●第6話 捕虜 (後編)
装甲車に護衛されたキャンピングカーがレバルタの町に入ったのは、2日後の朝だった。
そのころ、大統領執務室のデスクに置かれた、嫌味なほど分厚い「ヴェストリ方面軍活動状況」という報告書を前に、ライニーはため息をついていた。それでも、持ってきてくれた武官に礼を述べ、近くにいる秘書官に質問する。
「で、サンベイルの水道の件は?」
とたんに電話が鳴った。もう一人の官僚が出る。
質問された秘書官は
「まだ報告が上がっていません」
「指示は昨日出したのでしょう?」
「あとは現地の都合によります」
要するに、何も進展していない。「水道の修理が済んでいるのかどうかの確認」だけでこれだけ手間がかかっている。ライニーは額を撫でながらため息をついた。
と、電話が切られ、官僚が報告する。
「大統領、バウオン=マ=ダルトが到着したそうです」
「来たの……とりあえず、拘置所……いえ、レバルタ・ホテルの一室に監禁……」
「大統領に会見を求めているそうです」
「…………は?」
廊下を早足に歩くライニーに、1人の武官が追いすがる。
「危険です! 相手は窮鼠です、暗殺されるかもしれませんよ? 軍にお任せください」
だがライニーは一顧だにしない。固い表情のまま人差し指でメガネを押し上げ、
「これはもう決定事項です。軍には、私が暗殺されることなどないよう、警護をしっかりお願いします」
と言い放った。
そして、ひとつの扉の前に立つ。大きく呼吸をしてからノックをし、返事を聞いてからそっと開けた。
殺風景な部屋だ。小さな窓があり、以前は物置にでも使われていたようにも思われる。壁の汚れと痛みからは首都暴動のときに荒らされたことも想像されたが、瓦礫などはすでに片付けられていた。
ライニーは扉の手前で立ち止まったまま、中を見回している。
警護の兵士が5人、正式軍装のカイン、そして手錠をされたダルトがいた。
「この人が?」
カインが一歩前へ出て、ライニーに敬礼してから答えた。
「バウオン=マ=ダルト殿下です」
「この扱いはなに? いちおうVIPでしょう!?」
後ろで武官が怒気の篭った声を出す。
「いいえ。極悪指名手配犯です」
警備の兵士も続けた。
「人民の敵です!」
カインは居心地悪そうに左右を見回す。が、ダルトは不敵にも微笑している。評判のいい映画でも始まる前の観客のような笑顔だ。
「とにかく、この人の身分にふさわしい待遇を」
ライニーがイラついた声をあげると、ダルトが口を開いた。
「三階の東側の、テラスのある談話室なんかいかが?」
武官がうなづいて
「ああ、あそこなら……」
「てはすぐにそちらに移動して。みんなに何か、飲み物の用意も」
ライニーの命令で一同が動き出す。護衛の兵士がダルトに言う。
「官邸に詳しいな、お前」
「そりゃ、もとは俺んちだもん」
「私語をするな!」
武官が怒鳴り声をあげてからは誰も口を利かなくなった。
今度は絨毯の敷き詰められた、綺麗な部屋だった。装飾もそれなりにされており、窓も大きく、庭に向かって開かれている。
ソファーに数人……ダルトとライニーは向き合う位置だ。ダルトは、手錠さえなければ捕虜とは思えない堂々とした態度だった。
「以上です」
「なるほど」
カインが報告を終え、書類をテーブルに置いた。聞き終わったライニーは、ダルトの方へ向き直る。
「で、バウオン=マ=ダルトさん……皇帝家はもうないのでこう呼ばせていただきますけど…………私に会いたいという、用件はなんでしょう?」
「革命を成功させたリーダーに会ってみたかった」
ダルトは悪びれずに答えた。
「あなたの本をいくつか読みました。『理想的小政府』は面白い発想で勉強になったし、『立憲政治の改革に関する些細な提案』にはかなり共感できましたよ」
「それはありがとう。どちらも発禁にされましたけどね」
返事はそっけない。
「でも…………ザイン共和国の現状とあの本の主張は、かなり違いますよね?」
ライニーは言葉を選びながら返事する。
「革命はすぐには終了しません。少しづつ変えていかなければいけないことも……」
「でもまあ、あの本の著者がこんな美人だとは思わなかった」
「は?」
いきなり話題が変わって、ライニーは虚を突かれた。
「平和な時代に出会ってたら、一目ボレして、即プロポーズしたかもしれません」
カインが焦って咳き込む。兵士達と武官は失笑した。
ライニーは眉を引きつらせながらも平静を装って
「宮廷風の冗談ですか?」
「けっこう本気」
「……マ=ダルトさん、あなたには死刑命令が出ています」
ダルトの表情から笑みが消えた。
「そうそう。あれ……皇帝一族の全員処刑って命令、大統領閣下が出したんですか?」
「いえ。私が就任する前のことでした。誰が命令したのか、今ではもうわかりません」
武官が嘲笑するように口をはさむ。
「今日の会見は、命乞いが目的か?」
「いまさら命乞いしてどうすんだ」
ダルトは不愉快そうに一瞥しただけでライニーの方へ向きなおる。ライニーはゆっくりと
「死亡の確認されてない皇族はあと3人います。マ=ダルトさんが降伏すれば、彼らもきっと……」
「俺を生かして利用しようと?」
「いち庶民としての生活は保証します」
武官が声を張りあげた。
「甘すぎます、大統領! ここは徹底して…………」
が、ダルトが話し始めたのでライニーは手で武官を制した。
「……バウオン皇帝家の内情には詳しくないようですね。身内は一人でも蹴落として、自分だけのし上がろうって奴ばかりですよ。俺が降伏すれば、裏切り者って呼んで切り捨てるでしょう」
「じゃあ、やはり処刑だな」
武官が鼻で笑ったが、ダルトは無視してライニーを見つめている。
「……まずは裁判ですね」
ライニーの返事にダルトは
「多数決制の人民裁判とやらはやめてくださいね? アジテーションの上手い奴が投票者を感情的にしたら、どんな無茶な結論でも平気で出やがるから」
「……民主主義を信じないの?」
「自分たちに関して決める時には多数決でいいと思います。でも責任を取る気のない連中が他人について決める時、無慈悲な結論の方がそいつらにとっては楽しい……違いますか?」
まさに自分が感じ始めていることだったから、ライニーは言葉に詰まった。武官が横から口を出す。
「結論はもう出ている。こいつは死刑……」
「再審査の要ありと認めます。裁判を行ってください」
ライニーの一言に、一同は驚きの息を漏らした。
「……感謝します、大統領閣下」
ダルトは手錠のついた手を差し出して握手を求めた。ライニーはうっかり応じそうになったものの、気が付いてすぐ手を引っ込めた。
「別に。正規の手続きですから。他に用がなければ、じゃあ、私はこれで」
ライニーはすばやく立ち上った。この得体の知れない男といつまでも話をすることには、何か恐怖に近いものを感じはじめている。逃げるように扉の方へ行った。と、
「ライニー!」
いきなり呼び捨てられ、ライニーは驚いて振り返った。
ダルトが微笑んでウィンクする。
「次に会うことができたら、そんな辛そうな顔じゃなく、笑顔を見せてください。貴女にはその方が似合うはずだ」
ダルトの横でカインがオロオロする。ライニーは真っ赤になり、
「冗談はもう結構です!」
と怒ったように出ていった。
雲ひとつ無い夕方の岩砂漠を、東北方からレバルタに向かっているアイアンウォーリャー部隊がいる。と、いきなり岩山から砲弾の雨が降りそそいだ。一台のソーチェスターが直撃を受けて吹き飛ばされる。
たちまち全機が武器を手に散開、戦闘開始となった。
後方で装甲車から指揮をとっているのはガンツ中佐だ。
「くそっ、こんな時に……!」
地図を片手に、中隊のひとつへ迂回攻撃の指示を出してから、吐き捨てるように中佐は言った。
「死刑を逃れるなど……許さんぞ、バウオン=マ=ダルト!」
東方。夕闇に包まれつつある曇り空のエルメンにある、とある鉄道の駅では、共和派の兵士が続々と貨車に乗り込んでいる。
最後部に客車が連結されており、そちらには民間人が乗っていた。
客車のステップの近くに、見送りにきた老人が立っていた。くたびれた服を着た執事だ。
「世が世であれば、お嬢……奥様がこんな庶民用の車両になぞ……」
会話の相手は、地味な旅装に旅行かばんをさげたアマン=ロスだった。
「今はもう、そういう時代ではないのよ」
「道中、お気をつけて。盗っ人も出ますからな」
「ありがとう」
客車に乗り、席に座ると、ロスは泣きそうな目で窓から外の曇り空を見た。
「(……死なないで、ダルト!)」
そこは、立って歩けないほどせまい穴蔵だった。
「……こりゃひどいな。裁判までここで寝起きするの?」
ダルトは文句をつけるが、後ろの兵士は
「うるさい! 殺されないだけでもマシと思え!」
と、ダルトを「穴蔵」に蹴り込んだ。手錠をされたままダルトはうつ伏せに転がってしまう。と、扉が閉められ鍵がかけられた。
「…………これがVIP扱いかよ?」
レバルタ・ホテルの一室では、カインが紅茶を味わっていた。すでに外は暗くなった窓に、ポツリ、と水滴が落ちる。
雨が降り始めたようだ。
カインはティーカップを持ったまま、雨粒が増えていく窓を見つめている。
大統領執務室では武官が報告している。
「レバルタ・ホテルのスゥィートルームに収容しました」
「くれぐれも粗相の無いように」
「はっ。VIP待遇で」
ライニーはようやく人心地ついて、
「ご苦労様でした。下がって結構です」
武官は敬礼して出ていき、執務室にライニー1人が残った。彼女はデスクを離れ、窓辺による。すでに暗くなっている外は雨降りとなっている。
ふと……窓に映ってる自分に向かってニコッ、と笑顔を見せてしまっていたことに気づき、ライニーは驚いてカーテンを閉めた。
雨の降りしきる中、コメリカの小旗を立てて、装甲トラックが走っていた。
幌をかけたトラックの荷台やベッド状の後部座席には、コメリカ兵が5人。ハンドルを握っているのはトーンだ。
「起重機もない、作業員もいないで大丈夫なの?」
助手席のジュディカが問い掛ける。
「ああ。俺でもあれは動かせるからな」
岩砂漠に降りしきる窓の外の雨を見ながら、ジュディカはつぶやく。
「ダルト、大丈夫かな……」
「カインがついてるから」
「……それが一番気に食わないんだけどね!!」
ジュディカはたちまちふくれ面になった。
ほとんど何も見えない真っ暗な穴倉の中に、ダルトの声だけが響く。
「おーいっ! 水が漏れてきてるぞ! 何とかしてくれよ、こらあっ! こんなびしょびしょじゃ、寝れねーよ!」
しかし扉の外からの返事は無い。広さは畳一枚、高さは1mくらいの空間の中に、ただ一人で喚いてるだけだ。
「ったく、なんつーVIPだ……」
<つづく>