、ライニーは他の書類を見る手を止め、目を見開いた。
「軍に確認……」
と携帯電話を取るが、
「どうせ無駄か」
ため息をついてやめてしまった。
「無駄?」
「……いま、この国は大混乱の中にあるの。大統領にも正しい情報が届かないほどにね」
「…………」
カインはじっとライニーを見つめる。辛そうな表情からは嘘をついてるようには見てとれない。
ライニーはしばらく考えていたが、ふと何かに気がついたように
「ラーン少尉、お願いがあるんだけど……軍の通信設備をお借りできないかしら?」
厳重に警備されている通信所。屋上には多数のアンテナが見える。
その玄関口から、厳しい顔のライニーが出て来た。後に続くカインと護衛たち。
「やっぱり上水道は壊れたままだったのね。すぐに修理させないと……」
口惜しそうに言い捨てるライニーに、カインは追いすがる。
「大統領閣下、ダルトの……マ=ダルト殿下の件についてですが……」
ライニーは車に乗り込みながら、
「わかってる!」
とイラついた声をあげ、車をレバルタ・ホテルへ向かわせた。この国がどれだけ大統領のコントロールを離れた状態にあるか、カインにもなんなくわかってきた気がした。
「ですから、スィートルームにいる人物に連絡をですね……」
ライニーが必死の様子で言うが、フロントマンも困ったように返事する。
「何度いわれましても、滞在してない方へのご連絡は取りつぎかねます」
「……軍の人もいないの、スィートルームには?」
「誰も」
ライニーは後ろにいるカインを見た。が、カインにしてもどう助け舟を出していいかさえわからない。
一人で対応策を考え、ライニーは結論を出す。
「……わかりました。では、412号室のアマン=ロス夫人に取り次いでください」
ドアの外に護衛を残し、412号室でライニーとロスが会見していた。室内まで同行しているのはラーン=ダ=カイン少尉ひとりだけだ。
「まさか大統領が来られるとは…………」
「事情はラーン少尉から……」
ライニーはイラつきを隠しきれない様子で、ロスに言う。
「単刀直入に申し上げます。バウオン=マ=ダルト氏は行方不明です」
ロスは胸に拳を当てて、心配そうな表情となる。
「このホテルに軟禁するよう指示したのですが……守られてないようでして」
「大統領、それはあまりにも……」
ロスが責めるような表情でそう言いかけたとき、ライニーの携帯の呼び出し音が鳴る。
「はい?」
電話では秘書官ががなりたてる。
「大統領! こまりますね。勝手に水道局に指示を出されては!」
「……上水道は修理されてませんでした。報告が間違っていたので、自分で調べて指示したのです」
「とにかく! 責任者の顔が丸つぶれですよ! 指示はちゃんと、正規のルートを通して頂かなければ!」
「では、ちゃんと指示どおりにしてください。今取り込み中なので、詳しい話はまた後で」
まだ何か話そうとする秘書官をふりきり、ライニーは電話を切って溜息をついた。
すぐにまた呼び出し音が鳴る。同じ番号だ。だが、すでに用件は終わっている。このあとに聞かされるのは愚痴だけだ。ライニーは電源を切った。
その様子を見ていて、ロスも勢いをそがれてしまった。
「問題がいろいろあるようですね?」
「まあ…………」
答えかけてから、ライニーはロスが部外者であることに気づいた。
元は皇子妃といっても、現政権ではなんの役職にも着いてない、いわば民間人だ。共和政府の汚点を彼女にさらしても、弊害こそあれ得るものは何も無い。
ライニーは立ち上がり、
「マ=ダルト氏のことは早急に調査します。万一のことがあれば、重要な政治問題に発展しかねませんから」
と言い残すと、カインを促して足早に立ち去った。
ロスは無力感に苛まされながら、その後姿を見送るしかなかった。
彼女が突っ伏して泣き出したのは、それから10分くらい経ってからだった。
レバルタホテルの玄関口に、大統領執務室付きの武官が来ていた。
「大統領閣下、すぐに執務室へお戻りを……」
「わかってます」
ライニーが車に乗り込むと、武官はカインに
「ラーン少尉。こんなところで何をしている?」
「は……?」
「捕虜の引き渡しも報告も済んだんだ、速やかに所属部隊に復帰すべきなのに、何を遊んでいるんだ!!」
「それは……」
口ごもったカインに、車の中からライニーが
「私が許可してます」
カインはほっとした顔を見せたが、武官は引かない。
「こまりますね、大統領閣下。将校の指揮権は、直属の上官にあります」
ライニーは冷静に
「『捕虜の引き渡し』について問題が起きています。それが解決するまで、ラーン=ダ=カイン少尉は任務を果たし終わりません。…さ、少尉、乗って」
「はい」
命令に従ってカインは車に乗り込んだ。
「それよりも、第5軍の現状についての報告が来てないんだけれど?」
「それは……現在、報告をまとめており……」
「検討の必要なことがあるので、早急に提出してください。」
一方的に話を終わらせると、ライニーは運転手を促して車を発進させた。
あとに、武官だけが苦り切った顔で残された。
「助かりました、大統領」
カインが安堵のため息を漏らす。ライニーはカインを観察しつつ
「……責任感だけじゃないようね?」
「はい?」
「マ=ダルトさんと、個人的に何か?」
「あっ、いえっ!」
おもわず顔を赤らめてしまうカイン。
「いえ、そのっ!」
「……ラーン少尉。もうひとつ、お願いを聞いて頂けるかしら?」
「メシだ」
穴蔵に久しぶりに光が差し込む。
ダルトは身を起こし
「おおっ、待って、ましたッ!」
と叫んだ。が……警備兵はブリキの皿を床にひっくり返してしまった。
貯まって泥を吸った雨水と、スープ状の食べ物が混ざっていく。
「!」
「……腹ァ減ったろ? 食えよ」
ダルトはこぼれた汁を手にとって匂いをかぎ、警備兵を睨んだ。
「……残飯だな、こりゃ?」
「おめえは殺しちゃいけねえそうだがな。いい気味じゃねえか、皇子サマがすするものが残飯なんてよ!」
ダルトは眉をしかめる。
「おいおい、人権蹂躙だぞ、こりゃ?」
「てめえに人権?」
警備兵は鼻で笑って、ダルトの髪を掴んだ。
「民主政府の決定に文句を言う権利なんか、お前には、無え」
そしてダルトの顔に唾をはきかけた。それからゲラゲラ笑いながら扉を閉め、カギをかけた。
暗く狭い空間の中でダルトは、こぼれた汁をじっと見ていたが、突然、皿を扉に叩き付けた。音が空しく響き、ダルトは上を向いて溜息をつく。
何かがおかしい。
たしかに、皇帝政府はいろいろ間違っていた。一陸軍大尉でしかない自分から見ても、「そんなことしたら国民は納得できないだろ」と思うことが多かった。あんまりうるさく皇帝に意見したことが原因で、とうとう首都から200km以上離れたエレマイルの離宮に軟禁されてしまった。
だから暴動が始まったときは、「父上にはむしろいい薬だ」くらいに思ったものだ。
しかし……アウテス=ライニーという、政治力とカリスマ性のある女性があらわれ、暴徒たちを組織化していった。末端では略奪や殺人も行われたものの、大勢を革命という形に持っていったことを知ったとき、もはや時代が変わると確信した。
ダルトは皇族であり、軍人でもある。だから国民の幸福のためなら死ねる覚悟はある。が、犬死はしたくない。ここで自分が死んでも国民への寄与は何も無いし、だいいち発令者もはっきりしない処刑など、絶対に納得できない。
それよりも、放っておけばこの混乱はどんどん泥沼化していく。いずれは外患も呼び込む可能性が……それを防ぐには、ライニー大統領の政治力だけでは不充分に感じている。こんな状態で自分にできることは……。
そこまで考えたときに、カギの開く音がした。
「ダル…………」
扉から覗き込んで絶句したのは、カインだった。
ダルトも、座ったまま驚いてカインを見つめる。カインは大声で後ろに言った。
「すぐに囚人を移送します、……大統領命令です!」
「ふぅ……ろくに睡眠もとれないわ」
執務室はすでに夜中になりかかっている。窓の外は星空だ。
ライニーは自分の肩を叩いた。そこへあわただしく武官が駆け込んできた。
「大統領! 捕虜の移送命令を勝手に出しましたか!?」
「は? 何のこと?」
「ラーン少尉が、バウオン=マ=ダルトをつれて、町を出ました」
「(そんなことまで頼んでない!!)」
ライニーは驚いて立ち上がってしまった。それから、ふとこの状況を利用することを思いつき武官に質問する。
「どこからですか?」
武官はちょっとひるんだ。
「……レバルタホテルからです」
「レバルタホテルにマ=ダルトはいませんでしたが?」
「……いたんです! いなかったわけがない」
「しかし」
武官の顔が凍りつく。
「軍は大統領の指示どおり、レバルタホテルにバウオン=マ=ダルトを軟禁していました。ラーン少尉はそこから勝手に連れ出したのです」
武官の手に拳銃が握られていた。その、銃口が自分に向けられていることに、ライニーはすぐに気がついた。
レバルタの郊外。昨日の雨でいちどは泥になったがすでに乾いてきた岩砂漠の道を、煌々とライトで夜道を照らし、一台のジープが飛ばしていく。
運転席ではカインがハンドルを握り、助手席には、空腹なのか息も絶え絶えの様子のダルトがいた。
カインがバックミラーを見ると、宵闇の中にいくつかの光点と砂煙が見えていた。
「もう追っ手が!」
「しかし、馬鹿だなカイン……」
カインはハンドルをきりながらちらっとダルトを見た。
「せっかく軍に戻れるようにしたのに、これでパァじゃないか」
「……私、ダルトを売ってまで軍に戻りたいなんて思わないもん」
「脱走兵は銃殺なんだぞ?」
カインは真剣な表情で前を見詰め、それからフ、と笑みを漏らした。
「……銃殺でもいいわ、ダルトと一緒なら」
「いや、俺はあんまり死にたく…………おい、あれ!」
ダルトの指した左前方、星空の下で派手にライトが煌いている。
後ろからだけでなく、斜め前方からも中隊規模の装甲車隊が近づきつつあった。
装甲車の中でモニターをにらんでいるのは、ガンツ中佐だ。
「バオウン=マ=ダルト……そっちから飛び込んで来るとはな。」
マイクを取って中佐は叫んだ。
「全車、撃ち方用意!」
砲光が見える。
カインは必死の形相で、ハンドルを右へと切った。
<つづく>